天一国憲法の精神である連邦制を無視した中央集権組織を日本聖殿がとって何年経つだろう?十年も続けばもはやそれが日本のサンクチュアリの悪しき伝統として固まってしまう。これは大問題である。
かってベネディクト修道会に憧れていた川原さんによって協約というものが提案された。
これは組織内の約束事であり、言ってみれば律法である。
旧約的な出発を会長と多くの信徒は支持した。
誠に残念なことであった。
外的な形式を律法学者パリサイ人のように重んじてなんの益があろうか?
カトリックにも信徒信条があるというのに。
<使徒信条>
われわれが統一原理を一通り学んだが、はてそれからわたしはどうしたらよいものか判然としない不安が仄かに心の底に現れる。
そんなとき新生トレでキリスト教信仰とは何かを学び、
次には実践トレで伝道に進み、学んできた御言葉を体恤する訓練を受ける。
家庭連合が堕落した韓鶴子の意のままにお父様の御言葉を改竄するままに受け入れ、
お父様が地上生活していた頃とは全く違った信仰に変質してしまった。
それゆえ二代王亨進様と国進様に導かれてわれわれは家庭連合と決別し、
お父様の伝統を死守すべく新たな道を歩み始めた。
彼らは自分たちが正統であり、サンクチュアリが異端だと断罪した。
そこで、すべての信徒にとって何が一番重要になったかといえば、
双方の信仰観の相違である。
したがって、まず我々が整理すべきことは、
われわれの信仰とは一体どのようなものか?
具体的な信仰告白の形でなんらかの表現をすべきだというのが
私が協約ではなく信仰告白・信仰信条としてまとめるべきだとした理由である。
日本聖殿は外的な取り決めから出発してしまった。
本来であれば内的な信仰の告白から出発すべきであった。
後に双方の教会の教義解釈の比較がなされたが、
そのような論証的なものではなく、
祈りにも似た信仰告白の形でまとめられることが望ましいと考える。
目次としては、
第1章 スコットランド宗教改革小史 ―― スコットランド信仰告白の背景
1.16世紀以前の国際政治の力学からみたスコットランドの宗教改革
2.改革前の宗教事情からみたスコットランドの宗教改革
第2章 スコットランド信仰告白の〈著者〉―「六人のジョン」
1.改革者ジョン・ノックス小伝
2.「六人のジョン」
第3章 スコットランド信仰告白(1560年) ―― 本文とポイント講話
新生トレでは、神観・罪観・メシア観を学習する。
このような、神とは何か?罪とは何か?メシアとは何か?救いとは何か?
というように私達がどのような内容を信じているかを共有することが重要であった。
キリスト教の教会とは建物のことではなく、信徒の集いを意味するのであるから、
同じ信仰観の共有は大切である。
原理講論は、おそらく特に長成期の完成級まで心霊が高まったキリスト教徒に生ずる教義上の問題に対して統一原理はどう答えるかという問題意識が劉先生にあったように感じられる。
お父様はあのような形ではなく、それをそのまま信徒が語れば伝道できるような形と内容を求めておられたようである。
つまり、一般大衆に爆発的に普及するようなものをお考えであったのだろう。
堕落した韓鶴子が独生女を自認して公表することにより、
特に原罪とは何か?原罪のあるなしとはどういうことかが、
その中でも重要になって来た。
したがって、ここは明晰判明に表現されなければならないだろう。
信徒信条に必要なものをすべて完璧に集めるというのではなく、
パレートの法則のように、20%が80%に影響するような重要事項にフォーカスしたほうが良い。
上記の本から第一条を引用する。
第一条 神
わたしたちは、ただひとりの神を告白し、かつ認め、このお方だけにより頼むべきであり、このお方だけに使えねばならず、このお方だけを礼拝すべきであり、そして、このお方だけに信頼を託します。このお方は、永遠かつ無限であり、計ることも理解することもできず、全能にして不可視であり、その本質において一つでありながら、父・子・聖霊の三つの位格に区別されます。このお方によって、天と地にあるもの、見えるものも見えないものもすべてが創造され、その存在が保持され、しかも、神の永遠なる知恵と善と義の目的に向かって、また神ご自身の栄光が明らかとなるために、その計り知れない摂理によって、支配され、導かれると、わたしたちは信じ、告白します。
繰り返されている「だけ」は英語ではonlyが使われている。
お父様が言う「おひとりの神様」に通じるものがある。
また、原理原本の一から始まるという内容も思い起こされるだろう。
最後に、
イエス様が殺されて以後
これに対して抵抗して宗教的自由を勝ち得てきた。
また、王政という政治にたいして貴族が勝手に税金をあげないように抵抗して政治的自由を勝ち得てきた。
また、日本聖殿もである。
そこで、必ずその信徒の中からプロテストする者が出てくるのである。
つまり、現在の体制のままでは、家庭連合がお父様のホームチャーチの思想を実現できなくて、家庭の連合ではなく、家庭単位の中央集権帝国を脱皮できず、自滅したように、日本聖殿も天の伝統を築くことに必ず失敗するであろう。
もう既に半ば失敗したと見てよい。
しかしながら、われわれが信じる世界は自由世界である以上、他人が自由と責任においてその形態を選んだのであれば、力づくで潰してはならない。
王様が指導されてきたように、悟ったものは別の道を行き、その信じるところを目に見える形に実現すべきである。
さて、DiscordというSNSをプラットフォームにできないかといくらか調べたが、どうもLINEの使い勝手に慣れてきた信徒にはしっくりこない人が多く出そうであった。
次は、WhatsApp Messenger
これを調べてみたい、やや画面がLINEに似ている気がしたので・・・
SNSが決まったら、
The commonwealth (連邦あるいは連合)コモンウェルスという名称で家庭教会のネットワークの参加者を集っていくつもりだ。聖殿家庭連邦!
それぞれの祝福の中心家庭教会をつなぐ後方支援的な役割を何人かで起こせればと思う。
サイバーサンクチュアリでは空中分解してその夢は頓挫してしまった。
理事でもあった私には責任がある。大失態!叱責されても全面的に受け入れざるを得ない。
もしかしたら、数名しか同志は集わないかもしれない。
だが、「今はできない」はお前の言い訳だと神に叱責を受けた。
言葉もない。
今日はここまで・・・