原理講論を読む

日常生活の中で 考える糸口を求めて

金栄輝先生による摂理の三段階の説明は複雑なみ旨の要訣を教えてくれる 上 お父様の受けた三大試練

http://www.ipeacetv.com/vod/vod_view.asp?page=2&vId=3365&mId=B08

に行かれると金栄輝先生の講演の動画が見れる。

たまたまそこに訪れていくつか見ていたら、

金栄輝先生が摂理を3つのステージに分けて捉えると良いと考えておられて、

そのことを説明されていた。

実際には後半に出てくるが、それまでの証もとても興味深いのでお薦めする。

お父様の三大試練について語っておられる。

 

 

===


金栄輝会長アメリカ5カ都市巡回講演 天の父母様の摂理と 真の父母様の業績

日本宣教55周年記念大会の勝利圏を韓国に続き、アメリカに相続する大会が進行されました。今回の巡回講演はアメリカが摂理的な使命を再び自覚し、到来した天一国時代に国家復帰のために使命を果たすことを決意するための場になりました。天暦10月7日(陽11.9)ラスベガスを皮切りに、8日サンフランシスコ、13日シカゴを経て、16,17日両日ニューヨークとワシントンで開催されました。

下記は金栄輝会長の講演の内容です。



こんにちは
天聖経の文字をそのまま解釈すれば
「天の聖なる経典」という意味です 
全てのみ言がお父様のみ言です 
全てのみ言が重要ですが
その中でも一番重要だと考える部分は
お父様が最後にされた祈祷です 
この祈祷がとても重要であるために天聖経の
最後のページの最後の部分に入れました 
お父様が最後にされたみ言は「全て成した」です 
このみ言を2回繰り返され、「アージュ」で終えられました 
多くの食口たちはこの祈祷が天の父母様に捧げられた
祈祷だと考えます 

皆さんもそのように考えるでしょう?
そうでしょう?ですが私の考えは少し違います 
もちろんこの祈祷は天の父母様に
捧げた報告祈祷ではありますが
このみ言は今地上に生きている全ての
祝福家庭と食口のために残されたメッセージです 
なぜそのように考えるのでしょうか?お父様は
霊界に行かれた後にお父様が
何をされたのかはっきりと分からない食口たちには
多くの動揺があるであろうことをすでに予見されたのだと思います 

なぜならば私たちの間には良い噂より悪い噂が
より多く入ってくる場合があることを知っておられたからです 
ここでお父様が「全て成した」とおっしゃられた
「全て」とは何を意味したのでしょうか?
それは天の父母様がお父様に地上で
全て成すことを願われた全てを意味するのです 
そしてお父様がそれを全て成したために
そのように祈祷されたのです 
ですから私は今からお父様がいかに
「全て成した」というみ言を
されるようになった経緯を
説明しようと思います 

お父様が成された全てをよく理解さえすれば
真の父母様に対する強い信仰を持って
止まらずに前進することができ、また成功することができるでしょう 
しかしそうでなければ信仰の道を歩み続けることが難しくなるでしょう 
ですから私のメッセージは長くはないですが
とても重要であると思います 
今日はお父様が公的な使命を
始められた時から説明します 
当時1945年、韓国が解放された年でした 
お父様はキリスト教の牧師たち、長老たち、
そして霊的集団の指導者たちを
訪問し始められました 

その当時は原理のみ言がまだ宣布されていなかったので
原理の内容は明かすことができませんでした 
聖書のみ言だけ持って語られるしかありませんでした 
結局新しいみ言を聞くことができない時であったために
お父様を従って行くには困難が多くありました 
お父様にお会いした人たちの中にはお父様についての
啓示を天から受けた人々も多くいました 
しかし時間が流れれば我に返るようになるので
受けた啓示に対しても
疑いを持つようになり、いつそのような啓示を
受けたのかも疑うようにもなります 

お父様は霊的集団であるイスラエル修道院
指導者に会うようになりました 
彼の名前は金百文でした お父様は
そこで6ヶ月間留まりながら働かれました 
彼はお父様に対して
「ソロモン王の栄光を持ってこられた方である
神様の摂理のために大きな仕事をなさる方である」
という証しをしました 
しかしながら彼はお父様よりも年上で
お父様より自分がより多く知っていると考えました 

そして証しはしましたが、時間が流れるに従い
お父様と共に行くことが難しくなりました 
洗礼ヨハネがイエスに従わなかったのと同じです 
同じことが起こったのです 
そうしてお父様は韓国でご自身と共にする
キリスト教集団を持つことができなくなってしまいました 
そして神様はお父様に
北朝鮮に行くようにという命を下されました 
自由世界である韓国で
目的を成す事ができなくなれば
それより困難なサタン世界である
北朝鮮に行くようになられたのです

そして1946年6月6日に平壌に到着されました 
平壌で定着されみ言を伝え始めると
キリスト教信徒の中から霊的な啓示を受けて
お父様の下に来る人々が現れ始めました 
そうして自分の教会の信徒の中からお父様の下に
行った信徒が増えてきたキリスト教の牧師たちが
お父様に対して反対するようになり
悪い噂を流し始めました 
彼らはお父様を警察に通報しました 
結局お父様は平壌に到着して2ヶ月目に投獄されました 

その監獄には霊的集団である腹中教の指導者
許浩彬という女性とその下の人々が囚われていました 
彼女は女性であるのでお父様と
別の監獄にいましたが
お父様の監獄にはその女性の弟子である
男性信徒が一緒にいました 
それでお父様はその信徒と多くの話を分かち合いましたが
その信徒はお父様に従わず
自身の指導者に従うと言いました 
彼は正確に100日間監獄にいました 

ところがお父様はそのグループに
危機が迫ってくることをご存知でした 
そしてお父様は紙切れに
「私が誰であるのか祈祷して見なさい 
そして全てを否認して監獄から出なさい」
というメッセージを書いて送りました 

ところがその女性指導者は獄中で
メシヤに会うという啓示は受けましたが
お父様をメシヤとして信じることが難しく
また全てを否認しなさいというのは
自分の信仰を否認する事と同じことであったために
そのみ言に従うことができませんでした
このように短い一言の知らせで
自分の信仰を否定することは易しいことでしょうか?

彼女は全人生を神様の摂理に捧げました 
ところが彼女にはそれが自分の信仰の根本であるために
それを否認することは自分の信仰全体を
否定するすることと同じであったために
それを否認することができず
結局お父様のみ言に従うより自分の信仰を
守ることが主のみ旨であると考えたため
そのような決定を下したのです 
ユダヤ人たちがイエス様に対していたのと
同じようにお父様にも同じことが起こったのです 

ユダヤ人たちがユダヤ教の信仰のために
エス様を受け入れなかった時

エス様はサタンから三大試練を
受けなければなりませんでした 

お父様も同じ道を行かねばなりませんでした 
キリスト教徒たちから拒否され
三大試練の路程を歩まざるを得なくなりました 
この3大試練が何か分かりますか?
最初の試練は「神様の夫人」という
老婆の家に訪問することでした 

この老婆は多くの子女を持った人でしたが
お父様はその家に訪ねて行かれ
僕の僕の立場で精誠と心を尽くして
老婆とその家の子供たちに侍ることを始められました 
しかし「僕の僕」の立場で一番
卑賤な仕事をしたために
周辺に住む人たちは誰もお父様の
そのような行動を理解することができませんでした 

それで近所に住む人々全てがお父様に
ありとあらゆる悪口を言ったといいます 
ある人はお父様を呪ったりまでしたそうです 
しかしお父様はそのようなことには全く気にかけず
ひたすら侍ることだけに集中されました 
私たちはこの八段階について聞いたことがあります 
お父様がこの八段階コースを歩みました 

僕の僕の立場から僕の立場、養子の立場
私生児の立場、実子の立場まで上られました 
今まで全五段階でした 
六段階目は朴老婆がお父様を
「あなたは天国の総理である」と呼びました 
その次の段階は彼女がお父様に対して
「あなたはイエス様のような人だ」と言うようになり
最後の段階は「あなたは神様の実体の目的である」
このようにお父様は八段階の全てを通過しました 

最後にお父様が彼女に「私に対して証言したので
これからは私に従わなければなりません 」
彼女は聖霊で充満していた時
お父様について証ししたのです 
しかしその後に我に返った時
彼女はのようにしたでしょうか?
当然お父様に従いませんでした 
結局お父様は彼女の家を去り
二度目の試練を受けなければなりませんでした 
最初の試練は成功的に通過しました 

お父様が成功を収めたのです 
そして二度目の試練です それは何だったでしょうか?
お父様は霊界に行かれて43日間霊界の聖人たちと
真理のみ言を持って真理の戦いをする路程でした 
お父様は霊界で神様の摂理の中で
一番重要なものは
第一に血統転換、第二に心情転換、
第三に所有権転換だと語られました 

エス様については再臨の問題で
「私がまた来る」と言ったために
終末になってキリスト教徒の中で別の人として
来られる主に侍ることに多きな混乱を招いていたのです 
お父様が原理講論を説明する
新しい真実について語られました 

お父様を信じず争いが生じた時
神様はお父様の側ではなく相手側に立たれました 
第一次アダムが神様を裏切ったのでそれを
蕩減するためには相手側に立たれるしかなかったのです 
お父様が天聖経でこのようなみ言を語られました 
お父様は絶対に主張を曲げずに最後まで
確信を持って推し進めて行かれたので
結局は神様が最後の判定で
「文何某が正しい」という最終結論を下されました 

そうしてお父様は神様の印を受けて
地上に降りてこられるようになりました 
お父様が神様の印を
当時受けられたのです 
人々にお父様がメシヤであると証言する時
多くの困難を通過しました 
しかしお父様のみ言はただ神様の印を
持って来たというのです 
このようにして第二の試練に勝利するようになりました 

第三の試練は興南監獄に行くことでした 
お父様がなぜそこに行かれたのでしょうか?
エス様の立場を受け継ぐためです 
それならばイエス様はどこでこの世を去られたでしょうか?
どの時点で去られたでしょうか?その時点がどこだったでしょうか?
エス様は十字架上でこの世を去られました そうでしょう?
お父様も十字架のような場所に行かなければなりませんでした 
それが正に強制労働収容所、死のキャンプ場でした 

エス様が十字架にかかられるようになったのは
12弟子を失ってしまったためです 
12弟子たちがイエス様とひとつになっていたならば
エス様はその基盤の上に第2次アダムとして
第2次エバを探したてることができたでしょう 
アダム一人では神様のみ旨を導いていくことができません 
必ず相対を探さなければなりません 
エス様は第2次アダムとして来たので
第2次エバを探さなければなりませんでした 
しかし12弟子を失うようになり、
第2次エバを探したてることができなくなりました 

結局使命を果たすことができなくなり
この世を去られるようになりました 
お父様はイエス様が失った
12弟子を復帰しなければなりませんでした 
この12弟子を探したてることができなければ
興南労働収容所から解放されることができなかったでしょう 
事実韓国戦争の前後に
変化したものはほとんどありません 

北朝鮮は依然として北朝鮮のままであり
韓国はそのまま存在しています 
韓国は分断されています 
それでは韓国戦争の意味は何だったのでしょうか?
大多数の人々は政治的な理由
または他の理由を挙げるでしょうが
神様の摂理から見た時一番重要だったことは
北朝鮮の強制労働収容所のお父様を解放させることでした 
これが韓国戦争の最も重要な意味です 

お父様は3つの試練を全て通過され勝利を収め
韓国に下って行き、新しい宣教を

始めることができるようになったのです 

釜山に到着してまず最初に実行されたことは
原理原本を執筆することでした 
1951年5月11日から1952年5月10日まで
お父様がこのように1年間原理原本を書かれました 
金元弼先生に聞いた話によると
お父様が北朝鮮におられた時

食口たちに原理講論について一言も
話されなかったそうです 

北朝鮮の食口たちに数十回語られ、
多くのことを教えられましたが
時が至らなかったために
原理講論の内容を一言も語られませんでした 
お父様が興南収容所から釈放された後
平壌にいる全ての食口たちを訪問され
彼らと共に韓国に下ろうと提案されました 
けれども誰もお父様について行こうとしませんでした 

後でその方々に直接聞いてみると
万が一その当時に北朝鮮で原理講論について
学んでいたならば、お父様を拒否することは
なかっただろうと言いました 
かえってお父様にしたがって行ったでしょう 彼らが言った話です 
それゆえ彼らが立っていた立場と
現在の私たちの立場は完全に違います 

お父様は1953年7月20日から
原理に対するみ言を語り始められました 
姜賢實女史に開拓伝道の使命を与えられ
大邱に送りました 
それではお父様はなぜ1953年に原理宣布を始められたのでしょうか?
お父様は1953年に何歳だったでしょうか?
正確に33歳でした 
エス様が33歳にこの世を発たれました 

お父様が正確にイエス様のその年に合わせて
使命を引き継いで行かれたのです 
お父様は何かをされる時にも
何の計画もなしに無造作に行ったりはされません 
必ず正確なプログラムに従って
全てのことを行われるのです 

1960年以降の摂理についてお話いたします
エス様の使命を受け継ぐためお父様は
三大試練を通過しなければなりませんでした
その第一番目は何だったでしょうか

それは第3次アダムとして
第3次エバを見つけることでした
アダム一人では何もできなかった為
エバを探さねばなりませんでした

エス様が第2次エバを探せず
この世を去られました
もしお父様が第3次エバを探せていなかったら
果たしてお父様は何を成し遂げておられたでしょうか

何も成し遂げることはなかったことでしょう
それ故お父様はエバを探すことが
絶体絶命の使命でありました
お父様はお母様にお会いされるや否や
神様に祈祷をされました

「お父様 この国に韓鶴子をお送って下さり
ありがとうございます」

これがお父様の最初の祈祷でした
お父様がお母様にお会いしすぐにされた事です

そしてお父様は洪順愛女史(大母様)にお母様を
しっかり守り教育するよう言われました

お母様は男子のいない女学校に通いました
女子だけが通う聖書学校でした
洪女史は娘様の教育に対しとても厳しく
特に男女問題に対し非常に気を使われたと言います

1960年にお父様とお母様は
神様の祝福を受けられ夫婦となりました

これは正に歴史的な子羊の婚姻でありました
歴史で最も重要な行事でした
この聖婚式は前にも後にもない
歴史上たった一度だけの聖婚式です

お父様は1920年にお生まれになり1960年まで
40年の蕩減復帰期間を勝利され
サタンは分離しこの歴史的な聖婚式を
迎えることができたのです

お父様はこの路程を続けられ
第3次アダムとして自ら復帰されました
これがその40年の期間だったのです
お父様がこれをやって遂げたのです

また1960年から新しい摂理が始まりました
何だか分かりますか?
それ以前までは救援はありませんでした
2千年前イエス様はメシヤとして来られましたが
地上に居られる時何をなさったでしょうか?
堕落人間をサタンの血統から神様の血統に
転換させた人がいたでしょうか?
誰を探しましたか
血統が変わった人がいましたか?
誰もいませんでした

私たちはこれを知らなければなりません
彼らは血統転換を受けましたか?
受けれませんでした
今イエス様の弟子達は楽園にいるといいますが
彼らの血統は誰の血統ですか?
サタンに属しますか?神様に属しますか?
彼らはサタンの血統に属します
これは確実に知らなければなりません
しかし私たちは祝福家庭です
私たちは新しい血統を持っています

私たちは正に神様の血統を持っているのです
霊界に行くとどこに行くでしょうか
皆様はどこに行くと思いますか?
サタンの世界に行くでしょうか?
神様の世界に行くでしょうか?
神様の圏内です

私たちは完全に違うのだということです
キリスト教人でこの様な特権を持つ者は
誰としていません
真の父母様のみを通し祝福を受けた者が
神様の圏内に行くことができるのです
だから皆様は失敗をしても
サタン側には行きません

神様側にいながらそこで蕩減復帰をするのです
これが他の者たちと祝福家庭との違いです
他の者はサタン側に行き
私たちはサタン側には行きません
地上人間に対する救援摂理は真の父母様の
祝福聖婚式の5日後から始まりました

お父様は1960年4月11日に祝福を受けられ
救援歴史は5日後の1960年4月16日に始まりました
それが3双の祝福でした
そうして肉体を持った地上の人たちの
救援が始まりました

その翌年1961年お父様は33双を祝福され
1962年には72双を
1963年には124双を祝福されました
この家庭たちは皆お父様の一族に属します

また1963年から1968年までお父様は
祝福式を挙行されませんでした
その訳が何だと思いますか?
1968年にお父様は430双を祝福して下さります
これが肉体を持つ者の為の祝福であり
救援の摂理です
===

 

 


にほんブログ村

 応援して下さる方は上のロゴをクリックして下さい。