原理講論を読む

日常生活の中で 考える糸口を求めて

韓鶴子の無原罪独生女神学サタン教を斬る!!! テネシー新清平誕生を祝して 2

、アダムとは何者か?
 
あなた達は誰がアダムであるか知っているのか? あなた達、このスピーチ(天地人真の父母定着実体御言宣布天宙大会)のタイトルの意味もわからずにこの場に来ては去っていく者達よ。」
(2012年1月4日 天正宮、安侍日の訓読会)

 

(一)アダムとは実体の神様

 

本当は、未来の実体の神様の現れを目標としてアダムを造った。だからアダムは実体をもった神様である。この世界を造った、創造したすべての、その主管というものは、完全に知らなければできない。完全主管をなすには、その創造したる神以外に完全主管はできない。完全に知らないというと完全主管はできないから、完全に知っている神以外にない。だから神以外は完全主管はできない。アダムは被造物である。被造物自体が創造の全般をつかさどって、それを完全主管するということは不可能である。だから、そのようなアダムを前に立たせて、そのアダムの中に神直接臨在して、アダムという肉体を、神の共鳴体と同じような立場に立たせて、神直接この大宇宙を主管しようとした。 

(祝福家庭と理想天国Ⅱ 血統的転換 P64 1970年10月13日)

 

(二)アダムとは神の普遍相的生霊体を持つ独生子である。

 

アダムの生霊体は神様が完全に臨在される唯一の生霊体という意味で独生子と言われる。

われわれ一般の男性には神は完全にではなく部分的に臨在される。

神が完全に臨在されるには個別相的に造られた生霊体では不十分である。

一から全ての人が生まれるためには特別な全ての個性真理体が生まれる完全な生霊体である必要があったと思われる。

言うなれば、個別相的生霊体ではなく、普遍相的生霊体である。

 

 6−2 イエスは第二アダム
アダムに注入しておいた神様の霊、つまり、生心を中心とした霊人体の中で、神様から与えられた生霊体は、罪を犯したアダムの体にいることができないため、神様が取り上げられた。その霊は、神様の右側にあって、その後、第二アダム格に送られたのであるが、それを受け取った方が、独生子(独り子)イエスであった。ここで、独生子という名詞が明らかになるのである。
こうして、イエスは、第二アダムとして、完全に成熟した姿で人々の前に現れ、福音を伝え始めたのである。その目的は、人々を神様の前に復帰し、堕落前の神様の子女とするためであった。(テオン訳 原理原本)

 

独生女とは、アダムの持っている神の血統をアダムの相対として子孫繁殖する唯一の女性の意味であり、女メシアの意味はない。 

エバの生霊体は、罪を犯したエバの体にいることができないため、神は取り上げたか?

そのようなみ言はない。

 

(三)アダムが主体である理由は子供の種を持っているからである。

「一度、主体になってみたい思いがしますか、しませんか? しないと言う者は、みんな嘘つきです。なぜ男が主体かと考えたことがありますか? なぜ男が主体ですか、君たちはなぜ客体ですか? そんなことを考えたことないのですか? たくさんの女たち! 男が主体になる資格は、子供の種を持っているからです。神様と同じようにです。だから主体というのです。そういうような創造原則、原理においての結論を出して、堂々とその主体を認識してやるのが、自分自身の高まる基台になるのです。客体なくしては、主体もなくなってしまうのです。分かりましたか? (はい)。」
(1993年12月19日 韓国・済州研修院)

 

天の父が持つ絶対精子をアダムも持っているので主体であり、

絶対精子を持たぬ韓鶴子は空っぽの対象、客体である。

韓鶴子には神の血統のもとである絶対精子がない。

だから主体に立つことができない。

 

(四)アダムとは神のみ言を主管する者 

① 神のみ言とアダム、神のみ言(戒め)とエバ

 

創造原理からみた神とアダムとエバ と天使長及び神のみ言(戒め)

 

神のみ言葉の伝達は、神 ⇒ アダム ⇒ エバ

神 ⇒ エバ はない。

もしエバが直接に神から「取って食べるな」と言われていたら、

堕落した天使長である蛇に「本当に神様がそう言われたのですか?」

と言われたとしても動揺することはなかったはずである。

エバが動揺したということは、

アダムから間接的にのみ、神のみ言を聞いていたことを意味している。

もしエバが直接神から聞いていたら、神の戒めのみ言が何かをはっきり知っていたはずだからである。

 

アダムは性相的存在なので神と神のみ言に直接相対することができたが、

エバは形状的な存在なので神と神のみ言に直接に相対することができなかった。

エバはアダムを通してのみ、神のみ言を知る存在であった。

だが、エバはアダムとよりも多く授受作用していた天使長を頼もしく思っていたので彼の言葉を信じた。
エバは正しい善の主体の言葉を信じれば善の果を結び、
偽りの主体の言葉を信じれば悪の果を結ぶ存在であった。
言葉の真偽を自分では判断できず主体の判断に委ねざるを得ない立場である。

 

韓鶴子はお父様のみ言より、天使長たち側近の言葉を信じるようになった。

実体の神様のみ言を不信したので、韓鶴子エバが堕落したように霊的堕落と肉的堕落が次々に待ち受けていて、ついにはバビロンの大淫婦として後世に名を残すようになってしまったのである。

 

性相的アダムは神のみ言を語ることができるが、

形状的エバはアダムを通して得た神のみ言を証し語ることができる。

すなわち「助け手」であり、主体を証す対象である聖霊である。

 

エバはアダムが語らなかった真理の内容を語ることができない。

それゆえ、韓鶴子世界平和女性連合の総裁としてエバの言葉ではなく、

アダムであるお父様のみ言を代弁して語ってきたのである。

 

厳密に言うならば、アダムは「神のみ言」を語るが、

エバは「信仰的なお言葉」を語ることができても、

神のみ言を直接に神から聞いて語ることができない。

 

それが実体の神様であるアダムと実体の神様の妻であるエバの違いなのである。

それが勝利された康賢実オモニと堕落した韓鶴子との決定的な違いである。

だからわれわれは康賢実オモニを衷心から敬愛することができるのである。

康賢実オモニが語る内容にはお父様と一致しないものはない。まったくない。

 

② 韓鶴子は原理を知らない。何も知らない。

 お母様(韓鶴子女史)が原理を知っていますか? 原理を知らないのです。何も知らないのです。それを教育しながら引っ張ってきて、夫の役割も果たさなければならず、家長の役割も果たさなければならず、氏族長の役割も果たし、宗教圏の代表、天の全権を中心とした代表責任者として立っているというとき、どれほど深刻か分かりません。

(2001年4月18日『文鮮明先生御言選集』344-269 )

 

 ③ 韓鶴子は御旨を知らない

 お母様になれる人は、み旨をすべて知って来るのでしょうか。知っていてはいけません。何も知らない人でなければならないのです。何も知らない人を育てていくのです。それで、サタン世界から連れてきたのですが、連れてきたからといってそのまま天の基準には立てません。ですから、サタン世界から一歩一歩ここまで蕩減してこなければなりません。

(1974年9月22日『文鮮明先生御言選集』73-242 ) 

  

④ 韓鶴子が語ってきた代表的な内容は韓鶴子の言葉ではなくお父様のみ言であった。

 

韓鶴子がどんな真理のみ言を復帰して来たことか?

そんなものは何もない。血統転換の原理を全く解せぬ女がこの独生女である。

 

「女は、かわいそうです。歴史以来、今日まで、女の世界には代表がいなかったのです。陰とか暗闇とかの真っただ中で、行く方向も知らないで、男たちにいじめられ、迫害されながら今まで生き残ってきたのも偉いことです。それを、世界的に初めてお母様を前にして、「女性解放を宣布いたします」と。それは誰がしましたか? お母様がしましたか、先生がしましたか? 誰がしましたか? 発表はお母様がしたのだけれど、その内容は、先生がしたのです。
(1993年12月19日 訪韓女性修練会「真の自分を探しましょう」 韓国・済州研修院)

 

そしてお父様からなんびとといえどもみ言に手を掛けてはならないと言われながら、

韓鶴子がお父様と一体化していると万民を騙して権勢を振るいやすくする自分の経典を作ったのである。

それこそがお父様のみ言を改竄して出来た赤色天聖経であり、

赤色真の父母経であり、赤色平和経である。

サタンが真っ赤に染めてしまったのである。

 

(五)神様は縦的な父であり、アダムは横的な父

 

確かに「天の父母」という表現はみ言には随所に見られる。

しかし、神様は天の母だというみ言はなぜないのか?

天の父と天の母を両方出すことはあるでしょうが、単独に神様は母だというみ言は見たことがない。

 

神様は縦的な父であり、アダムは横的な父です。この縦と横が真の愛で一つにならなければなりません。私たちの体も、神様の真の愛を中心として縦的に一つになるようになっています。心と体が、主体と対象の関係において、神様の真の愛の核を中心として一つになるようになっているのです。アダムとエバもそのような立場であり、そのようになったものが個性真理体だというのです。

(1988年2月21日『文鮮明先生御言選集』173-287)

 

「神様の父格の愛に対し、相対的立場にあるのが男性であるがゆえ、これは垂直関係です。」

 

「神様は二性性相の中和体であると同時に、格としては男性格をもっています。神様の父格の愛に対し、相対的立場にあるのが男性であるがゆえ、これは垂直関係です。垂直関係。女性は垂直関係ではありません。女性は何でしょうか。垂直の相対となる横的関係なのです。神様の人格を中心として格に従って見るとき、男性は縦的関係である上下関係であり、女性は左右関係である横的関係です。それでは縦が先でしょうか、横が先でしょうか。縦が先なので先の位置に近づこうとするのが、すべての自然の道理が追求して求める道なのです。それゆえ神様の愛を中心とすると、娘よりも息子なのです。こうしてこそすべて整理されるのです。」  (真の神様 P29)

 

 

(六)男は神様の性相の実体、女は神様の形状の実体

 「第二に夫婦が一つになったとすれば、見えない神様の形状と性相が一つになったと同じように、実体的に引き出して、男は性相の実体、女は形状の実体として、見えない神様の実体圏が見える実体圏となるのです。それはプラス・マイナスであり、例えば心と体と同じように、神様の見えない実体と神様の見える実体の、性相・形状一体圏は良心と同じです。分かりましたか? (はい)。」
(1993年12月19日 韓国・済州研修院)

 

文誉進様の神観の要約を「性相的二性格主体」であると見れば、

性相と形状の関係性が、原因と結果や主体と対象であることや、

陽性と陰性の関係性が、やはり原因と結果、主体と対象であることを否定することになる。

それは原理的な関係性と、原理的な関係性による本然の秩序の破壊行為である。

それどころか、統一原理そのものを否定することになる。

授受法が間違いだと言うに等しいからである。

 

(七)アダムとは真の父母であり、アダム文化を造る者である。

 

アダムとは真の父母です。そのお方があなたがたの血統を転換することができます。メシヤは人類を復帰することのできる力をもち、復帰されたアダムとして来られます。」

1980 年 12 月 31 日 ワールドミッションセンター 聖酒式前のみことば 

御言選集 1978~81 

 

 

「 神様の愛と、神様の生命と、神様の血統を中心として、天地の創造主である父母に侍りうる、永遠な血族になるべきなのにもかかわらず、アダムが真の父母になるべき権限を失ってしまったことが分かりませんでした。そして、堕落しなかったら、一つの文化であったでしょう。アダム文化です。アダム一族です。こうすることによって、一つの王権が成されるのです。」

天聖経  真の父母 第3章 真の父母の必要性  8)選挙で選出できない真の父母

 

「本来、人間始祖のアダムとエバが堕落していなければ、どのようになっていたのでしょうか。アダム家庭でのアダムは、族長となるのです。族長となると同時に民族長となるのです。また、国家の代表者となってアダム王となるのです。したがって、この世界はアダム主義一つに統一されていくのです。つまらない主義が出てきて世界を撹乱しているので、私たちはこのような主義を根元から抜き取ってしまわなければなりません。
 主義もアダム主義、言語もアダム言語、文化もアダム文化、伝統もアダム伝統、生活様式もアダム生活様式、制度もアダム制度、すべてのものがアダム国家の理念制度にならなければなりません。このような主義が「神主義」です。神様の心によって神様と一体とならなければならないので、「神主義」というのです。」
 (天聖経 環太平洋摂理 P1839〜1840)

 

 

(八)天使長の目的と神の目的を共に完成した位置に立つものがアダムである。

 

「神と天使長、あるいは神とアダム、こう見れば、一対一の立場において縦的関係である。上下関係である。それは一点にとどまる。天使長が中心点に立った所は、神も立たなければならない。 なぜ、相対圏を必要とするかといえば、共に横的基準を広める、中心を中心として相対圏を求める、相対圏は面積が必要である。ここにおいて横的な基準がつくられる。縦的な関係を横的に適用しよう。それが創造の目的である。もしも、神と天使長、神とアダムという立場から見た場合には、すべて完成した場合に、中心点は一つにとどまる。その縦的一点を横的に広めるためにエバを造った。だから縦的な愛が横的な愛に展開される。 アダムという存在は、天使長の目的完成の位置に立つものである。神の理想の中心者として立つものである。だから、天使長の目的と神の目的を共に完成した位置に立つものがアダムである。そのアダムという立場を、縦的な神の愛を刺激的な二重相対者として、横的に立たせたものがエバである。それが再び一つになった場合には、縦的な愛の力が横的につながることができる。だから、そういう立場を堕落のために成し得なかったのだから、この立場を再び復帰してくるのが、今までの歴史の摂理である。まず、天使界を神が創造したと同じように、天使的な使命を完成させなければならない。その次に、アダムの目的完成がある。アダムというものは、神の相対者の立場に立つべきで、神の理想の完成者として立ったならば、そこにおいて、縦的な愛の理想が横的に展開される、それが創造の相対世界である。神を中心とした天国である。 

(御旨と世界 P198~199 我らは何故苦労しなければならないか 1972年9月11日 韓国 京畿道:水沢里)

 

(九)アダムは天使長たちが教育しなければならない。

神からみ言をアダムより先に与えられていた天使長とは、アダムよりみ言を知る者のことである。しかし、そのみ言は天使長のものではなくアダムが所有すべきものであった。預かりものであった。所有権を返還すべき責任が天使長にはある。

だが、忠誠の何たるかを知らなかった36家庭は過ぎ去っていった。

そこで、護られるべきはずだったアダムの子女様たちはことごとく試練の渦中に立たされることになっていった。

 

アダムは誰が教育しなければならないのでしょうか。神様が教育するのではありません。天使長たちが教育しなければなりません。保護育成しなければなりません。結婚するときまで大切に、傷つかないように管理指導して教育すべき責任が天使長にあったのです。その原則に統一教会も従わなければ蕩減復帰完成ができないので、私は三十六家庭を立てて自分の息子以上に愛しました。」 

(真の神様 P172)

 

 

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