原理講論を読む

日常生活の中で 考える糸口を求めて

江利川会長にサタンが入った! お父様の勝利の聖和を、敗北の十字架に貶めた成約の同時性は讒訴条件


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江利川会長はあの成約の同時性、お父様が失敗して死に至ったという反キリスト思想を日本のサンクチュアリに蔓延させた。この罪は重い。

もし、あのとき早々に回心して、出版したのは間違いでしたと返金回収すると公表すべきであった。

永田先生はあの同時性がおかしいことを見抜いたが、あまりにも義憤に駆られ、

会長と1週間後には会う約束をしていたのに、約束後も大いに批判を展開し信徒に訴えた。これは反則である。

生田さんのときに同席していた永田先生は、会長が誠意を持って一日でも時間を割いてくれることは知っていたはずである。

その時の生田さんを批判した永田先生は同様の態度を取った。

わたしは本当に驚いた。

当時永田先生は何度もわたしにこの件について連絡してきていた。

わたしは日本聖殿所属でないので、

「永田先生、それは日本聖殿の問題だっから先ず日本聖殿で解決するよう努力されてはどうですか?」と言った。

それに対して、永田先生は反対して、

「この問題はもう日本聖殿だけの問題じゃない。日本全体の問題です。」と言った。

なるほど、たしかにそう思うが、順序があるだろうとわたしは考えていた。

彼は独立系の人たちも含めて、しっかりとした批判集あるいは批判書をまとめたいので協力してほしいとのことだった。

その話は両者が会談してその結果どうなったかで考えようということで収まった。

今にして思えば、どうも日本聖殿の主な批判者には、もう少し切り込んだ原理的な説明をされていた方がいなかったように思う。

お父様を失敗者にされてしまうという霊的直感に心が恐怖に震えていたのかもしれない。

一週間過ぎた後でわたしから会談はどうなりましたか?と聞いたが、会わなかったという返事であった。

会えば永田先生がわかりやすくその問題を説明されて、廃版回収など丸く収まるだろうと思っていたが、解決はうやむやになり、また、両者が話し合いをしなかったので、万一決裂したときには永田プランに参加する道もうやむやになった。

 

さて、摂理的同時性とは、

1,既に歴史的に確定している過去の事実に基づいて原理的にはこう解釈できるというものである。確定的事実が決定してから初めて解釈は成立する。未来予測はしていない。歴史の確定的事実から既に再臨主が降臨しているはずだという話になる。

 

勿論、歴史は繰り返すというのが復帰摂理が延長されて来たこともあり、そのことに関係して繰り返しているような現象は起きるだろう。そこで、未来もある程度予想することは不可能ではないが、その予想通りなるか否かは人間の責任分担の履行次第で変わってくる。予定論を出すまでもないのだが、キリスト教のような決定論を統一原理は否定している。したがって、必ずこうなるとは言えない。言えるときにはそうなる諸条件が揃っているときだけである。その諸条件をお父様は知っているがわれわれが知るのは非常に難しい。

 

2,摂理的同時性とは神の失敗の履歴書である。

神の失敗とは、人間世界の失敗とは異なる。神の責任分担である95%を100%達成したが、パートナーである人間が残りの5%を尽くさなかったため、復帰摂理が共同作業であるために、人間の責任分担不履行による失敗は、そのまま結果として神の失敗にもなるという意味である。

 

わたしは摂理的同時性が大嫌いだ。復帰された頃は凄いなあ、生きた神が歴史を導いてこられたのかと感動したものだが、はて待てよ、これは神様自体は常に御旨に完全投入されてきたのに、人間によって失敗者にされて来てしまったのだから、これはなんという悲劇だろうか!と捉え方が180度変わっていった。

人間の立場から見れば喜びだが、神の立場から見れば苦痛であるのが同時性ではないか?

中村さんは、お父様がオモニを教育することに失敗したとして得意げに十字架を示す。

とんでもない反キリスト原理観である。150回以上講論を読んで何を学んできたのか?

お父様も神様と同じく、ご自身の95%の責任分担を100%果たしているのに、韓鶴子が残り5%を果たせなかったため、一体化に失敗したという意味である。

否!、違う。韓鶴子は5%ではなく、3%で良かった。では、2%は誰が肩代わりしたのか?もっと気前よく3%肩代わりして残り2%にしたら、韓鶴子がそれを勝利したと言えるだろうか?3%がお父様で2%がオモニなら、お父様がしたことになり、オモニの勝利にはならない。

お父様はご自分が果たすべき100%の責任以上を果たしている。これは確定的事実である。

 

原理講義ができるのと、実際の問題に原理を適用したり、応用したりできるのは全く別のことである。

そのような、原理講師が何万もできたことをお父様は深く嘆かれている。

 

3,統一原理では十字架は敗北を意味し、3日の地獄の試練を克服した復活が勝利を意味する。十字架=聖和ではない。であるからこそ、十字架は神様とイエス様の恩讐であるとお父様は語られてきた。実際に十字架を教会から下ろすことを良しとされてきた。

 

再臨主であるお父様にして言えることだが、

エス様はゲッセマネの祈りで、「父よ、願わくはこの盃を過ぎ去らせ給え!」と祈られた。これが禍根の一言だという。神とイエスが一心同体であるはずなのに、分離して二心になったことをこの言葉は意味する。次に「わが神、我が神。何ぞわれを見捨て給もう。」イサク献祭を知っておられたであろうイエス様は、従順に屠り場に引かれていけば、イサクのように生きる道を神が示されるとお考えであったようだ。

たとえ後半に神の栄光を称える聖句が出てこようとも、それを言ってはならなかった。

おそらくはローマ兵の槍で突かれたのはそのためではないかと思われる。

エス様は十字架上で完全勝利をなされなかった。

それゆえ、十字架に至った失敗と十字架上の失敗がある。

しかし、神に委ね神の栄光を讃えて勝利した姿で天に行かれた。

 

 

キリストと再臨主にしかわからない心情の絶境基準がある。

 

成約時代の摂理的同時性

 

   韓鶴子オモニと祝福家庭の不信が

   再臨主の十字架(聖和)を招いた!

 

注)赤字とその太字化はブログ主が施した

 

中村さんはお父様の聖和を失敗の象徴と見ている。

言葉では特にオモニの不信や食口の不信が十字架の理由だというが、

聖和を十字架と捉えている彼に違和感を持つ者は、

本当はお父様がオモニを教育することに失敗したと言いたいのだと十字架という表現に強く感じてしまうのは何故であろう?

王様は夫婦が二人してサンクチュアリに来れず、一人でしか来れないのはおかしいと話されたことがあった。

しかし、もしお父様ですら妻を教育できなかったとしたら、

自分が妻を納得させる事ができず一人でしかサンクチュアリに来れなくても無理もないことだという救いが潜在意識下で働いているのではと邪推してしまう。

隠れた動機がないことを祈る。

わたしも含めて人は誰でも失敗をする。

赤い天聖教の翻訳に携わってきた抱えきれない蕩減を払拭させてあげるため、

神は大きく取り戻す実績をあげる道を彼のためにお考えなのかもしれない。

お父様はオモニを教育してきたとたくさん語られてきたが、

それに反して、オモニはお父様にも誰にも教育されたことがないと何度も否定している。

オモニの不信には、お父様による自らへの教育の否定もある。

 

心霊の高いクリスチャンを見つける一つの目安は、

その方が十字架に重きを置いている信仰か、

それとも十字架を超えて勝利して復活した栄光の主に重きを置く信仰の、

いずれをその言葉に見ることができるかで伺い知れる。

もしかしたら、単に中村さんは十字架の主と復活の主の違いをはっきりと認識していなかったのかもしれない。善意にとればそういう見方もありかもしれない。

 

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中村さんには、御言葉の解釈に関して癖があるようだ。

その点を家庭連合に批判されている。

まるで、左翼が切り貼りして全体の主張を歪め、左翼が言いたいことに都合いいように編集するのにも似ている。

 

(1) 「家庭連合の神観は『天の父』と『天の母』の二元論の神」と批判する誤り
① 「天の父母様」は真のお父様のみ言であり、〝一元論の神〟である
 中村仁史氏は、1988年10月14日の真のお父様のみ言を、次のように翻訳します。

 「神様は1人ですか、2人ですか?(「2人です」)。何ですか?(「天の父と天の母のお2人です」)。それが2人ですか、1人でしょう? 2つの性稟が入っているのです。(あなたには)良心がありますか、ありませんか?(「あります」)。体がありますか、ありませんか?(「あります」)。その2つが一つになって1人の女性です。(神様は)性稟は2つありますが、体は男性的主体としていらっしゃるということです。その男性格主体というのは何ですか? 女性格主体がいれば、また他の男性格主体がいなければならないという話になるので、二元論になるというのです。二元論にひっくり返ります。ですから、永遠に一元論になろうとするので、(神様は)この男性と女性の中和体として主体的な性稟をもつ男性型としていらっしゃるということです」 (マルスム選集182-61、中村仁史氏の翻訳は茶色の文字で表記)

 この中村仁史氏の翻訳は、正確ではありません。部分的に省略したり、意味合いを変えたりしています。そのように改ざんする目的は、「天の父と天の母」という神観を、真のお父様が〝問題視〟しておられるかのように読ませるためです。中村仁史氏が翻訳する際、彼が省略し、意味合いを変えて表現した部分を以下、青い文字で示します。

 「神様は1人ですか、2人ですか? (「2人です」)。ですか? 神様は1人…。朴ヂョンミンなのか、何と言うヂョンミンなのか、2人だと言うの? (「天の父と天の母のお2人です」)。それが2人ですか 1人でしょう 2つの性稟が入っているでしょう。その朴ヂョンミンは(あなたには)良心がありますか、ありませんか? (「あります」)。体がありますか、ありませんか? (「あります」)。それは2つですが、合わせて朴ヂョンミンという(体は)1人の女性です。 (それと同様に神様は)性稟は2つありますが、体は男性主体としていらっしゃるということです。その男性格主体というのは何ですか? 女性格主体であれば、どれほどいいですか。女性格主体がいれば、また他の男性格がいなければならないという話になるので、二元論になるというのです。分かりますか? 二元論にひっくり返ります。ですから、永遠に一元論になろうとすれば、 (神様は)この男性と女性の中和体として主体的な性稟をもつ男性としていらっしゃるということです」 (マルスム選集182-63、青い文字は、中村仁史氏が削除したり、意味合いを変えて翻訳した部分)

 上記が、より正確な翻訳になります。この翻訳文から分かるように、このみ言は、神様が〝唯一のお方〟であるにもかかわらず、朴ヂョンミンという女性が「神様は2人です」と語ったため、真のお父様は、神様が〝唯一〟であることを彼女に教え諭そうと語っておられるものです。真のお父様は、朴ヂョンミン氏が「神様は2人です」と答えたので、なぜ「2人だと言うの?」と聞き返しておられます。そこで、朴ヂョンミン氏が「天の父と天の母のお2人です」と答えたため、真のお父様はそれが2人ですか? 1人でしょうと指摘しておられます。すなわち、真のお父様は、神様が「天の父と天の母」であるとしても、それは「2人」に別れて存在するではなく、男性と女性の中和的主体として存在され、「1人」なのだと語っておられるのです。
 ところが、中村仁史氏は、彼独自に翻訳して意味合いを変えたみ言を用いて次のように批判します。

  (「天の父と天の母のお2人です」という)この神観これがいわゆる二元論だと、こういう神観だと二元論になっちゃうじゃないかと。本当の神様はそうではないと。一元論の神様だと。……お父様の神観といわゆる家庭連合の神観、サタンが植えつけたいと思っている象徴的な神観がここに出てくるわけです。一元論から二元論にしたいわけです。……2014年10月27日、 (お母様が)独生子と独生女は同等ですと言うことを正当化するために私たちの神観をずらして二元論にして、これを受け入れさせるようにした、下地ですよね。これが狙いです」 (映像27分54秒〜29分05秒をディクテーション)

 中村仁史氏は、み言の一部を削除し、意味合いを変えるなどした翻訳文を用いて、 (「天の父と天の母」という)この神観……こういう神観だと二元論になっちゃうじゃないかと」述べ、真のお父様が「天の父と天の母」という考え方それ自体を問題視しておられるかのように語っているのです。しかし、これは悪意に満ちた〝詐欺的な批判〟です。真のお父様が問題としておられるのは、朴ヂョンミン氏が、神様は「2人です」と語ったことに対してであって、神様が「天の父と天の母」であることについてではありません。真のお父様は、朴ヂョンミン氏が「天の父と天の母のお2人です」と答えたことに対し、 それが2人ですか? 1人でしょうと語っておられるのです。

 『原理講論』は、神様について「父母なる神」 (61ページ)、 「人間の父母としていまし給う神」 (91ページ)、 「天の父母なる神」 (235ページ)、 「神は、霊的な父母として、人間を実体の子女として創造された」(429ページ)等々と論じています。神様は唯一なるお方ですが、「天の父」と「天の母」すなわち「天の父母」なのです。
 真のお父様は、神様が「天の父母」であることを明確に語っておられますし、『平和神經』に収録された「霊界報告書」の表題に「神様は人類の父母」と明記しておられ、また「天基元年」を宣布された2010年の「真の神の日」の祈祷で、神様に対し「天の父母様(하늘부모님)」と呼びかけて祈っておられます。(注、これらの詳細については、すでに「『神は天の父母様である』ことを否定する中村仁史氏の言説の誤り」で論じていますので、それをお読みくださいhttps://trueparents.jp/?page_id=5749)。

 簡潔に述べると、真のお父様は、 「神様が自分の二性性相を展開し、神様の形状どおり万宇宙を造り、人間を造ったのです。アダムは神様の男性的性稟を展開させたものであり、エバは神様の女性的性稟を展開させたものなのです。このように見るとき、私たち一般人が普通『天のお父様!』と言うのは、お一人ですからそのように言うのでしょうが、そのお一人という概念の中に『天のお父様お母様』という概念が入っているというのです」 (八大教材・教本『天聖經』1421ページ)と語っておられます。
 また、 「真の父母は地上の父母であり、神様は天の父母であるのです」 (マルスム選集170-239)と語っておられ、さらに「神様が父ならば母なる神がいなければなりません。分かりますか? (「はい」)天の父母というときは必ずおふたりなので、統一教会では、二性性相の中和的主体であると同時に、格としては男性格としておられるというのです」 (同、388-155)とも語っておられます。

 すなわち、神は唯一であり、一元論であるのは言うまでもありません。しかし、『原理講論』に「第一原因としていまし給う神も、また、陽性と陰性の二性性相の相対的関係によって存在せざるを得ない……神における陽性と陰性とを、各々男性と女性と称する (46~47ページ)と明記されているように、唯一なる神の中に男性と女性があるのです。それに基づいて、真のお父様は、神様に対し「天の父母様」と呼びかけて祈っておられ、かつ「神様が父ならば母なる神がいなければなりませんと語っておられるのです。それにもかかわらず、中村仁史氏は「家庭連合の神観は『天の父』と『天の母』の二元論の神」だと批判します。もし、天の父母という概念が〝二元論〟であるというならば、真のお父様ご自身が〝二元論〟を語っておられるという、とんでもない主張となってしまうことを知らなければなりません。

 中村仁史氏は、真のお母様や家庭連合をおとしめようと、真のお父様のみ言の意味合いを変え、それを批判に用いています。真のお父様のみ言の意味合いを変えて、真のお母様批判に用いること自体、極めて不誠実であり、中村仁史氏は翻訳者として失格です。これは〝魂を悪魔に売り渡す行為〟であると言わざるを得ません。
 真のお父様は、「神様」について、次のように語っておられます。

 「神様の性相は、男性格である父なる神様と女性格である母なる神様から成っています。ですから神様から造られた人間と被造世界が、男性と女性の二性の神様でもあります」 (八大教材教本『天聖經』1114ページ)

 さらに、真のお父様は「天の父母様」について、次のようにも語っておられます。

 「私たち人間には一つの天の父母がいます。その神様は二性性相になっているので、私たち人間も二性性相です。万物もプラス・マイナスの型の二性性相になっています」 (マルスム選集26-188)

 真のお父様は、神様が「天の父母様」であること、および神様の中に「天のお父様」「天のお母様」がおられることを数多く語っておられます。すなわち、 一つの天の父母と語っておられるように、それは「父なる神様」「母なる神様」「二性性相の中和的存在」であり、 「統一的存在」です。すなわち、 「天の父母様」は〝一元論の神〟です。家庭連合の神観は、このお父様のみ言と全面的にともにあるのです。

独自の「神観」に基づいて〝虚偽〟をかたる中村仁史氏―― 分派による、真のお母様批判の常套手段〝み言改ざん〟に要注意! | 真の父母様宣布文サイト

 

 

公平に言えば、家庭連合の反論の中にもおかしい点も見られる。

 

成約の同時性は蕩減復帰摂理完成時代と名付けて解説しているが、

まあデタラメにもほどがあるという内容である。

 

中村さんの同時性の肝は4ページの表、

蕩減復帰摂理完成時代:完成成約時代⇒祝福家庭を選民とする復帰摂理路程

【メシアのための天宙的基台】

 

ここでは縦にしたので、縦でもわかりやすくするためいくらか直している。

 

1920年

 ⬇  40年 日帝及び基督教迫害時代

1960年

 ⬇  40年 氏族メシア家庭教会時代

2001年

 ⬇  12年 天宙平和統一王国時代

2012年

 ⬇  4年 天地王権分立時代(2012年9月〜2016年8月)

2016年 

 ⬇  2年 真の母捕虜・帰還時代(2016年9月〜2018年8月)

2018年

 ⬇  4年 三大王権完成準備時代 (2018年9月〜2022年8月)

2022年

 

1,40年 日帝及び基督教迫害時代

再臨主が生まれて時から彼や彼の聖徒が40年迫害を受けたとするのは無理。

ちなみに韓国教会は1954年5月設立、1960年までは40年ではなく6年。

 

2,40年 氏族メシア家庭教会時代

氏族メシア家庭教会の嚆矢であるホームチャーチの御言葉が現れたのは、1976年。

中村区分の1960年から16年後である。40年ではなく25年では。これも無理。

 

ホームチャーチは、天勝日(1976.10.4)、天地勝利の日(1977.2.23)、真の父母の世界的蕩減復帰の勝利基盤のもとに始められた摂理です。

ホームグループ ⇒ 神氏族メシヤへ - ホームチャーチに関する真の御父母様のみ言

 

3,12年 天宙平和統一王国時代

中村さんは2001年からというが、天一国のみ言は2002年が初めだったのでは?

 

神様の王権を樹立したのは神様ではありません。真の父母です。分かりますか。天一国をつくったのは神様ではありません。真の父母です。
 

天一国という言葉は、天宙平和統一国です。「天」という字、これは二人です。二つの世界です。これは水平です。天国と地上の人です。天の人と地上の人の二重構造になっているのです。皆さんは心と体の二重構造になっているでしょう。心と体は、一つになっていますか、なっていませんか。闘っていますか、統一されていますか。闘っている人は、天一国の民になることができません。
(2002年1月1日)

 

<年頭標語の歴史>
1960年 生涯中、最大の実績を残す年となるようにしよう
1961年 父の代身者となろう
1962年 見せてあげて誇り得る者となろう
1963年 勝利的主管者となろう
1964年 勝利的主管者とは如何なるものか
1965年 勝利的主管者となれ
1966年 勝利的主管者となれ
1967年 勝利的主管者となれ
1968年 全面的な進撃をしよう
1969年 全面的な進撃を継続しよう
1970年 勝利的統一戦線
1971年 統一基盤確保
1972年 統一戦線守護
1973年 統一戦線守護
1974年 統一戦線守護
1975年 天国実現
1976年 子女による天国実現
1977年 理想家庭による天国実現
1978年 公式路程を通しての天国実現
1979年 家庭教会を通じた天国完成
1980年 家庭教会は天国基地
1981年 家庭教会は私の天国
1982年 庭教会勝利
1983年 家庭教会は我々の定着地
1984年 祖国創建
1985年 祖国創建
1986年 天国創建
1987年 祖国統一
1988年 祖国統一
1989年 韓国統一
1990年 내나라(ネナラ=私の国)統一
1991年 내나라(ネナラ=私の国)統一
1992年 새나라(セナラ=新しい国)統一
1993年 新しい家庭と統一祖国
1994年 真の父母と成約時代安着
1995年 真の父母様の勝利圏を相続しよう
1996年 真の父母様を誇り愛そう
1997年 真の父母様への誇りと愛は三百六十万双祝福完遂
1998年 真の神様を絶対に誇り愛することは三億六千万双の祝福完成とサタン世界の血統断切
1999年 真の祝福天宙化とサタン血統根絶
2000年 真の愛の天宙化は新千年天国完成
2001年 解放された天地父母と子女が一心一体となって、真の愛の主体性である絶対、唯一、不変、永遠のみ旨が完成されますように
2002年 天地父母の理想である自由平和幸福の天一安着万歳
2003年 真の愛で私たちの家庭が天一の孝子忠臣聖人聖子の真の家庭を完成できますように
2004年 神の祖国と平和王国時代宣布
2005年 内外天一理想が完成されますように
2006年 天宙平和理想モデル摂理安着時代
2007年 天宙平和天一太平聖代億万歳
2008年 天宙平和連合天一双合七八禧年万歳
2009年 天地父母天宙安息圏絶対性真の愛真の生命真の血統権勝利宣布時代
2010年 真の愛天宙安息権清心一萬勝一萬歳
2011年 天地父母地和子女定着最終一体完了天宙定着天一萬歳
2012年 天地人참父母勝利解放完成時代
2013年 天地人참父母勝利解放完成時代

 

4,4年 天地王権分立時代(2012年9月〜2016年8月)

中村さんの説明では、

「具体的な年代で言うと、2012年9月3日に文鮮明先生が聖和されてから、家庭連合が2016年から始めた『天一国四大聖物の伝授式』を康賢實真のお母様に強要するまでの4年間を意味します。」(P104)

そうだろうか?

基元節の毒性酒により、われわれはお父様と無関係に陥り、お父様の権威に戻るため、二代王による聖酒で復帰され、韓鶴子女王権とお父様を中心とする三大王権に分立したのでは?

 

5,2年 真の母捕虜・帰還時代(2016年9月〜2018年8月)

ここでは、康オモニが真の母になる以前からあたかも真の母であったかのようにカウントしている。

法王は実際法王であったときに捕虜になったが、康オモニはまだ真の母でもないときからこの時代はカウントされている。

むしろ、韓オモニが堕落してサタンの支配下に入った期間は捕虜状態とみて、康オモニが真の母となった時点を帰還と見たほうが論理的である。そうなっているかは別としてである。

 

6,4年 三大王権完成準備時代(2018年9月〜2022年8月)

中村さんによると、

「具体的な時期言うと、文亨進二代王様が聖霊の役事を始められた時(2018年9月〜)から、4年間を意味します。」(P136)

 

名付けるなら、「真の父再降臨準備時代」かなあ。

だが、メシヤを迎えるために準備してきたのが、メシヤ降臨準備時代やメシヤ再降臨準備時代であったと思うが、実際にお父様が1920年に降臨されておられるのだから、この名称は前例に合わせているが無理がある。

聖霊の役事がそれほど摂理的に重要なものとはわたしには思えないのだが、

出版が、2021年6月10日なので、2022年の8月まで二代王はその役事をされるという予測ということであろう。

 

「このメシヤ再降臨準備時代400年を実体的に蕩減復帰するのが『三大王権完成準備時代』です。」(P136)

 

この中村さんが名付けた名称だと、メシア降臨準備時代やメシヤ再降臨準備時代と内容が全く違ってしまう。したがって同時性とは言えない。

 

中村さんには、このように思い込みが激しく、屁理屈や都合がいいことのみを証拠として集める癖がある。

 

149ページにはこうある。

「この過程で、江利川総会長をはじめ、多くの方々の指導と助言をいただき、当初の原稿とは比較にならないほど完成度の高い原稿に仕上げることができました。今後、本書の内容に統一運動史、勝共運動史、経済摂理史などが添付され、さらに完成度の高いものになることを切に希望する次第です。」

 

冊子の裏表紙の最後に、

 

●この小論に対する意見・質問について

 この小論の執筆に対する責任は「成約時代の摂理的同時性」研究会にあります。よって意見、質問の一切は、「成約時代の摂理的同時性」研究会座長・中村仁史がうけたまわります。

 

文責は研究会にあり、意見や質問の窓口は研究会の座長の中村さんだという。

では、責任がある研究会の内容はといえば、その下に記された著者ということになる。

 

著 者:世界平和統一聖殿本部

    教育研修委員会・伝道復興委員会

    「成約時代の摂理的同時性」研究会

    座長:中村仁史     

 

そこで、江利川総会長をはじめ、聖殿本部、教育や伝道の委員会と

研究会に責任があるとなる。

これはもう日本聖殿の中枢のほとんどではないか。

 

わたしが、江利川会長や日本聖殿にサタンが入ったという所以がここにある。

こうして会長はじめ日本聖殿はサタンに入られサタンが侵入する事ができる条件を立ててしまい、日本の摂理情勢がわからなくなるようにサタンに試練を受けることになったのである。

悔い改めよ!江利川会長!

悔い改めよ!日本聖殿!

天一国は近づいた。

6000年の復帰摂理の完全蕩減をなされたお方の偉業を否定し、

聖和以降も蕩減復帰が必要だという同時性は、お父様が完全蕩減を失敗したとみなすに等しくなるではないか。

もし、お父様にやり残したものがあるとすれば、

それは蕩減ではなく、お父様が胸にいだいておられたほどに天一国の創建がなされなかったということであろう。

お父様の勝利の聖和を敗北の十字架や、蕩減復帰が必要な失敗者であるかに理解するこの偽物の成約の摂理的同時性はお父様の恩讐である。

悔い改めよ!

これが家庭連合であれば、確実に異端と認定されたであろう。

阿呆め!と

お父様は叫ぶであろう。

 

さて、

今日はエイプリールフールか。

 


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