原理講論を読む

日常生活の中で 考える糸口を求めて

サタンは先ず中村氏に入り、次にクルト氏に入り、最後に澤田氏に入った。 1,中村氏による同時性の失敗によって日本聖殿にサタンが侵入する条件ができた

1,中村氏による同時性の失敗によって日本聖殿にサタンが侵入する条件ができた。

近世400年すなわちメシヤ再降臨準備期間を統一原理に学べばアベル的人生観とカイン的人生観があることを知る。

また、政治的にもアベル的な民主主義とカイン的な民主主義がある。

経済についてもやはりアベル・カインはある。

本来であるならば、小山田氏は統一思想院のメンバーなどに方針を与えて現代までの500年に渡る歴史に現れた政治思想や経済思想をアベル・カインに分析して纏めなければならなかった。

原理講論は同時性に見るように再臨主がいつ降臨されるかを問題としている。

1920年に再臨主が降臨されたが、それ以前の歴史の確定した事実をもとに神の摂理はこのようなものであったと解説するものであった。

したがって、中村氏が成約の同時性とやらを書いたが、中村氏の場合は原理講論のように確定的事実に基づいて過去の歴史が同様の様相を持って繰り返されたというような内容ではない。

中村氏はまるで決定論であるかのように自身の考えた同時性を動画で話した。しかし、未来についてはたとえお父様が語られようとも人間の責任分担によって結果は違ってきた。

お父様の場合は未来のある時点にそうなることに責任を持って語られてきた。

人間の責任分担の成就を神に対して責任を持って勝利するという強い意志の表明であり、当然中心勢力が責任を果たせない場合には天運が過ぎ去り歴史は延長することを覚悟のうえであった。

その点中村氏は予定調和のように人間の責任の履行や不履行に関わらずあたかも歴史がそのようになるという印象を強く皆さんにアピールしたと思う。

これは初歩的な誤りである。

また、もっと根本的な間違いは、「お父様はお母様の教育に失敗した」という見解であり、イエス様の十字架と同様に捉えたことである。

そこでわざわざ表紙にお父様の十字架を持ってきている。

 

エス様には大きく2つの点が引っかかったとされている。

一つはゲッセマネの祈りである。

「願わくはこの盃を過ぎ去らせ給え」とは

エス様と神様の考えが一致していないということになってしまった。

二心だというのである。

心情一致する3弟子の基台が失われただけではなく、

エス様自体も神と心情一致できなかった。

キリスト・メシアであればこそ指摘できる基準が問われた。

十字架刑は一定の時間が過ぎれば降ろされた。

エス様もそのようにして復活するはずであった。

しかし、イエス様は「我が神、我が神、なんぞ我を見捨て給もう。」

と言われた。もちろん最後は神を讃える聖句ではあるが・・・

それを条件にサタンはローマ兵をして槍で刺すように仕向け、

ついにイエス様は力尽き蘇生する道が絶たれた。

これらの2つの言葉が禍根の言葉となったという。

エス様にはキリストが求められる基準での失敗があった。

我々ごときが言えることではない。

エス様が超えられなかった心情基準は超えて勝利されたお方だけが説明できる内容であった。

さて、このときイエス様が失敗されたので神ご自身も同様に失敗された事になった。

神様の失敗とは神様は神様の責任を100%果たしたが、パートナーである中心人物が責任を果たせなかったため失敗したということであった。

 

中村氏はお父様がオモニの教育に失敗したということをイエス様と同様に理解するが、

わたしは神様の失敗のようにお父様はすべて責任を果たされたが、人間には神さえも干渉できない責任分担があるために、お父様も韓鶴子オモニの責任分担に干渉できない事情の中で韓鶴子オモニが真の母として成長し完成できなかったと考える。

したがって真の父母が完成できなかったことがお父様自身が責任を果たせず失敗したのではない。

しかしながら、神もお父様もご自分自身の失敗であるかのように責任を感じられ主体として責任を負われることは想像に難くない。

 

わたしは同時性が大嫌いだ。

同時性とは神の失敗の履歴書だからだ。

その失敗の履歴書とは神に何の落ち度もなかったのに書き綴られてきたものだ。

痛みしかない。灰を被って服を裂いて胸を打って誰にも解くことのできない痛みの心情だ。

だから大学時代に嫌いになった。

 

中村氏の成約の同時性とは背信の書である。

悔い改めなければならない。

中村氏でなくとも企画に参加した誰かがその咎を負って悔い改め信徒の前に懺悔したならサタンが去っていくはずだった。

しかし、誰も責任の持たないので以後サタンが日本聖殿に入ることができるようになった。

御言葉の責任は男性にある。

 

永田氏はかっては益村公俊氏の本を何冊か読んだのだろうが、手元にはすでにないようだった。彼は益村さんの本を全く評価していなかった。

私は学生時代に「日本の希望」も「アメリカの希望」も「韓国の希望」も持っていた。

兄弟に貸した前2冊は帰ってこなかったし、韓国の本も引っ越しの中で紛失したが、

後に違うところから戻ってきたものもある。

益村公俊の原理的歴史観の骨子は「歴史の見方 社会の見方」という本にある。

はじめに同時性を歴史に応用したのが「現代幕末論」で野村先生との共著だ。秦道臣というペンネームであった。その益村氏の歴史館に野村先生の考えを取り入れてできたものだ。1965年の出版だ。

また「統一期の中国」益村創一もある。中国の同時性だ。

「アジアに希望の陽が昇る」は読んだことがないが、古事記の箇所が重要なのだと思う。その他の内容は知らない。

ともかく未だに彼の歴史観を超えるものを持った兄弟は現れていない。

足元にも及ばない。精誠の基準が違うのだ。

 

中村氏は原理原本や原理解説や原理講論や原理本体論の関連性を礼拝で説明したようだ。わたしはこの手の白井康友がするような学者のような講義はあまり好きではない。

原理原本を自分の現在の信仰生活や現在の摂理とどう関連付けて応用するかに関心がある。

例えば原本の中で、お父様は天国の思想は君臣・父子・夫婦の道の三綱だとされた。それはイスラエル民族ですら知らなかったと。

残念なことに原理講論では三対象目的や十二対象目的という訳のわからない表現になってしまっている。

この伝統の継承者が定州のクリスチャンたちだったはずだ。

ほぼ当時のすべての住民はクリスチャンだった。ある本には3万人とある。

彼らが天一国を創るはずだった。

だから、王様が左翼政権になった韓国から離れろと言ったときに、三綱の伝統を持ってアメリカに行き王様とともに伝統を作らなければならなかった。

一体韓国人の誰がその天の願いに応えただろうか?

アメリカ人には長成の天一国しか創れない。

王がいないどころか王はいらないと喧嘩してできた国がアメリカだ。

 

お父様を失敗者と断じた者が原理原本を訳せるだろうか?

そんなやつの訳を誰が見たいだろうか?

お父様が喜ばれるとは思い難い。

 

悔い改めよ!天一国は近づいた。