原理講論を読む

日常生活の中で 考える糸口を求めて

十字架の聖ヨハネの詩をもとに作られた音楽

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霊魂の歌

 

ある暗い夜に、

愛にもだえ炎と燃え立ち、

おお、すばらしい幸運!

気づかれずに私は出て行った、

我が家は静まったから・・・

 

暗闇の中に 安全に、

装いを変え、秘密の梯子で、

おお、すばらしい幸運!

顔を覆って闇の中に私は出て行った、

我が家はすでにしずまったから・・・

 

この幸いな夜に

誰も見られず、何も見ないで、

ひそかに私は出て行った、

心に燃え立つ光の他には

何の光も導きもなしに。

 

その光は私を導いた

真昼の光よりも確かに、

私のよく知っている あの方が

私を待つあの処ー

誰ひとり居ない あの処に。

 

おお、導いてくれた夜よ!

おお、黎明より愛すべき夜!

おお、愛する者とされた人を

結んでくれた夜!

愛された人を愛する者に変容(かえ)ながら・・・

 

あの方のためだけ

ひたすら 守ってきた

私の花咲く胸に、あの方は眠っていた、

私は彼を愛撫した、

杉の枝は扇のように そよ風を送ってきた。

 

彼の髪を手にとっていると、

狭間からの風が吹いて来て、

その静かな手で

私のうなじを打った、

そして私の感覚をみな止めてしまった。

 

みじろぎもせず 我を忘れて、

愛する方に 顔をもたせかけていた・・・

すべては止み、私は身をゆだねた、

思いわずらいを みな

白百合の中に置き忘れて・・・

 

十字架の聖ヨハネ 「暗夜」ドン・ボスコ社 より

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十字架の聖ヨハネについて片山はるひさんが以下のように紹介しています。

どのような方か参考にされてください。

イエスさまだけ(リジューのテレーズの信仰詩) - 巡礼者の小道(Pursuing Veritas)

より以下に引用

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N.P. N.M. Venawque etc173

 

十字架のヨハネの「暗夜」(Noche oscura)

  はじめに、簡単な年譜とともに、十字架の聖ヨハネをご紹介しましょう。

 1542年 スペイン、フォンティベロスの貧しい家庭にて、フォアン・デ・イエペス誕生

 1545年 父と兄の死。はたらきながらイエズス会の学校で学ぶ。

 1563年 メディナ・デル・カンポの緩和カルメル会へ入会。

 修道名:聖マティアのヨハネ

 1568年 アビラの聖テレサとの出会いに導かれ、改革カルメル会に入り、

 修道名 十字架の聖ヨハネとなる。

 1577年 緩和派と改革派の闘争が起こり、トレドの修道院の牢獄へ幽閉される。

 1578年 奇跡的脱出の末、解放される。『カルメル山登攀』、『暗夜』執筆。この後、

 改革カルメルの重責を歴任。

 1584年 『霊の賛歌』の注解を執筆。『愛の生ける炎』執筆。

 1591年 ウベダにて死去。

 1675年 クレメンス十世により、列福

 1726年 ベネディクト十三世により、列聖。

 1926年 ピオ十一世により、教会博士と宣言される。

 スペインの国民的詩人でもある十字架の聖ヨハネは、その著作の文学的完成度及び内容の神学的深遠さから卓越した神秘家として尊敬されつつも、一般の信徒にはちょっと手の及ばぬ聖人というイメージがあります。しかし近年、その教説の現代的価値が少しづつ明らかになり、よい解説書も多く出版されるようになりましたが、日本語に訳されているものはまだ少ないのが現状です。ここでは、主として、カルメル会士、尊者幼きイエスのマリー・エウジェヌ神父の著作『私は神を見たい』 とスエーデンカルメル会士スティニセン神父の著作をもとに、十字架の聖ヨハネの教説の現代性に光をあててみたいと思います。マリー・エウジェヌ師の 『私は神を見たい』4はカルメルの霊性の集大成ともいうべき著作です。

(1)「暗夜」とは

 『暗夜』(Noche oscura)は、もともと十字架の聖ヨハネの書いた著作の題名でありそれが後に彼が教説の中で「夜」(Noche)と呼ぶものの代名詞として使われるようになりました。この 「夜」についての教えは、主として、ヨハネの二つの著作『カルメル山登攀』(Subida del Monte Carmelo)と『暗夜』にまとめられています。この二冊はもともと一冊の著作として構想されていたもので、ヨハネの書いた詩の注釈という形をとっています。

 『暗夜』の始まりは、十字架の聖ヨハネの魂のほとばしりとして書かれた一篇の詩です。ですから、書斎で書かれた学術書のようなものではありません。この詩に注釈がほどこされた理由は、多くの人々が適切な案内者をもたないために、道に迷っており、とくに「暗夜」について教える人がだれもいないために、苦しむ人が多いことを見かねてのことであると、ヨハネ自身が『カルメル山登攀』の序文5 で述べています。この執筆動機からして、この霊性の書が、実は優れた実用書であり、人々を導くガイドとなることが明らかになります。

 ここでまず、「暗夜」の詩の前半をご紹介しましょう。

 1.暗き夜に、炎と燃える、愛の心のたえがたく、

  おお恵まれし、その時よ 気づかるることもなく、出づ

  すでに、わが家は、静まりたれば

 2,闇にまぎれて 恐れなく それとは見えぬ姿にて、

  隠れし梯子をのぼりゆき おお恵まれし その時よ

  暗闇に身をば かくして すでにわが家は 静まりたれば

 3.恵まれし その夜に 気づかるるなく しのびゆく

  目にふるる ものとてもなく 導く光は ただひとつ 

  心に燃ゆる そが光

 ここで「夜」とは神へと向かう人間の霊的歩み、その過程を指します。神との一致への道全体が「夜」と呼ばれています。また「夜」とは、神との一致、すなわち聖性へとたどり着くために、人間が通らなければならない浄化と剥奪をも指します。なぜなら、神との一致を妨げるのは、富への執着と欲望であるからです。

 この過程をなぜ「夜」と呼ぶかには三つの理由があることをヨハネは『カルメル山登攀』で説明しています。

1)霊魂が出て行く出発点。この世のすべてのものに対する欲望を断ち、それを退けなければならないため、このような剥奪や欠如は人間のすべての感覚にとって「夜」であるため。

 2)神と一致するために通り過ぎる手段ないし「道」、これは信仰であり、信仰は理性にとって、夜のように暗いため。

 3)神という至りつくべき「終局点」からみて、神は、この世にとって、「暗夜」である。6

 大切なことは、「夜」は手段であり、めざす所は、神ご自身すなわち愛そのものであるということです。彼が、無の博士、夜の博士であるのは、まず何ものにもまして愛の博士であるからなのです。

P1040591

(2)感覚の「暗夜」

 詩人であった十字架の聖ヨハネは同時に、明晰な論理を駆使することのできる卓越した神学者でもありました。彼は神の体験に基づき、独自の人間理解をその教説で展開しているため、まずその語彙をきちんと整理し、理解する必要があります。

  ヨハネの用いる「感覚」(el sensido)は、いわゆる五感のみを指すのではありません。それはもちろん五感を含みますが、同時に想像力、記憶、悟性などの感覚と直結する精神的能力をも含みます。また「霊」(el espiritu)とは、より内的領域、すなわち根源的意志、と直観的知性の場を指します。すなわち「感覚」とは、外界から影響を受けやすい騒音や動揺の領域であり、「霊」は、神の住まい、すなわち平和と沈黙の領域なのです。そして、その深奥に聖霊の住まわれる「魂の中心」があり、それによって人間は神の似姿である。これがヨハネが描き出す内的世界の見取り図です。 7この区分けは、概念的なものではなく、彼の様々な霊的体験により与えられたものといってよいでしょう。

ここで、「夜」もこの区分けに従って、二つの種類、「感覚の暗夜」と「霊の暗夜」に分けられます。「感覚の暗夜」 は、ごく普通のもので、初心者の誰にもおこります。ですが、「霊の暗夜」の方は、非常に稀で、修練を積んだ進歩者のためのもので、霊を神との愛の一致すなわち聖性へと準備するものです。

 このそれぞれの「暗夜」にヨハネは、「能動的暗夜」と「受動的暗夜」の区別を導入します。

「能動的」とは、人間の側からの抑制の努力を意味し、「受動的」は神からの働きかけを意味します。そして、「能動的暗夜」が必要不可欠であるのは、実は受動的「暗夜」を神からうけるための、準備に過ぎないからであることも明らかにします。

 神へと向かう人間の信仰の歩みが、なぜ「感覚の暗夜」を通らなければならないのかを、十字架の聖ヨハネは、とても人間らしい、子育てのイメージでわかりやすく説明します。すなわち、信仰において初心者の頃は、人は幼子が親に甘やかされて育つように、神の中に、多くの味わい、慰め、支えを見出して、満足し、喜ぶものです。ところが、少し大人になりはじめると乳離れが必要となります。つまり「感覚的」な喜びや味わいゆえに神を求めるのではなく、神が神である故に神を求めるという大人の信仰へと成長しなければならないのです。そこで、神はこの甘やかされた初心者を「感覚の暗夜」へと導かれるわけです。

 ヨハネは、この「感覚の暗夜」を3つのしるしで識別します。それは、霊的成長の一段階であるこの初めの「暗夜」を単なる生ぬるさや怠惰あるいは、メランコリーなどと混同しないための配慮からでした。このしるしについては、『カルメル山登攀』の第二部一三章で詳しく説明されています。その第一は、神に関することのうちに、何の味わいも慰めも見出さないことです。いわゆる無味乾燥、イエズス会の霊性では「すさみ」と表現される状態です。神に関する事柄に味わいと慰めを覚えていた人が、このような状態に入ると自分は退歩しているとか、道を間違ったと思うもので、気落ちしてすべてを放棄してしまうことすら出てきます。ここで同時に第二のしるしがあることが重要です。すなわち、無味乾燥の中でも、気遣いと心配に心を痛めながら、神のことを思い出すということです。この点がなければ、単なる不熱心や生ぬるさであることは十分にありえるからです。そして第三に、努力しても、想像という感覚を使って黙想することも、推理することもできないこと。別の言葉で言えば、今までの祈りの仕方ではもう祈れなくなり、自らの能動的努力は無力となるという状態に至ったということです。それが、神からの純粋な恵みである観想(contemplation)の初めとなります。

 こうして、人は、自分の弱さ、限界、惨めさを感じることにより謙遜となり、隣人愛を深め、より深い自己認識をもって傲慢の誘惑から逃れて、信仰においての大人としての歩みをすすめてゆくことができるようになります。これが、「感覚の暗夜」において行われる浄化です。ですから、信仰者の誰にでもおこるものであり、この「暗夜」を通らなければ、いつまでも幼児の状態に留まり、大人としての信仰を得ることができないことになります。ですから、「暗夜」の詩において、これが、 「おお、恵まれし、その時よ」と歌われているのです。

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再臨主文鮮明師も以下のように語られています。

わたしは間接的啓示を重んじてきました。

 

「我々の日常生活において、霊的になったり、啓示を受けたりして超感覚的な世界を体験する必要はない。むしろ、そのような体験の後ろにある事実を体系化して日常生活につなげることの方が他の何より難しいと私は言いたい。霊的現象はつかのまであるが、真理は永遠である。」文鮮明

マクデビット夫人が文師説教集第 54 巻から『唯一なる神と1つの世界宗教』から訓読した。

和宮 訓読会 (HC 5. 21 / July 10, 2012) 

 

 

 

小さき者様、コメントありがとうございました。

あなたがお話された「暗夜」をきっかけに

以下のようなものをさっと今書いてみました。

神の祝福と加護と導きがありますように!

 

 

 

暗夜が訪れる前に

 

暗夜が訪れる気配を前に 自ら進んで暗夜に飛び込む

するとそこに光があった

その光は外なる世界の闇を取り除くことなく

わたしの内なる世界を眩く照り尽くした

 

奴隷の身から解放してくださった神さま

死んでもエジプトには戻りません 命乞いもしません

荒れ狂い立ちはだかる紅海に 杖打つことなく足を踏み入れゆく

するとそこだけわずかに海は割れ 轟音の中を進み行った

民たちの喧騒を後にして

 

暗夜に包まれた時に 隠された神の愛に生きる

するとそこには平安があった

もはや神さまの愛を信じるのではなく 知りました

もはや神さまの愛を知るのではなく 生きてまいります

民たちの論争を後にして

 

地上の美しい誘惑は 天上の法悦の前で醜態を晒した

財も地位も名誉も 旅立の日に携えていけようか?

神が掴まえるは この思いひとつ

聖なる葡萄酒を飲み干して

再臨の主の前に 空の盃を掲げる

 

主よ 御心を注ぎ給え!

我が渇きを潤すなれば

 

 

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