原理講論を読む

日常生活の中で 考える糸口を求めて

エバの堕落と韓鶴子の堕落の類似性 

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先ず、太田朝久氏の血統転換から見た堕落論を見て基本的な理解を確認して七年路程を押さえて、韓鶴子女史が語り続ける「無原罪独生女」という神学が如何に非原理的な教義であり、真の父に反逆する偽りの言葉であることを理解したいものである。

 

お父様が個性完成します。

その完成の位置から長生機の完成級にいるお母様の位置まで降りてこられます。

そして一緒に再び完成期を登っていきます。

お父様がお母様を教育しながら。

これが7年路程です。

再臨主はエバを再創造する責任があります。

 

エス様が死んだのは、女性が誤ったからです。実際、マリヤがイエス様の新婦を探してあげる責任を果たさなかったのです。マリヤだけでも責任を果たしていれば、ヨセフが死のうが生きようがほうっておいて、イエス様に腹中にいる時から約三年だけでも侍っていたならば、問題は変わったことでしょう。ですから女性たちが、第一に母の責任を果たせず、第二に新婦の責任を果たせず、第三に僕の責任を果たせなかったのです。このような三つの責任を果たすことができなかったのです。
 イエス様がサマリヤの女を引きとめて、話した理由とは何でしょうか。サマリヤの女を僕にしようとしたのです。母を失い、新婦を探せず、僕であるサマリヤの女の所に行って水をくれと言ったのです。その女性はサマリヤ人、僕でしょう。ところが、この僕も責任を果たせませんでした。そのサマリヤの女は、僕の中でもぼろ布のような女の僕なのです。五人の夫に仕えた女性でした。家庭の暮らしは貧しく、汚れた女性だったのです。
 そのような女性でも、イエス様のみ言を聞き『この道だけが私の生きる道だ』と言いながら荷物をまとめてイエス様に従ったとすれば、どうなったでしょうか。マグダラのマリヤよりも立派になったのではないでしょうか。そのようにしていたならば、そのサマリヤの女は、マグダラのマリヤ以上の立場に立つようになったことでしょう。
 そのような観点から見ると、エス様が亡くなられるようになったのは、女性のせいなのです。その女性とは、母、娘、僕の三段階の女性です。堕落したアダムを中心として見れば、アダムの妻は僕です。エバが堕落して僕になったのです。そのような僕の体を借りて、イエス様が生まれたのです。
 イエス様がこの地上に来ることによって、養子時代に入りました。養子圏は直系圏に近いのでしょう? 僕は直系の息子であるイエス様と関係を結んでこそ、養子圏内に入ることができるのです。それゆえ、キリスト教を信じる人々は養子なのです。
 旧役時代は僕の時代です。エス様が生まれる前時代である旧約時代は、神様の娘がいませんでした。ですからやむを得ず僕の体を借り、主人(神様)の種を受け取って生まれるのです。マリヤはそのような僕の立場でした。主人の土地がないので僕の畑に行き、主人の種を受け取ってきたのです。僕の畑で受けた種だとしても、種さえ正しければいいのです。神様の種を僕の畑に植え付けてくるのですが、その畑がマリヤのものなのです。このようなマリヤをカトリックでは聖母として、あがめて大騒ぎでしょう?
 このように僕の体を経て生まれたイエス様を、息子の立場に立てたのです。こうして息子の位置に立ったイエス様を中心として因縁を結んだ使徒たちは、僕の立場から養子の立場に上がるようになるのです。イエス様を中心として、一段高い所に上がるのです。イエス様と一体になれば、僕の立場から一段高い養子の立場にそのまま上がるのです。
 僕の立場から一段上がったので、娘が現れなければなりません。僕の体を借りて、神様の息子であるイエス様が生まれたので、次は神様に必要な娘が現れなければならないのです。その娘をイエス様がつくらなければなりません。エス様が堕落していないアダムになったので、イエス様の妻になり得る堕落していないエバがいなくてはならないでしょう? 後のアダム、すなわち復帰された本然のアダムであるイエス様が現れたので、復帰されたエバが現れなければならないのです。
 ではエバは、どのように現れなければならないのでしょうか。創造の原則によって、エバはアダムを通して造られなければなりません。イエス様はマリヤを通して生まれましたが、エバが生まれるに当たっては、そのような原則はありません。エバが僕の立場で蕩減復帰しようとするならば、イエス様がアダムを復帰完成したのちに、イエス様によってつくられなければならないのです。そもそもエバはアダムによってつくられたので、復帰されたエバもアダムの代わりであるイエス様を中心としてつくられなければなりません。
 それならばイエス様を中心として、復帰されたエバをつくる際には誰の協助を受けなければならないのでしょうか。天使長の協助を受けなくてはいけません。ところが男性の天使長の協助を受けてはいけません。なぜでしょうか。男性の天使長によってエバを失ったので、復帰路程においては男性の天使長の協助を受けてはいけないのです。女性の天使長の協助を受けなければなりません。そうしてこそ、エバが創造されるのです。ここで、堕落したエバを誰が復帰するべきかというと、アダムが責任を取って復帰しなければなりません。つまりイエス様御自身がしなければならないのです。
 女性の天使長の協助を受けて、イエス様の相対的存在であるエバを創造しなければならないのです。そのためには、マリヤが、イエス様のみ旨を中心としてイエス様と一つにならなければならないのです。そうなれば、男性の天使長の立場に立ったヨセフが協助するようになるのです。そうしてこそ、堕落することによって僕の立場に落ちたアダムとエバが、息子、娘の立場に復帰されるのです。アダムとエバが天使長と一つになることによって堕落したので、天使長が復帰された立場に立ってこそ、イエス様もイエス様の妻も復帰されるのです。その復帰された立場に立つべき天使長夫婦がヨセフとマリヤです。彼らはイエス様が完成できるように協助してあげなければなりませんでした。
 イエス様が成人になるまで、喜びの中で完成できるように協助してあげ、彼の新婦を選ぶことにすべての最善を尽くして協助してあげなければなりませんでした。
 マリヤを中心に天使長格であるヨセフは、絶対服従しなければならないでしょう。そうしてこそ復帰されるのです。エバの側に天使長が屈伏していれば、アダムとエバは堕落しなかったでしょう。マリヤにヨセフが不平を言って服従しなかったのはマリヤの責任です。イエス様を完成させるに当たっては、マリヤが主体にならなければならないのです。そうしてこそ天使長とアダムが失敗したことを復帰してあげなければなりません。エバが天使長とアダムと、二人の男性を堕落させたでしょう。ですからエバの立場であるマリヤが、天使長とアダムを復帰しなければならないのです。」 (イエス様の生涯と愛 P116~120 1971年1月1日)

142.「サマリヤの女がイエス様に従ったとすれば‥‥」 | 御言 missing link

 

無原罪で生まれた独生女なんかありません。

 

ではエバは、どのように現れなければならないのでしょうか。創造の原則によって、エバはアダムを通して造られなければなりません。イエス様はマリヤを通して生まれましたが、エバが生まれるに当たっては、そのような原則はありません。エバが僕の立場で蕩減復帰しようとするならば、エス様がアダムを復帰完成したのちに、エス様によってつくられなければならないのですそもそもエバはアダムによってつくられたので、復帰されたエバもアダムの代わりであるイエス様を中心としてつくられなければなりません。

 

韓鶴子女史は再臨主である文鮮明師の教えと正反対のことを何年も語り続けています。

間違ったサタン的な原理をつくって信徒に信じ込ませてきました。

韓鶴子は堕落したのです。

悪魔に魂を売ったのです。

聖進様のお母様のときのように。

もう真の母として救い出すことができるタイムリミットを過ぎてしまいました。

頭を切り替えなければなりません。

お父様に反逆するについていくことはできません。 

 

お母様がサタンに奪われてしまったことには

我々にも責任があります。

堕落訓母を通してオモニが騙されていくのを防ぐことができませんでした。

だが、お父様が新しい真の母を立てた以上は、お父様が立てられた方と共に

お父様とお父様のみ言葉を喜んで証して行かなければなりません。

 

エバはサタンと結婚することによってサタンの妻になり、

次にサタンという偽りの父とサタンの妻であるエバが母として

堕落エバがアダムと結婚してアダムをサタンの子女にしました。

サタンはそのアダムに臨在してエバとの間に罪の子を生み増やして地を満たしました。

 

原罪はアダムにとっては血統的にサタンの息子になったことですが、

エバにとっての原罪はサタンの妻になったことでした。

そこで両者の復帰の道が違ってくるというのです。

サタンの妻から神の妻に逆転しなければなりませんでした。

善悪が混在するアダムを裂けば死んでしまうので善と悪の表示体として

生まれてきたその子アベルとカインに分けて復帰摂理を始めたように、

女性版のアベルとカインに善悪分立して悪ぬきをして創造本然のエバを

取り戻す道が正妻と妾の摂理でした。

 

現在の韓鶴子女史は実体の神様である文鮮明師を否定し

堕落訓母の嘘を信じてサタンの妻になる儀式をしました。

お父様が悔い改めるように激怒されましたが、

残念ながら悔い改めができなかったので

アダム文化は破壊され、堕落エバ文化が推進され、誉進様はジェンダーフリーの解放神学的原理解釈を持ち込みました。

 

もはや真の母の位相は韓鶴子を離れ、地平線の彼方に消えてしまったというのです。

 

 

われわれのグループで最もみ言葉に精通していると誰もが認めているのが、

劉教会長と李相軒先生です。

 

では李相軒先生はどのように語ってきたでしょうか?

韓鶴子女史には原罪もなく、お父様に教育もされてこなかったと説教されたでしょうか?

次回は日本において李相軒先生が語った言葉で、

韓鶴子女史は原罪をもって生まれてきたと言い、お父様に教育されたという証言を

振り返って韓鶴子が反キリスト、悪魔になったことをしっかり確認したいと思います。

 

 


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