原理講論を読む

日常生活の中で 考える糸口を求めて

真のお父様御生誕100周年記念、お父様の生涯路程の価値とイエス様の価値 1,天宙の孝子とは何か?イエス様の悔いとは?神様の秘密とは?

一体何をどこからどこまでどう話せばいいのだろう?

神意のままに語るべきことを語らせ給え!

 

1,天宙の孝子とは何か?イエス様の悔いとは?神様の秘密とは?

 

お父様は御自身とイエス様の違いをはっきり自覚して語られることがしばしばあった。

 
神様はお父様に答えられたという。
エス様を含めて今まで神様の心情を知る者が、
過去にも現在にも居ないばかりか未来に現れるかさえわからないと。
 
「ある時、先生は神に祈りました。『善なる神の目的、善なる神の人格、その目的にかなうその人格、神の心情を中心として生活する場において、神の事情を中心として、万物を抱き得る真なる神の創造本然のその人は、いずこにありますか?』。『おりませn』。『過去におりましたか?』。『おりません』。『現在におりますか?』『おりません』。『未来におるでしょうか?』『私は知らない』」
(1965年1月28日)
 

 

 

神様は神様の心情を本当に知るものは、過去にはいないとお父様に答えられている。

おかしいじゃないか?

それならイエス様も神様の心情が本当にはわからなかったことになる。

 

あなたはこれを信じるか?

もしあなたがこの事実を信じないとすれば、

一体あなたとお父様の関係とは何なのだろう?

 

食口は全て「お父様とイエス様は同じだ」と思い込んでいる。

阿呆め!

誰もお父様とイエス様が真理のみ言を巡って霊界で血みどろの戦いをされたことを考えもしない。

 

天聖経の孝子の教えは、

「地獄に送ろうと、天国に送ろうと、自由にしてください』と言うことができるのです。そのように生きた後に地獄に行った人はいません。」

(154−315.1964.10.5)

 

 

お父様にとっての地獄とは一体何だったのだろう?

 

「 いくら70,80になるまで孝子の役割を果たしたとしても、青春時代に父母のために生命を捧げた孝子にはかないません。それゆえに、忠臣は、死んだのち、生命を捧げたのちに決定するのです。真の孝子も、生命を捧げる立場で決定すえうということを、私たちは、歴史時代においてたくさん見て知っています。」

(48−65,1971.9.5)

 

お父様は青春時代のいつ地獄の死を通過され復活されたのだろう?

 

「生きている人が真の孝子になることはできません。生命をまだ残している人が、孝子の部類に入っていくことはできません。孝行するために数多くの人々が死んだのですが、死んでいない人が孝子の表彰を受けたとすれば、孝行するために死んだ人々から讒訴されるのです。・・・・・忠臣も、死ぬ前には忠臣になることはできません。同じ道理です。」

(49−280.1971.10.17)

 

お父様はそれを詳細には語ることができなかった。

 

「真の忠臣ならば、自らの事情を見せたりはしません。自らの心の奥深くにしみ込ませるだけであって、表に出して泣くことはできないのです。」

(18−252.1967.6.11)

 

アダムは神によって愛されながら、神の心情を不信し、神の心情を蹂躙して堕落した。

したがって、後のアダムや再臨のアダムは、

あたかも神に見捨てらたとしか思えない地獄に放り出されても、

神を信じ神を愛さなければ蕩減復帰が成立しない。

 

そこで、神と人類のために探求され復帰された真理の御言を

全教祖に否定され、イエス様に否定され、神様によって見捨てられなければならなかった。

 

だが、

 

兄弟よ、あなた方は一体具体的に何を論争してきたのか考えもしない。

何故天下のイエス様がお父様に反対されたのか?

エス様は理由なく反対されるような馬鹿じゃない。

 

キリストであるイエス様と再臨主であるお父様は意見を異にしていたのだ。

それも僅かな相違ではなく決定的な相違があったために、壮絶な論争があったのだ。

何故だろう?

 

終わりの日だから、はっきり言おう。

エス様の真理に対する解明が中途半端だったからである。

 

先生が地上にこの統一原理を立たせるには、数多く霊界で戦った。最後には神様の前まで行って談判して、神様も反対する所で勝利をして来なければならない。何の事かわかる? その霊界の孔子やら、あらゆる宗教の教祖がみんな降伏した結果、勝利を得たその原理である。だから天の神様から御印あるでしょう。』
あたしは(1965年2月8日 札幌教会 札幌教会和動会のみ言)

 

私が至誠を尽くしているそのお方に、その神様に、

全霊界の万民の前で反対され木っ端微塵に否定されることこそが、

心情の十字架の道であり、孝子の門である。

 

十字架上のイエス様は、本当は神様によって霊肉の勝利を期待されていた。

だが、

 

エス様の十字架における死は、霊肉が一つになった立場でサタンに勝利したのではなく、サタンに追い込まれて死んだのです。それゆえに、体はサタンに差し出し、霊だけが復活したのです。40日後に復活して弟子たちを集め、霊的な基準を中心として第2イスラエルを出発しました。これが今までの、キリスト教2000年歴史なのです。」

(横書き天聖経 P2040〜2041 19−207.1968.1.7)

 

サタンにはイエス様を打つことができる条件があった。

父が臨在されて父と一心であるなら、「私の思い」と「みこころ」が違うはずがない。

サタンはこれを見逃さなかった。

お父様はイエス様の禍根の一言だと言う。

 

わが父よ、もしできることでしたらどうか、この杯をわたしから過ぎ去らせてください。しかし、わたしの思いのままにではなく、みこころのままになさってください」

(マタイ26:39)

 

ローマ兵は何故イエス様を槍で突くことができたのか?

十字架刑を終えたイエス様には霊肉の復活の道があった。

だが、サタンには条件があった。

生き返らせることを許さなかった。

エス様はサタンに条件を奪われてしまわれた。

 

ただ、十字架上でイエス様には、

イサクの時とは違って神様がご自分を見捨てることがわかった。

神様が去っていく「暗黒」をイエス様は初めて体験された。

 

だが、それでも神と一心であると言うならば、

「わが神、わが神。なぜわたしをお見捨てになったのですか」

と言うことはできなかったはずである。

たとえ後半に神を讃える聖句であろうとも・・・

それゆえに、イエス様は十字架を超えて霊肉の復活をサタンに塞がれてしまった。

槍で突かれてしまわれた。

 

 神様に、『あなたが息子を引き離すような疑わしいことばかりを私におっしゃったとしても、私は信じます。』 『信じることはできないだろう』とおっしゃったとしても信じます。愛する父母が最も悪なる父母となって、むちで打ったとしても、私は、愛する孝子以上の心をもってあなたに従います」 と言わなければなりません。神様は、そのように思っていらっしゃいます。

(73−59.1974.7.29)

 

エス様までの信仰は、多かれ少なかれ神に頼る信仰

主の山に備えありだ。

だが、備えがなかったらどうするというのだ?

パラシュートが開かなかったらどうするというのだ?

それどころか、パラシュートの準備もなく飛び降りなければならないとしたら?

それでも、迷わず飛び降りろというのです。

 

モーセが紅海を前にして神に命乞いしたようにではなく、

お父様の信仰は神様に自分を頼ってもらう信仰

だからお父様はこう語られたのだ。

 

 「自分を信じる人間となれ、特に信仰生活において、蕩減路程において、いつも問題になるのは、自分が自分を信ずることができない。だから自分が自分を信じられない者は、神自身を信じることができない。」

(1980年7月1日)

 

「自分が自分を信ずる、そういう立場に立てない者は、神に頼ることができない。神自体も、信じて何事もまかせることができない。自分はどうでもいいんだけれども、神だけ認めればいい。そうはいきません。自分が自分を信ずるような立場に立たない者は、神もいりませんよ。神がいかに信じられるか。自分が自分を信じられない立場に立ったら、基台がないことになる。基台がないことになるんだから基台のない者を、神様は、絶対なる主体の神様は、そういう者を相手にすることはできません。だから、自分がこういう者であるというならば、それは、絶対自分の信ずるような基台に立ったという確信をもってやっていく所に、神はいつでもそこに援助してくれるということを覚えて貰いたい。」

(1980年7月1日)

 

人々が忌み嫌う茨の十字架の道を、

お父様は自ら引き寄せてその中に神の祝福さえ見出されてこられたのだ。

蕩減とは悲しみの言葉ではなく、祝福に満ちた言葉であると。

 

あなたはこれを信じるか?

あなたはこの道を父のように行くか?

 

それとも、

言葉だけ信じ、言葉だけ集めるのか?

 

 

「人は、自分の子供のために最も大事なものを与えます。あなた方を自分の子供のように考え、最も貴い、最も正しいものを与えようとする父母の心があり、天の心があるからです。その最良のものが何であるかというと「蕩減」ということです。これは悲しみの言葉ではなく、ひじょうに祝福に満ちた言葉なのです。もし、私が悲惨な状態になって倒れた日には、神様は両手を取って息絶えた私に人工呼吸をして、再び生き返らせてくださるでしょう。もしあなた方が、神の言葉を実行して倒れるならば、神は必ずあなた方を助けてあげるに違いありません。」

 

 

お父様は何を語りイエス様に反対されたのか?

血統転換の根本復帰についてである。

 

「イエス様は母マリアと結婚しなければならなかった」

 

絶対「性」は公的なものである。

したがって、自分の親、自分の相対、自分の子という意識圏内にいれば、

絶対「性」を知ることはできない。

 

『アダムとエバが堕落するとき、天使長が姦夫サタンとなって、自分の愛する妻を奪い、息子と娘をすべて滅亡させ、その家庭と世界全部を破綻させたという、この事実をどのようにして忘れるというのですか?(中略)そのために(堕落世界は)近親相姦関係まで行くのです。近親とはだれのことですか?親子の関係です。一番近い愛の関係において混乱が起こるのです。(中略)ですから、天の反対の立場であるサタンは、世の中で貴いということのすべてを奪っていったのです。神様が最も貴く考えるのは、近親絶対理想的相対関係であり、近親相姦関係ではありません。それを近親相姦関係にしてしまったというのです。』

(1997年8月9日 「七・八節」(天地父母天宙安息圏宣布)九里市水澤洞・中央修練院 )

 

堕落の時と逆の経路をゆく

 

男よ、あなたが天の祭物なら、婚約者であれ妻であれ喜んで天の結婚に協助しなければならない。

男よ、あなたが真のアダムになるには、妻が母でありながら子の息子と天の結婚をさせるみ旨に喜んで協助しなければならない。

それができなくて何故タマルが分かるというのだ!

 

女よ、あなたが天の祭物なら、婚約者であれ夫であれ喜んで断ち切って子羊との結婚に向かわなければならない。

女よ、あなたが真のエバになるためには、夫がありながら母でありながらアダムを完成させるために天の結婚を息子と結ばなければならない。

それができなくて何故タマルがわかるというのだ!

 

「すべての女性は先生の相対である。そして息子を産まなければならない。その息子を成長させて、自分の相対としなければならない。
これは理解できる者だけが理解すればよい・・・」
(1999年5月「血統転換についての文先生のみ言葉」)  

 

皆さんが愛するその奥さんを神の方に捧げるその愛、神をもっと愛するように、奥さんを捧げ物として捧げるような心持ちを持たないと、天使長は復帰されないというのです。

 皆さんは天使長の立場です。その奥さんはみ旨のために、いくらでも、どんなことでも捧げる。愛の怨讐の立場にある者に渡しても祝福しなければならないという心持ちを持たなければ、天の真なる子女になれないというのです。自分の奥さんを盗まれても、共にその男の妾のように生活しながらも、共に生きる男がいるというのです。おとなしくて、話もしないで祈るし、嫌々ながらもそういう立場で一緒に生活する男もいるというのです。」

(1970年10月18日 水澤里中央修練院 777双聖酒式後のみ言葉 )

 

神やメシアが黙っていたとしても、タマルは叫ぶだろう。

阿呆め!

頭の中だけで決着している者は祝福泥棒だ!

 

「 それで、タマルは公娼街の女として、遊女の身なりをして、舅が働きにいく途中の道に待っていて、関係を持って子供を孕むのです。あなたたちの奥さんの中で、そのようなことのできる勇気のある女がいるでしょうか? タマルは神様の祝福を相続するという英雄的な行動をしたのです。

 祝福家庭の女性は、それ以上の貴いものの相続を得るようになっていることを考えてみた場合に、そのような勇気を持った女性にならなければならないことは言うに及びません。あなたたちの奥さんは、そういう女性になっていますか、いないですか? 周りに聞くことではありません。小さい目をもっと小さくつぶって、見えないようにして隠れてしまう人、どうですか? 子供ばかりを守って、み旨も何もやらないで妻にやらせる悪辣な者たちが、ここにはたくさん集まっているのです。恥ずかしいことです。

 祝福家庭は手を挙げてください。みんなそうですね。恐ろしいことです。イエス様みたいになって、こういう遠因的な女性を妻に持ったとすれば、その一家は氏族メシヤとして、一六〇軒も一瞬で復帰するような素晴らしい尊敬される家庭となり、イエス様以上の誇りある堂々たる家庭となるべきなのに、何ですか君たちは! 恥ずかしいことです。分かりましたか? (はい)。タマルのような英雄的な女性として、妻を育てていけるような男が必要だということです。この場を中心として、覚えておかなければなりません。

 

 

タマルは誰と結婚したのだ?

自分の夫となるべき相対と結婚し、

自分の夫の弟と結婚し、

自分が結婚した夫が死んだら、その夫の弟とも父とも結婚したのだ!

誰のためだ?

神のためである!

 

「考えてばかりいてそのことを行わなければ、考えていない人よりも悪いのです。そのような人は、本当にどろぼうです。それがもし思ったとおりにならなければ、盗みしかできないのです。」

(横書き天聖経 P2027 88−27.1976.7.1)

 

 

顕進様が勝利できず、亨進様が勝利した世界も孝子の道であった。

顕進様と韓鶴子はお父様の財産を奪う盗賊になってしまった。

 

 

「孝子になろうとすれば、父母の心の方向と常に一致していなければなりません。孝子の道を行く人は、父母とかけ離れた行動をする人ではありません。

 父母が東に行けば東に行かなければならず、父母が西に行けば西に行かなければなりません。行く目的を提示したのちに、行く途中で回れ右をすれば、一緒に回れ右しなければなりません。そこに異議があってはなりません。10度行き、10度回れ右をしたとしても、また回れ右して従っていかなければなりません。

 反抗すれば、孝子の道理を最後まで守ることはできません。父母が狂ったことをすれば、子供も狂ったことをしなければなりません。父母の命令ならば、狂ったことでもしなければなりません。狂ったことをすること自体はいけないことであり、父母がわからずにしているのならば知りませんが、分かってしているというのです。

 それでは、何故父母は狂ったことをするのでしょうか孝子の中から最高の孝子を選び出すためには、その道しかないからです。100人の孝子がいるとすれば、その100人の中から一番になれる孝子をつくるために、その父母は狂ったことをするのです。

 しかし、その気まぐれを真実だと思い、生命を捧げてその父母の命令の前に絶対従順をすれば、その人は、孝子の王にもなれるのです。

(62−32。1972.9.10)

 

では、いつ亨進様は孝子としての勝利の基準を立てられたのか?

お父様とジョナサン大統領に会ったときである。

分かる人には分かるだろう。

 

その後ずっと経って、ある時亨進様はお父様の夢を見た。

夢の中で、お父様は何かに烈火の如く怒られていて、

大勢の食口を次々に殴りまくっていた。

そのお父様がついに自分のところに来たので、

もうダメだと亨進様が覚悟を決めていると、

お父様は亨進様を殴らず、「絶対『性』」と言って通り過ぎて行かれた。

ジョナサンのときは殴られたが、夢では殴られなかった。

何故だろう?

亨進様がただ一人お父様の絶対「性」を信じていたからである。

 

 

 お父様はイエス様との論争で血統転換の根本復帰について語られたのだ。

エス様は血統転換を充分には理解されてはいなかった。

だから、イエス様を含めて全霊界が反対したのだ!

 

我々のようなボンクラではない。錚々たる教祖たちが軒並み反対したのだ。

蕩減復帰の道が外的に見れば近親相姦に見える。だから教祖もイエス様も反対したのだ。

 

 

 『全世界の五大聖人を中心として、地獄も天国も、霊界に行った人をすべて動員し、神様が叫ばれて「文総裁が現れた。」と言えば、四十三日戦争をするのです。(中略)先ほどすべて話したように、霊界での闘いが起きたとき、すべてイエス様も孔子も、「あのような異端者がどこにいるか? 人類の先祖が堕落して、血統が間違ったとは。それ以降に蕩減復帰が必要だとは。」と言ったのです。知っている人は一人もいません。そして、すべて反対したのです。そして、霊界に行き、わたしが立って神様は後ろにいらっしゃり、すべての霊界の霊人たちが、わたしの前に立って、問答するのです。だれが正しいか問答するのですが、自分たちが知っていることは、わたしがすべて知ったうえで、そこに行きました。(中略)
すると神様が、何と答えられたと思いますか? 「文総裁の勝利だ!」です。そのような命令をするとき、霊界はどうしたでしょうか? 五大聖人の顔はどのようになったでしょうか? ひざまずいて赦しを願わなければなりません。』
(2005年1月3日 韓国・天宙清平修錬苑 「神様王権即位式四周年およびイエス様ご聖誕記念式典」)

 

 

エス様は真理すなわち統一原理を充分には理解されてはいなかった。

蕩減復帰が完全には分からなかった。

だからお父様は語られるのであった。

 

「イエス様は奇跡復帰だが、先生は蕩減復帰だ。」

 

 

『すべてに『道師』がいる。孔子やら釈迦やら、マホメットとか、たくさんの世界的な宗教の道師がおる。そういう道師たちにみんな先生が会って、「あんたの道義はどういう結果か。こういう問題とかがあるじゃないか」。「はい、そうです」。頭を下げなければならない。霊的統一の権限を持たなければ、地上統一はできない。最後にはイエス様に会って、先生は質問したわけなんです。「歴史の根源においてこういう問題がある。どういうようになるか」と。聖書を見たらイエス様はみんなわかっておるように信じておるんだけれど、そうじゃない。
(1965年1月29日 東京本部教会 統一旗授与式後のみ言 )

 

何故、「みんなわかっているわけじゃないイエス様」と

お父様が同じだ、同等だと言うのか!

聖書にとらわれてはならない。

新約の基準でお父様を引きずり下ろしてはならない。

 

聖霊が好きな奴はずっと新約に生きていればいい。

孝子の中の孝子、忠臣の中の忠臣、烈女の中の烈女。

それが現れないでどうして御旨が完成するというのだ!

 

「『原理』はイエス様まで説明しているために、イエス以後、先生に関することを皆さんは知りません。それ故に、皆さんはこれから本当の勉強が残っているのです。まだ私が教えてあげていないのです。」

(根本復帰 1971年1月10日韓国・江陵教会(聖日礼拝))

 

「タマルがわかれば原理のすべてが分かる」

エス様はタマルが完全にはわからなかった。

もし分かっていたら、何故お父様が現れるまで霊界でタマルが肩身の狭い思いで暮らしていたことがあろうか!

エス様が彼女の信仰を証しして彼女の恨みを解いたことだろう。

 

お父様は17歳の時に天下のイエス様を「阿呆め!」と喝破することができたのか?

既にこの時にはイエス様を見切っていたからである。

恐るべし、文龍明!

 

「私が17歳の時、イエス様が私に『文龍明さん、一緒に祝福を受けに行こう』と呼びかけてきた。私は言った。(声を張り上げられる)『お前は誰だ、阿呆め! お前は何も知らずに祝福のことを言っているではないか。お前は夜の神様と昼の神様を知っているのか、阿呆めが。』」

2011年12月4日 天暦11月10日 天正宮でのみ言葉

 

かって天使長ルーシェルは神様に騙された。

 

「神様が無形世界を創造し、天使たちが協助しながら、実体万物世界の創造を始めた。神様が有形実体世界を創造されたのは、無形実体のご自身の存在を、有形実体世界を通して繁殖するための場にしようという目的があったからである。しかし、その中心理想は、神様だけが知っていて、天使長も知らなかった。神様は、有形実体世界を創造されたので、ご自身の理想の発展と共に喜び、同時に天使長も喜んだ。」

原理原本 テオン訳

 

天使長だけではない。イエス様も知らなかった。

神は天使長に隠し事があったのだ。

天地創造の目的はアダムとエバの結婚にあるのではなく、

実はその根本において、神がエバと結婚をすることを、

神は天使長には知らせなかったのだ。

 

エス様はアダムとエバの結婚理想のように子羊の結婚を考えたお方だが、

お父様は子羊の結婚の前に父である神様の結婚を考えたお方である。

 

「私が17歳になった時、自分をイエスと名乗る男が私の所にやってきて言った。
『文龍明さん』
 私は言った。
『なんだ?』
 彼は続けて言った。
『これから私達は結婚式に行かなければならない。祝福にいきましょう』。
 私は言った。
誰と? どうしてそんな事が可能なのか?
 彼は言った。
あなたが望むなら神様が相手を用意して下さるでしょう。さあ行きましょう。
 それで私は尋ねた。
あなたは夜の神様と昼の神様が分かれてしまっていることを知っているのか?』」 

(2012年1月4日 天正宮 安侍日の訓読会)

 

エス様は御自身が三度母マリアにみ旨のため結婚式を挙げたいと訴えた。

 

「堕落は16歳で行われたので、イエス様は新しい年を迎えて、17歳で結婚についてマリヤに話したのです。 17歳の時に結婚で行くべき道を説明し、10年後の27歳で説明したのです。また、3年後に(30歳でも)3回説明してだめなので、涙を浮かべてエス様は出家をしたのです。」
ファミリー1997年3月号「第14回愛勝日の御言」1997年1月2日サンパウロ

 

だが、マリアは三度とも応じなかった。

 

「天の王は縦的な中心となって心の位置に来て、地上の王は体になるのです。それゆえに、完成したアダムとエバの理想的結婚式は、神様が中心になり、アダムとエバが体となってする結婚式です。それが神様の結婚式であり、アダムとエバの結婚式だというのです。」

(横書き天聖経 P2119 245−89.1993.2.28)

 

それを知ったルーシェルは?

追い出されるのではないかと思った。

 

「堕落が何か知らないでしょう?堕落が分からなければなりません。どのように堕落したか。例えれば、神様一人ではなく、神様に弟がいたのです。アダム・エバ、天使世界を創ったのは、神様が一人で創ったのではないのです。
このように間違ったのを、正し得る創造的なプログラムがありません。それ故、この責任を持った人が、教えてあげなくても、原理原則に従って分かるのです。お兄さん(※神様)が、結婚した後に、その息子娘を尊敬して育ててあげて、お兄さんが家庭を成した後に、弟(※天使長)が家庭を成したなら堕落がなかったのです。カインがアベルを殺すような破壊的な現象があり得なかったのです。

神様は、今まで女性を知りません。「天のお父様」という言葉は聞きましたが、「天のお母様」という言葉を聞いた事がありますか?「天のお父様」だと言うなら「天のお母様」がいて、天のお父さん、お母さんが人類始祖の父母となって、神様の息子娘になって生まれた息子娘は、血筋を通して連結されたので、同じく似た息子娘として生まれるのです。血筋が似なければなりません。

問題が何か?神様の弟の位置が、ルーシェル、天使長です。聖書に出てきます。誰が堕落をさせたかと言うと、このアダムの妻となる、お兄さん(※神様)の妻が、裸になって、弟(※天使長)に任せられていたのです。

毎日のように育って、大人になるまで守ると言う事にしたのに、誰よりも、アダムよりもそのような時間を近く過ごす事によって、エバは、夫に会うよりも、あの弟に会うほうが近かったのです。ルーシェルに会うほうが近かったというのです。そして、黙ってみてみると、横にいた動物たちもオスとメスが出会えば、かわいい子供が生まれるのです。

神様は、女性に子宮というものをつくってあげたのです。その子宮に、弟が上がれば、子供を持つようになっています。神様の弟であり、アダムの弟です。そのため、弟に根こそぎ奪われて、反対になって、弟たちがお兄さんまでも殺してしまって、お兄さんの相対もなくなってしまって今まで来ているので、それでカインがアベルを殺したのです。アベルの子供、お兄さん(※神様)が息子を生めば自分たちが追い出されるからです。」

天地人真の父母国民支持世界大会 

 

神様は御自身の結婚について、弟の天使長には話さず隠しておられた。

 

「 天使長は詐欺師であるが,神様もそうである。私はこの事をD-dayに訪ねなくてはならない。

 おい,天使長よ!おまえは女と結婚しなければならない事を知っているか、そしてそれがあなたが彼女を創造するという事を意味するのだということを?

 天使長の兄である神は彼の妻と妹を育てて、彼に差しださなければならなかった。

 もし神様にそれができないのならば、カインとアベルからでた双子を差し出さなければならなかったのである。」

(2011年9月22日)

 

だが、実際に追い出されたのは神様の方だった。

そして神は天地の創造主でありながら、すべてを略奪され囹圄の神になられた。

 

神様が臨在なさることができる中間の位置に、逆に、天使長が入り込んできて、アダムとエバと一体になることによって、天地父母の位置を悪なる父母が占領するようになり、その結果、心と体が怨讐となり、男性と女性が怨讐となり、天とこの地が怨讐となり、兄と弟が怨讐となり、その闘争の結果、神様は、孤独な立場、囹圄に閉じ込められた立場となり、サタン全権時代になるという、悲しく、恨めしい歴史が展開したという事実を、統一教会の教会員はみな知っております。」 

2003年2月6日 天宙天地真の父母様平和統一祝福家庭王即位式の祝祷 

 

創造主でありながら、万物に名前をつけたのは未完成のアダムだった。

 

ではその囹圄の神様を被造物である人間がどうすれば解放できるというのだ!

 

 「この天地において、神様の解放です。皆さんは神様を知らないけれど、お一人の神様がお一人だけではないのです。夜いらっしゃる神様と昼いらっしゃる神様がお一人であるはずなのに、知ってみると、なんと夜の神様、昼の神様、心的な世界の神様、体的な世界の神様が、一つになった立場にいることができないような立場でした。」

(2011年1月11日 天宙清平修練苑天城旺臨宮殿

「清平役事16周年記念真の父母様特別集会」のみ言)

 

お父様は子羊の結婚ばかりか、神様の解放のためには、神様の結婚がなされなければならないと確信しておられたのだ!

 

夜の神と昼の神が分かれてしまった。心と体の闘争していない者、手をあげてみなさい。手をあげなさい! 誰もいないのか? なぜそうなのか。心と体が分かれてしまったという事実は、夜の神と昼の神が分かれてしまったという事実から発している。神はアダムとエバに善悪の木の実を食べるなと警告した。なぜ彼らはそれを食べたか。その木の実とは何か。君たちは知らないだろう、どうだ? 人間の堕落を解明した人物がここにいる。これは嘘ではない。」

 (2011年11月24日 天正宮訓読会)

 

 

現在のところ、神様は女性を知らないのだ。我々は〈天のお父様〉とは言ってきたが、〈天のお母様〉と言ったことがあるかね?(声を張り上げて)それを聞いたことがあるか、ないか?

 人類の最初の先祖となる天のお父様と天のお母様がいるべきだろう。そして伝統というものがあり、人類は同じ血統から生まれたのだから、全ての人間がその親に似るべきではないのか?

 あなた方は、同じ血統をもつことによって自分の親に似ているのだから、それは分かっているはずだ。同じ伝統と血統をもつことで、人は親に似るのだからね。」

 

 「私が17歳になった時、自分をイエスと名乗る男が私の所にやってきて言った。

『文龍明さん』私は言った『なんだ?』彼は続けて言った

これから私達は結婚式に行かなければならない。祝福にいきましょう』。

 私は言った。『誰と?どうしてそんな事が可能なのか?』彼は言った『あなたが望むなら神様が相手を用意して下さるでしょう。さあ行きましょう』それで私は尋ねた(声を大きくして)『あなたは夜の神様と昼の神様が分かれてしまっている事を知っているのか?

 もし絶対者なる神様お一人が存在するのならばこの世界はこのようであるべきはずがない。

 ノアの時の洪水審判などあるべきではないし、終わりの日の火の審判などあるべきはずはないのである。夜の神様と昼の神様が分かれてしまっていて、ひとつになっていないのである。

 その事を私は知っていたので、このように言った『聖書には、人がそれぞれ生きている物を呼んだ物はその名前となった』と書いてある。しかし創造主としての権威と主人としての位置があるならば、ひとつになっていたとしたら、そんなことはできなかったのか?。

 できなかったのか?神様の弟の立場に居た者の名前は何だったかね?それはルーシェルだ。ルーシェルは天使長である 。人類を表し を表す、そして エル果物を意味するのだ。」

天地人真の父母国民支持世界大会) 

 

 

 

エス様とお父様では、根本において

神観も罪観も救済観もしたがってメシア観も違っているのだ。

 

 

創造以前の神様は、自己完結の存在であった。

だが、その神が時間と空間という様式の中にあらゆる存在を創造した時、

神御自身も自己中心的な神から成長し、自己超越して、変貌を遂げてこられた。

神は初めから自己超越が完成されていたのではなく、

被造世界の時間とともに、また人間とともに成長されてこられた。

 

「人間の堕落とは何だった? それはどのようにして起こった? 私が最近明かしたことはこうだ――神様には兄弟があったか、なかったか? あなた方はどう思う? 神はアダムとエバと天使世界を、ひとりで創造されたのではないのだ。だれもこれを知る者がいない。私はこの世界に責任を持つ者として、神はアダムをひとりで創られたのではないことを突き止めた。では誰が神の弟を創ったのか? 神が、自分が兄になるために、弟、仕える者としての天使長を創られた。神様はひとりでは創造することができず、自分の弟との協力でなさったのだ。神と神の弟は、主体と対象の間柄で、目的のために議論し助け合ったのだ。パートナーがいなければ幸福はない。そこで創造の過程において兄と弟がいたのだ。神は弟と一緒にアダムとエバを創り始められた。なぜ神様は、弟を未完成の状態に創っておいて、アダムとエバを創り始められたのだろうか?
 アダムとエバは、兄である神の息子と娘になる予定であり、アダムとエバが家庭を持ち始めたら、兄である神は、もっとすばらしい息子と娘を弟に与えようという、驚くべき約束があったのだ。これがあったから、弟としてのルーシェルは創造の過程において幸福だったのだ。この観点からすると、天宙の始まりは、兄と弟によって喜びをもって創造されたアダムの家庭ということになる。」 

(2012年1月8日、韓国で行われた「天地人真の父母国民支持大会」において「天地人真の父母定着実体み言宣布天宙大会」のスピーチを読みながら語られた、お父様のみ言の一部)

 

 

神の成長の歴史をただ一人知ったお父様は、

成長以前の神ではなく、成長した神の立場で行動された。

 

神は実体の神様になるアダムを天使長より先に祝福されたが、

お父様は天使長の立場の三弟子を自分より先に祝福された。

 

 

自己完結していた神様が創造を始めた時には、神様は全てを自己超越していたわけではない。

そこで神様はそのような歴史を持たれた。

 

原理講論はイエス様までの原理、原理本体論は先生の時の原理であるべきだった

 

「皆さんが分かる原理を教える程度の先生だと思いますか。皆さんが分かる原理は、イエス様までの原理です。先生の時の原理ではありません。」
祝福家庭と理想天国Ⅰ P802 

「祝福の意義と価値」第四節 祝福を受けるための蕩減条件

 

書かれた原理本体論は二度死んだ。

一度目の原理本体論も二度目の原理本体論も「イエス様までの原理」でしかなかった。

二つとも失敗だった。

阿呆め!何故「先生の時の原理」を書かぬのか!

そんなものがどうして「原理本体論」だと言うことができるのか?

 

逆説的だが、聖書にとらわれていると最後にはお父様を見失うのだ!

 

新・旧約聖書をすべて捨てても、真の父母を取り戻さなければならないという事実を知らなければなりません。真の父母をもたなければならないということなのです。それで、真の兄弟が出てきて、すべて出てくるのです。それで、世界的な因縁を通じて基盤を築き、その父母が出てきたのちに、父母を通して子女が出てこれるのです。そのような天地の調印をしなければなりません。それを神様が公認して、その次には真の父母が公認しなければなりません。その時から『真の子女の日』が世界的に認定されるのです。」

横書き天聖経 P2130 95−173.1977.11.11)

 

 

 圧倒的にお父様を理解しなければならない。

そして、圧倒的にお父様にそっくりに生きなければならない。

 

 俺のようなクソ野郎が何故お父様を証さなければならないというのだ?

お父様に永遠にして絶対の愛を受けた天使長たちは何処に消えたのか?

悲しみで胸が張り裂けそうだ!

お前たちが証さないから、このクソ野郎が証さなければならないのだ!

馬鹿野郎!

クソ野郎にどうしてお父様を証す資格があるというのだ!

馬鹿野郎!

お前たちが捨てたお父様の真の愛を俺は拾って、

直接受けた者たちの何億倍も自分が、

まさにお前らを通してお父様に愛されたのだと確信して、

クソまみれの姿で証さずに入られないのだ!

馬鹿野郎!

俺もお前も皆、死ななきゃ治らない!

もとより到底お父様には似つかわしからざる糞野郎なのだ!

わかったか!

 

気がついてみると書き終えた今日11月22日は、あの御言から8年経っている。

わたしはお父様とイエス様が何故違うのかじっくり考えた人だ。

 

「聖書には、『そして夕べがあり朝があった。一日だった』と書いてある。夕べがありそれから朝があったのだから、これは二日目のはずだと思うかもしれない。夜はどこへ行ってしまったのか? この言い方は3数を中心にしている。私はこれがなぜ第一日なのかをじっくり考えた人だ。」 

(2011年11月22日 天正宮 訓読会)

 

 

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「神とメシアの三位一体を形成するためには、最初に方向性が定まっていなければならない。お前たちは、神とイエスと真の父を知らないのだ! お前たちは、私がどんな根拠で『第3アダム』と言ったのかを知らないのだ! お前たちは、アダムの実体的存在、イエスの実体的存在、真の父の実体的存在、夜の神、昼の神、といったものを知らないのだ。夜の神と昼の神がなぜ分けられてきたのかを、お前たちは知らないのだ! これがお前たちのありさまだ。

(2011年8月9日 ラスベガス平和宮

 

第1次アダムは神様から与えられた「しなさい」という責任を完成できなかった。
「してはいけない」という戒めも守れなかった。
​第1次アダムは「してはいけない」という戒めを守れずに堕落して
「しなさい」という三大祝福も完成することができなかった。
​第1次アダムは堕落によって昼の神様になれなかった。
​第1次アダムは堕落によって真の父母にもなれなかった。
​第1次アダムが昼の神様になれなかったことが、神様の恨(ハン)である。
​第1次アダムが昼の神様になれなくて、心と体の闘争が始まった。

 

第2次アダムとして送られたイエス様は「してはいけない」という戒めは守っても
「しなさい」という三大祝福の責任は果たせなかった。
​イエス様は洗礼ヨハネの妹と結婚して真の父母になって
昼の神様にならなければならなかった。
​イエス様が結婚したならば、十字架で亡くなることはない。」

(2001年1月13日)

 

 

 

 


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