原理講論を読む

日常生活の中で 考える糸口を求めて

家庭連合が言うように夫婦関係では「血統」は繋がらないが、韓鶴子オモニはお父様と復帰されたエバ崔元福によって生み返され原罪を精算された

 今回はいちいち反論するとかえって理解に困難が生じると考えたので、冒頭で私の意見をまとめてみますので、それを読んだ後に以下の家庭連合の反論を読むほうが良いと思います。

 

即ち、カインは、愛の初めの実であるので、その最初のつまづきであった天使長との愛による堕落行為を象徴する悪の表示体として、サタンと相対する立場に立てられたのであり、アベルは愛の二番目の実であるが故に、その二番目の過ちであったアダムとの愛による堕落行為を表徴する善の表示体として、神と対応することができる立場に立てられたのである。

 原理講論 復帰原理 より

 このことから

カイン(悪の表示体)⇒ 霊的堕落の実

アベル(善の表示体)⇒ 肉的堕落の実

 

エバの堕落の経路をエバの位相の経緯で表すと

娘(約婚期)⇒ 妻(結婚期)⇒母(家庭期)

 

まだである時ならぬ時に、

非原理的な相対と性愛を結んでサタンのになり

サタンとサタンを夫に持つ妻であるエバがとなって

原理的な主体であったアダムを相対にして性愛を結んだ。

 

このような、堕落によって、

エバの性禀が、アベルとカインのように、

創造本然のエバと非原理的なエバに分裂してしまった。

これらは相対的にみて、より善であったりより悪である表示体であった。

蕩減復帰は、これを元返していく道

すなわち、堕落の時と逆の経路を辿らなければならない。

創造本然のエバを表示する女性、韓鶴子女史と

非原理的エバを表示する女性、崔元福女史(イエス様時のマリアの役目は本来忠母様)

が登場することになる

 

復帰は堕落の時と逆の経路と再創造の二段階とエバの二重性

 

<復帰されたエバの段階=妾の摂理>

母 ⇒ 妻 ⇒ 娘(約婚期のエバに戻る)

 

 既に家庭を持って子供がいるサタンの妻の立場の者(崔元福女史)を

神側のアダムが奪い返して

創造本然の娘、堕落と関係のない娘(韓鶴子女史)を迎える条件が整う

母と妻の経路を経た復帰されたエバは、

その勝利圏をその娘である韓鶴子女史に相続し引き継がなければならない

これが7年路程。

 

1,崔元福女史が正妻の立場で、韓鶴子女子が妾の立場で出発

崔先生を「お母様」と呼んでいた。

2,お父様と崔元福女史を父母とする娘として、韓鶴子女史が生み返されて原罪を精算

(厳密に言えば、「原罪」はキリスト教的表現。血統転換という究極の原理を扱う時には最適の表現ではないと思われる)

3,崔元福お母様と一体化している韓鶴子女史は本然の妻の条件があり、原罪のない子を真の母の立場で生むことができた。

4,7年路程の勝利によって、堕落によってもたらされたエバの中の、

創造本然のエバ(アベル)と非原理的エバ(カイン)の分裂が解消され真の母が誕生(一体化して二人で一人の女性とみなされなければならない)

5,これ以降お父様は崔元福女史を「お母様」と呼んではいけないと言われた。韓鶴子女史が「お母様」と呼ばれる時代になる。

 

 

<真のエバの段階=正妻の摂理>

娘 ⇒ 妻 ⇒ 母(十代で堕落を蕩減すべく完成期で妻だけでなく母になり完成)

上記のことと、このことは 重複して同時進行しているが、理解の便宜上このように

お二人の立場で、正妻と妾の逆転摂理を整理してみるとわかりやすくなるかもしれない

 

正妻の立場が崔元福女史で、妾の立場が韓鶴子女史でスタートして

ラケルとレアの如く、正妻と妾の立場を逆転勝利され

正妻が韓鶴子お母様で、妾が崔元福女史に入れ替わります

実際には勝利が確定されたので妾は消滅して

原理的エバと非原理的エバに引き裂かてしまっていた

エバの分離分裂はなくなったのです。

 

アベルとカインが一つになれば父母が現れるということです。

 

さて、女性信徒について考えてみましょう。

 

お父様がいて、正妻のお母様がおられる

そこに女性信徒が妾の立場で登場するのが祝福です。

お父様がいて崔元福女史が正妻の立場の中でお母様が娘として、

生み返されて原罪を精算されたのと同様にして、

お父様がいてお母様が正妻の立場の中で女性信徒が娘として

生み返されて原罪を精算されていきます

また、お父様を夫にして女性信徒が妾の立場で

主体者になるべき男性信徒を生み返して原罪を精算していきます

 

7年路程と同様の原理です

 

亨進様は実に正直で謙虚な方ですが、ずっと以前から血統転換について、今後解き明かしていかなければならないという趣旨のお話をされてきました。

以下の家庭連合が槍玉に挙げている亨進様の文章を引用します。

 

「聖婚される前は、真のお母様には原罪があり、サタン血統であった。しかし、神の息子である真のお父様と「聖婚」され、夫婦関係を結ぶことによって、お母様の世代(ジェネレーション)は、神様の子女の代になった。すなわち、お父様とご聖婚されることで、結果的に、お母様は神様と父子関係となるために、そのとき、お母様は“神の血統”に連結されることができたのではないだろうか?

 

つまり、断定的表現ではなく、現在のところそのようなのではないかとおっしゃっているのです。

はっきり申し上げると、「原罪」という言葉は、あまりうまくない表現だと私は考えております。

キリスト教史の功績を讃えて、またその思想によって救いをもたらすことが効果があるので、それに即して救いの手を差し伸べています。

 

上手くない言葉だというのは、イエス様の霊界メッセージを読んでから、イエス様の言葉をずっと考えてきた結果、そのように確信するに至りました。

「堕落と関係のない状態」であるとか

「堕落以前の状態」とかに注目して

原罪を再考していくべき時が来ているように思います。

 

「原罪」というと何か確たる実体があるような感じがしますが

そうではないのでしょう。

そうではないとすれば、どういうことなのでしょうか?

それについては、また機会があればブログに書いてみることにします。

 

常々言ってまいりましたが、子女様に対する「み言葉の返還」を

われわれ食口はしてまいりませんでした。

教会成長研究院の方たちは、どうやら原理原本や原理解説の内容もご存知のようです。

本来は御子女様がまっさきに主管すべきものでしょう。

韓国の本部ができないのであれば、日本が御子女様に、

最重要なみ言葉はすべて捧げてお使いいただくことができるように

すべきでしたでしょう。

まったく情けない忠誠です。

御言葉の情報量や情報の質で、御子女様はハンディがあると思います。

お父様は御言葉をほとんど私たちに与えてくださり、

御子女様にはしませんでした。

食卓から落ちたパンくずを食べるような道を御子女様にさせて良いものでしょうか?

 本当に子女様に正しい原理観を知ってほしいと思うなら

原理原本や原理解説を亨進様に

さし上げるべきでしょう。

 

さて、私には教会成長研究院が血統転換の理解にかけているように思われます。

血統転換はキリスト教の背景だけでなく、ユダヤ儒教の背景がないと解けないのではないかと思います。

神の目から見れば、お父様の家系は儒教的背景が必要であったと思います。

 

以下に家庭連合の批判文を掲載します。

比較検討され、家庭連合とサンクチュアリのどちらに軍配が上がるか、判断に役立てば幸いです。

 

 

http://trueparents.jp/?page_id=2539 より引用。

 

2015年10月30日掲載の「真のお母様の『無原罪性』-『血統転換、私は母胎からなのです』の意味について」の補足説明③ 夫婦関係では、「血統」は繋がらない

(文責:教会成長研究院)

 

(1)「血統」は“親子関係”によってつながる

 真のお父様は、血統について「血統は、父母が子女だけに与え得る特権中の特権です」(『平和神經』39ページ)と語っておられます。
 また、「愛には縦的愛と横的愛があるのです。父子関係は縦的愛であり、夫婦関係は横的関係です。縦的愛は血統的につながり、夫婦関係は血統的につながりません(『訪韓修練会御言集』12ページ)と語っておられます。

 このように、「血統」は、父母と子女の“親子関係”によって連結され、継承されていくものです。
 このように、血統は“親子関係”よって連結され、継承されていくことから、堕落人間を“神の血統”に生み変えていくときには、『原理講論』に、「父は一人でどうして子女を生むことができるだろうか。堕落した子女を、善の子女として、新たに生み直してくださるためには、真の父と共に、真の母がいなければならない」(264~265ページ)と論じられているように、真の父と真の母の「父母」によってなされる“重生”の役事(業)でなければ、堕落人間がサタンの血統から、神様の血統(神様の子女)に転換されることはありません。
 すなわち、「真の父」お一人で、堕落人間を、神様の子女に生み変えていくための“血統転換”の役事(業)を行うことはできないのです。それが原則です。

 このように、血統転換するには、「真の父」お一人では不可能であり、必ず、そこに「真の父と共に、真の母がいなければならないと結論付けられているにもかかわらず、なおも、「真のお母様の原罪は、真のお父様との聖婚を通じて清算されたのではないか?」「お母様は、お父様との聖婚で、神の血統に生み変えられたのではないか?」と考える人がいます。

 しかし、このような考え方は、上述の真のお父様の御言と一致していませんし、何よりも『原理講論』が論じる「父は一人でどうして子女を生むことができるだろうか。堕落した子女を、善の子女として、新たに生み直してくださるためには、真の父と共に、真の母がいなければならない(264~265ページ)という重生の“公式”とも一致しません。
 これでは、「真の父」がお一人で“生み変えた”ということになってしまいます。
 真のお母様が、聖婚式によって、初めて「神の血統」に生まれ変わったという考え方は、御言と一致しない“非原理的”な考え方なのです。

 

(2)真のお父様との「聖婚式」で、真のお母様は「神の子女」になり、神の血統に繋がったとの主張について

 “血統転換”をするには、必ずそこに「真の父」と「真の母」のお二人が必要であるにもかかわらず、それでもなお、以下のように“屁理屈”を論じる人がいます。

 聖婚される前は、真のお母様には原罪があり、サタン血統であった。しかし、神の息子である真のお父様と「聖婚」され、夫婦関係を結ぶことによって、お母様の世代(ジェネレーション)は、神様の子女の代になった。すなわち、お父様とご聖婚されることで、結果的に、お母様は神様と父子関係となるために、そのとき、お母様は“神の血統”に連結されることができたのではないだろうか?

 この考え方は、「夫婦関係は血統的につながりません」というお父様の御言と一致しておらず、また、『原理講論』で論じる、生まれ変わる(重生する)ためには、「真の父」と「真の母」のお二人が必要であるという原理にも反しています。このような考え方は、原理的ではありません。

 私たちは、①『原理講論』で論じている「原理の概念枠」(思想の構造・骨格)に基づいて御言を理解していかなければなりませんし、②復帰は、堕落と“逆の経路”(反対の経路)によってなされる再創造の摂理であるという点を考慮しなければなりません。
 この2点を踏まえて考えるなら、上述した茶色の文字表記の内容が、原理的ではないということが分かります。

 肉的堕落の問題は、サタンの圏内(偽りの愛の圏内)で堕落エバが、アダムを“サタンの息子”の立場に生み変え、堕落エバがその「偽りの母」の役割(言わば「悪なる母子協助」による「母と子の関係」)をなし、さらには、堕落エバがサタンの息子である堕落アダムの妻となったことです。
 このような過程を経て、肉的堕落したアダムとエバは、サタンと“偽りの父子関係”を結ぶことで、サタンの血統に連結するようになりました。
 真のお父様は、肉的堕落によって、堕落したアダムとエバが“サタンの血統”に連結してしまったことを、次のように語っておられます。

 「堕落の責任は、サタンを中心としてエバから始まり、アダムに移りました。すなわち、偽りの生命の種を受けたエバの立場からすれば、神様に代わってサタンが父の位置エバと一体となって、アダムを生んだ立場となり堕落がなされました。こうしてエバは、天使長とアダムを各々父と息子のような立場に立てて堕落した天一国経典『平和經』908ページ)

 お父様が、この御言で語っておられるように、霊的堕落したエバが、その罪を清算しないままに、さらに肉的堕落の罪を犯すことで、「天使長とアダムを各々父と息子のような立場に立てて堕落したために、肉的堕落後のアダムとエバは、サタンの血統に連結するようになったのです。上述した“茶色の文字”で表記した内容は、堕落するときの“反対の経路”になっていません。つまり、復帰の公式に合わないのです。
 私たちは、霊的堕落したエバが、さらに肉的堕落の罪を犯すことで、アダムを“サタンの血統”に生み変えたという事実を知らなければなりません。
 霊的堕落は、天使長とエバの“偽りの夫婦関係”であって、お父様が夫婦関係は血統的につながりませんと語っておられるように、血統はつながらないのです。

 イスラエル選民が、神の命令に従って、その選民としての資格を表すため“割礼”を施してきましたが、『原理講論』は“割礼”について、次のように論じています。

 「人間始祖は、サタンと血縁関係を結ぶことによって、いわば、陽部を通じて死亡の血を受けたのであった。ゆえに、堕落した人間が、神の子女として復帰されるためには、その蕩減条件として、陽部の皮を切って血を流すことにより、その死亡の血を流してしまったということを示す表示的条件として、割礼を行うようになったのである」(364ページ)

 この『原理講論』の論述に見るように、アダムとエバは、肉的堕落することで、そこで初めて“サタンの血統”に連結するようになったために、その蕩減条件として“割礼”が施されているという事実を知らなければなりません。

 そもそも、「生む」とか、「生み変える」という使命を持っているのは女性(エバ、聖霊の役割、使命であって、男性(アダム、メシヤ)が一人で生み変えることはできません。「重生」の役事においては、そこに、どうしても女性(エバ、聖霊)が必要です。

image001 右の図にあるように、夫婦関係は、横的関係であって血統的につながりません。仮に、そのエバが、もともと「サタンの血統」であったならば、それで神様と血統的につながるでしょうか? 神様と堕落エバは血統が違うために「父子関係」ではあり得ず、その血統は繋がりません。
 もし、エバがアダムと結婚しさえすれば、それで「血統」がつながるというなら、それは事実上、夫婦関係によって血統が繋がると言っているのと同じことであり、その場合、生み変える使命を持ってもいない男性が、女性を生み変える「重生」の役事を果たしたとでも言うのでしょうか? それとも、神様ご自身が、エバを生み変えて、下の世代へ降りてこられたとでも論じるつもりでしょうか? それらの主張は、原理的ではありません。

 夫婦関係で“血統がつながる”ということであれば、それは非科学的な論理であり、真のお父様の御言とも食い違います。お父様は、前述したように「愛には縦的愛と横的愛があるのです。父子関係は縦的愛であり、夫婦関係は横的関係です。縦的愛は血統的につながり、夫婦関係は血統的につながりません(『訪韓修練会御言集』12ページ)と語っておられるのです。

 また、もしアダムが結婚し、単に性関係を結びさえすれば、それで「血統」が繋がる、血統転換がなされると言うならば、それこそ反対派が主張する「血分け」の論理となってしまいます。
 しかし、それは堕落の「反対の経路」になっていません。復帰にならないのです。

image002 しかし、そのエバが「霊的堕落のみの時の救済摂理」を担当する女性として、エデンの園」の圏内において、アダムと結婚し、霊的堕落によって生じた罪を清算していくなら、神様とエバは「父子関係」を結んで、本然のエバの立場を取り戻していくことができます。復帰摂理は、再創造の摂理であり、堕落と“反対の経路”を通じることによってなされていくものです。そしてエデンの園」の圏内にいるということであれば、そのエバは、もともと、サタンの血統ではなかったということになるのです。すなわち、神の血統であるということです。

 

(3)復帰歴史で展開された“血統復帰”のための女性の摂理

 「エデンの園」におけるアダムとエバによる堕落の問題は、「霊的堕落」と「肉的堕落」という二段階の堕落を経てなされました。『原理講論』に「エバが(霊的)堕落したとしても、もしアダムが、罪を犯したエバを相手にしないで完成したなら、完成した主体が、そのまま残っているがゆえに、その対象であるエバに対する復帰摂理は、ごく容易であったはずである」(111ページ、124ページ)と論じられているように、「霊的堕落」のみの時点において、堕落エバに対する救いの摂理(完成したアダムによる再創造の摂理)があったのであり、しかも、その救いの摂理は“ごく容易”だったのです。
 もし、その段階で、堕落エバに対する救いの摂理が成就されていたなら、その後、復帰摂理歴史を通じて行われた「血統復帰」の摂理や、血統転換などは不必要だったのです。なぜなら、その「エデンの園」には、無原罪であり、堕落していない「完成したアダム」が存在しているからです。

 しかしながら、肉的堕落が起こることで、神様の血統をもつ「アダム」まで失われてしまうことで“失楽園”が生じました。それゆえ、その後、ラケル、タマル、マリヤなどの信仰を立てる女性たちによって、「血統復帰」の摂理が展開され、肉的堕落によって生じた“失楽園”の罪責を清算して“元返し”しながら、やがて無原罪である神の血統をもつメシヤ(完成したアダム)を再び地上に迎えることができたのです。

 真のお父様は、この女性を中心とする「血統復帰」の摂理に対して、次のように簡潔に語っておられます。

 カインとアベルが、エサウヤコブが生まれてすり替えようとしました。そこにはいつも母子協助が必要なのです。エバがアベルを擁護したのです。次にエサウヤコブ時代には、リベカがヤコブの側になり、うそをついて助けたのです。ところが、神様が祝福をしてくださったのはなぜかという問題については、誰も知らないのです。そして、ヤコブの時に双子として生まれてすり代わったのです。それでも駄目だったので、ペレヅとゼラを中心としてタマルの腹中から出るときに争い、すり代わって次子が長子を押し退けて出てくるということが起こったのです。これはすべて、本然の父母の血統的基準に接近するための運動であったという事実を知らなければなりません」(八大教材・教本『天聖經』1142~1143ページ)

 このように、女性を中心とする「血統復帰」について、真のお父様は本然の父母の血統的基準に接近するための運動であった」と述べておられます。
 そして、無原罪のメシヤが遣わされる最終段階の摂理においては、そこに、メシヤだけでなく、エバについても堕落していない神様の娘および堕落前のエバも復帰しなければなりません」として、次のように明確に語っておられます。

 「エバゆえに、本来の理想的なアダムとエバが二人とも壊れたのです。それゆえに、理想的『後のアダム』として来られたイエス様の前に、堕落したエバ、すなわち(聖母)マリヤがエス様の妻になるエバを復帰してあげなければなりません。復帰するには、マリヤ一人ではできません。創造主がアダムを中心としてエバを造る時も天使長が協助したので、復帰歴史完成のために、『後のアダム』を型としてエバを造る時も天使長が協助しなければなりません。そのようにすることによって、エバが復帰されるのです。そして、エス様と復帰されたエバが一つにならなければなりません。天使と天使長の立場である僕たちが、アダムの立場であるイエス様を中心として、エバの立場である娘を創造したとすれば、その娘は堕落していない神様の娘ではないですか。マリヤとヨセフが、その神様の娘とイエス様を祝福してあげなければなりません。ここで、神様の娘と神様の息子が一つになるのです。主管性転倒問題は、エバが行ったことなので、女性が責任をもたなければなりません。それゆえに、マリヤが天使長も復帰してあげるべきであり、アダムも復帰してあげるべきであり、エバも堕落前のエバに復帰しなければなりません。マリヤが、このすべてを復帰しなければなりません。ですから女性は、主管性を転倒しなければなりません。マリヤは、天使長とアダムとエバ、この三つを復帰するだけでなく、神様の心情まですべて探し立てなければなりません。それをすることによって、神様のみ旨と人類の目的が成し遂げられるのです。神様が4000年間願ってこられたみ旨と、人類が今後天国を成し得る起源が、ここでできるのです。ですから、これが人類の目的点となってきたのであり、神様の目的点となってきました。アダムとエバが愛を結び、愛を完成すれば、そこから完全なものへの出発がなされるのです。それゆえに、主管性転倒を必ずしなければなりません」(八大教材・教本『天聖經』2147ページ)

 

(4)「霊的堕落のみの時の救済摂理」と聖酒式、三日行事

 “神様の血統”をもつメシヤ(完成したアダム)が天から遣わされるなら、この地上に再現された復帰された「エデンの園において、神様、アダム、3天使長という5人の男性と、エバという1人の女性がおり、エデンの園の状況が再現されます。【図を参照】
image003 このようにして、まず失楽園前の「エデンの園」が再現されたなら、それに続いて『原理講論』の予定論に、「神の創造がそうであるように、神の再創造摂理である救いの摂理も、一時に成し遂げるわけにはいかない。一つから始まって、次第に、全体的に広められていくのである」(246ページ)と記されているように、3家庭、33家庭から始まり、72双、124双、430双、777双、1800双、6000双……と祝福双が拡大されながら「血統転換」の役事がなされて、やがて、その救いが全世界、天宙的規模へと広がっていくことになるのです。

 つまり、エデンの園において、「霊的堕落のみの時の救済摂理」(完成アダムによる「エバの再創造」摂理)が失敗することで“失楽園”が発生したわけですから、今度は、無原罪のアダムが来られたなら、かつて「エデンの園」において勝利することができなかったエバに対する救いの摂理、すなわち「霊的堕落のみの時の救済摂理」をやり直して、その失敗した内容を清算する路程が、必ずなければなりません。つまり、それは堕落とは“逆の経路”(反対の経路)ということになるのです。
 ただし、このことは、真の母となられる女性が「霊的堕落」をしているという意味ではなく、あくまでも“エデンの園”においてエバが勝利することができなかった歴史的蕩減問題である「霊的堕落のみの時の救済摂理」を、真の母となる女性が“代理蕩減”をしておられるという意味に過ぎません。
 ところで、前記で引用した御言に、それゆえに、マリヤが天使長も復帰してあげるべきであり、アダムも復帰してあげるべきであり、エバも堕落前のエバに復帰しなければなりませんとあるように、再現された「エデンの園」においては、そこにアダムの相対者としての「堕落前のエバ」失楽園前のエバ)も現れるのです。
 そのことは、同時に、神様がエデンの園において、神様自らがアダムの相対者としてエバを準備されたのと同様に、第2アダム、第3アダムの場合も、その相対者となる女性を、メシヤの近しいところ(血統圏)に、神様自らが、予めアダムのために準備され、生まれておられる女性(新婦)が存在しているということにもなります。ですから、真のお父様は、このようにして神様自らが予め準備しておられる女性(独生女)を捜されて、聖婚されたということになります。

 ところで、「血統転換」に関して知っておかなければならないことは、堕落人間に対する「血統転換」の役事は、人間始祖の立場である真の父母様の勝利圏を相続することによって成されているという点についてです。
 真のお母様が、「霊的堕落のみの時の救済摂理」(完成したアダムによるエバの再創造)の路程を通過され、勝利していかれたがゆえに、その勝利圏を相続する立場において「聖酒式」が執り行われているのです。%e8%81%96%e9%85%92%e5%bc%8f%e3%81%ae%e5%9b%b3
 つまり「霊的堕落のみの時の救済摂理」を勝利していかれた真の母がおられるからこそ、その勝利圏を相続する立場において、祝福を受ける女性が、まず“霊的堕落の罪”を清算するために、聖酒を先に半分飲んでいるのです。

 「聖酒式」には、聖酒を飲む順番があり、先に女性が飲みますが、それは堕落した内容を蕩減復帰するためです。堕落の場合、エデンの園において、アダムとエバは兄妹の立場で約婚中でした。その約婚中において、ルーシェルが偽りの愛でエバを誘惑し、まずエバがアダムを裏切って、不倫の関係を結んで堕落してしまいました。これが霊的堕落です。そして、肉的堕落によって、堕落エバはアダムをサタンの子女に生み変えたのです。 それゆえ、 聖酒式について、真のお父様が「皆さんが約婚式をしたのちには、聖酒式があり、その次に結婚式があります。それではこの約婚式と聖酒式、そして結婚式とは一体何でしょうか。これはある典礼に従って行われる式ではありません。堕落したすべての内容を、もう一度象徴的に再現させ、それを蕩減するために行う不可避の行事なのです」(『祝福家庭と理想天国(Ⅰ)』905ページ)、「約婚式と聖酒式は、サタン世界で生まれた人間が、真の父母によって再び生まれるという条件を立てる蕩減儀式なのです。女性が先に堕落したので、女性が先に復帰され、男性を再び産むようにする過程を内的に通過する式が聖酒式なのです。そして結婚して四十日以後に、それを外的に通過する式があります。これらが全部蕩減儀式なのです」(同、921~922ページ)と語っておられる通りです。

 「聖酒式」の場合は、「霊的堕落のみの時の救済摂理」を勝利した真のお母様が、その勝利圏をそのまま祝福を受ける女性へと譲り渡してくださるのです。そして、図を見ると分かるように、祝福を受ける女性と男性は「聖酒式」の前に“約婚式”をしており、そうした上で、「聖酒式」を執り行いますが、それは反対の経路によるものです。
 まず、真の父母様から“祝祷”を受け、聖酒を半分飲む女性は、いわば約婚した男性を裏切るかのような立場に立って、その男性以上に「真の父母」を愛する立場で聖酒を飲みます。これによって、祝福を受ける女性は、真のお母様の勝利圏を譲り受けているのです。

 すなわち、真のお母様は、再臨主の唯一の「正妻」の立場ですので、聖酒式を通過するすべての女性は、その全員が霊的な“妾の立場”に立つのです。そして、半分の聖酒を飲むことで、その女性は、霊的堕落」によって生じた罪責を、反対の経路で清算しているのです。続いて、約婚した男性が、残り半分の「聖酒」を女性からもらって飲むことで、祝福を受ける男性は、約婚した霊的“妾の立場”の女性を通じて“血統転換”をし、真のアダムの息子(庶子)の立場へ生み変えられるのです。
 これは、肉的堕落の時に、アダム(男性)が妾の立場の堕落エバを通じてサタンの息子(庶子)に生み変えられたことと、正に反対の経路となっているのです。
 このようにして、堕落エバがアダムを堕落させることで、アダムを堕落した天使長の息子(庶子)に生み変えたことを、今度は逆に、天使長の立場である男性を神側のアダムの息子(庶子)に生み変えることで「肉的堕落」によって生じた罪責を清算しているのです。

 そして、やはり堕落と反対の経路に基づいて、女性がその生み変えた息子(庶子)の立場の男性と“三日行事”により、神様の主管圏内において“夫婦関係”を結ぶことで、男性も女性も、共に真の父母様の“子女の立場”に立っているのです。これらの内容は、全て堕落の内容と“反対の経路”を通じて清算しているものです。

 結局、真のお母様は、「霊的堕落のみの時の救済摂理」(完成したアダムによるエバの再創造)を通過して勝利しておられるのであり、それは復帰された「エデンの園」の中で行われている摂理なのです。それゆえに、今まで繰り返し説明してきたように、真のお母様は無原罪であり、神様の血統をもって生まれておられるというのです。

 以上の内容は、一貫して変わらない“復帰の公式”に基づいた内容であることを理解しなければなりません。これらは、『原理講論』の内容と一致しており、真のお父様の御言によっても裏付けられる内容です。
 エバ(女性)が、アダム(メシヤ)と結婚しさえすれば“神の血統”になるとか、あるいは性関係を結べば“神の血統”になるということなのではありません。

 

(5)勝利された「真の母」の路程について

 真のお父様は“率直”なかたであり、真のお母様に対して、いろいろなことを語られることもあったでしょう。しかしながら、ただ単に語られるだけではなく、真のお父様は、その真のお母様が“摂理的勝利圏”を立てていかれることを常に願われ、ある一定の蕩減期間が満ちて、一つの勝利基準が立ったとき、それをもって常に「宣布式」をしてこられたことを知らなければなりません。
 なぜなら、人類の救いにとって、どうしても勝利された「真の母」が必要不可欠だからです。真のお母様が立たなければ、“血統転換”の摂理は不可能です。もし、真のお父様お一人で“血統転換”ができるならば、人類救済に、常に執念を燃やし続けておられるお父様です。1960年の「聖婚」を待たずして、1945年の世界路程の出発と同時に、“血統転換”の役事を始めておられたに違いありません。しかし、1960年に勝利された真のお母様が現れるまでは、“血統転換”の役事をされるのを待っておられたのです。その事実に対して、私たちはもっと着目する必要があります。

 真のお母様の「勝利圏」が立ったからこそ、私たちの「祝福結婚」があり、摂理的な勝利があり、真のお父様は“勝利宣布”をしてこられたのです。真のお父様が“宣布”された幾つかの代表的な内容をピックアップして、簡潔に述べるなら、おおよそ以下のようになります。

  • 1960年4月11日(陰暦3.16)に聖婚式をされ、その後、お母様は「7年路程」を通過され、1968年1月1日、その「7年路程」の勝利によって「神の日」が宣布された。
  • 1977年2月23日、真のお母様が満34歳の誕生日を迎えられたとき、イエス様の33歳を越えた「歴史的な日」として、「地勝日」(天地勝利の日)を宣布された。
  • 1990年3月27日に「女性全体解放圏」を宣布され、真のお母様を「第二教主」であると語られた。
  • 1991年7月1日、「七・一節」(神様祝福永遠勝利宣布式)を宣布され、真のお父様は、真のお母様が「横の位置」に立つようになったと語られた。
  • 1993年4月7日、第34回「真の父母の日」、真のお父様は「聖婚からイエス様の33歳を越えた」として、真のお母様に特別な「指輪」を贈られ、「イエス様が家庭を持って43歳(お母様還暦の2003年)になるまでに、完全な世界的基盤をつくらなければならないので、急いでいるのです」(1993.4.16)と語られた。
  • 1999年6月14日、真のお父様は「真の父母様天宙勝利祝賀宣布」をされ、真のお母様が80か都市世界巡回講演を勝利されたことを記念して「表彰牌」を贈られた。そして、真のお母様がお父様と「対等な位置」に立つようになったと語られた。
  • 2003年2月6日、真のお母様の「還暦」のとき2度目の「聖婚式」(天地父母様天一国開門祝福聖婚式)を挙行され、お父様は「神様の婚姻申告」を発表された。それ以降、名節等において、真のお母様はお父様に対して敬拝をささげなくても良いことになった。そして、「今まで霊界では、神様が見えませんでした。今、行ってみれば、霊界の父母の立場で、文総裁ご夫婦の顔が現れて、きらびやかな光で見えるので、顔を見詰めることができないほど、まぶしくなる」(2003.3.10)と語られ、真のお父様だけでなく、真のお母様も「神様の立場」に立っておられることを語られた。
  • 2006年6月13日、天正宮博物館に入宮して「天宙平和の王真の父母様戴冠式」を挙行され、真の父母様が「神様と一体」となられたことを宣布された。それ以降、名節等において、真のお母様は神様にも敬拝を捧げなくても良くなられた。
  • 2010年天暦5月8日(陽6月19日)午前2時20分、同5月15日(陽6月26日)午前3時25分に真の父母様の特別宣布が行われ、真の父母様ご夫妻は最終一体を成して、完成、完結、完了の基準で、全体、全般、全権、全能の時代を奉献宣布された」と宣布され(「天地人真の父母定着実体御言宣布天宙大会」の御言)、真のお父様とお母様が神様を中心として「最終一体」となられたことを語られた。
  • 2011年12月11日、真のお父様は、真のお母様と共に「最終勝利宣布」をされた。
  • 2012年4月14日(天暦3.24)、米国のラスベガス・天和宮において「特別宣布式」を挙行され、真のお父様は、「堕落が存在しないエデンの園にあって、『善悪の果を食べたら、死ぬであろう』と言われた、それ以前の位置に返ったと語られ、それまでの真のお母様のご苦労をねぎらわれ、「天地人真の父母定着実体み言宣布天宙大会を最終完成・完結することを、お父様の前に奉献します」と宣布された。
  • 2012年7月16日、真のお父様は「アベル女性UN創設大会」の講演で、勝利した世界的な女性代表である真の母に侍り、真なる母の像、真なる妻の像を確立し、真の愛の運動によって理想的な家庭を結実させなければならない」と述べ、真のお母様は勝利した世界的女性代表」であると語られた。
  • 2012年8月13日、真のお父様は、背丈大の酸素ボンベを持参しながら、天正宮博物館、清心中学・高等学校、公園、清心平和ワールドセンター、修錬苑等を巡回され、その後に、真のお母様に録音機を持ってくるよう命じられ、天正宮博物館の居間で、その録音機を手に持たれてすべて成し遂げましたと祈祷され、最後の宣布をされた。

 以上のように、さまざまな「宣布式」を通じて、真のお父様は、真のお母様と共に勝利圏を積み重ねていかれながら、最後において「すべて成し遂げました」(2012年8月13日)と祈祷しておられます。
 ある一定期間、真のお母様が一つの勝利基準を打ち立てていかれる途上においては、真のお父様は、お母様を叱責されたり、否定したりされながら、時には“厳しい御言”を語られることもあったに違いありません。しかしながら、真のお母様は、最後の最後まで、神様と真のお父様の前に、絶対信仰、絶対愛、絶対服従の道を歩まれ、それをも感謝しながら付き従い、常に侍りながらお父様をお支えし、すべてにおいて勝利していかれました。
 真のお母様が、生前において真のお父様を見つめられる時のその“眼差し”を見れば、いかに真のお母様が真のお父様を深く愛しておられ、侍って来られたのかが、良く分かると思いますし、VISION2020の聖誕100周年の勝利に向かわれる日々の歩みに、お母様の真のお父様に対する、深い愛があふれていることを実感します。

 お父様の生前、その途中経過において、真のお父様がお母様を叱責されたり、否定されたりしたであろう、その言動だけをもって、「真のお母様は、真のお父様と一体化しておらず、真のお父様とは違った“別の道”を歩んでおられる」という分派らの主張を耳にして心配する人も、中にはおられるかもしれません。
 しかしながら、たとえお父様が厳しい御言を語られたことがあったとしても、真のお母様は52年間、真のお父様に絶対服従され、お父様もその絶対服従される姿を見て、最終的に「堕落が存在しないエデンの園にあって、『善悪の果を食べたら、死ぬであろう』と言われた、それ以前の位置に返った(2012年4月14日)と宣布しておられるのです。私たちは、「真の父」と「真の母」のお二人が、神様の復帰摂理の勝利を懸け、最後まで連れ添われて生活される中で、その途上には、叱責や否定などいろいろなことがあってしかるべきだ、より一体化するために必要な摂理だというくらいに思うべきでしょう。
 事実として、真のお父様は、ある一定の蕩減期間を経たのち、真のお母様と共に“勝利宣布”をしておられるということこそが重要です。

 すなわち“途中経過”がどうであったのか? ということも重要でしょうが、もっとそれ以上に、そのような一定期間を経ながら、絶えず真のお母様が不屈の精神で感謝し、絶対信仰をもって忍耐されながら、それらの試練を越えて、真のお父様と「最終一体」をなされ、2012年4月14日の「特別宣布式」においては、真のお父様が「堕落が存在しないエデンの園にあって、『善悪の果を食べたら、死ぬであろう』と言われた、それ以前の位置に返ったと認定され、「特別宣布」をされたことが重要なのです。そして、2012年8月13日の最後の祈祷においては、すべて成し遂げましたと宣布されたのです。
 それらの真のお父様が発表された「宣布」の御言こそが、より重要であるということを理解すべきでしょう。

 

(6)私たちが知るべき「御言」は、すべて公表されている

 真のお父様と真のお母様が「完全一体」となっておられるか否か、あるいは、真のお母様が勝利された「真の母」となっておられるのかどうか、ということについては、すでに、公に発表されている御言によって、私たちは、明確に判断できるようになっているという事実は理解できると思います。

 ところが、韓国本部や、日本本部などが、意図的に真のお父様の御言を隠しているかのように疑いを持つ人もいるようです。しかし、そのような事実はありません。
 今までの家庭連合(旧・統一教会)の歴史においては、どの御言をいち早く公開し、どの御言を後回しにしていくのかという問題は、常々付きまとっていたのです。

 真のお父様は、365日、御言を語られない日がないほど、食口がいれば、寸暇を惜しんで常に御言を語られ、絶えず完全投入の人生を歩まれました。
 それゆえ、私たちの使命は、それらの御言のすべてを、後世に残していかなければならず、韓国や日本等の歴史編纂委員会、および御言編纂委員会等は、そのことに対して常に心血を注いできたのです。なぜなら、重要でない御言は存在せず、すべてを後世に伝えなければならないためです。

 しかしながら、公的出版物は、日本教会においては創立以来、絶えず限られたものとなっているのが現状です。古くは「成約新聞」「成約の鐘」「聖徒」などの機関誌。1970年代後半からは「ファミリー」「祝福」「祝福家庭」「トゥデイズ・ワールドジャパン」「世界家庭」「中和新聞」等々、さまざまに変遷してきました。
 それらの公的出版物は、基本的に月1回の月刊誌、および年4回(春、夏、秋、冬)の季刊誌であり、機関紙「中和新聞」も月数回と、それぞれの編集者は、365日語られる御言のうち、どれを優先して教会員、祝福家庭たちに伝えていくべきなのか、常に心を遣い、細心の注意を払ってきているのです。それゆえ、韓国本部に問い合わせをし、必要に応じては、真のお父様にお伺いを立てながら、どの御言を最優先して伝えるべきなのかを常に検討しながら、編集してきているのです。

 そのような中で、本当に重要な御言、どうしても食口が知っておかなければならない御言については、真のお父様自らが「これは特別事項だ」「これをすべての食口に伝えなさい」と直接命じられ、機関紙誌の編集者たちは、そのような御言を最優先して伝えてきているのです。すなわち、どうしても知っておかねければならない御言、どうしても極めて重要な御言は、真のお父様自らが「この御言は重要だ」として、機関紙誌に速報し、また幾つかの「御言集」を指示されて出版され、公表されているのです。

 365日語られる御言です。どんなに真摯に取り組んだとしても、公的出版物は月刊誌12回、季刊誌4回であり、年間を通じて16冊にしかなりません。365日語られた御言に対し、16冊ということになると(1つの月刊誌に2~3つの御言が掲載された場合もありましたが)、単純に計算すれば、全体の御言のうち約4~5%に相当する御言の分量だけが、公的出版物として、公表されてきたというのが実情です。
 そのような諸事情を、よくご存じであられる真のお父様は、この「御言」、この「宣布文」は重要だという時には、必ず「これを食口に伝えなさい」と言われ、それを最優先して公的出版物などを通して伝えてきているのです。ですから、私たちが必ずや知らなければならない御言は、既にすべて公表されています。

 ご聖和される直前において、真のお父様が重要視され、特に「これを伝えなさい」と言われた御言が、「最終一体」を宣布された天地人真の父母定着実体み言宣布天宙大会」の御言であり、さらには、「堕落が存在しないエデンの園にあって、『善悪の果を食べたら、死ぬであろう』と言われた、それ以前の位置に返った」と語られた、2012年4月14日のラスベガス・天和宮における「特別宣布式」の御言でした。
 それゆえ、それらの御言が最優先され、公的機関誌に掲載されているのです。それらの御言こそに、真のお父様が本当の意味で私たちに強調して伝えたかったメッセージが込められているからなのです。

 そのように、重要な御言はすべて公表されてきたのであって、韓国本部や日本本部が、真のお父様の御言を意図的に隠しているのだと疑い、詮索する人もいるようですが、そのようなことは、実にナンセンスなことであると言わなければなりません。
 真のお母様が、真のお父様と完全一体となっておられること、勝利された「真の母」となっておられることについては、真のお父様自らが「これは重要だから全食口に伝えなさい」と指示された御言のなかに、すべて込められているのです。

 


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