原理講論を読む

日常生活の中で 考える糸口を求めて

日本聖殿が犯した成約の同時性の出版という讒訴条件成立を、当時こうして払拭しようとした。

もう時効だと思うので話すが、サタンが仕込んだ成約の同時性を払拭するために、

当時松本さんにアドバイスしたことがある。

 

成約の同時性の本をある方の厚意で送って頂いた。

ざっと目を通したら、いくつもおかしなところが目についた。

面倒なのでそのうちのいくつかに絞って問題点をブログで書いたと思う。

 

さて、その頃松本さんともこの冊子のことで話すことがあった。

わたしは成約の同時性の冊子をざっと見て、これは間違い、何でこんなものを日本聖殿は出したの?ひっかかるよ。と忠告した。

 

松本さんには問題意識が在り、それはお父様が100歳以上生きるようなお話をされているのに、どうして早く聖和されてしまったのか、というものであった。

それについてこの冊子は、そういうことかと腑に落ちたというのである。

そこで、いくらかおかしな点を説明したがまったく耳を貸さない。

 

その後も色々やり取りして、

これは蕩減になるとか、

讒訴条件になるとか説明したかと思う。

もう具体的な話の内容はすっかり忘れてしまった。

 

永田先生事件があったが、彼が聖和されたら日本聖殿では、

この成約の同時性が正しいのか、間違っているのかについて、

情的な反発は続いたようだが、教義的議論は消えていってしまったようだ。

わたしはLINEを抜けているので詳細なところはわからない。

 

そこであの頃、日本のサンクチュアリの中心勢力である日本聖殿がおかしくなっては摂理が進まないと思い、必殺技を忠誠の人、松本さんに提案した。

 

「松本さんもその研究会の中心メンバーなのだから、このお父様の恩讐である冊子の出版に関する責任を全部松本さんが被ってしまえばいい。そうしてわたしが悪うございましたと精算してしまえば、サタンの追撃は終わる。」

 

お父様は、忠臣は死ななければわからないと言っているのだから、

松本さんにも、すべての兄弟に非難され死んだも同然になって、

サタンの讒訴条件を一気に精算して、蕩減を負わないようにしてしまえというのである。

松本さんならわかるはず、そう思って、この冊子の間違いをいろいろな角度で説明して、「樅ノ木は残った」を思い出しながら・・・

 

ところが松本さんの中村さんの言説に対する信頼は予想以上に強く、

受け入れてもらえなかった。

 

本物の忠臣として活躍できる場を設けてみたのに、

どうも通じなかった。

 

しかし、その価値ある献祭になって日本聖殿を復活させる事ができなかった時、

次第に日本聖殿はサタンの持つ讒訴条件によって日本での御旨の活動がどうあるべきか?わからなくなっていったようだ。

国内の摂理情勢がとんでもなくまずい。

 

遂には、その信仰的に死すべき忠臣の松本さんが、

実際に体を打たれた。

江利川会長の右腕をサタンは打った!

誰の代わりに?

 

さあ、日本聖殿は正しい道に行く転機を

松本さんによって得ることができている。

彼に感謝すべきであろう。

彼が打たれたことによる条件の成立を無駄に落としてはならない。

 

結果として、

松本さんは、死にきって栄光の祭物になる道を逃したが、

苦難の祭物として、

別の形でその使命を果たしたのだとわたしは考えた。

 


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この物語のなかに、忠臣は死んでみなければわからない、のみ言葉に通じる本物の忠誠が描かれている。韓国忠誠恐るべし。

 

日本聖殿の復活を期待したい。

今日はこれまで・・・