2,イエス様とお父様が同じなのは霊的堕落の蕩減復帰までである
アウグスチヌスに始まる「原罪」という概念は一般にわかりやすいものではあるが、
これはあくまで新約的な表現であって、実際の中身を詳細に語るものではない。
新約から成約を見てもわからないが、成約から新約を見ればわかる。
旧・新約聖書 ➡ 成約の御言 ✕ 原罪 ➡ 霊的堕落と肉的堕落 ✕
成約の御言 ➡ 旧・新約聖書 ◯ 霊的堕落と肉的堕落 ➡ 原罪 ◯
<原罪とは何か>
霊的堕落と肉的堕落によって生じた人間に対するサタンの所有権が原罪
「 イエス様自身について見ると、イエス様はマリヤの腹中に宿って生まれましたが、歴史的な勝利の土台の上に、サタンが讒訴できる何の条件もないのです。サタンが讒訴できる条件がないということは、原罪がないということです。
罪とは何でしょうか。神様のみ言に違反したことが罪だというのですが、サタンが讒訴できる条件を提示することが罪です。恩讐が食い下がる条件を提示することが罪なのです。ですから、原理原則、法度から外れれば神様もどうしようもないのです。サタンに引っ掛かってしまうのです。イエス様は、生まれたときにサタンが讒訴し得る立場を抜け出した立場で生まれたので、原罪がないのです。」
(『イエス様の生涯と愛』)
霊的堕落と肉的堕落によって生じた所有権を根拠にサタンは人間に対する親権を主張
「けれどもイエス様は、蕩減復帰の原則によって、タマルの腹中であるペレヅが勝利した血統的な基盤の上で、マリヤの腹中を通して生まれました。したがってイエス様は、腹中に宿った時からサタンが讒訴する条件がなかったのです。イエス様と一般宗教の指導者たちとの違う点がそこにあります。生まれた根本が違うのです。腹中からサタンと戦って勝利した基盤の上で、サタンを屈服させ、長子の基準を立ててイエス様が生まれたので、神様の息子として生まれても、サタンが讒訴できる条件がなかったのです。そのようにして初めて2千年後に、イエス様がこの世にお生まれになったのです。」(『イエス様の生涯と愛』)
サタンが人間の所有を主張できる讒訴条件が原罪、
これがなければ無原罪。
そういうわけで、
私はこの「原罪」という言葉が曖昧であまり好きではない。
霊界メッセージのイエス様もこんなふうに語っておられる。
「私は『無原罪』という言葉を使うことを好みません。なぜなら、それは理解するのがより難しいからです。」
イエス様による霊界メッセージ
では、私はどのようにして、堕落と関係のない状態で生まれたのでしょうか。私は「無原罪」という言葉を使うことを好みません。なぜなら、それは理解するのがより難しいからです。
私は、生まれた時、堕落と関係のない状態になるために、罪や罪的なもの、あるいは罪を犯す事にさらされたことはありませんでした。堕落と関係のない状態、では堕落に関する知識は全くありません。
私の母は、私の誕生を、原罪のある状態から分立するために、何かをしました。彼女は罪と反対のことをしました。それによって、私は堕落と関係のない状態で生まれました。私は堕落していないアダムの立場で生まれました。
これは、私の母が立てた条件の手順によってなされました。私が何かをしたからではありません。私の母は、私が特別な立場で生まれるために、サタンを分立しました。
神学者は「命の吹き込み」について話しますが、私は難しい用語はすきではありません。ここでは考えの移転、または心情と感情と愛の移転について話しましょう。
文鮮明師が生まれた時、私はそこにいました。私は、その赤ちゃんの助産師でした。私は彼の母ではありませんでしが、私は彼をこの世界に迎え入れた助産師でした。
このことはとても奇妙なことのように思えるでしょう。しかし、私たちが生きている今の状況の中では、このことを説明する時が来たと私は思います。
私は、彼が子宮の中にいた時から、彼を導こうとしていました。そして、私はそれに成功しました。それゆえに、彼は堕落と関係ない状態で生まれました。私は、イスラエル国家の蕩減基台を通して作られた基台をその申請時に相続させました。私はタマルの勝利とマリアの勝利をその赤ん坊に相続させました。これらの勝利はとても偉大なことでした。彼女らは両方とも死に直面していました。彼女らは両方とも、信じられないような勝利を成し、堕落行為を取り消しました。
「私は、生まれた時、堕落と関係のない状態になるために、罪や罪的なもの、あるいは罪を犯す事にさらされたことはありませんでした。堕落と関係のない状態、では堕落に関する知識は全くありません。」
イエス様が堕落に関する知識がなかったと言うように、お父様もこう語られている。
「堕落はなぜ起こったのか。自由意志によって起こったのではない。アダムとエバは絶体的に他のために生きる存在、自分を中心に愛を求められない存在だ。それにもかかわらず堕落した。問題は何かというと、天使長自体が問題だった。…だから「善悪の実を食べるな」というのは、アダムに対する話(戒め)ではない。天使長に対する話。天使長は本来何をすべきか。アダム・エバを育て保護しなければならなかった。」
原理原本にはイエス様の誕生について書かれている。
再臨のときには天使ではなくイエス様が神様の命を受け責任を果たされたのだ。
<原理原本 原文>
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神の根本それ自体であるところ、すなわち『生心』を中心として成長して
神が臨在できるところ、すなわち、『アダムの霊人体』は
悪を犯したその体にいることができないので、神が取り上げられた。
第二アダム格として送られたその方が、すなわち、独生子イエスであった。
独生子という名詞もここに明らかにされるものである。
罪を犯す前のアダムの霊がイエスの霊に注入されて来られることが根本目的であった。
福音を伝え始められたのは何が目的かというと
失われた子女たちを探し、移しておこうとすることが根本目的である。
その良心の苦痛とは、この事実を知らしめるための間接的な刺激なのである。
神を根本の父として直系血統の関係を結ばなければならない重大責任が残っている。
再臨の要求がされるようになった。
再臨の要求がされるようになった。」
神の第三祝福は、万物世界に対する人間の主管性の完成を意味する。人間が祝福を成就するためには、神の形象的実体対象である人間と、その象徴的実体対象である万物世界とが、愛と美を授け受けして合性一体化することにより、神を中心とする主管的な四位基台が完成されなければならない」
「私の母は,双子の弟と妹を生んだ。そのような歴史があったのだ。
私は、母に尋ねた。「あなたの兄弟は結婚したのに、どうして、あなたのおじい様達は結婚しなかったのですか?誰のためにですか?」
お母さんは「それはわからないね」と言って,目を閉じて向こうを向いてしまいました。それで,それはお母さんのためだったのだという事がわかりました。
もう少しはっきりさせましょう。
わたしはお母さんに”お母さんは間違った事をしたね”と3~4回言いました。するとおかあさんは私の方に向き直って,私におおいかぶさるようにして言いました。
”私は間違いを犯したんだよ。わたしには秘密がある。”わたしは更にその事について尋ねました。
お母さんは”何のためにそれが知りたいのだい?何が出来たというのだい?時がたてば分かるようになる。わたしは最後までこの事に対しての責任はとるつもりだからね”
私は,この女とはもう一緒にいれない、彼女を追い出してしまわなければならないとおもったのです。
アダムとカインとアベルと全ての氏族達が地平線の彼方に沈んでしまい、もうそこから出て来られないように鍵をしめてしまうまで、私はこの事について、これ以上の事を語る必要はないと思う。
君たちはもっと知りたいかい?これ以上の事を知る必要はないんだよ。あなたが自分の責任を果たし得ないのならば,あなた達は私についてくるしかないだろう。」
2011年9月22日
ここまでがイエス様同様に神様とは養子の関係である。
イエス様は霊界からのメッセージでこう語った。
「これは、私の母が立てた条件の手順によってなされました。私が何かをしたからではありません。私の母は、私が特別な立場で生まれるために、サタンを分立しました。」
イエス様は御自身が原罪なく生まれたのは御自身ではなく、母親の実績だと語った。
ところが、独生女は母親に同様の実績がないにも関わらず自分を無原罪に生んだと曲解し、しかも自分の手柄のように誇っている。
そもそも母マリアとは、母の体ではなく僕の体である。
「マリヤは、天使長側に立っている僕、天使長の娘でした。神はこの地上に必ず神の息子を送らなければなりませんが、女性なくしては産むことができないので、神の貴い皇太子を送るのに、仕方なしにサタン側の女性の体を借りたのです。神がそのようにしたのは、喜んでしたことではなく、女性がいなくては、この世界を祝福できる子供を産むことができないがゆえに、仕方なく、僕の体を借りて、イエスを誕生させたのです。
マリヤは僕です。マリヤはイエスの母ではありません。イエスの母の立場に立ってはいましたが、マリヤは神がイエスを生むために仕方なく借りた女性なのです。今日、マリヤを崇拝しておりますが、それは良いこととは言えません。マリヤの体を通さなくては神の息子を誕生させることができなかったために、そのようにしただけの話です。」 (祝福68号 P137~143 根本復帰 前編1971年12月1日 江陵教会)
イエス様は確かに霊人体は 長成期までは神の実子だが、
それ以降の肉身は実質的には養子でしかなかったのだ。
だから、信徒は養子にしか生まれ変わることができなかったのだ。
イエス様が聖和され、イエス様という人物の歴史が確定的事実になった時、
そのイエス様の実績からお父様はイエス様が果たされた使命について語られた。
「 神様の約束を果たすために、神様のみ旨を中心としてこの地に来られた方が、イエス・キリストです。彼は過去の歴史時代において、人間が僕の立場にあるとき、神様と結んだ約束を果たして、養子と真の息子の因縁をもてる立場を立てるために来られたのです。僕が忠臣の道理を果たす時には、養子の位置に立てるのです。それゆえ、復帰摂理歴史を経てきながら、イスラエル民族に僕として忠誠を果たし得る土台を築かせ、養子の因縁を結ぼうとしてこられたのです。
養子の因縁は、どのように結ぶのでしょうか。神様の息子がこの地上に来なければ不可能なことです。神様の息子がこの地上に来なければならず、その息子の命令を聞いて、それに従順に従ってこそ、養子の因縁を結べるのです。これが旧約時代と新約時代が連結する歴史だということを、私たちは知らなければなりません。
旧約を信じてきた人々は、僕として養子の恵沢にあずかることを望むのですが、それが正にメシヤが来ることを望む理由です。すなわち、メシヤによって僕の悲しい境遇を越えて、養子圏の立場に進むことが彼らの願いなのです。養子というのは、直系の息子、娘がいないとき、親から相続を受けられる因縁が成立する立場です。
そのようにして、僕の立場を超越し、神様のみ旨を迎えられる恵沢にあずかることを望みながら歩ませたのが、僕の旧約時代を指導してこられた神様のみ旨です。ゆえに彼らは、僕の境遇を免れ、神様の相談を受け得る圏内に入れる特権的なその時を願ってきたのです。それがイスラエルの思想なのです。
イスラエル民族を、世界を代表した民族、外的世界を相続できる民族として約束し、イスラエル民族とユダヤ教を指導してこられたのです。ここで、息子と養子が一つにならなければなりません。僕は、神様の息子が来るまでに養子の土台を築き、息子が受けるすべての困難を解決したあとに息子を迎え入れ、その直系の息子と一つになる位置に立たなければなりません。そうしなければ、天国にはいれません。言い換えれば、神様の血統ではなく、サタンの血統を受け継いで生まれた息子が、神様の前に養子として公認されれば、直系の息子は、アベルの立場でカインの立場にある養子を復帰しなければならないのです。
このような歴史的な因縁があるので、世界的な因縁を代表した教団と国として、養子圏の立場に立たなければならないのが、イスラエルの国とユダヤ教だったのです。そして、直系的権威に立たなければならないのが、神様を中心としたイエス・キリストが提示したキリスト教と、これを中心とする世界国家でした。
このように、世界を代表したイスラエルの国とユダヤ教をイエス様の前に捧げるようになれば、一国と一教団を捧げたことによって、すべての国とすべての宗教を統合し得る権勢をもって来られるイエス様と、連結されることが起こるようになるのです。
すなわち、イスラエルの国とユダヤ教をイエス様の前に奉献してこそ、イエス様がもってこられた天上・地上天国を、この地上で相続し得る圏内に入れるのです。イスラエルの国が僕として責任を果たし、イエス様を誠意を込めて迎えなければならなかったにもかかわらず、反対したためにその道が途切れてしまったのです。」
(「イエス様の生涯と愛」P23〜26)
完成期は二人で歩む道だろう?
イエス様はどうだったというのだ?
「それゆえ、ガリラヤのカナの婚宴に行った時に、酒がないと言ったマリヤに対するイエス様の言葉は、『婦人よ、あなたは私と、何の係わりがありますか』ということです。このようにイエス様が言ったのは、マリヤが隣の村の親戚の結婚式は重要視して、息子の結婚について全く無関心であったことに抗議したのです。 また、メシヤの来られる前にエリヤが再臨すると予言されていたのに、洗礼ヨハネがエリヤとして再臨したということを誰が信じられましたか? このような立場でイエス様は洗礼ヨハネがエリヤとして来たと言ったのです。」
(1993年2月14日 ベルベディア ファミリー1993年7月 P24〜28 「成約時代と私」 )
イエス様はここで初めて奇跡を起こされた。
何故だろう?
そうであるにも関わらず、マリアは何故イエス様を信じなかったのか!
阿呆め!
「聖書にあるように、母親のマリヤに向かって、『婦人よ、あなたは、私と、何の関わりがありますか。私の時はまだ来ていません。』(ヨハネ福音書 2/4) と言ったことがあります。これは自分のことを口実にした言い方です。なぜそのような言い方をするのかというと、30歳が過ぎてもマリヤはイエス様を結婚させていないのです。マリヤはイエス様に対する責任は果たさないで、親戚の婚姻の席では、ぶどう酒の補充をイエス様に命じているのです。(沈黙)
この恨みが何ですか。年取ったチョンガーの恨みが何か。嫁を迎えていないのが恨みなのです。30歳になるまで結婚していないチョンガーの恨みが何か。嫁を迎えていないのが恨みなのです。30歳になるまで結婚していないイエス様は、年取ったチョンガーでしょうか。それとも若いチョンガーでしょうか。マリヤはそこまで考えることができなかったというのです。結婚するにしても、イエス様の結婚は簡単にできなかったのです。どのような結婚をしなくてはならないのか。妻になる人も、堕落した世界の根から生れた女性しかいないのです。分かりますか。イエス様は、神様が血統を清めてから送ってくださったお方です。」
(祝福67号 P45 祝福を受けた者達 1986年2月9日ソウル本部教会)
堕落した世界の根から生まれた独生女を誇っている奴らは誰だ!
17数・27数どころか30数になってもイエス様は結婚することができなかった。
その祝福を誰が奪っていったというのだ!
「イエス様が、母マリヤの前に立って、三度痛哭しながら訴えたということを知らなければなりません。イエス様が30歳になるまで、母マリヤは哀訴を聞き入れなかったので、(イエス様は)ふろしきを背負って家を出て、公生涯の路程を出発したのです。それでは、母マリヤがすべきことは何でしょうか。イエス様に妻を迎えることのできる相対的因縁を整え、歴史的基盤を備えなければならないのです。イエス様がそのような基盤を完結するためには、母子協助をして、息子が恨みの多い道を行くに当たって、母親がすべての責任を負うべきなのです。そして、イエス様の新婦を選び出してヨセフ家庭の基盤の上に、神様を中心とする聖婚式を挙げるべきでした。」
(祝福家庭と理想天国 Ⅰ P583)
イエス様は誰と結婚しなければならなかったというのか?
「イエス様が結婚しなければならないと言いましたか、結婚しないようにと言いましたか?(「結婚しなければなりません」)。だれと結婚しなければならなかったのですか?(「洗礼ヨハネの妹です」)。腹違いの妹と結婚しなければならないと言うのです。そのような者がどこにいますか?」 (ファミリー 97/6 P20 第38回「真の父母の日」記念礼拝の御言 1997年4月7日 中央修練院)
母マリアが行くべき道とは何だったのだ。
「では、マリヤはどのようにしなければなりませんでしたか。端女たるマリヤは堕落したエバの立場で、自分の継代(注:後継ぎ、あととりのこと)を通して堕落しないエバをつくるために、あらゆる精誠を込めなければなりませんでした。イエスの結婚に関心を持たなければならなかったのです。ところが、マリヤはガリラヤのカナの宴会の席に参席し、そこに来たイエスに『ぶどう酒がなくなりました』という話をしました。すると、イエスは、『婦人よ、あなたは、私と何の関係がありますか』と言いました。『あなたと私は何の関係があるか』と言うのです。他人の家の宴会が何の関係があるか、私の宴会はどのようになっているかというのです。
先生がこのような族譜(注:イエスの系譜を示す)を掘り起こして、悪口を言う必要はありません。しかし歴史を正し、伝統を正さなければならないため、不可避なのです。そうではないでしょうか。イエスが死ぬようになったのは、結婚することができなかったためです。結婚していたならば、どうして死ぬことがあったでしょうか。
マリヤは全身全霊を込めて女性を再創造しなければなりませんでした。マリヤは女性です。マリヤは僕としての女性の中で代表的立場であるために、僕圏内にいる女性を全部動員しなければなりませんでした。三人以上動員しなければなりませんでした。三位基台を立てなければなりません。そのように動員して、お互いが協助しなければなりません。
イエスの親戚の中で娘がいるか捜して見て、娘がいれば彼女達を集めて基台を作らなければならなかったのに、それができなかったのです。イエスの親戚の中で誰がいましたか。洗礼ヨハネの妹がいたならば、どれ程良かったでしょうか。洗礼ヨハネの母は、マリヤがイエスを宿した後、世話をしてくれました。イエスが胎内にいる時から歓迎しました。それ故、洗礼ヨハネの妹や親戚関係の八親等内に娘がいたならば、洗礼ヨハネの母とマリヤ、そして姉がいたならば、その姉と三人が一つとなって、イエスより年が若いその親戚の娘と因縁を結ばなければなりませんでした。イエスと共に一人の女性を再創造しなければならなかったのです。
もし洗礼ヨハネの妹がいたならば、幼い時から、イエスが東に行けば東に付いて行きたいし、西に行けば西に付いて行きたい。付いていかなければ、『私は死ぬ』という程にイエスを思うようにしておかなければなりませんでした。そうであれば、誰が来てもどうにもならないのです。そのような女性は、今まで信じることができる特別な氏族の中から出て来なければなりませんでした。それは、どのような氏族でしょうか。洗礼ヨハネの家庭とヨセフの家庭です。ヨセフの家庭には、ヨセフの従姉妹もいたでしょう。
神は、イスラエルの国ではユダヤ教が中心であり、ユダヤ教の中でもヨセフの家庭(氏族)が中心であり、ヨセフの家庭(氏族)の中でも、洗礼ヨハネの家庭が中心であることを知っておられました。それ故に、その家庭は最も重要な血族でした。祖先の中の種がいいというのです。神は、イエスを見込みのある家門から見ても、名門である家門を通して生まれるようにされました。また、洗礼ヨハネの家庭を見ても、洗礼ヨハネをエリサベツが身ごもった時、祭司長をしているザカリヤが啞になったのをみると、族譜、即ち家門がいい家だということが分かります。それ故に、それ程良い従姉妹圏内からイエスの相対者を得たならば、神は嫌がったでしょうか、喜ばれたでしょうか?
イエスの相対は他のところから取ることができません。自分の直系の従姉妹の妹、従兄弟の姉妹からしかありません。血統が異なっていてはいけないのです。このように従姉妹を通して事が良く運んでいたならば、どのようになっていたでしょうか。イエスに惚れて、『イエスでなければ自決したい。イエス以外の人の嫁に行きません』と言う、そのような妹がいたならば、どのようになったでしょうか。イエスが死ぬ時に『私も共に死のう』と言って付いて来る女性がいたならば、どのようになったでしょうか。そういうことを考えてみたことがありますか。
ペテロ、ヤコブ、ヨハネのような主弟子も皆逃げてしまったのですが、一方的に慕う一人の女性が出て、『彼が死ぬのならば、私も共に死にたい』と言う妹がいたならば、どのようになっていたでしょうか。そうであったならば、イエスは昇天することもなかったのです。イエスが昇天しなかったならば、キリスト教は虐殺されなかったのです。そういう事実を見ると、非常に重大なのです。
この地上に神の王者が来られたのに、男性達は天使長の立場であるために逃げたのですが、彼の相対者として残るべきエバの群れ、夫が行くべき道を貞操を持って守ることのできる一人の女性、片思いでもすることのできるそのような女性がいたならば、どのようになったでしょうか。皆さんはこれを考えてみましたか。
イエスは死んだとしても、神の前に栄光を返すことができました。また、死の場においても、『あなたはこの地上で愛することのできる一人の人を捜したのではないでしょうか。私に味方し、私を愛して死んでいった、か弱い女性をかわいそうに思ってください』と言って、恵みを施してあげることもできるのです。
イエスは死の道、黄泉の道においても寂しくなかったのです。地獄に行ったとしてもペアで行ったでしょうし、楽園に行ったとしてもペアで行ったでしょう。だから寂しかったでしょうか。寂しくなかったでしょうか? そのようになっていたならば、聖霊は何のために送りますか。聖霊を送る必要がありません。そのように成すことができない運命であったので、聖霊を送ったのです。父の神であるイエスは天に行ってしまい、母の神である聖霊は地上に降りて来ました。離別が始まったのです。そのような女性がいたならば、昇天は必要なかったのです。地は子女を直接保護するために、そのように死ぬことはないというのです。」
(祝福68号 P155~157 根本復帰 前編 1970年12月1日 江陵教会)
弟子たち天使長が逃げ去っても、イエス様と死を覚悟する女が現れていたら、
イエス様は昇天することがなかった。
イエス様の相対はいなかったのだ。
3段階で言えば、蘇生・長成で、僕・養子の二段階、
8段階で言えば、僕の僕・僕・養子の三段階。
母マリアがイエス様の結婚の協助ができなくてイエス様は神の実子として生まれながら養子のように死んでいった。
妹と会うこともなく・・・
「もし知っていたならば、親戚の妹に接近し、御旨を教えてあげたのではなかったでしょうか。事実、当事の事情で、イエス自身がそうすることのできる立場でもなかったのです。腹違いの息子として生まれたという噂の故に、そうすることのできない立場でした。それを、母であるマリヤと洗礼ヨハネの母、そしてその姉かあるいは従姉妹等の、三人の女性がしなければならなかったのです。そのように、三人の女性が一つになっていたならば、間違いなく成すことができたのにこれができませんでした。」
(祝福68号 P158 根本復帰 前編 1970年12月1日 江陵教会)
お父様の妹の話も・・・
「幼い時から、先生が東に行けば東に付いて行きたいし、西に行けば西に付いて行きたい。付いていかなければ、『私は死ぬ』という程に先生を思うようにしておかなければなりませんでした。」
「それ故に、それ程良い従姉妹圏内から先生の相対者を得たならば、神は嫌がったでしょうか、喜ばれたでしょうか?
先生の相対は他のところから取ることができません。自分の直系の従姉妹の妹、従兄弟の姉妹からしかありません。血統が異なっていてはいけないのです。」
「先生に惚れて、『先生でなければ自決したい。先生以外の人の嫁に行きません』と言う、そのような妹がいたならば、どのようになったでしょうか。」
「私の妹が数えの13歳の時、私はよくからかったのです。『おい、お前の新郎になる人がこのような男だったらどうするのか、まぶたがこうで、何がこうで・・・』と言うと、『ええ、何ですって!』と言ったのです。ところが、数えの18歳くらいになった時、遠い親戚にあたる叔母さんが来て、『仲立ちしてあげるから、嫁に行くなら会ってみなさい』と言うのです。母が『あすくらいに誰かが見合いにくるかもしれないから、そのつもりでいなさい』と言うと、翌朝、先に起きて髪の毛をくしでとかし、おしろいまで塗るのです。服も着替え、それだけではありません。家の内外を一人ですべて掃除するのです。なぜそうするのでしょうか。嫁にいきたいからなのです。」
(1972年5月9日)
「母が多くの家庭を率いることが大変だと言うので、私の叔母が来て『ああ、お姉さん、子供が多く、皆苦労しているのでしょう。・・・どうか娘を一人下さい。私が育てますから』と言うので、母は平壌の叔母の家に妹を送ったのです。先生が一番愛した妹でした。その妹を送って行って、先生は実にたくさん泣いたことが今も忘れられません。それが兄弟愛なのです。そして、私がソウルに行ったり来たりして、その叔母さんの家に寄って話をしたりしました。妹と会えば、互いに涙を流しながら話をしていたことが忘れられない思い出として残っています。」
(1989年2月12日)
お父様が一番愛した妹も祝福を受けることができなかった。
その祝福を誰が盗んだというのだ!
お前たちだ!
「キリスト教の歴史の中でも旧約時代は僕の時代であり、新約時代は養子の時代になります。さらに、息子の立場を引き継ぐためのものがメシヤの思想です。メシヤは神様の愛を受けることのできる息子なのです。それゆえ、イエス様を神様のひとり子といったのです。ひとり子というのは、神様において一人しかいない息子を指すのです。それは神様の愛を中心として初めて生まれた息子を称していう言葉です。そのような摂理的な背景を持った宗教、特にキリスト教を中心として歴史を導き、二十世紀の文明を支配する民主世界の創建を成してきたのです。」
「神様の摂理から見た南北統一」P50
イエス様ですら生きてあずかることができなかった祝福家庭とは何だというのか?
「はじめに祝福家庭はなぜ尊いのかと尋ねましたが、なぜだか分かりましたか? 原罪ではありません。原罪は堕落以後のものです。堕落以前の神様との関係があるのであって、原罪とは関係ありません。そう言う人は、原理を知らないからであり、原理が分かれば、祝福家庭は神様と直接の関係なのです。」
(ファミリー93/9 30p 日本人特別修練会における御言 1993年 4月16日 ベルベディア)
イエス様の時も、お父様の時も、何故7年の大患難が起こるのか?
「聖書には出ていませんが、元来はイエス様も、27歳から33歳までの7年間を中心として出発したのです。そこから40歳まで第2次七年路程であり、イエス様が20歳から始めていれば、それが3次七年路程になります。そのようにしてイエス様は40歳までに世界的な基盤を築かなければなりませんでしたが、民族が従わなかったことにより死んでいったので、それが聖書に七年大患難として残っているのです。」
(祝福家庭と理想天国 1 P1951)
そして、罪なき息子は如何にして心情の十字架の絶頂で神の実子足り得るのか?
<宇宙の根本は真の愛による父子の一心関係>
「宇宙の根本は父子の関係だというのです。そこで単純に考える人は、『父と子のいる関係が宇宙の根本なのだ』と思うでしょう。どうですか? 父母と息子といれば、それが宇宙の根本になるのでしょうか。父子の関係というのは、父母の関係でもなく、子女の関係でもありません。父子の関係というのは、永遠に切り離そうとしても切り離すことのできない、絶対的に一つになった関係をいうのです。それには何が必要かというと、真の愛なのです。」
(祝福70号 P19~20 神のみ旨を中心とする宗教圏の統一 1988年10月14日 ソウル本部教会)
もう冬か?
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