原理講論を読む

日常生活の中で 考える糸口を求めて

統一原理の根本復帰から語っておられるお父様の「聖霊」とキリス教的視点から語っておられる亨進様の「聖霊」 下

続けて書きたかったのですが、何を書こうとしていたのでしょう。

仕切り直して、書いていきます。

 

先ずはこちらの論文に目をとおしていただきましょうか。

「創造による聖霊の母的活(はたら)き(『創世記』)ー」

2012年9月 15日に行われた藤女子大学キリスト教文化研究所
主催の公開講座より

https://ci.nii.ac.jp/els/contentscinii_20170724103802.pdf?id=ART0010080131

 

門脇佳吉氏はカトリックですから、当然聖母マリア信仰でもあります。

そこで、女性的はたらきに対してはプロテスタントより関心が注がれることは普通ですし、解放の神学の立場にも近づいていくことになるかと思います。

批判的継承するにはとてもいい文章だと思います。

文章中の女性神学者の論文というのは例えば以下の書物などに見られるものだと思います。

聖霊は女性ではないのか―フェミニスト神学試論 (21世紀キリスト教選書)

聖霊は女性ではないのか―フェミニスト神学試論 (21世紀キリスト教選書)

 

 

このようなフェミニスト神学ということが、亨進様や国進様の念頭にあって「聖霊」というものはこうだと説明されたのだと思います。

 

さて、門脇氏の文章(説教?)ですと、

先ず、創世記に現れる聖霊という言葉は、ヘブライ語のルーアッハという言葉で女性名詞だということです。

 

その神学者の発見のきっかけは何かと言いますと,ヘブライ語で,聖霊というものをあらわすのは,「ルーアッハ」という言葉なんです。この「ルーアッハ」という言葉をぜひ覚えてください。それは,こういう字「Ruach」を書くんですけれど,女性名詞なんです。これが非常に大切なわけなんです。それがギリシャ語になると,中性名詞になるんです。「プネウマ」(pneuma)っていう。そして,さらにラテン語・ドイツ語はじめヨーロッパ語では「スピリトゥス」(spiritus)「ガイスト」(Geist)に訳された。どれも男性名詞になるんです。面白いね。

「創造による聖霊の母的活(はたら)き(『創世記』)ー」より

 

これは浦川さんも指摘していますが、これに対して同意してはいません。

国進様が以下のようにおっしゃられたからです。

 

1.真のお父様の聖霊論と亨進様・國進様の聖霊

 

亨進様・國進様の聖霊に関するマルスムは、真のお父様のマルスムと一見違うように見える。
過去、聖霊に対する認識は、聖霊は神様と別に独立する霊である、そして女性神として存在するという認識が多数であった。それに対し、次のような質疑応答があった。
質問)
聖書に関して一つ質問があります。聖霊は・・・聖書における聖霊は、いつも男性格ですが、私たちはそれは「お母さま」のことだと教えられてきました。
*注)聖霊:ドイツ語(Der hellige geist)などでは男性名詞
(国進様)
それは異端です。原理ははっきりと神について、本性相と本形状からなっていると書いています。それが神様の属性です。その次に対象的属性として、男性と女性があります。陰と陽です。神様の主要な属性は内的属性であることを知るならば、それをわれわれは父と呼んでいるのです。それは神様の男性格と女性格は、陰、陽の属性で表すことができます。だから神様を父なる神、聖霊(Holy Ghost)と呼ぶのです。これは全く自明のことです
(2017年5月27日 國進様との質疑応答)

 

http://h2fanclub.blogspot.com/2017/07/blog-post_11.html

 

門脇氏は詩篇の中に聖霊によって創造されたという記述がたくさん見られるとしています。

また、中世では女性は人間ではないという認識があった。

 

或いは聖書の中で,中世までの神学では,女性は男性とは違って,人間ではない,と考えられていた。本当ですよ,それは。トマスの中に出てくるんですよ。これはひどいですね。

「創造による聖霊の母的活(はたら)き(『創世記』)ー」より

 

高校時代の親友はよく創世記の言葉を私に語りかけたものです。

 

「あなたは顔に汗してパンを食べ、ついに土に帰る、

あなたは土から取られたのだから。

あなたは、ちりだから、ちりに帰る」。

創世記3章19節

 

そこに命の息ルーアッハを吹き込んで土(アダマー)はアダムになりました。

 

 亨進様が引用した聖句がこれでした。

 

37:祭の終りの大事な日に、イエスは立って、叫んで言われた、「だれでもかわく者は、わたしのところにきて飲むがよい。

38:わたしを信じる者は、聖書に書いてあるとおり、そのから生ける水が川となって流れ出るであろう」。

ヨハネによる福音書7章

 

門脇氏によれば、この腹にあたるヘブライ語は「愛」という意味だそうです。

 

 

以上をひとまずお話ししたので、わたしの大雑把な全体的な見方をお話します。

神は性相的男性格主体です。

そこで、神の性相に似て見えない無形実体世界という天上世界を造られました。

同時に、神の男性性相に似た天使をそこに造られました。

神の原力によって創造されました。

父なる神の愛は見えにくく、それゆえ父の愛は一見して愛情として見ることができない厳愛が代表とされることがあります。

形なく見えないところに天の父の愛があります。

沈黙の中にこそ神の愛があります。

そのことがお父様が現れるまでわかりませんでした。

 

また、神の形状に似て見える有形実体世界という地上世界を造られました。

聖霊の働きとは、地上世界での造化や生育や繁殖や作用に関するものだと思います。

万有原力も関係があるかと思います。

形状的世界の中に潜在するので、万有する原因的な力です。

 

有形実体世界では、おそらく女性的な力が主体で男性的力は補助的な弱い影響。

無形実体世界では反対に、男性的な力が主体で女性的な力は補助的な弱い力の影響。

 

復帰摂理では「聖霊」のはたらきは、堕落人間の悔い改めと重生復活や神に対する感謝と栄光に対する讃美です。

 

存在しているものは、いかなるものであっても、それ自体の内においてばかりでなく、他の存在との間にも、陽性と陰性の二性性相の相対的関係を結ぶことによって、初めて存在するようになるのである。・・・・・・・

したがって、人間においても、男性には女性性相が、女性には男性性相が各々潜在しているのである。

創造原理

 

先日ドミニカ共和国のサリーナス村に起こっている自然性転換の事例を通して、

神が一神教的父の立場であっても、男性も女性も誕生させることができることをわれわれに明らかにされていると語りました。

 

つまり、お父様がご自身を指して「真の父母」と言うときには、お父様の中にも神様と同様に女性性相があるということです。

たとえて言えば、男性性相が95%なら女性性相は5%ですが、

神自体の中に女性的なものがあり、お父様自体の中にも女性的なものがある。

その女性的なものが真の母の原型です。

聖霊の原型です。

しかしながらそれは、真の母としては、神自体内においても、お父様自体内においても未完成です。

ですから、エバがそれを完成させなければなりません。

その完成の日がD-DAYです。三次の御聖婚の日です。

 

その日は何の日かといいますと、

お一人の神様が成長されて、お一人のようなお二人の神様になられた日です。

真の父母の完成でした。

1が2になるのです。

2ですが1です。

正分合作用です。

自動的四位基台です。

 

父と子と聖霊ではなく、父である神と夫と妻です。

これが発展的四位基台を形成すれば、

神と父と母と子の四位基台です。

 

お二人が霊界に住まれるようになれば、

実体の神様はアダムに臨在され、一体であるアダムとエバに真の父母として生きることになります。

天の父母様の顕現です。

霊人体の完成です。

神の創造目的である

インマヌエルの成就です。

 

つまり、第一イスラエルユダヤ人たちは、聖霊聖霊のはたらきを女性的な存在や女性的・母性的なはたらきと考えていたが、中世のキリスト教の神学の影響で男性的解釈に変質してしまった。

これを現代に元通りにされたのがお父様の説明であるかと思います。

 

花婿と花嫁がサタンを押しのけて出会う。その一日が神の願いであり、二〇〇〇年のキリスト教の歴史であったが、花婿はイエスで、天を指し、聖霊は女性神で、地を指し、空間のサタンを突き破って天地が一つに成り得た宗教人の最高の目的を、我々統一教会が成し得たというんだね。

1969年2月2日 東京教会 「復帰と祝福」 

 

「花婿はイエスで、天を指し、聖霊は女性神で、地を指し、空間のサタンを突き破って天地が一つに成り得た宗教人の最高の目的を、我々統一教会が成し得た」

 

 ところで、父は一人でどうして子女を生むことができるだろうか。堕落した子女を、善の子女として、新たに生み直してくださるためには、真の父と共に、真の母がいなければならない。罪悪の子女たちを新たに生んでくださるために、真の母として来られた方が、まさしく聖霊である。ゆえに、イエスはニコデモに、聖霊によって新たに生まれなければ、神の国に入ることができない(ヨハネ三・5)と言われたのである。
 このように、聖霊は真の母として、また後のエバとして来られた方であるので、聖霊を女性神であると啓示を受ける人が多い。すなわち聖霊は女性神であられるので、聖霊を受けなくては、イエスの前に新婦として立つことができない。また、聖霊は慰労と感動の働きをなさるのであり(コリント�一二・3)、エバが犯した罪を蕩減復帰されるので、罪の悔い改めの業をしなければならないのである。さらに、エスは男性であられるので、天(陽)において、また、聖霊は女性であられるので、地(陰)において、業(役事)をなさるのである。

原理講論 キリスト論

 

性相的で男性的な夜の神様に属して来られたのがイエス様、

形状的で女性的な昼の神様に属してイエス様を迎えるのが聖霊

 

 

それが、御聖婚と七年路程であり、神が人と共にあることが許され、神の日に繋がりました。

聖霊の実体は真の母となるエバのことでした。

ですが、お父様とお母様の心情基準には開きがありました。

それを完成させる責任がオモニにありました。

D-Dayです。

韓鶴子オモニはお父様に反逆復讐し女性上位独性女神学で教義を堕落させ食口を堕落させました。

お父様は回心の日を待ちましたが、まったく可能性がなくなったことを知り、

お父様に絶対信仰・絶対愛・絶対服従で歩まれてきた、康賢実先生を聖霊の実体、真の母として立てられ三次の祝福をなされました。

 

亨進様も新しい真の母から生まれなければなりません。

お父様の権威に戻るだけではだめでした。

康賢實オモニによって生まれなければなりませんでした。

黙示録にあるとおりにです。

 

:1)また、大いなるしるしが天に現れた。ひとりの女が太陽を着て、足の下に月を踏み、その頭に十二の星の冠をかぶっていた。 
:2)この女は子を宿しており、産みの苦しみと悩みとのために、泣き叫んでいた。 
:3)また、もう一つのしるしが天に現れた。見よ、大きな、赤い龍がいた。それに七つの頭と十の角とがあり、その頭に七つの冠をかぶっていた。 
:4)その尾は天の星の三分の一を掃き寄せ、それらを地に投げ落した。龍は子を産もうとしている女の前に立ち、生れたなら、その子を食い尽そうとかまえていた。 
:5)女は男の子を産んだが、彼は鉄のつえをもってすべての国民を治めるべき者である。この子は、神のみもとに、その御座のところに、引き上げられた。 
:6)女は荒野へ逃げて行った。そこには、彼女が千二百六十日のあいだ養われるように、神の用意された場所があった。
黙示録12章

 

エス様がロバを用意したように、

オモニも預言の成就に合わせて3年半で引っ越さなければならないでしょう。

そこで、あたらしい家が用意されるようになりました。 

母が変わらなければなりませんでした。

そして、新たに我々は重生されました。

 

原理講論
(1) 重生の使命から見たイエス聖霊
このように、聖霊は真の母として、また後のエバとして来られた方であるので、聖霊を女性神であると啓示を受ける人が多い。すなわち聖霊は女性神であられるので、聖霊を受けなくては、イエスの前に新婦として立つことができない。
原理本体論 日本語原理本体論P458
「再臨主は、再臨の父となり、再臨の聖霊は再臨の母となります。」
「イエス様は、神様の息子であり、聖霊はイエス様の夫人です。」

 

 

 イエス様お一人では通じないので、イエス様と聖霊を通さなければなりません。イエス様は父の神で、聖霊は母の神なので、堕落した人間たちは誰でも、父母の因縁を通さずしては天国に行けません。20-269,1968.7.7
 キリスト教における聖霊は、女性神ですが、霊的に、また実体的に二つの世界を生んで育てなければならない責任があったように、統一教会で祝福を受けた女性は、二つの世界に対する責任を負わなければなりません。天国の民もつくらなければならず、サタン世界の民をすべて拒否し得るようにならなければならず、その人々を統治できるようにならなければなりません。
 祝福家庭の男性はイエス様の実体の立場であり、女性は聖霊の実体の立場です。すなわち、イエス様と聖霊イスラエル民族を救おうとしたのと同じように、生きてこの民族を救おうと躊躇せずに進んでいく立場が正に祝福家庭の立場です。ですから祝福家庭は、氏族的メシヤとして出発することができるのです。21-284,1968.12.1

 

http://h2fanclub.blogspot.com/2017/07/blog-post_11.html

 

お父様が言う「女性神」とは、男性神の中にある「女性性相」を指してお話されているのでしょう。
さらに何故お父様が「神」という言葉を使われたのでしょうか?
 
アダムが堕落する前に神様はアダムの霊人体を取り上げたと原理原本にはあります。
 

<原理原本 原文>

 

원리원본-제2편 창조원리와 타락섭리 - 제1장③

原理原本 - 第2編 創造原理と堕落摂理 - 第1章③

 

제2절 그렇다면 타락의 시작을 알아보자.

第2節 それでは堕落の始めを調べてみよう。​

 

아담 해와가 범죄 하고보니 본래 아담 해와에게 주입하여준

하나님의 근본 자체인 터 즉 생심을 중심하고 장성하여

하나님이 임제할 수있는 터 자체 즉 아담의 영인체는

악을 범한 자체의 몸에 있을 수 없으므로 하나님이 거두심이었다.

 

アダムとエバが罪を犯したので、本来、アダムとエバに注入してあげた
神の根本それ自体であるところ、すなわち『生心』を中心として成長して
神が臨在できるところ、すなわち、『アダムの霊人体』は
悪を犯したその体にいることができないので、神が取り上げられた。

 

 

그런고로 법죄 하기 전에 영인체 자체가 하나님 우편에 계시었다가

제2 아담 격으로 보내심을 받은 그 분이 즉 독생자 예수였다.

독생자라는 명사도 여기에 명백하게 되는 바이다.

죄를 짖기 전 아담의 영이 예수의 영에 주임 받아 오심이 근본 목적이었다.

 

それゆえに、犯を犯す前に、霊人体自体が神の右側におられたが
第二アダム格として送られたその方が、すなわち、独生子イエスであった。
独生子​という名詞もここに明らかにされるものである。
罪を犯す前のアダムの霊がイエスの霊に注入されて来られることが根本目的であった

 

그런고로 예수는 죄를 짖기 전 아담의 완전 성숙한 존재로 나타나서

복음을 시작하심은 무슨 목적이냐 하면

잃어버린 자녀들을 찾아 옮겨 놓고자 함이 근본 목저이다.

 

 

それゆえに、イエスは罪を犯す前のアダムの完全成熟した存在として現れ
福音を伝え始められたのは何が目的かというと
失われた子女たちを探し、移しておこうとすることが根本目的である。

 

그런고로 오날 인간은 원수의 몸에서 구속받고

참부모를 잃어버리고 사니

그 양심적 고통은 이 사실을 알려주는 간접적 자극이다.

 

それゆえに、今日、人間は恩讐の体に拘束され

​真の父母を失って生きているので
その良心の苦痛とは、この事実を知らしめるための間接的な刺激なのである。

 

그런고로 우리는 예수의 품으로 올겨 놓아

하나님을 근본 아버지로 직계혈통 관계를 맺지 않으면 안될 중대 책임이 남아 있다.

이것이 예수님이 오셔서 성사를 완성지 못하였기에

재림의 요구가 되게 되었다.

 

それゆえに、私たちはイエスの懐に移されて
神を根本の父として直系血統の関係を結ばなければならない重大責任が残っている。

エスが来られたが、これを完遂できなかったがために
再臨の要求がされるようになった。

https://yuun0726.muragon.com/entry/43.html

 
アダムだけではなく、エバも同様なのではないかと思います。
勿論血統に関係するのはアダムですが。
 
お一人の神様が、相対者として自らの内に潜在する「女性性相」から相対者として造られたのがエバの霊人体である聖霊であり、エバが堕落する前に取り上げたものだと思います。
未完成の霊人体。
 
統一思想では、具体的なひとりのアダムの観念から人は造られたとしています。
そのアダムの女性性相から具体的なエバも創造されたと思われます。
彼らはメートル原器のような存在だからです。
そのアダムの霊人体は、神の男性性相のすべての凝縮体であったので、
他の霊人体が取って代わることができなかった。
 
アダムとエバが罪を犯したので、本来、アダムとエバに注入してあげた
神の根本それ自体であるところ、すなわち『生心』を中心として成長して
神が臨在できるところ、すなわち、『アダムの霊人体』
悪を犯したその体にいることができないので、神が取り上げられた。
 原理原本

 

お父様は霊人体というのを、男性と女性に区別しないかのようです。
統一してこそ神の似姿であり完全な霊人体だからでしょう。
 

「『紳士淑女の皆様、神様は私達を神様の子供として、創造されました。本然で、絶対で、唯一普遍で永遠の存在として、神様の息を吹き込みながら魂をそこに入れたのです。』それは魂です。霊人体ではありません。霊人体は私の成婚式の後に現れる。 (2012年3月20日 天正宮訓読会における御言)

 

しかし、エバは神の女性性相から直接造られるのではなく、
神の実体であるアダムの女性性相から造られます。
ですから、アダムであるお父様ははエバを教育して、ご自分に似せて完成させるというのです。
独性子と独性女では意味が違います。
 
独性子は神から造られ、独性女はアダムから造られます。
 
韓鶴子オモニはこれを否定しました。
「わたしは誰からも教育されたことがない」
彼女は失敗しました。
97%まで勝利したのに、残り3%を成就できませんでした。
 
 

アダムとは真の父母です。そのお方があなたがたの血統を転換することができます。メシヤは人類を復帰することのできる力をもち、復帰されたアダムとして来られます。

1980 年 12 月 31 日 ワールドミッションセンター 聖酒式前のみことば

御言選集 1978~81

 

今まで神様を父なる方として、母のいない父として歴史を通してきたことを人間は知らなければならない。母のいない父なる神様であった‥‥‥それゆえに天の父と母の成立がなされてこそ子女の家庭組織成就が始まる事ができる。」(原理原本 第三編第四章)

 
母のいない父なる神様から、母のいる父母なる神様、天の父母様に神は成長されます。
 
國進様 
そしてこれは、異端教会家庭連合の主張の一つでもあり、それはお母様が聖霊であり、女性神feminine spiritだという内容であって、またそれは男性神masculine spiritとは異なるものでなければならないというのです。
しかし、この神学解釈には非常に重大な誤りがあります。なぜなら、女性神を信じるとすれば、一神教を捨てることになり、基本的にお一人である神様を万物の創造主として理解することをやめることになるからです。 2016年8月16日Q&A

 

亨進様
聖父聖子聖神 성부성자성신、いわゆる父と子と聖霊は一つの神性から出ていますが、三つの個体の性格を持っています。(성부 성자 성신은 1개의 신성에서 나오지만 3개의 개체의 성격을 가지십니다.)これを理解することは今後未来の天一国王の位置が何かを知るのに重要です。 私たちが知っていることは真のお父様こそが王の中の王であり私たちの為に再臨主として死の道を行かれました。2017年6月6日キングスリポート

 

   亨進様
つまり、聖書的な伝統から見ても聖霊というのは最高の霊、つまり神様の霊です。ですから、私たちが他の霊について取り扱う場合、聖霊との関係性が最も重要です。それで、私たちが、聖霊が降りたといったようなことを言う場合、皆さんご存知のように、お父様は、イエス様がそうであったように男性だったわけですが、お父様の中には女性的な性質もありました。
お父様は、とても繊細で、とても愛に満ちておられ、すべてを受け入れてくださる方でした。お父様の中にも、私たちが通常女性的性質と呼ぶようなものがありました。だからといってお父様が女性になるわけではありません。そうです。お父様はお父様です。 (2016年8月16日Q&A)
國進様
神様ご自身の中には、男性的な性質と女性的な性質があり、それが神様の二性性相です。ですから、みなさんが見ている聖霊の現れというものは、一人の神様の中にある、その性質の表れであり、それは神様の対象的な相対によって映し出されます。
2016年8月16日Q&A

 

 

 表現の仕方は、亨進様も国進様もわたしもそれぞれですが、創造主としての神はお一人だということでは一致していますし、それが大変重要だと考えているのも同じです。

わたしは原理講論の記述で十分説明されていると考えます。

 

多くの聖徒が混乱する原因の一つは、

キリスト教の三位一体から統一原理を見ようとしていることに原因があると思います。

三位一体はイエス様が語られた教理ではありません。

創造本然の神の構想理想が歪められて出てきたのが三位一体です。

 

ですから、統一原理から三位一体を見なければ本当の理解にはなりません。

 

エス様は本来結婚されるはずでした。

神の三大祝福である、個性完成・家庭完成・万物主管を成就しなければなりませんでした。

神を中心とした家庭的四位基台が変形して現れたのが三位一体の神学です。

エス様には妻がいませんでした。

その妻は母となり子女を繁殖させるべきでした。

12人以上のイエス様に似た子女を生むことがイエス様の相対者に願われていました。

これができず、殺されて「神の国は近づいた」という福音は、水泡に帰してしまいました。

 

本来「三位」すなわち3つのペルソナ、神の3つの人格的側面とは、

中心である神は主体に宿るので、父と母と子でした。

真の父母と真の子女でした。

3つのペルソナをキリスト教は外的にしかわかりませんでした。

お一人の神様の愛の人格は、家庭に分性的に現れます。

四大心情圏のことです。

父母の心情、夫婦の心情、子女の心情、兄弟姉妹の心情です。

これがわからなかったので、しかたがなく三位一体の神になりました。

父と子と聖霊に歪められてしまったというのです。

 

ですから、三位一体に不必要にとらわれてはなりません。

 

本然の世界の四位基台と四大心情圏のことだからです。

キリスト教では父の摂理があり、子であるイエス様の摂理があり、聖霊の摂理の三段階があります。

三代王権が歪めれれてしまいました。

神のみ旨がイエス様の十字架路程によってわからなくなってしまったからです。

 

 お父様は根本復帰の血統転換や重生から聖霊を説かれました。

メシアだからです。

 

わたしは、亨進様が語る「お父様の聖霊」とは、これとは違って生霊体を完成されたお父様の霊人体の栄光のことだと思っています。

この2つは区別して理解されるべきでしょう。

だが、現在アメリカではキリスト教会と一体化することが摂理です。

成約のお父様が、新約に降りてきてキリスト教信仰に合わせてい摂理されているのでしょう。

ですから、新約的でアメリカはいいのだと思います。

中世の神学から現代に至るまでフェミニズム神学以外のキリスト教の立場では、

聖霊は男性格でおそらくは代名詞も男性でしょう。

 

だが、日本は違います。

日本は救世救国が中心摂理です。

 

 

  


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