原理講論を読む

日常生活の中で 考える糸口を求めて

真のお父様御生誕100周年記念、お父様の生涯路程の価値とイエス様の価値 4,霊的堕落と肉的堕落の蕩減復帰

4,霊的堕落と肉的堕落の蕩減復帰 

 

 

<霊的堕落の蕩減復帰>

 

誰が:悪の天使長 ➡ エバ (不倫なる淫行関係)

関係:天使長とエバ(本来はエバの相対はアダム)

動機:神のみ旨に反する悪の動機

時期:アダムとエバが婚約期間(神による三大祝福) 

行為:天使長とエバの不倫なる淫行関係(偽の結婚) 

 

これを蕩減復帰していくには

同様の内容で堕落の時と逆の経路を行かなければならない。

具体的には神が愛するアダムの象徴的存在である天使長的男性(祭司長)が

堕落によってエバの相対になっている天使長的男性から、

神の意志を動機として、婚約期間にある処女エバ

神の主管に奪い返すたにエバと結婚の行為をしなければならない。

 

誰が:善の天使長 ➡ エバ

関係:天使長とエバ(義父と娘=偽父と娘)

動機:神のみ旨に適った善の動機

時期:堕落圏のアダムとエバが婚約期間

行為:善の天使長とエバの神が祝福する性的関係(真の結婚)

 

そこでイエスが無原罪で誕生するためには

神のみ旨を受けて

ザカリア(善の天使長) ➡ マリア(天使長的ヨセフと婚約期間にあった)

すなわち神はザカリアによってヨセフからマリアを奪った。

これによって何が成立したのか?

当然、霊的堕落の蕩減復帰である。

 

これをイエス様が無原罪で誕生された原理であると講師も含めた兄弟が

理解してきた。

では、一体肉的堕落はどうなったのだろう?

いつどのようにしてイエス様は蕩減復帰なさったのだろう?

 

いや、はっきり言おう。

エス様はここまでであった。

肉的堕落の蕩減復帰にまでは至らなかったのである。

終わりの日だから言おう。

イエス・キリストは中途半端ないわゆる原罪の精算に終わった方である。

別の言い方をするなら、イエス・キリストとは霊的堕落の蕩減復帰を果たして誕生した独生子であった。

それはイエス様御自身の責任においてなされるものではなく、

両親においてなされた摂理であった。

 

では地上に誕生されたイエス様御自身が責任を果たすべきみ旨は何だったというのか?

当然、肉的堕落の蕩減復帰である。

 

韓鶴子はそんなことも知らずにほざいている!

 

エス様の肉身は善の天使長の血統である。

神の血統ではなく、別の血統の子を神が得たのであるから、

エス様は養子であるに違いない。

ザカリアは善の天使長にすぎないのだから。

 

旧約時代には、神は天使の姿でイスラエルに現れた。

旧約の完成者として出発されたイエス様は、肉身においては善の天使長の血統で出発されたに違いない。

 

 

 イエス様とお父様は同じだと言うが、

お前たちの子女でさえイエス様以上だという原理を知らない。

 

だから、

お父様は祝福家庭の子女はイエス様より立派になれると語ったが、

誰も信じるものがいなかった。

何故だろう?

何故そうお父様はいい切れたのか?

 

「 皆さんが生んだ息子、娘は、神様が4000年間準備して生んだメシヤ、イエス様より立派になれる息子、娘です。エス様の父母がいるならば、その父母が祝福を受けてイエス様を生みましたか。皆さんは、真の父母を通して祝福を受けて生んだというのです。

(横書き天聖経P2127 231−155.1992.6.2)

 

エス様は霊的堕落の蕩減復帰で生まれたが、祝福家庭はお父様の勝利によって、

霊肉の堕落から蕩減復帰された者である。

だからその子女は本来どのような可能性があるのか?

誰もお父様をメシヤだと信じてはいない。

この有様だ!

 

  

そこでイエス様が神の実子になるために、

お父様は語られてきた。

 

本当は「イエスは母マリアと結婚しなければならなかった」

これが肉的堕落の蕩減復帰だからである。

 

 第一の堕落=霊的堕落
 
天使長(義父)エバ(娘)の結婚で堕落
したがって、堕落の時の逆の経路の公式から、
善の天使長ザカリアと復帰されたエバであるマリアの結婚で復帰
 
霊的堕落の蕩減条件の成立
 
第二の堕落=肉的堕落
 
天使長の妻になったエバは、母格になったエバ
したがって、エバ主導のアダムとの結婚は、母子結婚
天使長中心にエバとアダムが堕落したことは、
外的には兄妹の結婚に見えるが、
実際には母子の結婚であり、
サタンを父としエバを母として
神の血筋からサタンの血筋に生み変えられてしまった。
 
 
主管性転倒が原罪を生んだ。
エバが主体の母格としアダムを対象の子として結婚することによって堕落したので、
子であるイエスは母であるマリアと結婚して蕩減復帰しなければならなかった。
これが肉的堕落の内容と蕩減復帰だった。 
母がアダムを完成させる方向に働くことを母子協助と言い、
アダムの根本復帰の母子協助は母と子の結婚である。
原理講論にかかれている母子協助は根本復帰の象徴的な内容にすぎない。
 
 

エバは二度堕落し、アダムは一度に堕落した。

エバは霊的堕落と肉的堕落の二度の堕落をしたが、アダムは霊肉の堕落を一度にした。

したがって、アダムとエバとでは堕落の内容が違うので原罪と一言で言われてきたが、

蕩減復帰すべき条件も違ってくる。

原罪と呼ばれてきたその性質は異なる。

アダムは一度の蕩減復帰で元返すが、

エバは二度の蕩減復帰で元返す。

 
 
「 イエス様が成人になるまで、喜びの中で完成できるように共助してあげ、彼の新婦を選ぶことにすべての最善を尽くして協助してあげなければなりませんでした。彼らは天使長夫婦の立場で、イエス様とその相手を本然の息子と娘のように完成させてあげるべきではなかったのでしょうか。
 マリヤを中心に天使長格であるヨセフは、絶対服従しなければらないのです。そうしてこそ復帰されるのです。エバの前に天使長が屈服していれば、アダムとエバは堕落しなかったでしょう。マリヤにヨセフが不平を言って服従しなかったのは、マリヤの責任です。イエス様を完成させるに当たっては、マリヤが主体にならなければならないのです。そうして天使長とアダムが失敗したことを復帰してあげなければなりません。エバが天使長とアダム、二人の男性を堕落させたでしょう?ですからエバの立場であるマリヤが、天使長とアダムを復帰しなければならないのです。
(『イエス様の生涯と愛』P119〜120)
 
 

エバは先ず悪の天使長との結婚で堕落し、

次に戒め期間のアダムを誘惑して結婚し堕落した。

そこで、マリアは善の天使長との結婚として、

霊的堕落の蕩減復帰をした後、

霊的堕落の蕩減復帰をしてサタンに讒訴されることがない条件を立てて生まれた、

エス様と結婚して肉的蕩減復帰をしなければならなかった。

 

母子協助とは、

「 この地に神様の愛と生命の種をもって生まれるためには、まず母親がいなければなりません。母親が息子を生むとしても、ただ単に生むことはできません。必ず復帰の公式を通して生まれなければならないのです。

 復帰摂理の中に現れた母子協助は、すべて天の息子がサタンの讒訴を抜け出した新しい生命の種をもって着地するための準備であり、条件なのです。母子共に、サタンの攻撃を抜け出し得る条件を立てた土台の上で、サタンを代表する長子を屈服させることによって、サタンが先に占有した愛と血統を復帰していけるのです。 」

(『イエス様の生涯と愛』 P60 283−193,1997.4.12)

 

堕落してサタンの妻になったエバが母格になって未成年のアダムを誘惑し、

結婚することによって肉的堕落が生じ、アダムはサタンが占有してしまった。

そこで、「先ず母がいなければならなりません」ので仕方なく僕の体を借りた。

すなわち母マリアのことである。

その母は「復帰の公式を通して生まなければならない」

エバはサタンを中心とし二度の間違った結婚で堕落してサタンに占有されたのだから、

神を中心とした正しい二度の結婚で「サタンが先に占有した愛と血統を復帰」しなければならない。

一度目の悪の天使長との結婚による堕落は、ザカリアという善の天使長との結婚で復帰して取り戻した。

霊的堕落の蕩減復帰のことである。

そうであるなら、二度目の結婚でイエス様がアダムとして生み返されなければならない。言い換えれば、エバが主管性転倒してアダムを主管して母子で淫乱を行い堕落した。

だから、イエス様は母マリアと結婚しなければならない。

そうしてこそ、「愛と血統を復帰」と言うことができる。

 

 「 本来ヨセフの家庭は、イエス様に侍り、天の法度を立てなければなりませんでした。それは何故でしょうか。イエス様は天の王子であるからです。それならば、天の王子に侍るマリヤはどのような人物でしょうか。マリヤは、イエス様の母ではありません。母は母ですが、神様のみ旨を中心として見れば、母ではないのです。

 神様には、息子を生める娘がいません。それでイエス様も娘を通して生まれたのではありません。本来はエバ自体が完成して、神様の愛に一致できる結果のもとで、娘に決定されなければならなかったにもかかわらず、堕落したので神様の娘になれなかったのです。

 このように神様の息子を生める女性がいないので、神様は仕方なく僕の体を借りてでも、息子の種を残さなければなりませんでした。そのような運命から僕の立場であるマリアを通して、ついに天の王子が生まれたのです。天の王子が生まれたのならば、その次に天の王女がいなければなりませんでしたが、王女がいませんでした。

 それならば、マリアの果たすべき使命とは何でしょうか。僕から娘に、娘から母に上がることです。復帰の路程を経なければならないのです。では僕の体で、神様の娘になり得る立場に立つためには、どのようにすべきでしょうか。神様がアダムを創造し、アダムを見本としてエバを造られたように、マリアも創造原則によってイエス様に従って復帰されなければならないのです。」

(『イエス様の生涯と愛』P84〜85)

 

お父様の御言では、「蕩減復帰上イエス様と母マリアとが結婚する必要があった」ことを文字どうりには語られてはいないにせよ、以下のようにそう判断せざるを得ないような内容がある。しかも、それは第一回で私が書いたようなものとはまったく違って、イエス様は母マリヤにそのことを訴えたようにはっきり説かれている。

エス様は母マリアに御自身の心情をこう吐露された。

 

『あなたは天輪によって、私と因縁が結ばれているので、天のみ旨を立てなければならない』

 

「本来マリヤは、天の生活的な規範を中心として、僕の身で息子の行ける天の規範を立てなければならず、娘の行ける天の規範を立てなければなりませんでした。その次には、神様の王子の前において、王女として代を継ぎ得る接ぎ木をされなければなりませんでした。その接ぎ木されるとは、アダムの体を通してエバが創造されたように、イエス様のみ旨とイエス様の思想とイエス様の願いに、マリヤが一致して復帰されるということです。マリヤにはこのようなことを植えて、刈り入れるべき責任がありました。
 そうしてイエス様の骨の中の骨であり、肉の中の肉になる事ができる一人の新婦をヨセフの家庭を中心として、マリヤの精誠の基台の上に決定しなければなりませんでした。ところが、そのようにできなかったので、エス様はマリヤをつかんで涙を流しながら、『あなたは天輪によって、私と因縁が結ばれているので、天のみ旨を立てなければならない』と、御自身の心情を吐露されたのです。けれどもマリヤは、それを受け入れて協助する立場に立つことができなかったのです。」
(『イエス様の生涯と愛』P86〜87)
 
天輪の規範 ➡ 神を中心とした結婚
接ぎ木   ➡ 血統転換
アダムの体を通してエバが創造される ➡ イエスとの結婚を通してエバが復帰される
 
わたしはサンクチュアリ随一の異端者なのかもしれない。
ある時、お父様はこのようにも語られている。
 

「 このように、復帰歴史は困難なのです。もしイエス様が結婚していたならば、イエス様は死んだでしょうか、死ななかったでしょうか? 洗礼ヨハネもすべてを知っていました。イエス様が私生児だということもすべて知っていたのです。 ですから、そのようなイエス様が救世主となるということなど、誰も信じられませんでした。 

 それゆえ、ガリラヤのカナの婚宴に行った時に、酒がないと言ったマリヤに対するイエス様の言葉は、『婦人よ、あなたは私と、何の係わりがありますか』ということです。このようにイエス様が言ったのは、マリヤが隣の村の親戚の結婚式は重要視して、息子の結婚について全く無関心であったことに抗議したのです。 また、メシヤの来られる前にエリヤが再臨すると予言されていたのに、洗礼ヨハネがエリヤとして再臨したということを誰が信じられましたか? このような立場でイエス様は洗礼ヨハネがエリヤとして来たと言ったのです。」 

(ファミリー93年7月 P24~28 「成約時代と私」 1993年2月14日ベルベディア)

 
ここでは、カナの婚宴での『婦人よ、あなたは私と、何の係わりがありますか』
という言葉の意味を、マリヤが隣の村の親戚の結婚式は重要視して、息子の結婚について全く無関心であったことに抗議したとしておられる。
 
マリヤとの結婚なくしては、洗礼ヨハネの妹との結婚もないから、そういうことも見通してお話されているのかもしれない。
だが、そのままとれば、イエス様御自身の結婚である。
お父様はその時その時で何をどこまで話すか決めてお話なさる。
われわれに基準がないからだろう。
また、このようにも語られてきた。
 
 
「 イエス様は家を出たので、おなかもすき、物悲しかったことでしょう。そのとき、近い親戚の家で婚姻の祝宴が開かれるからと、そこへ行くことになったのですが、そこはガリラヤのカナの婚姻の祝宴をする家でした。その家は母マリヤのとても近い親戚の家だったのですが、イエス様はおなかもすいていたので、ご飯も食べお餅も食べようとして言ったのです。そこで、ぶどう酒を作る奇跡を起こしました。
 そのときマリヤは、台所に酒がなくなったことを知って、イエス様にぶどう酒がないと言いました。ところがマリヤは、イエス様のことが好きで、神様の息子で能力が長けているので、ぶどう酒を作ってくれるものと思って頼んだと思いますか。マリヤがイエス様のことを、能力に長けた神様の立派な息子、能力を自由自在に発揮できる聖なるイエス様と思って、ぶどう酒がないと言ったと思いますか。哀れにも、もらって食べようとやって来て、それを期待して待っているような姿に見えたので、期待するなという意味でそのようなことを言ったのです。そのようにも言えるでしょう? よくも解釈できれば、悪くも解釈できるのです。」
(『イエス様の生涯と愛』 P99〜100)
 
「 そしてこの地上で神様の前に忠誠を尽くして、善の実績を積んだ先祖たちがいるならば、彼らに後れを取らない忠誠の心までももたなければなりませんでした。それゆえイエス様は、エルサレムで暮らしながら御飯を食べるときも、『神様、私は御飯を食べますので、アブラハムの祭壇に供えられた三つの供え物として受け取ってくださいませ』と祈るような生活をしました。
(『イエス様の生涯と愛』 P105〜106)
 
 
 
 霊界での大論争では何が争点であったかというと、
「人類の先祖が堕落して、血統が間違ったとは。それ以降に蕩減復帰が必要だとは。」
という御言にあるように、蕩減復帰であり、血統転換である。
いかもお父様は断定されておられる。
「知っている人は一人もいません。そして、すべて反対したのです。」
そして霊界における理論闘争の前に万全の準備ができていたことも明らかにされている。
自分たち(霊界の霊人たち)が知っていることは、わたしがすべて知ったうえで、そこに行きました。
 
 

  「『全世界の五大聖人を中心として、地獄も天国も、霊界に行った人をすべて動員し、神様が叫ばれて「文総裁が現れた。」と言えば、四十三日戦争をするのです。(中略)先ほどすべて話したように、霊界での闘いが起きたとき、すべてイエス様も孔子も、「あのような異端者がどこにいるか? 人類の先祖が堕落して、血統が間違ったとは。それ以降に蕩減復帰が必要だとは。」と言ったのです。知っている人は一人もいません。そして、すべて反対したのです。そして、霊界に行き、わたしが立って神様は後ろにいらっしゃり、すべての霊界の霊人たちが、わたしの前に立って、問答するのです。だれが正しいか問答するのですが、自分たちが知っていることは、わたしがすべて知ったうえで、そこに行きました。

 (2005年1月3日 韓国・天宙清平修錬苑 「神様王権即位式四周年およびイエス様ご聖誕記念式典」)

 

エス様ですら、お父様を異端者と見たのである。

そうであるならば、根本復帰以外にはない。

エス様が公生涯でなさったことは、ダビデが天使長格のウリヤからバテシバを奪ったことに似ている。

 

「イエスの愛する弟子たちの中に、イスカリオテのユダがいた。このユダを愛し、天のみ旨成就を協助することのできる相対存在として立て、神様のみ旨の根本的な造成を目標として工作された。そのときイエスはユダを対象者として、堕落の根本自体であるエバ格の存在を取ろうとされた。それでユダの婦人をエバの存在として取り、み旨の本意を遂げようとされた。そのときマグダラのマリアは、イエスのみ旨に絶対的に従う者であり、同時にイスカリオテのユダの愛人であった。イエスはユダの婦人をエバ格として、サタンがエバをアダムに構わず奪ったように、ユダの婦人を奪って原理を補い、み旨を成就させようと工作された。こうしてイスカリオテのユダマグダラのマリアを与えて身代わりにしようとされた。イエスエバとしてユダの婦人を選び、摂理を始めたのである。このような事があったため、サタンはパリサイ人と書記官などに騒ぎを起こし、イエスに向かわせるようにした。

ユダだけでも全面的に信じ、従い、仕えていたならば、み旨を成就させることができたのであるが、イスカリオテのユダが、これに不満を抱き、行動を始めたのである。自分の先生を銀三十枚で売るという歴史上には無い根本問題がここから始まった。イスカリオテのユダは、天のみ旨を理解できず、イエスに反して恩讐たちと結託し、破壊的な行動に出るようになった。」

(『原理原本』 三編 三章 五節)

 

 

マグダラという言葉は地名では無いという。

 

 米ハーバード大の著名な歴史・宗教学者カレン・L・キング教授はローマで開催されたコプト学会で4世紀頃の古文書(縦4センチ、横8センチ)のパピルスに、「イエスは『私の妻は……』」と書いてあったと発表した。米ニューヨーク・タイムズが報じて大きな話題となったばかりだ。その内容が事実ならば、イエスが生涯独身であったと信じてきたキリスト教会は教義の大幅な見直しが余儀なくされる。
 そこでイエスの生涯を研究している聖書研究家マーティン・ダイニンガー氏(元神父)にイエスと結婚問題について聞いた。同氏は「イエスが祭司長ザカリアとマリアとの間に生まれた庶子だったことは当時のユダヤ社会では良く知られていたはずだ。その推測を裏付けるのは、イエスが正式には婚姻できなかったという事実だ。ユダヤ社会では『私生児は正式には婚姻できない』という律法があった」という。
 同氏によれば、イエスはザカリアの庶子であったゆえに結婚できなかった。カナの婚姻の宴で、自分(息子イエス)の結婚を忘れ、他の婚姻に没頭する母マリアに対して、イエスは「婦人よ、あなたは、わたしと、なんの係わりがありますか」(ヨハネ2章4節)と厳しく述べている。イエスの哀しい心情が伝わってくる個所だ。

 英国の著作家マーク・ギブス氏(Mark Gibbs)は著書「聖家族の秘密」(Secrets of the Holy Family)の中で、「イエスの誕生の経緯は当時、多くのユダヤ人たちが知っていた。そのため、イエスは苦労し、一部の経典によれば、父親ザカリアは殺される羽目に追い込まれた」と述べている。ダイニンガー氏の主張はギブス氏の見解と通じる。

 ところで、イエスユダヤ社会では正式に婚姻できなかったとしても、妻帯していた可能性は排除できない。キング教授が今回公表したパピルスだけではない。3世紀頃に編纂された外典「フィリポによる福音書」には、マグダラのマリアをイエスの伴侶と呼び、「イエスマグダラのマリアを他の誰よりも愛していた」といった記述がある。

 イエスの伴侶として頻繁に登場する「マグダラのマリア」とは誰か。ダイニンガー氏は「マグダラという地名はイエス時代には存在しない。ヘブライ語Migdal Ederをギリシ語読みでマグダラと呼んだ。その意味は『羊の群れのやぐら』だ。預言書ミカ書4章によれば、「羊の群れのやぐら、シオンの娘の山よ」と記述されている預言者ミカは紀元前8世紀に登場)。すなわち、マグダラとはイスラエルの女王と解釈できる。そのマグダラのマリアはイエスの足に油を注ぐ。イエスは油を注がれた人、メシア(救世主)を意味する、イスラエルの王だ。イエスマグダラのマリアは夫婦となって『イスラエル王と女王』となるはずだった」と指摘する。

 ダイニンガー氏の見解が正しいとすれば、イエスは結婚し、イスラエルの王、その妻は女王となって神の願いを果たす計画があったが、選民ユダヤ人たちの不信仰のため十字架上で亡くならざるを得なくなったわけだ。だから、再臨のメシアは必ず結婚し、「王と女王」の戴冠式を世界に向かって表明するだろうと考えられるわけだ。

イエスが結婚できなかった理由 : ウィーン発 『コンフィデンシャル』

 
 
マグダラのマリヤとサマリヤの女
 
「 エス様が死んだのは、女性が間違ったからです。実際、マリヤがイエス様の新婦を探してあげる責任を果たせなかったのです。マリヤだけでも責任を果たしていれば、ヨセフが死のうが生きようがほうっておいて、イエス様に、腹中にいる時から3年だけでもよく侍っていたならば、問題は変わったことでしょう。ですから女性たちが、第一に母の責任を果たせず、第二に新婦の責任を果たせず、第三に僕の責任をはたせなかったのです。このように3つの責任を果たすことができなかったのです。
 イエス様がサマリヤの女を引き止めて、話した理由とは何でしょうか。サマリヤの女を僕にしようとしたのです。母を失い、新婦を探せず、僕であるサマリヤの女の所に行って水をくれと言ったのです。その女性はサマリヤ人、僕でしょう?ところが、この僕も責任を果たせませんでした。このサマリヤの女は、僕の中でもぼろ布のような女の僕なのです。5人の夫に仕えた女性でした。家庭の暮らしは貧しく、汚れた女だったのです。
 そのような女性でも、イエス様のみ言を聞き、『この道だけが私の生きる道だ』と言いながら荷物をまとめてイエス様に従ったとすれば、どうなったでしょうか。マグダラのマリヤよりも、立派になったのではないでしょうか。そのようにしていたならば、そのサマリヤの女は、マグダラのマリヤ以上の立場に立つようになったことでしょう。
 そのような観点から見ると、エス様が亡くなることになったのは、女性のせいなのです。その女性とは、母、娘、僕の三段階の女性です。堕落したアダムを中心として見れば、アダムの妻は僕です。エバが堕落して僕になったのです。そのような僕の体をっ借りて、イエス様が生まれたのです。」
(『イエス様の生涯と愛』 P116〜117)
 
 
私が聖書で最も好きだった異邦人カナンの女はこちらの記事で
 
 
マリアは結婚で再びイエス様を生まなければならなかった。
 
「 イエス様は、アダムが失ったものを復帰するために再創造された、堕落していない第二次アダムなのです。コリント人への第一の手紙第十五章45節に、『最初の人アダムは生きたものとなった・・・・しかし最後のアダムは生命を与える霊となった』と記録されています。
 では第二のアダムとは、何でしょうか。堕落していない父母です。このような点から見ると、マリヤはエバの代わりの立場なのです。ですからエバを殺したので、それを蕩減復帰するためには、エバの立場に立ったマリヤがアダムの代わりであるイエス様を再び生まなければならないのです。
(『イエス様の生涯と愛』 P97)
 
 
 
「 創造の原則を見れば、アダムをまず造り、そのアダムを中心にしてエバを造られました。ゆえにマリヤは息子を協助して、息子の新婦を探さなければならなかったのです。マリヤはそうしなければならないのです。イエス様はもちろん、マリヤも協助して新婦を探さなければならないのです。」
(『イエス様の生涯と愛』 P110)
 
 
だが、新婦を探すにはあまりにも厳しい環境だった
 
 
「 イエス様が結婚するとしたら、誰と結婚しなければならないのでしょうか。腹違いの妹としなければならないのです。当時あの環境で、処女が妊娠すれば石で打ち殺し、家庭的に淫らなことが起きれば一族が滅びるその当時において、これを行い得る環境的与件になっていたでしょうか、なっていなかったでしょうか。ザカリヤの家庭だけ見た場合、妹が姉の夫を奪って妊娠してしまい、(親戚の)兄という者が腹違いの妹を強奪してしまったということになるのです。それが明らかになる場合には、一家が滅びるのです。
 ザカリヤあるいはエリザベツ、洗礼ヨハネも、イエス様がどのような人なのかを知っていて、またマリヤもそのような環境にいたのですが、そのようなこと(イエス様が腹違いの妹と結婚)をするならば、目がまん丸になり、唇がこのように折り重なるようになったでしょう。ならなかったでしょうか。あのように妾から生まれた息子が自分の妹を奪うとなれば、『こいつは淫乱の子だ』と思うのです。
 ですから洗礼ヨハネもイエス様を拒否したのです。エリサベツも否定し、ザカリヤも否定し、マリヤも「仕方がない」と思ったのです。16歳のときに堕落したので、イエス様は『結婚します』と17歳のときに一度話し、27歳のときに話し、30歳のときに決着をつけるために話したにもかかわらず、聞き入れなかったので家を出ざるを得なかったのです。
 なぜ13数が悪い数になったかを知っていますか。イエス様が相対的理想を成し遂げることも、定着することもできなかった怨恨の数なので、13数は悪いということになったのです。結婚するのは13数が最も良いのですが、これを失うことによって、個人を失い、家庭を失い、国、世界、すべてを失ってしまいました。どれほど邪悪で悪い数字でしょうか。最も願った数なのに、です。これを三度話したのに、言うことを聞かなかったのです。
 ですから17歳のときに、マリヤを通してザカリヤに話したでしょうか、話さなかったでしょうか。エリサベツに話したでしょうか、話さなかったでしょうか。洗礼ヨハネは知っていたでしょうか、知らなかったでしょうか。『こいつ、私の妹を奪って行こうとするのか。私も結婚していないのに、どうしてだ。一族を滅ぼそうとして・・・・』と思ったはずです。イエス様は洗礼ヨハネの腹違いの弟ですが、『こいつ、私も結婚していないのに、何だ、私の妹にまたこうするのか。この淫乱の代表!』と思うのです。一族を滅ぼす代表だと言うのです。
 イエス様は結婚できますか、できませんか。父が見ても『こいつ!』、エリサベツが見ても『こいつ!』、そして洗礼ヨハネも『こいつ!』、マリヤも『こいつ!』と思ったのです。そうして27歳の時に至っても、『そんなことをするのか、こいつ!』と思ったのです。それが駄目なので、三年後にその談判をつけたのですが、『こいつ、これは何だ』と追い出すしかなかったのです。父もそのようなイエス様を見たくはなかったし、母も兄弟も同じでした。それならばイエス様は、どこに行くのでしょうか。おいだされることになるのです。」
 (『イエス様の生涯と愛』 P113〜115)
 
 
さて、もう一度復帰の原則に戻るとしよう。
 
 
「 主管性転倒は、エバが行ったことなので、女性が責任をもたなければなりません。それゆえに、マリヤが天使長も復帰してあげるべきであり、アダムも復帰してあげるべきであり、エバも堕落前のエバに復帰しなければなりません。このすべてを復帰しなければなりません。ですから女性は、主管性を転倒しなければなりません。マリヤは、天使長とアダムとエバこの三つを復帰するだけでなく、神様の心情まですべて探し立てなければなりません。」
(横書き天聖経 P2078 38−70.1971.1.1)
 
マリヤが天使長(ザカリア)も(結婚で)復帰してあげるべきであり、
アダム(イエス)も(結婚で)復帰してあげるべきであり、
エバ(洗礼ヨハネの妹)も堕落前のエバに(重婚で)復帰しなければなりません。

 

 エス様は霊的堕落の蕩減復帰がなされて誕生した養子圏のお方

お父様は霊肉の堕落の蕩減復帰をされて根本復帰を勝利された実子圏のお方。

霊人体は実子だが、肉身はアダムが堕落する以前の時までは実子だが、

それ以降はそのままではどうなるのだろうか?

 

 

 『復帰摂理歴史は母子協助から始まる。しかし母子協助がある前に夫婦の協助がなければならないし、夫婦の協助がある前に父娘の協助がなければならない。』

(祝福家庭と理想天国)

 

父娘 天使長 エバ ➡ ザカリア マリア(父娘の協助)

夫婦 天使長 エバ ➡ ヨセフ マリア (夫婦の協助・ヨセフとマリアは天使長)

母子 エバ アダム ➡ マリア イエス (母子協助)

 

 

「僕の立場から一段階上がったので、娘が現れなければなりません。僕の体を借りて、神様の息子であるイエス様が生まれたので、次は神様に必要な娘が現れなければならないのです。その娘をイエス様がつくらなければなりません。エス様が堕落していないアダムになったので、イエス様の妻になり得る堕落していないエバがいなくてはならないでしょう?後のアダムであるイエス様が現れたので、復帰されたエバが現れなければならないのです。」
(『イエス様の生涯と愛』 P118)

 

「それならばイエス様を中心として、復帰されたエバをつくる際には誰の協助を受けなければならないのでしょうか。天使長の協助を受けなければならないのです。ところが男性の天使長の協助を受けてはいけません。なぜでしょうか。男性の天使長によってエバを失ったので、復帰路程においては男性の天使長の協助を受けてはいけないのです。女性の天使長の協助を受けなければなりません。そうしてこそ、エバが創造されるのです。ここで、堕落したエバを誰が復帰すべきかというと、アダムが責任を取って復帰しなければなりません。つまりイエス様御自身がしなければならないのです。
(『イエス様の生涯と愛』 P118〜119)

 

 

女性の天使長の協助を受けて、イエス様の相対的存在であるエバを創造しなければならないのです。そのためにはマリヤがイエス様のみ旨を中心としてイエス様と一つにならなければなりません。そうなれば、男性の天使長の立場に立ったヨセフが協助するようになるのです。そうしてこそ、堕落することによって僕の立場に落ちたアダムとエバが、息子、娘の立場に復帰されるのです。
 アダムとエバが天使長と一つになることによって堕落したので、天使長が復帰された立場に立ってこそ、イエス様もイエス様の妻も復帰されるのです。その復帰された立場に立つべき天使長夫婦が、ヨセフとマリアです。彼らはイエス様が完成できるように協助してあげなければなりませんでした。
(『イエス様の生涯と愛』 P119)

 

そして、復帰原理の根本についての手がかりをお父様はタマルの物語から悟られたようだ。

 

あなたたちがタマルについて研究すれば、原理すべてが分かる。タマルは誰と関係して子供を生んだの? 舅だね。舅と関係して生まれた子供が、いかにしてイスラエルの血統を受け継ぐことができたか。‥‥‥ソロモンの母は誰? バテシバ。バテシバはどういう女性か? ウリヤの妻だ。ダビデ王がウリヤの妻を奪い取った。その子供がいかにしてソロモン王になるか。ウリヤは何かというと、第二の主人だよ。これが堕落もしない前のエデンの園のその位置に再び帰った立場、すなわちダビデはアダムの立場、ウリヤは天使長の立場、天使長の妻は復帰しなければならないエバの立場。天使長がアダムの相対者たるエバを、堕落して引っ張っていった。愛によって占領して、盗んでいった。それを蕩減するには、そういう三角関係に立ってもとがえししなければならない。そういう原理的基準に立った条件を成した基台の上に生まれた子供は、天の愛の子供として、栄光の子供として生まれる。

 ソロモン (妾の子) は栄光の子供だ。タマルという女は自分の舅と関係したが、その精神が立派だというんだね。‥‥‥神が願う血統をいかに残すかという、愛するかという問題である。血統を愛する。血統を愛したから、血統を復帰しなければならない神の摂理の園に立ち帰る。心情的に立ち帰る条件になる。それで舅と関係した。これを見た場合には舅はどういう立場か。自分のお父さんだよ。」

 (御旨と世界 P75「血統的転換」)

 

エス様を中心とした家庭や氏族がすべて蕩減復帰に失敗したために、

再臨の主の家庭でもその蕩減復帰の道が課せられることになった。

お父様と同じ感性をお持ちのご子女様たちが如何に壮絶な生きた心地のしない生活をされてきたかは想像を遥かに超えることだろう。

したがって、どのような状態にご子女様が陥っても、われわれは子女様を守り支えることが祝福過程の道理であるはずだ。

前回の喩え話をよく思い出していただきたい。

何故、ご子女様に何度であっても丁寧にイエス様の時の蕩減復帰故に、

行かざるをえないのがメシア家庭であることを、ご説明して差し上げることができなかったのだろうか。

胸いっぱいの悲しみゆえに、このへんで筆を置くことを許していただこう。

 

 

 


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