「復帰していく原理は教えてあげることができない。それゆえ、自分が尋ね求めていかなければならない。」
(み旨の道 P61)
「とにかく私に従って来るのだ。しかし、詳しいことを教えることはできない。復帰の道は、探し求めて発見する道である。だから、あなたは、私を信じて前へ進まねばならない。そして、その途上であなたたちに詳しく説明するわけにはいかないのだ。」 (天暦6月3日 2012年7月21日 天和宮での訓読会)
「三分の一は君たちには教えられない。なぜかというと完成基準が残っている。世界がまだまだその基準を残しているから、その世界に対してみんな教えてやることはできない。蕩減条件を立たして、自分たちの5パーセントにある基準を、ある個人だったら個人、家族だったら家族、民族だったら民族、国家なら国家、その国においてのその過程は誰しもが通過しなければならない。そういう基準があるから、100パーセント教えることができないというんだね。だから原理講論には、先生が今までずうっと生涯を通して蕩減を成して来た、その内容は一つもない。ないでしょう。いかにして蕩減条件を立たしたか。それが今後出る問題だね。これを詳しく説明してやると君たちが引っかかるわ。わからないのが却って幸福かもしれないよ。だから聖書を中心として伝道するのが、何よりも我々に効果があるその道である。」
(原理大修練会、終末論講義の途中におけるみ言葉 1967年6月19日 み言葉ハンドブック)
「第3イスラエル建設路程の出発に臨んでいる皆さん! 皆さんはどのようにしなければならないのですか。霊界の法度を知ってこそ抜け出せるのです。その使命系統がどうなっているのか知らなければなりません。
その国の軍隊は味方の軍隊で使っている暗号を知ってこそ、戦争をするときに味方から攻撃されません。
この時は天の国の暗号が聞こえる時代です。今は暗号通信時代です。摂理的な暗号、使命的な暗号の通信時代なのですが、このような暗号を通じて連絡できるし、作戦計画を遂行することもできる、地上統一理念の代身者になれる時代であるのです。」
(牧会者の道 P103)
「だから今、統一教会がそこまで完成して、勝利した基準があるから教えるのです。それを教えなければ、あなたたちより何百倍、何千倍知恵深いサタンが持っていってしまうのです。そうなった場合には、神の復帰の道は完全に閉ざされてしまいます。
子供の成すべきことをサタンがすぐに持っていって成した場合には、また、神の二重の苦しみが生じてくるのです。だから、それは暗示や比喩をもってなす。表示や合図で持って教えるのです。それは真理を愛する子女関係を結べば分かるのです。」
(祝福 66 P172 777双聖酒式後の御言)
「いつでも、二重的な言葉の相対を見つけ出さなければなりません。対応語は何かということです。対応語を見つけ出すのは、私がチャンピオンです。原理世界の正しいことを教えるために、私がすべてつくったのです。」 (ファミリー 04年10月 P23)
「今までは、講義をしながら自分勝手にやってきたのです。それはいけません。原理のみ言を全部本を読みながら講義するのです。『原理講論』は劉協会長が書いたのではありません。1ページ1ページ鑑定を受けたのです。
私が成したことに手を付けることはできません。ありとあらゆるものが、皆そろっているのです。間違っていたとしても、それを知らないのではありません。間違っているところ何ヶ所かを、そのままにしておかなければならないのです。すべてを教えてあげるわけにはいかないのです。」 (ファミリー 95 2月 P63 「真の父母の勝利圏を相続しよう〈神の日のみ言〉」)
「『原理』はイエス様まで説明しているために、イエス以降、先生に関することを皆さんは知りません。それゆえに、皆さんはこれから本当の勉強が残っているのです。まだ私が教えてあげていないのです。」 (祝福68 P157 「根本復帰」)
「今あなたたちが学んでいる『原理講論』、これは歴史路程において成された結果的記録であり、これをいかにして蕩減すべきかということについては、まだまだ述べていない。それは先生自身が闘って勝利して切り開いていく。」 (み旨と世界 P11 「復帰と祝福」 1969年2月2日)
「皆さんは先生が分かりますか。先生が分かりますか、分かりませんか。どう分かりますか。先生の何が分かりますか。顔だけが分かるでしょう。皆さんが分かる原理を教える程度の先生だと思いますか。皆さんが分かる原理は、イエス様までの原理です。先生の時の原理ではありません。先生の歴史が分かりますか。(分かりません)。分からないなら、何をしにこの場に来ましたか。」(祝福家庭と理想天国Ⅰ P802 「祝福の意義と価値」)
天の父母様聖会は、誤った統一原理の理解を正せ!!!
一、神とは
(一) 「一なるお方」ハナニムは女性性相をも備えた圧倒的男性性相の持ち主である「天の父母」
神は時空を超越する絶対者である。
時間や三次元の空間に拘束されない存在であり、
一なるお方、ハナニムである。
1-1 全ての根本は神様
太初は一つである。この一つが、太初の根本である。この根本が、即ち、神様である。この一つの存在こそ、無限小から無限大までの全ての存在の根本である。つまり、この一つの根本が、全体の根本であり、全体の中心であり、また、全ての作用力に対する平衡の基本支点となっている。
現代の科学時代において、我々は、数学を離れては、その基本的発展の軌道を見出すことができない。複雑多段な現実社会は、数の単位である「一つ」を中心として構成されている。その中心を展開することによって、代数の実体を起こすことができる。それゆえ、ある一つの存在を立てなければならない。この存在が決定されれば、一つから多数に展開された重要な要素を加減し、組み合わせていくことによって、発展していくのである。従って、全ての物事の根本を理解しようとすれば、一つの出発点である単位的な存在、即ち、神様を知らなければならない。(テオン訳 原理原本)
すなわち性相の神があり、形状の神があり、
陽性の神があり、陰性の神があり、
心情の神があり、原力の神があるというような多神教ではない。
神は構造的な存在ではないのである。
しかし、三次元に生きる我々人間は構造的にしか理解することができない。
このことを留意してみ言を噛みしめる必要がある。
「それだから、あなたがたの天の父が完全であられるように、あなたがたも完全な者となりなさい」(マタイ5:48)
イエス様は「神=天の父」とされ、「天の父母」とは言わなかった。
お父様は宇宙の根本真理とは「神と人間は父子の関係である。」とされた。
「宇宙の根本は何ですか? 父母と子女です。先生が祈ってみるとそうです。父母と私、父子の関係が宇宙の根本です。それでは、神様と私はどのような関係があるのでしょうか? 神様は父であり、私は息子だというのです。息子・娘です。最後の根本が父子の関係であり、最高の目標もそれです。」
(1963年5月22日 『文鮮明先生御言選集』12-258)」
上記引用のみ言は基本的には宇宙の根本が「父子の関係」だとされているが、一行目では「父母と子女です。」という表現も使われている。
したがって、安易に読めば天の父母様聖会によって、こちらの「父母と子女です。」の「父母」に注目して父と母は対等同格だと言われかねないところもある。
しかし、父子の関係とは血統関係なので最も重要だとお父様は言っているのである。
「この地上のキリスト教徒たちは、主が来られるようになれば、原罪を脱ぐのだと言いますが、原罪を脱ぐとはどういうことでしょうか。それは、サタンの審判を受けない心情的血統の回復を意味します。最後の最後まで残るものがこれです。」
(祝福家庭と理想天国Ⅰ P683)
母と息子や母と娘は血統では繋がらない。反対に父と息子父と娘は繋がる。
だから父と子の関係を母と子の関係よりずっと深めなければならないのである。
血統の相続者、心情の相続者になりたいのであれば・・・。
「宇宙の根本は父子の関係だというのです。そこで単純に考える人は、『父と子のいる関係が宇宙の根本なのだ』と思うでしょう。どうですか? 父母と息子といれば、それが宇宙の根本になるのでしょうか。父子の関係というのは、父母の関係でもなく、子女の関係でもありません。父子の関係というのは、永遠に切り離そうとしても切り離すことのできない、絶対的に一つになった関係をいうのです。それには何が必要かというと、真の愛なのです。」
( 19p~20p 神のみ旨を中心とする宗教圏の統一 1988 年 10 月14 日 ソウル本部教会)
「実体の神様」であるお父様はご自身を指して「真の父母」とおっしゃることも大変多かった。
「真の父母と重生という問題ですが、真の父母という名前は、いつから始まったと思いますか? 一九九三年ですか? 統一教会の発表では、そういうふうになっているかもしれません。統一教会を中心として真の父母という名前は、統一教会によって(始まったの)ではなく、先生によって始まったのです。言葉の発表はそうですが、言葉の内容は創造の前からあったのです。」
(1993年12月20日 真の父母と重生 韓国・済州研修院)
「真の父母」という名は統一教会からではなく、(オモニがいない時代の)先生ひとりの時から始まっていて、その名前に込められた内容においては「創造の前」の神様にあったと語られている。
「アダムとは真の父母です。そのお方があなたがたの血統を転換することができます。メシヤは人類を復帰することのできる力をもち、復帰されたアダムとして来られます。」
1980 年 12 月 31 日 ワールドミッションセンター 聖酒式前のみことば
御言選集 1978~81
したがって、
韓鶴子オモニは自分を指して「真の父母」とは言えないのである。
「それで、1960年を中心としてイエス様は父母だろう。イエス様は神様が送られた第2番目の父母である。この父母が失敗したものをもとがえししないというと第3の勝利した父母は生まれてきません。」
(御旨と世界 P169 「真の父母と我々」)
創造以前の神 ⇒ アダム ⇒ イエス様 ⇒ お父様
真の父母 真の父母 真の父母 真の父母
文誉進様がいうような創造が始まって真の父母になったのではないとお父様は語られてきた。
さらに「アダムとは真の父母」だと明解に説明されている。
このようなみ言で分かることは、父と母、男性と女性は共に同格の主体ではなく、
創造原理の陽性と陰性の関係性の説明にあるように、格位が存在するということである。平等とは愛における平等感のことである。
このような「真の父母」という言葉の根本的理解が、
天の父母様聖会にはあまりにも不足しているのである。
太田朝久、しっかり説明しなさい!
お一人時代のお父様が「真の父母」であり、それは神様がお一人であった頃からその内容があったのだという。
何故だろう?
それはお一人の実体の神様であるお父様が、お一人の無形の神様の様相にそっくり似ているからである。
「その凸凹は誰の凸凹ですか?神様は男性格ですか、女性格ですか?(「男性格です」)神様が男性格であれば生殖器がありますか、ありませんか?(笑)前には男性生殖器、後ろには女性生殖器がついていると考えなければならないというのです。振り向いてもこれも生殖器であり、振り返ってもこれも生殖器なので、男性と女性に分けて出てきたため凹凸が必要というのである!わかったの、わからないの!(「わかりました!)」(「文鮮明先生御言選集」306巻)
我々は縦横高さという三次元という制限された世界に住んでいる。
そこでは三次元を超越した三次元に拘束されない存在である神を、
三次元的にしか思い描くことができない。
したがってお父様のこのみ言は、
神様自体内においては、どこからどこまでが男性生殖器で、どこからどこまでが女性生殖器かの区別はまったくない、渾然一体化している「一なる存在」として理解に努めることが大前提となる。
全てが渾然一体となって存在している神の本質に男性的要素と女性的要素があったので、男性生殖器と女性生殖器も一なる状態から「男性と女性に分けて出てきたため凹凸が必要というのである」とお父様が言われる如く、神自体内においては「一なるもの」である男性と女性が、神の創造によって現象世界では分性的に現れたのだと語られたのである。
別の言い方をすれば、神自体内には、三次元世界に現象として現れた女性生殖器や男性生殖器の原因となる要素が「一なるもの」としてあったので創造が始まったということができる。
神の全一性である。
神は男性格だが、女性が誕生する女性的要素も持った性相的男性格主体のお方である。
そこで、「天の父母」を代表する父なる神のように、「真の父母」を代表して、
お父様はご自身を指して「真の父母」と語られるのである。
神とは女性的要素もお持ちだが、圧倒的に男性的要素を多くお持ちの方である。
したがって「父なる神」と呼ばれてきたのである。
アリストテレスの「形相」と「質料」のように「性相」と「形状」に着目して発達してきた西洋では、天地の「創造」という表現がなされてきた。
このような理解の仕方では二元論の誘惑に陥りやすい。
しかし、「陰陽哲学」で知られる東洋哲学では、「創造」は「出産」として捉えられて来たようである。
西洋では「無からの創造」と言うが、神ご自身が天地を造る材料を外にではなく、
内に持っていて天地が現れたとし、二元論ではないというならば、これは出産的である。
それは神が神以外の材料で造らなかったという「無からの創造」という難問に解決の道を提供する。
1-5 創造とは無形世界から有形世界への展開
唯一である神様が、多くの人や万物を創造されたということは、それらが、無形世界から有形世界に展開されたということである。つまり、神様は、無形世界を表す影として、有形世界を発展させようとされたのである。これが、創造の意義である。簡単に表せば、「神様=人+万物」となる。
このような創造の意義においては、神様は唯一であると言える。しかし、性としては両性であるため、神様がご自身を二性として展開されたのである。これが、創造の根本的な意義である。(テオン訳 原理原本)
「神様=人+万物」
「無形の神様」=「有形の人(形象的)と万物(象徴的)」
原理原本のお父様の表現やご説明は創造というより出産に近いかもしれない。
時空を超越する絶対者とはそういう「一なる存在」のことであることをよくよく理解しなければ、時空間に住む存在である人間には構造的認識しかできないので、常に「一なる方」であることを意識しないと複数的に間違って捉えてしまうのである。
「絶対なる神様だからですか? 絶対という概念は、二つとないということです。たった一つであり、唯一の神様なのです。絶対なるということは、完全に一つになっているということです。二つの概念はないのです。神様は心身一体になっているのです。」
(1995年1月17日 真の自分を探しましょう!!! 韓国・水沢里中央研修院)
ただし、エバが基元節に勝利して完成した暁には、
正分合作用を経た発展型の完成した「天の父母」が顕現する。
すなわち、実体の神様となったアダムと実体の神様の妻になったエバの統一様相である。
そうでなけれな「無形の天の父母」は「実体の真の父母」として顕現できないのである。いいかえれば、
基元節勝利後には真の父母が二人で一つの完全なる「実体の天の父母」になる。
「無形の天の父母」は孤独から開放され、真の愛を享受される「インマヌエル」(神人と共にあり)の理想が完成する。
堕落世界は分裂闘争だが、本然の世界は円和統一の世界。
「一なる神様」は創造物を分性的に「二つで一つ」の形に創造し、
神様から始まる「正分合作用」によって「一つの見えない神様」から二性のアダムとエバに分立した過程を経て、高次の統一に至って「一つの見える神様」に発展しようとされた。
ここで重要なことは、アダムは実体の神様であるが、
エバは実体の神様ではなく、実体の神様の妻でしかないということである。
(二)神様の結婚式こそが創造の究極の目的
創造以前のお一人の神様は男性として存在し、それゆえ女性を求めて創造が始まる。
神は本性相と本形状の二性性相の中和的主体であると同時に、本性相的男性と本形状的女性との二性性相の中和的主体としておられ、被造世界に対しては、性相的な男性格主体としていまし給うという事実を知ることができる。(創造原理)
神が被造世界を創造された究極の目的は、
「アダムの結婚式は、神様の結婚式です。父であり、親であるということは、自分と一体圏でつながっているのです。それを知らないから、でたらめにやっているのです。そういうことが分かった場合には、良心を避けていくことはできないのです。真の愛を避けていくことはできないのです。真の生命、真の血統を避けていくことはできないのです。正々堂々と天の掟に従って完璧な男、完璧なる女、完璧な理想体として、神様の前に堂々と立ち得るようにならなければなりません。」
(1995年1月17日 真の自分を探しましょう!!! 韓国・水沢里中央研修院)
「だから、結婚初夜の夫婦関係の瞬間において、男が完成されるのであり、女も完成されるのです。男、女半分だったものが一つになるのです。半分ずつが、こういうふうに分かれて、(先生が両手でしぐさされる)また合うのです。神様において一つであった、無形なる性相が実体化して、分割されて、性相は男として、形状は女として、大きくなって、二人がここで一つになるのです。そうなった場合には、無形実体の神様において、性相形状が一体であったと同じように、実体的一体になるのです。だから、アダムとエバの結婚式は横的の結婚式であるとともに、神様と、アダムとエバが結婚する一体圏は縦的結婚です。先に縦的が始まって、横的がつながるようになるのです。分かりましたか? (はい)。」
(1993年12月19日 韓国・済州研修院)
被造世界が創造される前には、神は性相的な男性格主体としてのみおられたので、形状的な女性格対象として、被造世界を創造せざるを得なかったのである。
(創造原理)
形状的な女性格対象である被造世界の中心かつ代表が女性であるエバである。
エバとの結婚を夢見て神の創造は始まったのである。
このことから、神は男性格主体のお方であることがわかる。
「アダムの家庭は人類の祖先として、たった一つの家庭の種なのです。その種を植えることによって、たくさんの家庭が生まれてくるのです。分かりますか? 何十年、何百年たっても、その木が生きていれば、その木によってたくさんの実が生まれてくるのです。一個から、数千万個になっていくのです。数千万個のうちの一個と元のアダム家庭の一個は、価値がイコールです。それを植えれば、間違いなく一つの芽が生えてきて、同じような木になるし、同じような実を結ぶし、同じ価値を持つのです。
そうなれば、同じ価値だから、アダム・エバが神様の実体であれば、あなたたちは神様の実体の延長体になるのです。同じ価値なのです。アダムの結婚式が神様の結婚式だとすれば、同じ価値を持ったあなたたちの結婚式も、まさしく神様の結婚式にならざるを得ないという結論になるのです。そうでしょう?」(1995年1月18日 訪韓男性修練会、第二日目の午後)
「女の主人は男ですね? 女に聞いた場合は、主人のうちで一番の主人は誰かというと神様になるのです。女をつくった目的は、アダムのためにもつくったのだけど、一番の願いは神様のためにつくったというのです。なぜかというと、神様は相対が必要だからです。一人で住むのはかわいそうだというのです。先生でも、お母様がいなかった場合には「八十代のおじいさんは、かわいそうです」と言われるのです。相対がいなくなれば、すぐに除去されるのです。天運というものは、相対がいて保護するようになっているのであって、相対のないものは押し出すようになるのです。(1993年12月19日 韓国・済州研修院)
しかしながら、天の父母様聖会では文誉進フェミニズム神学を支持している。
アダムとエバが創造によって現象として現れたのだから、その原因の神様にも両方の要素があったので、天の父母様と呼ぶのは正しいと言う。
しかし、統一原理ではその原因である父性と母性には格位性があり対等ではない、同格ではないとしている。
これに対して彼女は「統一原理」から「神の心情原理」に飛躍しなければならないとしている。
これはお父様の思想の否定である。ここで言う統一原理とは主に原理講論の内容を指しているようだが、原理講論は八大教材であって誰も手をかけてはならぬとお父様が語ってきたものである。
「2013年1月7日に、文鮮明師の妻であり、世界的な統一運動の現在の指導者である韓鶴子(HakJaHanMoon)女史は実に重大な、そして歴史的な発表をしました:その日をもって我々統一運動の者たちはすべて、神を天の父ではなく‘天の父母’(HeavenlyParent)と呼びなさい、と
(1)。天の父母という言葉は、神が天の父であるのと同時に、等しく天の母であることを示しています、なぜなら韓国語で‘父母’という単語は父親と母親の両方を意味するからです(2)。
今日までの運動において、神を天の父として、男性として表すのが習慣的でした。
それは、主として神がいつも男性の言葉で表現されていた、旧約と新約時代から来る影響でした。」
「明らかにされなければならない最初の論点は、神を男性の言葉で見続けるべきでないということです。
神は天の父であり天の母でもある天の父母であるからです(5)。
この論文は、なぜ唯一の神が天の父であると同時に天の母であるかに関して、簡潔な考察を行います。それは蕩減復帰歴史の間に、アダム・エバの堕落とエバのより大きい罪に起因することにより、天の母の存在がなぜ隠されていたか、その理由を論じます(6)。
その原因を理解するために、天の父母の永遠の創造目的と絶対的価値基準から始めなければならないという立場を取ります。これは統一原理の代わりに「神の心情原理」と呼ぶもので説明されます(7)。
人間の価値を論じることにおいて、我々は、人間が万物の総合実体相であり、そして霊的および肉的の二重の世界の天宙総合実体相であることが何を意味するか、明確に定義することから始めます(8)。」
「おしなべて、神を単数形で天の父母(HeavenlyParent)と呼ぶことは正しいです。
なぜなら、まだ創造を開始していなかったとき、神は一人であったことを意味するからであり、その起源(天の父母)から結果(天の父と天の母)の位置へ移行されたのです。
起源の位置において神を天の父母と呼ぶわけは、実際そうであったように、創造過程の終わりに、人間との関係において、天の父母の父性と母性を表すことが予期されていたからです。
したがって、人が天の父母に呼びかけるとき、調和された天の父と天の母と関係をもつことを願っています。
しかしながら、様々な理由で、我々は人間の父や母に接するように、明確に、天の父あるいは天の母の一方にだけ話しかけることもよくあるし、そうする事が許されるのです。」
誉進様の神観では、一神教の立場で創造以前のお一人の神様は認めている。(男性格?女性格?)
しかし、創造過程でそれは変容して、天の父と天の母の二神?に変わったとされ、
それに似てアダムとエバが創造されたというものである。
「まだ創造を開始していなかったとき、神は一人であったことを意味するからであり、その起源(天の父母)から結果(天の父と天の母)の位置へ移行されたのです。」
「起源の位置において神を天の父母と呼ぶわけは、実際そうであったように、創造過程の終わりに、人間との関係において、天の父母の父性と母性を表すことが予期されていたからです。」
詳細はリンク先を見てほしいが、彼女の天の父と天の母の関係性は同格、つまり対等・同等であり、したがってそれぞれ主体とならざるを得ない。
しかし、お父様はそのようには語らなかった。
『神様は男性格主体だと言ったでしょう? ですから、男性が中心です。なぜ男性が中心かというと、赤ん坊の種、生命の種をもっているからです。女性には赤ん坊の種がありません。それが核です。愛の種も、生命の核と接するためのものです。神様と一つになるためのものです。生命の種が神様でしょう? それゆえに、理論的で、核心的な定着点は、神様の愛と一致する所です。』
(1992年2月4日 文鮮明 「天一国主人の生活」より )
創造原理では、二性性相は主体と対象を予想し、
主体と対象は授受作用を予想する。
また授受作用は四位基台の造成を予想する。
二性性相 ⇒ 主体と対象 ⇒ 授受作用 ⇒ 四位基台 ⇒ 秩序
文誉進のフェミニズム神学は要するに
「神の本質は男性格のみの主体ではなく、対等である父母二性格主体であり従って天の父母様である」というものである。
二性性相の原理である主体と対象の格位性を破壊し、
主体と対象の授受作用原理を破壊し、
四位基台の秩序を破壊するサタン思想である。
二性性相 ⇒ 主体と主体 ⇒ 相克作用 ⇒ 四位破壊 ⇒ 無秩序
(三)存在世界では、主体と対象の原理が存在・作用・繁殖の基本原則
この宇宙は存在世界であることを私たちは知っています。それは誰もが認めています。存在するためには力がなければならないということを知っています。その力があるためには、力が先か存在が先かということが問題なのです。力がなければ存在もありません。ところが、その力というのは作用せずには現れないというのです。力が出る前に作用という現象が必ず必要です。
また、作用するならそこには力がある前に先行条件として主体と対象が絶対に必要であることが否定できません。この主体と対象がやり取りすることで働き、働くことによって力が存続するのです。つまり、力が出る前になければならないものが何かというと、主体と対象だということです。
「宇宙の根本は、力よりは、主体と対象の観念です。宇宙的根本は、主体と対象の観念で始まり、主体と対象には格位がなければなりません。主体格と相対格がなければなりません。その主体格が神様であり、相対格が人間です。神様は、なぜ人間を創造されたのでしょうか。神様は、主体であられるので、相対がなければならないからです。相対がいることによって刺激を感じ得るためです。何によってですか。美と愛と真理によって刺激を感じるので、人間を造られたというのです。」(67-50,1973.5.10)
「宇宙の根本は何ですか。宇宙は、何から始まったのですか。愛です。科学者たちは、「宇宙は力でできている」と言います。作用するのを見て、力があると分かるのです。力があって作用するのではありません。では、作用が先ですか、力が先ですか。男性が男性として成長する時は、愛の力は作用しないのです。
男性として作用しながら大きくなるのです。心と体が作用しながら、だんだんと成年になっていくのです。そして、女性に会う時に、横的な力が生じるのです。力が現れるには、必ず作用を経ていかなければなりません。力がある前に、作用があるというのです。それでは、作用はどこから出てくるのでしょうか。主体と対象の関係です。人も心と体、すべてのものがペア・システムになっています。この目も二つの焦点を合わせなければならず、鼻も焦点を合わせるのです。ペア・システムになっています。」(247-119,1993.5.1)
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