2014年07月01日 天正宮訓読会
「血統転換」私は母胎からです。
皆さんがこれを信じなければなりません。
お父様の歴史はそうです。イエス様の顕現と共にイエス様の仕事を承継したその時が、その瞬間がお父様は独生子の資格です。(この時原罪精算)
わかりますか?それを知らなければなりません。
今までの2千年の歴史は独生女を探して来た歴史です。
この歴史的な秘密を私が明かしています。
韓鶴子オモニは、自分は母の胎の中にいるときから無原罪の独生女だが、
お父様は違う。イエス様に会うまでは原罪があったと主張します。
これが独生女神学です。
太田講師が次の動画で説明されています。
さてこの動画の進行に従って何が問題なのか考えてみましょう。
太田講師の言う、
「堕落していないエバ」とか
「堕落していない純粋な血統をもって生まれた方」とか
「罪の因縁とは全く関係のない処女」とは、
条件のことを指しているのです。
イエス様に何故原罪がないと言えるのか?
だが、エバの場合には原罪の内容が違うので、イエス様のような復帰の道をとらないとお父様は語られています。
「ではエバは、どのように現れなければならないのでしょうか。創造の原則によって、エバはアダムを通してつくられなければなりません。イエス様はマリヤを通して生まれましたが、エバが生まれるに当たっては、そのような原則はありません。エバが僕の立場で蕩減復帰しようとするならば、イエス様がアダムを復帰完成したのちに、イエス様によってつくられなければならないのです。そもそもエバはアダムによってつくられたので、復帰されたエバもアダムの代わりであるイエス様を中心としてつくられなければなりません。」(『イエス様の生涯と愛』)
何が無原罪で生まれた独生女でしょう?
とんだお笑い草です。
大母様がご自分の胎に宿った娘が原罪がなく、主の花嫁から主の妻になるべき存在だと知っていたら、オモニに「お前の親は神様だ」というだけではなく、何故「お前の夫は再臨主だ」と教えてこなかったのでしょうか?
大母様は自分が産んだ娘が独生女だとは知らなかったからです。
無原罪独生女とは、韓鶴子オモニの妄想なのです。
大母様の発言に韓鶴子オモニが独生女であることを感じさせるものはありません。
失われたアダムが復帰されたなら、失われたエバも復帰されなければなりません。
この文では正確には「娘」とは(独り娘)ではなく、文中の「真の娘」です。
「堕落する前のアダムと共にいたエバ」
「堕落前のエバ」
「堕落していないエバ」
「堕落圏内で探す新婦ではありません。堕落していない純粋な血統をもって生まれた方」に赤い下線が引かれていますが、むしろ重要なのはその後の方です。
「それではそのような新婦、すなわちその母とは、どのような基盤の上に生まれなければなりませんか。堕落した世界のアベル的な母の基盤の上で生まれなければならないのです」
つまり堕落した世界のアベル的な母は復帰されたエバのことです。
崔元福先生がそうでした。
お父様は韓鶴子という罪なき独生女は大母様の母胎からではなく、崔元福先生という
「堕落した世界のアベル的母の基盤の上で生まれなければならない」と言いました。
これが、訪韓女性修練会でお父様が説明された「正妻と妾」の摂理による血統転換で生まれてくる「無原罪独生女」です。
胎中からではないのです。
お父様が語られるときの「独生女」と
韓鶴子オモニが使う「独生女」では全く意味が違います。
天地の差があります。
血統転換は簡単な道ではない。
「二人の男と女が追い出されてしまったのが問題だから、二人は歓迎されない境地を乗り越えなければならない。それが祝福である。」(『復帰と祝福』)
太田講師、二人がゆくべき「歓迎されない境地」を何と心得るのでしょうか?
「血統転換は心情転換」だといいます。
では太田講師、血統転換された絶対基準の心情とは何だというのでしょうか?
おわかりでしょうか?
太田講師の有名な血統転換の講義は見事ですが、逆の経路の説明というように、
形状的説明で終わっています。不徹底です。
復帰された心情はいかなるものだというのでしょうか?
なぜご説明されないのでしょうか?
心情転換の結果がわからなくて、どうして血統転換したと言えるのでしょうか?
肩透かしを喰らったような感じです。
お父様の絶対「性」を信じないからその始末です。
「堕落はエバから始まった。何歳の時か。16歳。未成年。天が信頼すべき父母の基準を女性が犯した。だから復帰の原則によって、真の母になるべきそのお方は20歳を越えてはいけない。そういう原則なんだよ。そして、先生の聖婚式は40歳を越えてはいけない。そういう理由で先生は若いお母様を迎えて、娘のように愛した。それで最初の7年間は何をする期間なんだね。天的な家柄や家法による教育、そうなっている。だから先生は、夜が明けた時にはそういうことはしないのだけれど、寝る時にはずっとそのことをお祈りする。お母様には分からないけれどね。そのようにして堕落の結果失われた、娘とその相対基準と神の前に真なる父母の基準、この3つを家庭において復帰する。これは堕落した人間としては、誰もが行くべき道なのである。」
「完全なるプラスが現れた場合には、完全なるマイナスは自動的に生まれてくるようになる。」
そう7年間のお父様のお母様に対する完全投入の教育でオモニは真の母に育て上げられました。
ところが、韓鶴子オモニは、
母胎から無原罪で生まれたのは自分とイエス様の二人だけだと言う。
お父様は入らない。
イエス様に会うまではお父様には原罪があったと韓鶴子オモニが考えているからです。
2017年03月29日 清平全国公職者総会
先に参りましょう。
「完全なる男性が生まれた場合には、完全なる女性は自動的に生まれるようになっている」というお父様のみ言を太田講師は引用していますが、
韓鶴子オモニの考えは全く違います。
1,お父様が韓鶴子オモニを教育したと言っているのは間違いだと言っています。
2,独生子と独生女の関係は、主体と対象の関係ではなく、主体と主体の同等関係だと言っています。
3,お父様と関係なくオモニが決定し決心した理論が「独生女神学」だというのです。
しかし、太田講師!
母との関係性の前に、父との関係性が必要だったはずです。
お父様の聖和以降、お父様と食口の関係性は無視され、韓鶴子オモニとのみの関係性だけが重視されるようになりました。
それでは完全復帰ができません。
血統転換できないというのです。
韓鶴子独生女の血統転換は無精卵祝福です。
神の生命も血統もありません。
お父様の絶対精子に食口をつなげません。
むしろその道を塞いでいるというのです。
「その歴史は何か。人の誕生は男性から女性を通してなされる。そうすると、この転換の道はどこにいってその交差点をつくらなければならないのか。それは女性の胎中だ。そこからずーっと、歴史はもとがえしの運動をしたという条件を立たせなければならない。そのため、神はある家庭を中心に摂理してきた。しかし、完全復帰ということを思う時に、男の骨肉の中に潜んでいる種が出発である。だから、その男の血肉の中の原因の基準まで、神の愛を中心として一体となったという条件を立たせなければならない。そこを通過しなければ、これは完全な血統転換の基台をつくったという条件が満たされない。」(『血統的転換』)
「 今、血統的転換をさせるには、アダムの骨髄の中まで、骨肉の真ん中まで行って、将来の子供になるべきその原姻に、神の愛と結束した勝利的条件を満たさないと、将来神の子供として生まれることはできない。これは、理論的に間違いない。聖書はそのようにやってきたから、神の言葉だというんだね。」(『血統的転換』)
「 イエス様を信じるとは何か。イエス様は男である。本当は堕落しない大本のアダムである。結局は霊的でありながらも、霊的にお父様だ。だからこのお父様と一つにならなければ、再び生まれ変わる道は全くない。だからキリスト教は、イエス様のすべての骨髄の中にまで入ったという、慕い焦がれる愛情に触れ合う、そういう生活圏を体血するたった一つの教えだ。イエス様を、慕う新郎として迎えた教えである。その新郎という、花婿として教えるのは、それは二重の効果を得ようとしている。一つはその骨肉に入る子供の源となるとともに、母の胎中を通過したという条件の基台も得ようというのが、新婦という立場である。
人々はみなアダムの子供の立場にある。人類はアダムの中へみな帰れ帰れという。聖霊はエバの神である。これを復帰するのに、自分は生むことができない。生まれる前にアダムの中へ早く帰るような作用をしなければならない。その作用をするのが聖霊の働きだ。だからクリスチャンはみな、イエス様の体中の子女の立場にもとがえらなければならない。」(『血統的転換』)
「では、イエス様の骨肉の中にまで潜りたいという信仰をもっている信者は何人ぐらいいるか。イエス様の骨肉に入るといっても、肉体は入れないよ。心情しかない。愛しかないんだよ。」(『血統的転換』)
「 そのようにして、イエス様を通して、神の愛に触れて、真の父母の血肉に接し得るその内姻を立てたという条件を満たした場合に、それから、イエス様と聖霊とが慕い合う愛の道をたどっていかなければ、生まれてこない。イエス様の相対者は聖霊であり、その生きた子供のよみがえりの実体そのものは、父母の愛の道を通過しなければ生まれてこない。そうするには女性が男性を慕い、男性が女性を慕い合う、それで一致なる愛の境地を通過しなければ、再び生まれてこない。それには何の疑問もないだろう。そうするには、聖霊の感動を受けるとイエス様が非常に恋しくてたまらない。聖霊はそういう感動の役目をする。イエス様は新郎、聖霊は新婦だ。これが慕う愛の道が、これが一つになった、霊的に一つになったという喜びを、その実体が体恤して初めて、失われた本来の愛の基準が新しく準備される。そこにおいて、よみがえりの体恤ということが成立する。」(『血統的転換』)
一体韓鶴子オモニの話を聞いてお父様が非常に恋しくなるでしょうか?
聖和以降、お父様証すことはすっかりなくなったというのですから。
胎中転換の前にお父様の絶対精子に立ち返らなければ血統転換の完全復帰はないのです。
「今日までのキリスト教においては、聖霊は、母親の役目をなしてきました。母なる聖霊を通過し、父なる霊、すなわちイエスの霊を通過して、我々は、霊的基準において新生するのであります。
もちろん我々は、母の胎内で生まれたわけですが、さらにもう一歩深くさかのぼって考えてみると、生命の起源は父親から出発するのであります。母親の胎内までさかのぼることによって、血統は交叉し、復帰されましたが、この場合、まだ父親を迎えていないのであります。それゆえに、今日まで、クリスチャンは、母の霊による聖霊の力により、根源そのもの、すなわち、生命の起源であるところの父なる来たるべきキリストのもとへ帰ることを待ち望んできたのであります。堕落する前に、既に息子や娘の生命は、すべて、父親なるアダムの体中で、一つの種として出発していたはずであります。すなわち、息子や娘になる種は父親の体中にあるのです。」(『復帰の道』)
「 このようなわけで、誰でも、母親が現れる前に、真の父と一体化しなければならない七年期間があるのであります。ですから、皆さんはまだ結婚していないので、完成したアダムの体中の種の立場に帰っていくのです。恨源そのものにまっすぐ立ち返っていくのです。すなわち、我々はみんな、堕落しない人間である父親から出発しなければならないということです。つまり、堕落しない独身のアダムの体から出発した種が、母親の胎内に身ごもられねばならないのであります。そこにある種は、本物であり、我々はその位置に帰らねばなりません。」(『復帰の道』)
韓鶴子独生女教団ではお父様と一体化する7年路程は必要がなくなりました。
怖ろしいことです。
「血統の復帰は、ついに母親を通してなされ、原理は復帰されて、汚れた血統は、天の血統へと復帰されたのであります。しかしながら、我々が完全な新しい生命として、新たに創造され、根本的に新生されるのは真の父を通して、真の父の体を通して初めてなされるのです。ゆえに、その新しい創造の時から、初めて霊肉ともの贖いによる完全なる救いは、可能となるのであります。かくして、我々の子供たちは、救いの過程を通らずして天国に行くようになるのです。」(『復帰の道』)
太田講師は、韓鶴子オモニが無原罪で生まれたことを強調したいがために、
お父様の御言を引用されますが、そもそもイエス様が無原罪で生まれた独生子であるのは、血統転換の公式によってです。
そのエバの公式はアダムとは違います。
ですから、韓鶴子オモニが無原罪で生まれたことを証明したいならば、
血統転換の公式によって説明するべきです。
韓鶴子オモニはお父様のように、血統転換の奥義を解明されたわけでもなく、
それどころか、三弟子の一人で今も家庭連合に所属されている金栄輝先生も
「お母様は原理も聖書もわからない」
と断言されています。
そのような方の根拠のない言葉をもって、お父様の教えを甚だしく歪めるのは反キリスト的行為の見本のようなものだといえます。
アダムとエバが、善悪を知る果を取って食べるなと言われた神のみ言を守り、自分たちの責任分担を果たしたならば、善の人間始祖となることができたのであった。したがって、神はアダムとエバが人間始祖となることを、絶対的なものとして予定なさることはできないのである。ゆえに、堕落した人間も、それ自身の責任分担を果たして、初めて神が予定された人物となることができるのであるから、神は彼らがいかなる人物になるかということを、絶対的なものとして予定なさることはできないのである。
では、神は人間をどの程度にまで予定なさるのだろうか。ある人物を中心とした神の「み旨成就」においては、人間自身があくまでもその責任分担を果たさなければならないという、必須的な要件がついている。つまり、神がある人物を、ある使命者として予定されるに当たっても、その予定のための95%の神の責任分担に対して、5%の人間の責任分担の遂行を合わせて、その人物を中心とした「み旨」が100%完成する、というかたちで、初めてその中心人物となれるように予定されるのである。それゆえ、その人物が自分の責任分担を全うしなければ、神が予定されたとおりの人物となることはできないのである。予定論 第三節 人間に対する予定
「2013年1月13日には、即位式をしなければなりません。」文鮮明
「原理本体論」について 2008年8月31日、韓国 天正宮博物館
何故ならお母様がまだお父様の基準に至っていなかったからです。
一体化していたらとっくに即位式をされていました。
自分が無原罪で生まれてきたとする韓鶴子オモニは、
お父様が原罪をもって生まれたと語られてきました。
「アボジは原罪をもって生まれました。
無原罪でこの地に生まれた独生女に出会うことで
アボジは原罪を脱ぐことができたのです。
アボジは私に出会う以前に誰とも結婚すべきではなかった。」
2016年12月30日(天地人真の父母様招請元老指導者特別集会)
本当はお父様によって原罪を精算していただいたのに、
反対に自分がお父様の原罪を精算してやったのだというのです。
今の韓鶴子オモニの姿は、堕落した天使長そのものです。
私には「天使長の血統から来ました」も
「天使長の血統を受けた人です」も
そんなに変わらないと思うのですが、誰がどう批判に用いたのか知らないので、
この点には立ち入りませんが、オモニは自分の名前と同じ韓国を特別視して誇っています。
「 それゆえ既成の習慣というものは、絶対に許されません。自分は大韓民国の人であるという意識を持つことそれ自体が、サタン側であることを自証するものです。ですから国家や民族を超越して克服しなければなりません。私は天の国の国民であり、私は神様の直系であり、私の根は神様であって、サタンとは関係がないと言わなければならないのです。」
(『イエス様の生涯と愛』)
「1960年度から七年路程を経て1968年に心情一致圏を中心とした『神の日』を定めることができるようになったのです。お母様も長成期完成級から完成期完成級まで七年路程が残っているのです。そうしなければ心情圏が同じにならないのです。それゆえ先生は1960年に結婚しましたが、七年を経て1968年の1月1日に『神の日』を定めたのです。原理的なのです」(八大教材・教本『天聖經』1155ページ)
「お母様と私は23年間の差のある同じ誕生日を持っている。あなた達はこの違いをどのように調整するのかはわからないだろう。それがDデイであり、統一教会のメンバー達が祝福を受ける最後の日である。」
「(このスピーチの題名によると)それは実体み言葉であり、み言葉の実体ではない。み言葉による(再)創造というのは堕落の後にのみくる。」
「私はこのスピーチを何度修正したか分からない。今回真の父母とともに祝福を受ける者は、このスピーチファイルを受け取ることになっている。あなた達はこの本とともに生きなければならないし、そうすれば私の居る天国に行くようになるだろう。」
2012年1月8日 文鮮明
原罪というものを考える時に重要なことは、サタンが讒訴する事ができる条件ということです。
太田講師はあまりにも韓鶴子オモニの言葉に頼りすぎています。
血統転換から説明しなければなりません。
大母様がマリアの役目を果たしたとでもいうのでしょうか?
「けれどもイエス様は、蕩減復帰の原則によって、タマルの腹中であるペレヅが勝利した血統的な基盤の上で、マリヤの腹中を通して生まれました。したがってイエス様は、腹中に宿った時からサタンが讒訴する条件がなかったのです。イエス様と一般宗教の指導者たちとの違う点がそこにあります。生まれた根本が違うのです。腹中からサタンと戦って勝利した基盤の上で、サタンを屈服させ、長子の基準を立ててイエス様が生まれたので、神様の息子として生まれても、サタンが讒訴できる条件がなかったのです。そのようにして初めて2千年後に、イエス様がこの世にお生まれになったのです。」
(『イエス様の生涯と愛』)
「 イエス様自身について見ると、イエス様はマリヤの腹中に宿って生まれましたが、歴史的な勝利の土台の上に、サタンが讒訴できる何の条件もないのです。サタンが讒訴できる条件がないということは、原罪がないということです。
罪とは何でしょうか。神様のみ言に違反したことが罪だというのですが、サタンが讒訴できる条件を提示することが罪です。恩讐が食い下がる条件を提示することが罪なのです。ですから、原理原則、法度から外れれば神様もどうしようもないのです。サタンに引っ掛かってしまうのです。イエス様は、生まれたときにサタンが讒訴し得る立場を抜け出した立場で生まれたので、原罪がないのです。」
(『イエス様の生涯と愛』)
「知っている人が教えなければならない。
世の中の前に独生女、理解させるのに6年かかった。
独生女は、神が定めるもので、来られる再臨のメシヤが定めるものではない。
私が、58年待ったのよ。私でなければ、この世に真の父母の顕現はない。
私に会えなければ、再臨メシヤは真の父母になることはできない。」
太田講師は、原罪がアダムとエバでは内容が違っていることがわかりません。
原罪と言われるサタンの讒訴する条件がアダムとエバでは違います。
堕落論には堕落の動機と経路の説明があります。
正確には、堕落の動機と関係と経路と基準が問題になってまいります。
あれだけの講義をされる方が何故わからないのでしょうか?
以降の説明は、基本的にはオモニが聖霊の実体であり、
お父様と聖霊の実体となったお母様が霊肉ともなる救いをもたらすという話が続きます。
聖霊の位置と状態からオモニが離れてしまえば、もはや母は堕落したということになります。
そこで。聖霊に関すると思われる聖書のみ言をそれぞれの説明の間に添えて、
聖霊の実体のお姿で、今もなおオモニがおられるのか神の神意を求めてまいりましょう。
はたしてオモニの現在の姿は聖書的な聖霊にもとづくものなのでしょうか?
「けれども真理の御霊が来る時には、あなたがたをあらゆる真理に導いてくれるであろう。それは自分から語るのではなく、その聞くところを語り、きたるべき事をあなたがたに知らせるであろう」(ヨハネ16章13節)
「わたしが父のみもとからあなたがたにつかわそうとしている助け主、すなわち、父のみもとから来る真理の御霊が下る時、それはわたしについてあかしするであろう」
(ヨハネ15章26節)
「愛する者たちよ。すべての霊を信じることはしないで、それらの霊が神から出たものであるかどうか、ためしなさい。多くのにせ預言者が世に出てきているからである。あなたがたは、こうして神の霊を知るのである。すなわちイエス・キリストが肉体をとってこられたことを告白する霊は、すべて神から出ているものである。」
(第一ヨハネ4章1〜2節)
真の父母様の三次の聖婚式は、完成期完成級を全うした基準の一体化となるはずでした。
それがD-DAY。
2013年1月13日です。
オモニの復讐はお父様がこの日まで生きながらえることを塞ぎました。
見よ!すべての子女様が棺まで降りて棺に手を添えて別れを告げているのに、
韓鶴子オモニだけは、さほど苦労なく降りれる穴の底には行かず、
冷たい視線を投げかけるばかりでした。
オモニだけです。オモニだけです。オモニだけです。
なんと変わり果てたお姿だったことか!
この世の妻でも棺に触れて見送ることでしょう。
これを一体化している理想の夫婦だと太田講師は考えるのでしょうか?
韓鶴子オモニは、お父様の王権を略奪しました。
基元節にはお父様にはガウンだけ用意され、王冠も権能の杖もありませんでした。
独生女王朝が始まりました。
エゼキエルは言う。
「わたしは新しい心をあなたがたに与え、新しい霊をあなたがたの内に授け、あなたがたの肉から、石の心を除いて、肉の心を与える。わたしはわが霊をあなたがたのうちに置いて、わが定めに歩ませ、わがおきてを守ってこれを行わせる」(エゼキエル36章26〜27節)
「不法の秘密の力が、すでに働いているのである。ただそれは、いま阻止している者が取り除かれる時までである。」(第二テサロニケ2章1節〜12節)
劉正玉先生の証言は、お母様が真の母からただの母になったということでした。
すなわち韓鶴子オモニは堕落してお父様に反逆し復讐しているというのです。
「生まれながらの人は、神の御霊の賜物を受け入れない。それは彼には愚かなものだからである。また、御霊によって判断されるべきであるから、彼はそれを理解することができない」(第一コリント2章14節)
「聖霊は、あなたがたにすべてのことを教え、またわたしが話しておいたことを、ことごとく思い起させるであろう」 (ヨハネ14:26~29)
「このように、あなたがたは子であるのだから、神はわたしたちの心の中に『アバ、父よ』と呼ぶ御子の霊を送って下さったのである」(ガラテヤ4章6節)
「すべて神の御霊に導かれている者は、すなわち、神の子である。あなたがたは再び恐れを抱かせる奴隷の霊を受けたのではなく、子たる身分を授ける霊を受けたのである。その霊によって、わたしは『アバ、父よ』と呼ぶのである」(ローマ8章14〜15節)
「聖書に『最初のアダムは生きたものとなった』と書いてあるとおりである。しかし、最後のアダムは命を与える霊となった」(第一コリント15章45節)
「僕の立場から一段階上がったので、娘が現れなければなりません。僕の体を借りて、神様の息子であるイエス様が生まれたので、次は神様に必要な娘が現れなければならないのです。その娘をイエス様がつくらなければなりません。イエス様が堕落していないアダムになったので、イエス様の妻になり得る堕落していないエバがいなくてはならないでしょう?後のアダムであるイエス様が現れたので、復帰されたエバが現れなければならないのです。」(『イエス様の生涯と愛』)
生まれながらの無原罪独生女ならイエス様がどうしてつくる必要があるでしょうか?
「 ではエバは、どのように現れなければならないのでしょうか。創造の原則によって、エバはアダムを通してつくらなければなりません。イエス様はマリヤを通して生まれましたが、エバが生まれるにあたっては、そのような原理はありません。エバが僕の立場で蕩減復帰しようとするならば、イエス様がアダムを復帰完成したのちに、イエス様によってつくられなければならないのです。そもそもエバはアダムによってつくられたので、復帰されたエバもアダムの代わりであるイエス様を中心につくられなければなりません。」(『イエス様の生涯と愛』)
創造の原則によってお父様によってお母様がつくられなければならないのに、
韓鶴子オモニはこれを否定しています。
また、大母様はマリヤのような摂理で無原罪のオモニを生むことはないというのです。
「それならばイエス様を中心として、復帰されたエバをつくる際には誰の協助を受けなければならないのでしょうか。天使長の協助を受けなければならないのです。ところが男性の天使長の協助を受けてはいけません。なぜでしょうか。男性の天使長によってエバを失ったので、復帰路程においては男性の天使長の協助を受けてはいけないのです。女性の天使長の協助を受けなければなりません。そうしてこそ、エバが創造されるのです。ここで、堕落したエバを誰が復帰すべきかというと、アダムが責任を取って復帰しなければなりません。つまりイエス様御自身がしなければならないのです。」
(『イエス様の生涯と愛』)
ここで言う「女性の天使長」がマリヤや崔元福先生です。
イエス様同様、オモニが真の母に復帰されることは、アダムであるお父様がなされるということです。7年路程です。
「女性の天使長の協助を受けて、イエス様の相対的存在であるエバを創造しなければならないのです。そのためにはマリヤがイエス様のみ旨を中心としてイエス様と一つにならなければなりません。そうなれば、男性の天使長の立場に立ったヨセフが協助するようになるのです。そうしてこそ、堕落することによって僕の立場に落ちたアダムとエバが、息子、娘の立場に復帰されるのです。
アダムとエバが天使長と一つになることによって堕落したので、天使長が復帰された立場に立ってこそ、イエス様もイエス様の妻も復帰されるのです。その復帰された立場に立つべき天使長夫婦が、ヨセフとマリアです。彼らはイエス様が完成できるように協助してあげなければなりませんでした。」
(『イエス様の生涯と愛』)
「 イエス様が成人になるまで、喜びの中で完成できるように共助してあげ、彼の新婦を選ぶことにすべての最善を尽くして協助してあげなければなりませんでした。彼らは天使長夫婦の立場で、イエス様とその相手を本然の息子と娘のように完成させてあげるべきではなかったのでしょうか。
マリヤを中心に天使長格であるヨセフは、絶対服従しなければらないのです。そうしてこそ復帰されるのです。エバの前に天使長が屈服していれば、アダムとエバは堕落しなかったでしょう。マリヤにヨセフが不平を言って服従しなかったのは、マリヤの責任です。イエス様を完成させるに当たっては、マリヤが主体にならなければならないのです。そうして天使長とアダムが失敗したことを復帰してあげなければなりません。エバが天使長とアダム、二人の男性を堕落させたでしょう?ですからエバの立場であるマリヤが、天使長とアダムを復帰しなければならないのです。」
(『イエス様の生涯と愛』)
「そののち堕落した場合には、またもや神の御子を、自ら十字架につけて、さらしものにするわけであるから、ふたたび悔改めにたち帰ることは不可能である」(ヘブル書6章6節)
2018年7月13日韓鶴子 ワシントン上級裁判所
「私が結婚してあげてこそ真の父母の位置にあがるのだ。」
お父様は堕落から脱することができない立場で誕生した。
それを知らなくてはならないよ、皆さんが。16歳の時、 イエス様によって責任を引き受けることになったんだ。
それならお父様としては資格証を受けなければならない。資格証。
・・・
ところでメシアの資格の第一は責任を果たさなければならないので
す。神様の命令に絶対信仰、絶対愛、 絶対服従にその命令に従わなければなりません。
そして二番目に独生女に会えなければお父様は独り子ではありませ
ん。これを知らなければなりません。
「独生女韓鶴子の時から今に至るまで、天国は激しく襲われている。そして激しく襲う者たちがそれを奪い取っている」
マタイ伝11章12節?
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