韓鶴子無原罪の嘘と家庭連合による反キリスト犯罪行為の繁殖 6
何故お父様はご自分のことを「真の父母」と言われてきたのか?
アダムとは真の父母です。そのお方があなたがたの血統を転換することができます。メシヤは人類を復帰することのできる力をもち、復帰されたアダムとして来られます。
(1980 年 12 月 31 日 ワールドミッションセンター 聖酒式前のみことば
文鮮明先生御言選集 1978~81 )
はじめに真の父母は神とともにあった 神の構想の中に真の父母は存在した
真の父母の思想は
創造以前から存在していた夜の神様の核心思想である。
真の父母という言葉は、創世以前からあった。
真の父母は夜の神様の創造構想の中で存在していた。
(1997年8月9日)
夜の神様に属するお父様にお母様を一体化させて昼の神様になれば天地人真の父母が現れる
「アダムとエバが本体のみ言葉を実践すれば、本体のみ言葉の実体となる。
本体のみ言葉の実体が本体的実体である。
本体的実体が昼の神様である。昼の神様は夜の神様の実体である。
昼の神様は、見えない夜の神様を見える神様となるようにする。
夜の神様は、昼の神様を通して実体があらわれる。
昼の神様と夜の神様が一体をなせば、本体的存在として天地人真の父母になる。」
(1997年8月9日)
「訓読会を熱心にするチャンピオンは誰ですか。
一番熱心にする人が誰ですか?神様です。真の父です。真の父です。
真の母も好きではないのです。一番好きなことは自分しかありません。
そうです。真の母の伝統を絶対に受けるのではありません。
真の父の伝統を絶対受けなければならないのです。
そうです。息子、娘が誰なのかといえば、真の父の息子、娘であって、
真の母の息子、娘ではないのです。
真の母は、管理の母です。管理の主人です。わかりますか?
育てて教育する主人なのです。
ゆえに創造の源、祖先は父なのです。」
(文鮮明先生御言選集303巻 P350〜351)
性相的男性格主体、すなわち父なる神の似姿に創られたのがアダムであった。
無形の神様が実体の神様を創ろうとされたのが人類始祖アダムであった。
そこでエバではなくアダムが堕落した時には 神の心に千秋万代に渡って消えることにない悲しみを与えたのであり、エバではなくアダムが神の心情を蹂躙したまさにその人であった。
アダムは実体の神様だが、エバは実体の神様の妻で形状的女性格対象だからである。
アダムは「生命の木」として喩えられてきた。「生命の木理想」とは完成したアダムのことであった。
その「生命の木理想の完成者」として降臨される方を旧約ではメシアと呼び、新約ではキリストと呼び、成約では再臨主と呼んできた。
ヘブライズムとは神から始まる男系男子の血統の相続のことである。
反キリストとはこの原理を破壊する者たちのことであり、家庭連合がそれである。
アダムの願い 創世記3章24節
「神は人を追い出し、エデンの園の東に、ケルビムと、回る炎のつるぎとを置いて、命の木の道を守らせられた。」
旧約の聖徒の願い 箴言13章12節
「望みを得ることが長びくときは、心を悩ます、願いがかなうときは、命の木を得たようだ。」
新約の聖徒の願い 黙示録22章14節
「いのちの木にあずかる特権を与えられ、また門をとおって都にはいるために、自分の着物を洗う者たちは、さいわいである。」
全ての人類の願いは、天の父であられる神の血統を持ったアダム型人物、すなわちメシアやキリストや再臨主につながり、サタンの堕落した血統から神の血統に転換することであった。
したがって、善悪知るの木であるエバ型人物、すなわち聖霊や神の精子を持たぬ真の母を求めてきたのではない。
聖書には「善悪知るの木」理想はない。
また、男性格主体ではない神は存在しない。
ところが、
「そうならば 創造主の神様は 万物世界を見て 人間世界を見て、男性格の主体ではない 天の父と天の母がいらっしゃって・・・・・
宗教の完成も 人間の完成も 宇宙の母 真の母 独生女を迎えられなければ、堕落した人類としては救いがありません。」
(2018年2月21日 韓鶴子)
人類歴史は神に似た神の実体のアダムの文化を目的として来たがエバ文化ではない。
「本来、人間始祖のアダムとエバが堕落していなければ、どのようになっていたのでしょうか。アダム家庭でのアダムは、族長となるのです。族長となると同時に民族長となるのです。また、国家の代表者となってアダム王となるのです。したがって、この世界はアダム主義一つに統一されていくのです。つまらない主義が出てきて世界を撹乱しているので、私たちはこのような主義を根元から抜き取ってしまわなければなりません。
主義もアダム主義、言語もアダム言語、文化もアダム文化、伝統もアダム伝統、生活様式もアダム生活様式、制度もアダム制度、すべてのものがアダム国家の理念制度にならなければなりません。このような主義が「神主義」です。神様の心によって神様と一体とならなければならないので、「神主義」というのです。」
(天聖経 環太平洋摂理 P1839〜1840)
アダム文化を排除して堕落エバ文化を創造する家庭連合は異端の極致
「生命の木」である完成したアダムと結婚して神の子を産めば「善知るの木」となり、
サタンと不倫結婚してサタンの子女を産めば「悪知るの木」となる。
つまり、「善悪知るの木」であるエバにとっての最重要事項は、
神が定めたアダムである「生命の木」を主体として、彼の対象格位を保ち、「善のみを知る木」として完成することである。
「それで、聖書にはエバを象徴して、善悪を知る木というのです。善悪を知る木とは、女です。そして、木の実とは女のそれをいうのです。なぜ善悪を知る木というかというと、女は、善になれば善の実になるし、悪になれば悪の実にもなるのです。」
(16万訪韓女性修練会のみ言)
だが、韓鶴子は独生子より独生女が偉大だという誘惑に乗って禁断の木の実を食べてしまった。
「 一度、主体になってみたい思いがしますか、しませんか? しないと言う者は、みんな嘘つきです。なぜ男が主体かと考えたことがありますか? なぜ男が主体ですか、君たちはなぜ客体ですか? そんなことを考えたことないのですか? たくさんの女たち! 男が主体になる資格は、子供の種を持っているからです。神様と同じようにです。だから主体というのです。そういうような創造原則、原理においての結論を出して、堂々とその主体を認識してやるのが、自分自身の高まる基台になるのです。客体なくしては、主体もなくなってしまうのです。分かりましたか? (はい)。」
(16万訪韓女性修練会のみ言)
独生子とは、堕落世界の中にある我々にとっては「原罪を持たない神の子」という意味合いに関心が注がれやすいが、創造本然の世界においては「神の心情と血統の相続者」という意味が重要なのである。
韓鶴子は神の血統の相続者ではない。
また韓鶴子は神の血統を自らは相続させることができない。
韓鶴子は神の血統が空っぽである。内容がない。
原稿には中身があるが、コピー機にはその中身があるわけではない。
だが、原稿を正確に鮮明に写すことができるほど、コピー機は性能を評価される。
韓鶴子も神の血統を独生子から絶対精子を受けてどれほど忠実に再現することができるかが本来の使命であった。
お父様に似た子女様はたった二人であった。
神の絶対「性」、神の絶対精子、神の血統のあるところに神は臨在される。
家庭連合は知らなければならない。
絶対子宮として神の絶対精子を着床させ、神の血統を繁殖するのが、
再臨主に教育され再創造された独生女の本来的使命である。
「それをみんながはっきりと明らかに知らないと、女の立つ所も、男の立つ所もはっきりしません。分別されて立つ所がはっきりすることによって、秩序が整頓されていくのです。秩序が反対になった場合には、いくら多くの人々が良いとしても、みんなそれは放棄物になるのです。分かりましたか? みんな整頓して、正規の条件に合うようにしなければなりません。何でもって条件を分別するかというと、主体・客体関係によってです。」
秩序が反対になった家庭連合に残っていれば、
「いくら多くの人々が良いとしても、みんなそれは放棄物になるのです。」
私は神様の愛を全部独り占めした独生子だ。』と
主張するような陶鋳(教祖)がいれば、
その人は陶鋳(教祖)の中でも王陶鋳(教祖)です。」
1971年1月8日(金)議政府(ウィジョンブ)教会
人生の行く道 -全国巡回集会 議政府地区で語られたみ言葉ー
文鮮明先生御言選集38巻P256
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