原理講論を読む

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「聖霊のもとにーメシヤの涙 テーマ:夜の神様、昼の神様」の間違いについて

シャボン玉さんが訳した御言葉です。

 

http://blog.naver.com/34922885/90106070671(韓国語)
VI-4. 昼の神様は本体のみ言葉の実体だ。

 

夜の神様は目に見えない創造主であり、昼の神様は目に見える創造主である。
夜の神様は内的な創造主であり、昼の神様は外的な創造主だ。
​アダムとエバが完成すれば見える昼の神様となる。
アダムとエバが完成すれば見える創造主となり、外的な創造主となる。
見える創造主と外的な創造主が昼の神様である。
(297:226、1998.11.20。)

 

夜の神様は第1創造主であり、昼の神様は第2創造主だ。
(1998.8.21。)

 

アダムとエバが本体のみ言葉を実践すれば、本体のみ言葉の実体となる。
​本体のみ言葉の実体が本体的実体である。
​本体的実体が昼の神様である。昼の神様は夜の神様の実体である。
​昼の神様は、見えない夜の神様を見える神様となるようにする。
​夜の神様は、昼の神様を通して実体があらわれる。
昼の神様と夜の神様が一体をなせば、本体的存在として天地人真の父母になる。

 

アダムとエバが完成し昼の神様になれば、神様の直接主管圏時代が開かれる。
​夜の神様は、体がなくて一人で被造世界を直接主管することができない。
​夜の神様が被造世界を直接主管するためには、アダムとエバが完成し、
昼の神様にならなければならない。
​アダムとエバが完成すれば、夜の神様はアダムとエバを直接主管される。
​また、夜の神様はアダムとエバの体を使って被造世界も直接主管される。

 

昼の神様があらわれる時、夜の神様の創造目的が完成される。
​昼の神様が神様の創造理想として願われた真の父母だ。

真の父母の思想は創造以前から存在していた夜の神様の核心思想である。​
真の父母という言葉は、創世以前からあった。
真の父母は夜の神様の創造構想の中で存在していた。
​夜の神様の創造の中心は真の父母の完成である。
​夜の神様は真の父母の実体圏のために万物を創造した。
(1997.8.9)

 

真の父母思想の根は、創造以前の夜の神様である。
夜の神様の創造目的はご自身が直接愛を授け受けることができる
愛の実体対象があらわれることだ。

​夜の神様の実体愛の対象が完成したアダムとエバだ。
夜の神様の実体愛の対象が真の父母だ。
​夜の神様の愛の実体対象が昼の神様である。
​昼の神様があらわれてこそ、夜の神様は実体的な愛を通して
直接喜びを感じることができる。

 

夜の神様は、創造以前から今まで昼の神様が現れるのを
首を長くして待ちわびて来られた。
​四六時中、昼の神様が現れるのを待ち焦がれて来られた。
​もしアダムとエバが完成して昼の神様になって
​「一国に現れて真の父母の位置にだけ立つことができたなら、
神様は夢にでも現れてヘリコプターで太陽を運んで、月を移してでも
​空中で喜びの稲妻を作って歓喜の雷を鳴らしたかったことだろう。」
​(平和神経、21)

 

以上の御言葉を用いて以下に考察していきます。

 

創造・堕落・復帰の観点で夜の神様や昼の神様を理解する必要があります。

エバが堕落せず、アダムが堕落しなければ、

すなわちアダムとエバが完成すれば、

創造理想、創造本然の夜の神様と昼の神様の関係は、

 

<夜の神様>          <昼の神様>

見えない創造主         見える創造主

内的な創造主          外的な創造主

第一創造主           第二創造主

昼の神様を通して実体が現れる  見えない夜の神様を見える神様となるようにする

被造世界を直接主管できない   神様の直接主管圏時代が開かれる

                神様の創造理想として願われた真の父母

 

 

「​昼の神様と夜の神様が一体をなせば、本体的存在として天地人真の父母になる。」

 

「​アダムとエバが完成すれば見える昼の神様となる。
アダムとエバが完成すれば見える創造主となり、外的な創造主となる。
見える創造主と外的な創造主が昼の神様である。」

 

昼の神様=完成したアダムとエバ

    =み言葉を実践し本体(夜の神様)のみ言葉の実体になったアダムとエバ

    =本体的実体

    =夜の神様の実体

 

「​夜の神様が被造世界を直接主管するためには、アダムとエバが完成し、
昼の神様にならなければならない。
​アダムとエバが完成すれば、夜の神様はアダムとエバを直接主管される。
​また、夜の神様はアダムとエバの体を使って被造世界も直接主管される。」

 

「真の父母の思想は創造以前から存在していた夜の神様の核心思想である。」

 

お父様のみ言葉では、完成したアダムとエバが昼の神様で、

夜の神様とこの昼の神様が一体になって現れるのが「天地人真の父母様」

 

そこで、夜昼の神は一体化して真の父母になったのだから、

それをわざわざ再び分離して元の状態の夜の神様として、

いつまでも崇めている必要はないと言いました。

 

クルトさんの言葉は、

聖霊はヨナ様の心情圏を通して、完全に真の母性を感得し昼の神となったのです。ですから、真のお父様の聖霊とは、イエス様の霊的相対となっていた聖霊と同じ次元の聖霊ではなく、真の母性を感得した昼の神様としての聖霊なのです。」

(「聖霊のもとにーメシヤの涙」P7)

 

ヨナ様を神格化していると誤解される表現は避けたほうが賢明では?

独生女神学に近いと誤解される恐れもある。

 

つまり、お父様の説明では完成したアダムとエバが昼の神様でしたが、

クルトさんの説明ではアダムは省かれ、昼の神様は女性的な存在でした。

 

完成したアダムとエバは真の父母です。

真の父母とは何だったでしょうか?

 

「アダムとは真の父母です。そのお方があなたがたの血統を転換することができます。メシヤは人類を復帰することのできる力をもち、復帰されたアダムとして来られます。」

1980 年 12 月 31 日 ワールドミッションセンター 聖酒式前のみことば 

御言選集 1978~81 

 

真の父母はアダムが代表しました。

ですから、昼の神様とはアダムということもできるでしょう。

 

聖霊はヨナ様の心情圏を通して、完全に真の母性を感得し昼の神となったのです。」

(クルトさん)

 

昼の神をエバを誕生させたものや、それによって誕生したエバだと考えると、

アダムとエバの格位が主管性転倒します。

エバではなくアダムが昼の神様になるべき代表だからです。

しかも、エバは夜の神様から完全に自立した存在だと、

韓鶴子オモニのように「夜の神様に属する」アダムから独自行動する独生女神学に利用されるでしょう。

 

「アダムの設計図は夜の神様そのものです。夜の神様はアダムの体と心をまとい、昼の神様は137億年に渡る創造過程の結実体としてのエバの体を誕生させるのです。夜の神様は神様の本体なので、アダムに臨在します。昼の神様は夜の神様の愛の力そのものなので、エバは夜の神様から完全に自立した存在として、アダムと神様を愛するのです。」

(「聖霊のもとにーメシヤの涙」P15)

 

「昼の神様は夜の神様の愛の力そのものなので、エバは夜の神様から完全に自立した存在として」

 

日本語としてこなれていないので意味がわかりにくいですね。

 

理由「昼の神様は夜の神様の愛の力そのものなので」

結論「エバは夜の神様から完全に自立した存在として」

 

昼の神様=夜の神様の神の愛の力⇒夜の神様とは愛の力は完全に自立(独立?)

 

昼の神様=完成したアダムとエバ (お父様)

昼の神様=夜の神様の愛の力 (クルトさん)

 

これがクルトさんの「昼の神様観」です。

 

「昼の神様(夜の神様の愛の力)は137億年に渡る創造過程の結実体としてのエバの体を誕生させるのです。」(クルトさん)

 

愛の神様から心情の神様へと変貌しましたが、その湧出する愛と心情のエネルギー自体が昼の神様です。その昼の神様のエネルギーは創造原理に従って万物を顕現させ、人類の男女を誕生させるようになります。つまり、昼の神様は聖霊として地上界のすべての存在に働きかけ、宇宙と自然界を創造し、人間の知情意に万物を通して情的刺激を与え心情を育むようになります。

(「聖霊のもとにーメシヤの涙」P20)

 

昼の神様は夜の神様の心情そのもので、実体対象ではありません。神様の妻であるエバを地上に顕現させるための心情エネルギーであり、宇宙のすべての万物の創造はエバの生命を誕生させ、神様の息子娘としての人類を生み出す聖なる胎を地上に現出させるための心情エネルギーです。」

(「聖霊のもとにーメシヤの涙」P20)

 

お父様は「完成したアダムとエバが昼の神」だとされ、昼の神は人でした。

しかし、クルトさんの神学では人ではなく、

昼の神は「夜の神の心情そのもので、心情エネルギー」になります。

 

​「夜の神様の愛の実体対象が昼の神様である。」(お父様)

昼の神様は夜の神様の心情そのもので、実体対象ではありません。」(クルトさん)

 

(シャボン玉さんが訳したお父様の文章とクルトさんの文章では夜の神と昼の神の語順が逆ですが、私が故意に反対にしたのではなく上記引用文がそうなっているのです。)

 

「神様本体そのものが、つまり夜の神様の神格がそのまま表れた人間こそが男性なのだ。その男性を、つまり神様そのものを、100%丸包みして愛してくれる母性としての存在を神様は考え出された。神様本体の神格の中から、その神様自体を丸包みして愛を授受作用してくれる女性像を、自らの本二性性相から抽出して、新たに神様の存在法則に即って四位基台を造成し、存在体となるように創造された。つまり、女性は神様の愛の対象として、完全に独立した珠玉の作品なのだ。

 

その女性を女性として有らしめる母性の完成に向けて、放たれた心情エネルギーこそ聖霊であり、昼の神様であり、そのエネルギーが大宇宙の創造の経緯を経て完成する実体こそがエバであった。生命を誕生させることによって実感する母性は、地上でしか現出できない心情である。」

(「聖霊のもとにーメシヤの涙」P22〜23)

 

 

お父様のみ言葉による説明を信じるか、

それともクルトさんの神学を信じるかは、

自由と責任で祝福の中心家庭として判断してほしい。

 

堕落の観点から見ると、

「昼の神様」には堕落したエバの意味もある。

あるいは未完成のエバ、アダムを主体として一体化できず、

神の直接主管を受けることができないエバ

すなわち韓鶴子オモニ。

 

本来は「完成したアダムとエバ」が「昼の神様」。

エバが堕落し、アダムを主管して堕落させたので、

アダムが主体でエバが対象として一体化してなるはずの昼の神様は、

堕落したエバと堕落したエバが生んだ八百万の神を指すようになった。

お父様が夜の神様と昼の神様が戦っているという時の昼の神とは、

堕落したエバや三次の結婚を成就できず未完成の状態のエバ

アダムに従わないエバを指す。

すなわち韓鶴子オモニ。

 

クルトさんは堕落したエバではなく、

創造本然のエバエバを創る心情エネルギーだと考えたようだ。

 

ということはクルト説では、

夜の神様に属するお父様は、夜の神の心情エネルギーだという昼の神と戦っているという説になるかと思います。D-DAYまで?

 

構想理想の復帰から考えれば、真の父母が三次の結婚を経て

昼の神である真の父母が発展して天地人真の父母となる。

 

​「昼の神様が神様の創造理想として願われた真の父母だ。」

 

「​昼の神様と夜の神様が一体をなせば、本体的存在として天地人真の父母になる。」

 

「神様とアダムとエバは、『家庭王即位式』をすることができませんでした。・・・その『家庭王即位式』をしたので、神様が、本来の真の父母を中心とすることができる時を迎えたということです。・・・

 文総裁を中心として、(神様は)婚姻申告をしました。今、霊界に行けば・・・。今まで霊界では、神様が見えませんでした。今、行ってみれば、霊界の父母の立場で、文総裁夫妻の顔が表れて、きらびやかな光で見えるので、顔を見詰めることができないほど、まぶしくなるというのです。そのような霊界に行った時にも、真の父母様を否定しますか?このように、はっきりと教えてあげたにもかかわらず、神様を否定すれば、かちっと引っかかります。

(2003年3月10日 「ファミリー」412号、P27)

 

サンクチュアリ教会 - 日本サンクチュアリ協会

 

 

いつまでも夜の神というものでもない。

夜の神は昼の神になり、

最後に天地人真の父母となった。

アルファが夜の神なら、オメガは天地人真の父母である。

 

 

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