原理講論を読む

日常生活の中で 考える糸口を求めて

中和的主体になっている。それ、何ですか? それは何の話ですか? それ、間抜けです 文鮮明

前回の補足です。

 

皆さん、創造原理で統一教会の食口たちがいつも原理講義する時、神様は、二性性相の主体として格位においては中和的存在になっていると簡単に語るでしょう? 中和的主体になっている。それ、何ですか? それは何の話ですか? それ、間抜けです。

(祝福63 「世界統一開天国の関鍵が何なのか」  1989・10・3)

 

 

中和的というのは、主体的でないということです。

ある意味、中和的とは女性的であり、主体的とは男性的です。

中和的とは自分が引き下がって合わせるということです。

対象的であります。

ですから、この中和的主体という表現は矛盾していて意味不明なところがあります。

 

神様は二性性相の中和的存在だというでしょう。中和的立場で愛を中心とした統一的存在ということは今まで話さなかったのです。そこに愛を中心とした統一的存在だということをつけ加えなければならないのです。

(真の神様P21)

 

 

統一的だというのは、主体的だということです。

主管的だということです。

ある意味、統一的とは男性的であり、中和的とは女性的です。

統一的とは天下統一の言葉のように、働きかけるというニュアンスがあります。

ですから創造以前の神様は、御自分以外のことは考えも働きかけもしないということで、ある種の利己的な自己完結的な神様でしたが、

 

創造を始めた時から「愛を中心とした統一的存在」になられました。

 

真の父母の思想は
創造以前から存在していた夜の神様の核心思想である。
真の父母という言葉は、創世以前からあった。
真の父母は夜の神様の創造構想の中で存在していた。

 (1997.8.9)

 

ご自身が既に天の父母であるなら、創造以前に真の父母を構想する必要があったでしょうか?

構想されたということは、その時の神は天の父母としての神ではなく、

父なる神であったということです。

父なる神から、真の父母を創造して、お二人に臨在されることを構想されました。

 

創造以前の 神様を神性格本体としますと、私的な悟りの表現としては良いでしょうが、もし教義的理解を共有したいというのであれば、この「神性格本体」があってもなくても、この表現によって神様の何かを特徴づけることは難しいように思います。

 

わたしはとてもこの兄弟の活躍に期待しています。

ひらがなの詩は中山みきの「おふでさき」を思い起こさせます。

日本の歴史と文化を愛する精誠が大きく神様に用いられることを願っています。

 

(参考)

夜の神様と昼の神様を創造の二段階に分けて理解してみてはいかが? - 原理講論を読む

 


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