日本に住んでいると国民皆保険はいいものだと思い込んでしまいやすい。
しかし、これは天一国の思想とは相容れないものである。
そしてテネシー清平でも澤田ケアが登場した。
大学時代、仲が良かった小林豊兄の影響で小室直樹を知った。
小室氏によれば、日本は社会主義の目的を達成したという。
本当に驚いた。
現在を見ても、小泉進次郎の子ども手当で、ゆりかごから墓場までの手厚い保護は完結したと言えるだろう。
我が国は残念なことに、社会主義あるいは福祉国家を目指してきた。
さて澤田氏は、
分配における平等主義に基づいて再分配する福祉国家をあたかも目指すかに見えて、
澤田ケアの社団法人をつくった。
「社会的弱者や援助なしには普通の生活ができない人々に対して、国家が支援すべき」という思想に習って、
「社会的弱者や援助なしには普通の生活ができない人々に対して、社団法人が支援すべき」というわけである。
イギリスのE・H・カーはこう語ったという。
「万人のための自由という旗を掲げることは,およそ乏しい物資─食料であろうと,衣料であろうと,路上の空間であろうと─をきちんと平等に分配するのに必要な統制を,新しい社会のノーマルな適切な心得として受け入れることにほかならない。……欠乏という条件の下では,平等の分配を保証するための統制は,自由の否定ではなくて,自由への道の重要なステップである。そして,この自由は,物資が豊富になって初めて完全なものになる。……
自由の経済的条件は,生産の必要に応じて,人的および物的資源の適切な配置を行い,物資を豊富にすることにある」
通常私達は、自由と平等という価値観のどちらに重きを置くか態度を決めることになる。
自由とは選択の自由のことであり、平等とは結果の平等のことである。
自由の側は機会の平等を説き、平等の側は機会の平等も結構だがその機会すら貧しい人には与えられていない。特に教育の機会を貧困によって奪われた人には機会の自由がない。そうであるなら先ず経済的な政策で平等に教育が受けられるようにして機会の平等を作ってあげるべきで、貧しい人を保護すべきであるという。平等があって自由があると考える。
日本人には受け入れられやすそうな考えだ。
社会的富の公平分配(しゃかいてきとみのこうへいぶんぱい)とは、社会民主主義の用語である。マルクス・レーニン主義の立場では、ブルジョワ社会学と呼称されることもある。
労働者の生活と権利を擁護するに当たって、革命や大規模な財政出動を目指すのではなく、富裕税の創設や、累進課税などによって、特定の階級に富が集中することで格差問題を防ぐための政策を取る。
スウェーデンなど北欧諸国では、租税制度や社会保障制度、公共事業などで富の再分配が大体実現していることで知られる。ただし利潤を超える累進課税に富裕層が喘ぎ、経済活動の自由を求めて、アメリカに脱出する者も多い。
ウィキペディアの「社会的富の公平分配」より
せっかく「分配」の話がでたので、岸田政権の政策の「分配」について以下の記事も見てみよう。
自由な選択をして、その実行の結果に責任を持つ人生の主人になれ!
天がわれわれに期待する内容はこれだったはずだ。
澤田氏は天一国の思想ではなく、
その扇動に煽られて100人以上が賛同したという。
それが本当なら彼らも同罪だ。
三代王権の天一国を王のいる福祉国家に変質させようというのか?
ところで日本はわたしには非効率の福祉国家に見える。
何故だろう?
行政に市場原理を導入しながら、
効率の良い福祉国家を目指しているという。
「 米国と違って、大きな政府、反市場主義の国と見られながら、スウェーデン政府の企業政策は、米国以上に市場原理主義的だ。たとえば、スウェーデン政府は、企業のリストラに反対するどころか、リストラを容認している。その結果、スウェーデンの失業率は高い。また、企業の経営破綻には、大企業といえども救済しない。スウェーデンを代表する自動車会社ボルボ(乗用車部門)やサーブの破綻に際しても、政府は一切救済しなかった。個人の所得税は高いが、企業の法人税は低い。」
(「スウェーデンはなぜ強いのか」北岡孝義 2010年8月出版)
日本人というのは我慢強いところがあるが、この美徳がもしかしたら本来行われるべき社会の新陳代謝を阻害しているのかもしれない。
同一労働同一賃金というが、正社員とそうではない従業員がほとんど同じ労働内容であることも珍しくない。
手当という概念も不思議だ。
手当と同一労働同一賃金は両立できないと思う。
固定費の変動化などといってアルバイトを増やしていった結果、
我が国はおかしくなったのではないか?
非効率福祉国家という中途半端な立ち位置でいいのだろうか?
「はっきり言っておく、およそ女から生まれた者のうち、洗礼者ヨハネより偉大な者は現れなかった。しかし、天の国で最も小さな者でも、彼よりは偉大である。彼が活動し始めた時から今に至るまで、天の国は力ずくで襲われており、激しく襲う者がそれを奪い取ろうとしている。」(マタイ11:11~12)
善の天使長としてキリストを支えるべきサンクチュアリの者たちが、
洗礼ヨハネのように使命を果たさないどころか、
キリストが行くべき道を塞いでしまったら、
天一国は襲われ続け、盗賊によって奪われてゆくのである。
悔い改めよ!天一国は近づいた。
アジュー。