信仰と復活
三日儀式では、女性は堕落したエバからキリストの花嫁の立場に立っています。最初は堕落した子宮をもつ堕落エバです。男性は堕落した天使長の立場です。そこから神様の息子の立場を復帰して、さらにはキリストの体、神の種を持つ者へと変えられるのです。 三…
2歳にして修道女になりたいと願ったという、聖テレーズはいったいどんな誓願を17歳の日に抱いたのでしょうか? お父様も数えで16歳、満15歳でイエス様にお会いして、御旨の成就を要請され、これを許諾され天地に誓って生涯貫かれました。 我々サンク…
マザーテレサが見本としたというリジューの聖テレーズは、イエスのアニェス院長にこのようなことを書き綴っています。 福音書を開いてみますと、『イエスは山に登って、これと思う人々を呼び寄せられると、彼らはそばに集まって来た」(マルコ3・13)とい…
イエス様が御言葉を語り真の愛で弟子たちを愛したにも関わらず、イエス様を見捨ててしまい、イエス様は十字架の道を行かざるを得ませんでした。 天国が近づいたはずでしたが、その御旨は挫折してしまいます。 お父様が興南刑務所で歩まれた時には、イエス様…
ブッダの「毒矢の話」というものがありますね。 皆さんもどこかで聞いたことがあったり、読んだことがあることでしょう。 ある人がブッダに質問するのです。 「世界は永遠なのか、無限なのか」とか「如来は死後存在するのか」とか様々です。 それに対してブ…
www.youtube.com あるとき内村鑑三に関する本を読んでいたら、小林秀雄のことが書かれていたので驚いた。 小林秀雄といえば我々が学生時代には難問の論説問題として時折引用されることがあり、批評家の中でも突出したイメージがあった。 なんというか突如現…
「われは後ろを見ない。前を見る。」 内村鑑三 われは後ろを見ない。前を見る。過去を顧みない。未来を望む。前へ前へと限りなく進む。ただこの一事を努む。すなわち、後ろに在るものを忘れ、前に在るものを望み、神がキリストによりて上へ召して賜うところ…
1995年後期に、お父様は世界中の指導者達を皮切りにして、40修を始められました。 第一回は、36家庭や12双の人たちが参加し、第二回は12月で、私の友人も参加しました。 その時参加したのは四大聖人や江利川会長・大塚元家庭連合会長・佐野元局…
少し前にブログでイエス様を名乗る霊の自動書記が紹介されていました。 その中でイエス様が推薦していた御言葉は私自身も注目していた、信仰生活の向上に欠かすことのできない、いわば核心に迫るお父様の御言葉でした。 そこで、自動書記の文章と推薦された…
www.youtube.com 「天には栄え」(あめにはさかえ)讃美歌98番は チャールズ・ウェスレー作詞のクリスマスキャロル定番です。 先回の「クリスマスキャロル」の映画にも出てきましたし、今回ご紹介する「素晴らしき哉人生」では主人公の娘がクリスマスのた…
www.youtube.com ロナルド・ニーム監督による1970年制作の映画「クリスマスキャロル」は、イギリスの文豪の小説をミュージカル仕立てに作られた作品です。 映画の原題は主人公の名をとって「Scrooge」と言います。 この英語は、「守銭奴・けちんぼう」を…
私が好きな宮沢賢治の作品に「セロ弾きのゴーシュ」という童話があります。 ゴーシュは英語やフランス語では「不器用な・未熟な」というような意味があります。また、フランス語では「左手」なども意味します。 左手は左翼を意味し、その由来はアベルとカイ…
www.youtube.com 『神の賜物を』『平和を求めて』【讃美歌】 7月22日熊本教会において、宋総会長の奥様であられる李海玉夫人が御言葉を語ったという。 李海玉先生のメッセージ ~「永遠なるふるさと」に至る道~ | 統一教会 News Online その中で、あるサ…
www.youtube.com ヘレン・ケラーは幼い時に病気になって高熱に浮かされました。 その結果、不幸にも目が見えなくなり、音が聞こえなくなり、言葉を覚え話すことができませんでした。 モノクロの映画ではそのようなヘレンが囲われている状態を、次のように映…
ヒューマニズムは通常人道主義と訳されている。聞こえの良い言葉であるが、真なる信仰が神中心という神本主義であるとするなら、ヒューマニズムは人間中心という人本主義と表現された方が相応しい。 神中心ということは、我々人間が被造物であることから、我…
第1章は 「神に栄光を捧げる信仰」という題になっている。 これが真なる信仰だというわけである。 そこでブローシュは3人の言葉を選んでイメージできるように配慮している。 キリスト教信仰―真の信仰をめざして 作者: D.G.ブローシュ,Donald G. Bloesch,宮…
キリスト教信仰の大きな流れを見ると、律法によって義とされるという行義信仰をパウロが捨てて、福音中心の新約時代の信仰に変換した。これをルターがローマ人への手紙によって「正しい者は信仰によって生きる」という信義信仰に見出した。 その後、例えばウ…
イエス様は実子としてお生まれになったのであるが、使命半ばにして殺されてしまった。 イエス様はメシアとしての責任心情から、十字架によって息絶えた後にサタンによって地獄に引き連れて行かれ、試練を受け、これに勝利し、勝利の資格を持って、再び人類の…
ルカによる福音書22章3節には有名な聖句がある。 「そのとき、12弟子のひとりで、イスカリオテと呼ばれていたユダに、サタンがはいった。」 この「ユダに、サタンがはいった」とは一体何を指して用いられた言葉であろうか? 統一原理を軸に考えてみると…
私のブログを書くペースは精々週に1~2度更新がいいところというのが実情であるが、更新がないにもかかわらず多くの方が訪問されているのにひどく恐縮する次第である。 しかも、依然と神山問題に関心がある方が非常に多いので、どうしたものかと考えていた…
統一原理では、「神の立場」で考えることの重要性が語られている。 われわれがあらゆる情況に遭遇した時には、ものごとを「神の立場で見よ」ということである。ではその反対はどういうことであろうか?(相対思考) 「サタンの立場」で考えるということにな…
我々が日々の現象に振り回されることなく、内的な生活をするために貴重な示唆を与えてくれるものはないであろうか? 李耀翰 先生が書かれた「信仰と生活第一集」という本がある。 光言社のサイトを見てみると、現在では「心情開拓」という名称に変更されたと…
仏教では殺生を嫌う。生命に価値を置くからである。統一原理に学べば、魚ですら自らの生命に価値を置く存在ではなく、人間に吸収されその人物の大義に同参することに価値を表す存在であることが分かる。 むやみに生き物に手をかける外的殺生も忌み嫌うべきも…