原理講論を読む

日常生活の中で 考える糸口を求めて

原理講論には夜の神様と昼の神様に関係する内容があるのか?

創造以前の神が夜の神様だと言われている。

この神様は統一思想でいう「創造の二段階構造」によって成長発展されて来られた。

より詳細には構想理想としての内的発展的四位基台が第一段階で、

外的発展的四位基台が第二段階という。

原相の創造の二段構造のことだ。

第二段階は、無形実体世界を創造し有形実体世界を創るというように、これまた二段階になっている。

 

さて、神様の成長と発展について言えば、本来の構想では、

夜の神 ➡ 夜昼の神 

という二段階を経て見えない神が見える神になる予定だったと思われる。

夜の神自体内には性相と形状があり、その各々には属性として陽性と陰性が備わっていた。

神は正分合作用によって発展されたが、神自体内における陽性と陰性の属性を持った性相の実体として男性を創造し、また神自体内における陽性と陰性の属性を持った形状の実体として女性を創造した。

これがアダムとエバである。

ところが神の予定とは裏腹にエバが堕落し、アダムまでも堕落してしまった。

それゆえ夜の神と昼の神に神様の創造理想は引き裂かれてしまった。

しかも創造本然の夜の神と堕落によって生まれた偽りの昼の神の二つに分裂してしまい、堕落人間は失われた夜の神を求めて彷徨わざるを得なくなってしまった。

夜の神という言葉も、昼の神という言葉も悲しみに満ちている。

夜昼のお方が引き裂かれてしまったのだ。

その痛みがこの言葉には走っている。

 

夜の神が夜昼の神となるということが、アダムとエバによる真の父母の完成であった。

見えざる神が見える神として顕現する。

真なる現人神が天地人真の父母である。

 

「真の父母と重生という問題ですが、真の父母という名前は、いつから始まったと思いますか? 一九九三年ですか? 統一教会の発表では、そういうふうになっているかもしれません。統一教会を中心として真の父母という名前は、統一教会によって(始まったの)ではなく、先生によって始まったのです。言葉の発表はそうですが、言葉の内容は創造の前からあったのです。
 (1993年12月20日 真の父母と重生 韓国・済州研修院)

 

 

人類始祖の堕落によって、性相的男性と形状的女性が分裂・対立してしまった。

それは心と体の分裂が個人で起き、夫婦で起きた。

男性の性相的内容はヘブライズムの精神文明の流れとして歴史に現れ、

女性の形状的内容はヘレニズムの物質文明の流れとして歴史に現れた。

この人間一個人の心と体の対立、

性相的男性と形状的女性の対立を、

統一するために来られたお方がイエス・キリストであった。

エス様は心と体を統一し、

エス様が夫となりその妻と結ばれ夫婦を統一し、

精神文明のヘブライズムと物質文明のヘレニズムを統一し、

後のアダムとして神の血統が繁殖された人類一家族理想の実現を果たすはずであった。

思想的にはヘブライズムとヘレニズムだが、

宗教的には一神教多神教ということができる。

 

エス様が殺され地上天国を実現できずに終わってしまったので、

心と体、精神文明と物質文明の分裂は再臨主が降臨され解決される日まで続かざるを得なくなった。

 

政治のことを書こうと思ったのに、神はわたしの鼻面を引いてこんなことを書かせ給う。不思議な神様の手に感謝。