原理講論を読む

日常生活の中で 考える糸口を求めて

武漢ウイルスと戦う宣教師にオバマケアならぬ澤田ケアは必要ない

王様はアメリカ人三家庭で宣教師一人を支える方針を出し、その支援を受ける条件として鉄杖祭から90日、すなわち1月7日まで聖業を全うした者としたという。

本来自国民が率先して活動すべき清平であるにも関わらず、参加者は少ない。

したがって、直接活動ができないならアメリカ人に代わって活動する人を支えるべきだということなのだろう。

アメリカ人が果たすべき条件を奪ってはならない。

 

日本の国民皆保険は中央集権である。

これをオバマが真似ようとした。

澤田ケアはどうも両者の匂いがする。

 

わたしは澤田さんと同じく都原研だが、お父様の原研に対する願いは

「超越跳躍は原研の魂」であった。

環境に主管されることのない主体的な人格の形成が求められた。

若い二世たちはそうでなければならない。

 

われわれは神により頼む存在なのか?

それともこの世の保険により頼む存在なのか?

天一国は韓鶴子の反逆より激しく襲われている。

 

皆の活動はどこでしているのか?

聖地である。

神が主管する聖地である。

一体どんな病気を怖れる必要があるのか?

われわれは武漢ウイルスも恐れず、マスクも不要な者たちではなかったのか?

 

摂理の中心的活動を地の事情から出発してはならない。

天の事情から始めよ!