本物には肩書きはいらない、家庭連合では最前線の末端の食口に本物の信仰者がいた 心一女もその一人であった
今日、祝福家庭は、家庭という名詞は尊重し、家庭の内容は無視する輩が多いのです。
天聖経 真の父母
顕進様は絶対服従ができませんでした。
そこで、長子権は流れ去りました。
指導者達が如何なる高いポストに就任していようとも、
その彼に従わなくても人々には許される道が残っています。
指導者とて完全ではないからです。
だが、再臨主に従わなければ命がないのです。
洗礼ヨハネは、女が産んだものの中で最も偉大な者でした。
今日の教会長や教区長や日本家庭連合会長よりも偉大でした。
神がメシアをイスラエルと万民に証すために準備された人物だからでした。
誕生時には奇跡が父である祭司長に起こりました。
聖所に入っていった時です。
年取っていた夫婦に御使いから子供が生まれると言われたのに、
人間的な解釈から、そのようなことがどうして起こりましょうかと
ザカリアは言った。
そこでその不信仰によってそれ以降、子供の誕生まで唖になってしまった。
当時は神と顔と顔を合わせた者は死ぬと思われていた時代のようで、
ひどくザカリアは恐れた。
これを見た天使は恐れることはないと声をかけている。
顕進様は地上に生きておられる。
したがって、蕩減復帰する道がまだ残っている。
お父様に従わなかったのだから、それにふさわしい代理の蕩減条件が必要となる。
それはお父様が立てた二代王の亨進様の御前で悔い改め復活する道である。
お父様が立てた亨進様に絶対服従すると宣誓しなければならない。
それ以外にはない。
さもなくば、傍系で一生を終えることだろう。
お父様の代わりに、涙を呑んで、顕進様が盗賊となったことをすべての食口に公文として伝達された梶栗先生は腹のあるお方であった。
顕進様に従う桜井ファミリーは逆賊である。
メシアに対する絶対服従の伝統の破壊者であった。
桜井節子やその息子達に従うものもまた逆賊である。
如何なる理由をもってしてもメシアに従わずに済む道はない。
み旨の道では、神に期待された人物ほど、次々とその軌道を逸脱していく傾向がある。
サタンは常に神が愛するものに執着する。
そこで大きな試練が起こってくるのである。
三男派はお父様が間違っていて、顕進様の方が正しいと考える。
家庭連合もお父様の伝統は間違っていて、韓鶴子オモニの伝統が正しいとする。
三男は、教会の外的資産の確保から心情文化が出来ると考えている。
韓鶴子オモニもまた外的建造物から天国が見えてくると考えている。
お父様の後継として亨進様と国進様が歩んでおられる。
亨進様はお父様がボンネッコルから出発されたように、
荒野のテントから神と父に道を尋ね求められた。
韓鶴子の祝福はサタンと淫行関係を結んだ堕落エバによる祝福である。
億万の命を蘇生させた業績も今は昔。
顕進様の祝福も再臨主に反逆したものの祝福であるとサタンはみなす。
そこで、顕進様による祝福はサタンの所有を決定する条件となる。
両者は人間的な集団である。
そのような、祝福が望みなら、
止めようにも難しいなら、
海に向かって行列するネズミの群れのごとく進むのであろう。
韓国の時代劇には、神が愛する朝鮮精神が垣間見られる。
例えば、「父子の絆」である。
お父様は天宙の最も重要な真理は神と人間が父子の関係であると力説されてきた。
朱豪にしても、先日のギルドンにしても、
アボジを思う気持ち、アボジに認めてもらいたいという気持ちが実に強い。
ところで、日本はどうかというと、
彼の国に比べて父子の因縁は弱い。
特攻隊の青年は戦艦に突っ込んでいくときには
「お母さん」とは叫んでも「お父さん」とは叫ばない。
映画なんかではそうなっている。
エバ国家だとか、母の国などと言うが、
母子関係が深い国柄である。
まあ、昔の時代劇では父の仇のトドメを息子が刺すのがクライマックスということもあったが、おおよその家庭では父子関係より母子関係のほうが深いだろう。
家庭連合でも、大塚や徳野はオモニべったりで有名であった。
イエス様の上位に位置することはなかった。
信徒には二種類の人間がいる。
天一国に入ることに真剣な人と、
天一国を創ることに真剣な人である。
王冠や鉄の杖を免罪符と思っている人々がいる。
それでは家庭連合と変わりがない。
わたしはサンクチュアリの777だとか、
わたしはサンクチュアリの3000だとか。
わたしは会長だの、教区長だの教会長だの
その経験者だの・・・
権威主義者がうようよいる家庭連合のようであってはならない。
名詞は尊重し、内容は無視する輩
それでは天一国はできない。
韓鶴子は廃妃、廃妃は蛇である。
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