原理講論を読む

日常生活の中で 考える糸口を求めて

「聖霊のもとにーメシヤの涙 テーマ:夜の神様、昼の神様」の間違いについて おまけ

はじめに、

わたしは文鮮明先生が指名して書かせた劉正玉先生の「原理本体論」を批判したばかりか、本当は周藤健がまとめた「成約摂理解説」の方がお父様の御心に近いと話しました。独生女神学を除けばなので講義案の方がましかも知れないが・・・

この発言はクルトさん以上に大異端かもしれません。

ですから、神の声である良心の声に耳を傾けて、自由と責任で判断して下さい。

これで、中村さんやクルトさんと同じ土俵に立ちました。

いや、もっと批判されるべき立場に上がったかもしれません。

 

先ず、クルトさんの日本聖殿での功績の話です。

わたしは日本聖殿を辞めていて独立した家庭教会です。

そういう立場から見た考えですが、

日本聖殿にとって「成約時代の摂理的同時性」が誤りであることに警鐘を鳴らしたクルトさんと永田先生は恩人です。

この件でクルトさんがどのような活動をしたかは知りません。

記事を書いていたことしか。

 

永田先生は久しぶりに私に電話をしてきました。

「成約時代の摂理的同時性」の問題についてです。

その前後に私はその本を読みました。

そして二つばかりとりあえずざっと読んだ感想を書きました。

永田先生は益村公俊さんの同時性の著作を大変低く評価されていました。

そして中村さんの本も同様に否定的でした。

1時間ほどお話をずっと聞いていましたので、私が益村公俊さんを高く評価していることは話しませんでした。

何が起きているか知りたかったからです。

次に電話がかかってきたときの要件は「成約時代の摂理的同時性」の検証委員会をつくって問題点をまとめたいので協力してほしいというものでした。

ですが、永田先生はおよそ一週間後に会長とこの件でお話されると言いました。

そこで、それだったらお二人がお話された結果を聞いてから考えましょうとお話しました。

しかし、この問題は日本聖殿の問題なのに、何故独立系の人たちと独立系の人たちも参加しているLINEで彼らにも呼びかけているのか少々怪訝を持ちました。

また、私と違い日本聖殿の協約を作ることに参加した永田先生は、

この協約に賛同的だったと思います。

私自身はまあ1年後に不備を改正すればいいのではと思っていました。

民主的に作ったものが本当にいいものになるとは限りません。

天一憲法を入れたりしたので気の毒なことに金子さんが勘違いしました。

 

たたき台もベネディクト修道会の戒律がとても好きだという方が作りました。

時間があったり、情熱があった方が書きました。

 

私自身は日本聖殿に所属していません。

その後、永田先生は会長に会う前に何かをLINEで日本聖殿の皆さんに訴えて、その内容が事実に基づかないと会長が反論され、結局永田先生は会長に会うことをやめました。

いつもの永田先生らしからぬ動きにわたしは大変驚きました。

 

そしてやがて聖和されました。

永田先生のお話では、これは日本聖殿だけの問題ではなく、サンクチュアリ全体に関わる問題だと訴えておられました。

今にして思えば、当時この本がどれほど馬鹿げたものであるかを切実に感じていた主要な日本聖殿の食口には、どうやら永田先生とクルトさんしかいなかったのかもしれません。

そこで、やむを得ず協会を越えて活動の輪を広げようとされたようです。

 

わたしは永田先生の発言がきっかけでクルトさんの記事も時に見るようになりました。

また、クルトさんの勉強会にも参加しました。

わたしはそこで原理的な話がされることにではなく、サンクチュアリで何が起こっているのか知りたくて来たのですが、この場にはふさわしからずとの数名の意見に動かされた管理者が丁重に辞めてほしいと願ってきました。

歓迎してくれた方も何人かいたのですが、それを確認はしなかったようです。

これは一種の検閲です。秘密結社化するとサタンがやってきます。

気をつけたほうがいいでしょう。

 

長くなってしまいました。

「成約時代の摂理的同時性」は側近である天使長にあたるメンバーの中で川原さんが提案したとのことです。

私が知る限りでは、井田講師だけが、

「これは各自が正しいかどうかを判断すればいいのではないか」と言われたそうです。

この言葉をもしこの本にまえがきなどに入れておけば全く問題が起きませんでした。

そういうわけで日本聖殿はクルトさんと永田先生には感謝すべきです。

 

さて、最近ある方からクルトさんの冊子を二冊頂いていたのですが、

昨日薄い方を読み、二冊目の厚い方を60ページくらい読んだところです。

では本題にはいります。

 

クルトさんが語る神様や愛の世界はとても女性的なものが多いように思います。

神様が父なる神であるならば、どうして母なる愛ばかりを語るというのでしょうか?

ある時わたしはある方にこう言いました。

 

「母の愛はすべての子供を平等に包むような優しい愛だが、

父の愛は違う。

父の愛は一子相伝の愛。」

 

長子が立てば全てが相続され伝統が死守される。

だからたった独りの子がすべての子よりも重要。

そのたった独りの子が他のすべての子を生かす。

ヨセフがその兄弟や父母を救ったように。

父の愛は厳愛!

千尋の谷から突き落とす愛。

だから天父は生涯お父様をそのように思える道に突き飛ばした。

父の愛は蕩減を与える愛。

だからお父様は「蕩減とは祝福に満ちた言葉である。」と語られた。

自分が瀕死の重傷にあるときこそ、父の愛は我が内にある。

何一つ良きことがないどころか、ありとあらゆることが自分が生きていることを呪っているかのような環境に立たされたとき。

あなたは母の愛で優しく包まれたときを遥かに越えた強烈な愛を

父から受け取ることができるか?

ヨブに何の良きことが起きたか?

ヨブは原理を知らなかったので、

地獄の絶叫の中で神を見失った。

しかし、お父様はただ独り死に至る自分を見つめる神に、

「父よ、どうか心配なさらないで下さい!私は大丈夫です!」と微笑んだ。

ノアはアララテ山の頂上にカンカン照りの日が続く中で、巨大な舟を作れと命じられた。

それはどれほど苦痛の道だったことだろうか?

大洪水が起きて初めて、ノアは自分を苦難に追い込んだ絶対なる神の命令が

神の愛であることを知った。

 

山本七平は日本には日本教とも言うべき文化があって、外国から来たものを

本来の姿とは違ったものに変容してしまうことを語った。

キリスト教もとうてい日本人には難しいと。

統一原理も変質して受け止められて行くのだろうか?

マーチン・スコセッシ監督は西欧のキリスト教とは異質のキリスト教として、

遠藤周作の「沈黙」を映画で描いた。

 

日本人の神観は人間を大切にしてくれる神様がいい神様。

母なる神がいい神様。

父なる神より母なる神が好き。

 

        日本教           キリスト教

大切なもの   人間            神

自然      自然にあるもの(天然)   被造世界

人間      自然の一部         被造物 

大切な情    母の愛           父の愛

自由      不便でないこと       神から与えられた主管権

 

クルトさんも父の愛を母の愛以上に語らなければならない。

 

日本に残った者はみな神様を裏切った者です。

もしまだ生かされているなら、

先ず、悔い改め、感謝し、神を賛美せよ!

聖霊聖霊の働きとは、この三つをわれわれが常にできるように導く。

クルトさんは先頭に立って鉄杖祭に参加しなかったことを悔い改めるべきでは?

私と同じ死すべきものではなかったか?

方舟に乗り遅れた者でしかないのだから。

 

誰よりも聖霊の話をするクルトさんの記事には、

悔い改めの内容が乏しい。

何故だろう?

 

誰よりも聖霊の話をするクルトさんの記事には、

新約聖書の引用がとても少ない。

何故だろう?

 

多くの食口は隠れキリシタンに関心が深い。

彼らは何者か?

残念なことに、気の毒なことに宗教改革後、

摂理の主流から外れカイン的流れになったのがカトリック

その流れを日本が受けた。

マリア観音を拝んだ。

保守派の人々は日本人を奴隷として売り飛ばした西欧に反発がある。

われわれはプロテスタントの流れなのでアベル

だから、イエズス会の問題を保守の人々と分かち合える。

彼ら保守はキリスト教は何でも同じだと思っている。

それが違うことをはっきり説明できないといけない。


<訂正>
アップロードした時にはもうクルトさんの二冊の本は読み終えていました。
60ページまでの途中ではありません。
途中まで書いて、また後から続いて書いたので訂正するのを忘れていました。
失礼しました。

 

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