原理講論を読む

日常生活の中で 考える糸口を求めて

聖殿信徒協約の作成を終えて

サンクチュアリに来て何年にも経ちましたが、

私たちの中に原理が定着していませんでした。

原理を確認する必要が無いほど、

鈴木大拙が「肘曲がらず」で自由を悟ったように、

暗黙の約束事が煩わしいのではなく、ありがたいと思うことができなかったようです。

 

晩年のお父様は信俊様を中心として侍っておられるかのようでした。

萬王の王となられたお父様は、ちょうど十字架の直前のイエス様が、

弟子たちの足を洗って差し上げたように、

長孫を高く掲げて身を低くされているかのようでした。

 

ここにわれわれの晩年のヒントがあります。

 

お父様はモーセ十戒をつくったことで、神様が中心人物をもって民を主管することができなくなって、民にとって災いであったように説かれました。

み旨が後退した、十戒の後ろに神が立つことになったと言いました。

神は御言ではなく常に中心人物を使って復帰摂理を歩まれました。

 

お父様は南北統一で選挙が最後だと言いました。

みんな祝福家庭だからだと言いました。

ではここには祝福家庭がいないのだろうか?

 

自分の内側に原理があるべきなのに、

用意ができなかった時に、

自分の外側にある律法が必要になりました。

後退したからです。

 

空気のように当たり前の原理を吸って

自分のものとして生活する事ができませんでした。

 

わたしは、救世救国の活動に力を入れませんかと

会長に直接メールを送りました。

2度送りました。

他にもそのような提案を会長にされている人がいることを後に知ることになります。

 

ひとりひとり何らかの意見をお持ちだと思います。

わたしの場合は、作成に関わったのですが、わたしの提案書からはまったく取り入れられていません。

ですが、作成に関わっていなかった多くの方のたたき台に対する意見は十分取り入れられました。

わたしは実際にそれを現場で見てきました。

これでいいのです。

納まるところに納まったのだと思います。

 

原案は作成委員から制定委員に引き継がれ、

正式な評議会委員が今後執行していくでしょう。

実際に動かしていく中で都合がいいもの不都合なものが

はっきり見えてくるでしょう。

不磨の大典ではないので、今後次のステージで、

まったく違ったものが現れるかもしれません。

評議会の方々の運営と、各地の皆様の尽力が合わさって

大きな供えが天になされることを強く希望いたします。

 

多くの衆智が結集されたように、活動でもわいわいがやがや

建設的な切磋琢磨と善の競争がなされていくでしょう。

 

ですから壁を、限界と壁にぶつかったようです。そして、これからは政治的な内容を通しながら政治サタン主義を無くさなければならない!と言いながら、これからは信徒たちの間にも分立が来るのです。山羊と羊の分立。アベル圏とカイン圏が分立される。
そうしながら、多くの文化、左派文化の信徒たちが離れていく。そのような内容が本当に重要なことです。この大型教会には。

http://h2fanclub.blogspot.com/2018/11/1031.html

 

このみ言は他人事ではありませんね。

アメリカの話ではなくなりました。

 

天一憲法は国を対象としています。

これをそのまま実生活にあてはめることは容易ではありません。

家庭盟誓がわれわれの生活の基本になります。

 

共に精進して参りましょう。

 

 


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