十字軍の特徴は大雑把に言って肩に縫い付けられた十字架のマークと贖罪であったという。
ここにNHKが紹介した十字軍は、前半の信仰的色彩の強い十字軍ではなく、むしろ世俗的色彩の強い十字軍の流れである。
しかし、現代にも形状的ながら、あるいは宗教的には形骸化された形で十字軍の歴史が継承されていることには、心が引き止められる。
鉄の杖と修道院という伝統は、テンプル騎士団などが有名だが、人によってはフリーメイソンとの関係を指摘しアメリカに受け継がれたのだと考える人もいるようだ。
「ハプスブルク家の騎士団」 | 国際報道2018 [特集] | NHK BS1 より引用
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酒井
「難民や移民の問題にゆれるヨーロッパで、今、『ナイト』たちが動き始めています。」
ウィーンの大聖堂で厳かな儀式に臨む黒いマントの男たち。
「ハプスブルク家の騎士団」を名乗る団体です。
今回特別に取材が許されました。
メンバーは政財界の有力者など、エリートばかりです。
彼らの脳裏にあるのは、かつてハプスブルク家が築いた帝国へのノスタルジー。
イスラム教徒の大帝国、オスマン帝国のヨーロッパ侵略に立ち向かった王朝の栄光を、現代によみがえらせようというのです。
背景にあるのは、押し寄せる難民や移民の問題。
イスラム教徒を制限なく受け入れれば、キリスト教を中心としたヨーロッパの文化や価値観が失われるとの危機感があります。
騎士団メンバー
「短期間に大勢が流入すれば社会が壊れかねない。」
現代によみがえる「キリスト教の騎士団」。
その実態に迫ります。
花澤
「中東・北アフリカからのイスラム教徒の流入に揺れる、ヨーロッパ。」
酒井
「去年(2017年)10月の選挙で、難民・移民の受け入れに否定的な政権となったオーストリアでは、今、イスラム教徒が増えていくことへの危機感が、かつてのハプスブルク家の栄光によりどころを求める動きにつながっています。
そのハプスブルク家について松岡さんからです。」
松岡
「ハプスブルク家は、中世から20世紀初頭まで、500年以上にわたってヨーロッパに君臨した一族です。
最盛期にはスペインやハンガリー、さらにはアジアやアメリカ大陸にまで勢力を拡大し、『太陽の沈まぬ帝国』とも呼ばれました。
歴代の当主は『キリスト教に根ざした文化と価値観』を守る皇帝としてオスマントルコのヨーロッパへの侵入を防ぐなど、イスラム勢力との攻防の最前線に立ってきました。
先ほどのVTRで、騎士団の人々が儀式を行っていたウィーンにある大聖堂。
建物の壁には、オスマン帝国軍が撃ち込んだ弾が埋まっていて、かつてのヨーロッパとイスラムの攻防を今に伝える象徴的な場所です。
しかし100年前の第一次世界大戦の終結と共に帝国は消滅。
ハプスブルク家も帝位を失いました。
ところが今、そのハプスブルク家の名のもとに団結し、キリスト教に根ざしたヨーロッパの伝統的な文化を守ろうと、発な動きを見せているのが『騎士団』の人たちなのです。」
リポート:小原健右支局長(ウィーン支局)
オーストリアの首都、ウィーンの街を練り歩く男たち。
自らを「ハプスブルク家の騎士団」と名乗る人々です。
この日、大聖堂で厳かに行われたのは、新たな「騎士」の入団式。
忠誠を誓う相手は、今の当主、カール・ハプスブルク=ロートリンゲン氏です。
入団できるのは、騎士団が「エリート」と認めるキリスト教徒に限られます。
メンバーには、中・東欧を中心に14か国の現職閣僚や有力な政治家、それに企業経営者などが名を連ねています。
医師
「騎士団に入れて光栄です。
私の人生そのものなんです。」
オーストリア第2の都市 グラーツ市長
「本当に光栄です。
よりよい世界のために頑張らねば。」
騎士団が目指すのは、ヨーロッパの伝統である「キリスト教を中心とした文化」を守ることです。
ハプスブルク家 当主 カール・ハプスブルク=ロートリンゲン氏
「ヨーロッパはまさに、キリスト教の価値観に基づき成り立っている。
それは我々の社会を象徴するもので我々の歴史と切り離せないものだ。」
騎士団は、貴族の子孫たちが2008年に創設したものです。
当初は、社交の場として、政財界での人脈を広げることが主な目的でした。
転機となったのは、3年前(2015年)の難民・移民問題です。
それまでは140人だったメンバーが、3年で5倍の700人に膨れ上がりました。
言葉も文化も違う大勢のイスラム教徒を目の当たりにしたキリスト教徒のエリートたちが、こぞって入団を希望するようになったのです。
今年(2018年)入団した、オーストリア軍の現役の大佐、クリスチャン・オルトナーさんです。
イスラム教徒の移民を受け入れ続ければ、ヨーロッパは崩壊しかねないと考えています。
オーストリア軍 クリスチャン・オルトナー大佐
「信じられないほど大勢のイスラム教徒が入ってきている。
短期間に大勢が流入すれば社会が壊れかねない。」
オルトナーさんが案内してくれたのは、ハプスブルク家の歴史を伝える博物館です。
この母子像は、ハプスブルク家の帝国の本質を象徴するものだと言います。
オーストリア軍 クリスチャン・オルトナー大佐
「オーストリアが母で、母が守っている子どもは領内の国々を表しています。」
つまり寛容と自由の象徴です。
それぞれの国をそのまま受け入れたのです。」
言葉や文化が違う国々も帝国の一員として受け入れてきたハプスブルク家。
しかし、現在の移民や難民の流入は、その寛容さを失わせるほどの勢いで迫ってきていると、オルトナーさんたちは考えているのです。
オーストリア軍 クリスチャン・オルトナー大佐
「キリスト教徒は困っている人を助けたいとは考えている。
しかし、あまりにも人数が多すぎて対応ができなくなっているんです。」
騎士団への入団者が増えたもう1つの理由が、EUの現状に対する不満です。
騎士団のメンバーは、ドイツとフランスがEUを主導し、他の加盟国は軽視されていると感じています。
騎士団の創設者、ノルベルト・ハンデル氏です。
ハプスブルク家というシンボルをいただき、ドイツやフランスに対抗できる新たな勢力を作りたいと言います。
騎士団の創設者 ノルベルト・ハンデル氏
「オーストリアやスロベニアが単独で主張しても何も変わらない。
中小国ばかりだからこそ、共闘して初めて自分たちの主張を取り合ってもらえる。」
今年9月、騎士団のメンバーがイタリアで、第1次世界大戦の追悼式典を開催しました。
オーストリアとイタリアの閣僚を引き合わせ、ドイツやフランスに協力して対抗していく方針を確認しました。
イタリア フォンターナ家族相
「EUに望むのは、各国の文化や伝統を尊重することだ。
そうなればEUも真に団結できる。」
オーストリア クナセク防衛相
「同じ問題を抱えるオーストリアとイタリアは行動を起こす必要がある。」
式典には、騎士団の当主、カール・ハプスブルク=ロートリンゲン氏の姿も。
ヨーロッパの文化を守るためにも移民の流入を制限すべきだと訴えました。
ハプスブルク家 当主 カール・ハプスブルク=ロートリンゲン氏
「ヨーロッパはオープンであるべきだがあらゆる人を受け入れる義務はない。
我々ヨーロッパの文化を守るため、どこかで線引きをしなければならない。」
酒井
「ウィーンには、取材に当たった小原支局長がいます。
この騎士団の活動はどれほどの広がりがあるといえるのでしょうか?」
小原健右支局長(ウィーン支局)
「市民が広く知っているわけでもなく、表舞台にも出てきませんが、階級社会の名残りが今もなお色濃く、政治や経済が人脈で動いているといわれるヨーロッパの1つの象徴的な例だと思います。
オーストリアは先日、国連が採択を目指す、移民の受け入れを支援するための国際的な合意に向けた交渉から離脱することを表明しました。
オーストリアが自国第一主義を掲げるトランプ大統領に追随して、交渉から離脱したことに各国から驚きと批判の声が上がりましたが、実はこの決定には騎士団のメンバーが関わっていたと言われています。
そのオーストリアに続き、チェコとブルガリアも離脱を表明したほか、ポーランドも合意文書に署名しない方針を明らかにしています。
騎士団と同じような思想を共有する人々のつながりが、こうした動きに影響を及ぼしているのではないかと思えてなりません。」
花澤
「ヨーロッパでは反難民・移民のうねりが大きくなり続けています。
この動きも今後、広がっていくんでしょうか。」
小原支局長
「騎士団の思想に共鳴する人が増えているということは、全ての宗教が平等だとする、今のヨーロッパの価値観そのものが揺らいでいることを物語っています。
キリスト教に基づく文化を優先して守るべきだという主張は、宗教に順列を付けることにもつながり、EUの考え方とは相いれないものだからです。
ヨーロッパでは、自国第一主義を掲げる政治家も増えていますが、人々が、新たなよりどころを求めた結果が、自国第一主義の広がりや、今回取材した、キリスト教の優位性を主張する動きにつながっているのではないかと感じます。
3年前、中東などから100万人以上の難民や移民が流入したことが、ヨーロッパにとってその思想の根幹を揺さぶるほどの大きな衝撃だったことを改めて痛感させられます。
以上、ウィーンからお伝えしました。」
花澤
「去年、オーストリアの選挙を現地で取材しましたが、その時にウィーンの人たちは『こここそがハプスブルク家があったんだ、ヨーロッパの中心はここです』と誇り高いと感じました。
そしてEUに対する反発も強いものがありました。
ヨーロッパの反難民・移民のうねりがどこまで広がっていくのか、オーストリアの新たな動きも注視していく必要がありそうです
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さて、山内進氏は、「正しい戦争」という思想
という本を書いておられる。
ちょうど、ネット上にポイントを纏められた方がいたので、これも引用したい。
山内進編『正しい戦争という思想』:教会・礼拝・聖書・説教・伝道・神学:So-netブログ より引用
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山内進編、『「正しい戦争」という思想』、勁草書房、2006年、14+270+32頁。
一橋大学21世紀COE「ヨーロッパの革新的研究拠点――衝突と和解」の研究成果。
これまで日本になかった、「正しい戦争」あるいは「正戦」に関する基本書としての位置づけで発行された。
第1部は歴史的視点から、ヨーロッパの内と外での正戦論を考察。
第2部は宗教的視点から、キリスト教とイスラム教の正しい戦争論を考察。
第3部は現代思想的論点から、ヨーロッパ(特にドイツ)とアメリカの知識人の議論と国際法理論とを検討。
■ 目 次
はしがき――「正しい戦争」という思想 山内進
序論 聖戦・正戦・合法戦争――「正しい戦争」とは何か
山内進
第1部 ヨーロッパの内外から見た「正しい戦争」
第1章 異教徒に権利はあるか――中世ヨーロッパの正戦論
山内進
第2章 ≪征服はなかった≫――
インカ帝国征服戦争――正戦論に対する敗者の異議申し立て
染田秀藤
第3部 現代の「正しい戦争」論――ヨーロッパと
アメリカ
第6章 最近の
アメリカが考える「正しい戦争」――保守とリベラル 阪口正二郎
第7章
国際法から見た「正しい戦争」とは何か――戦争規制の効力と限界
佐藤哲夫
巻末に文献表(本文の章ごとには分けられていない)と事項索引、人名索引。
以下、「はしがき」と「序論」を読んでのメモ(p.41まで)。
■ はしがき
・ 戦争が良いか悪いかという判断とは別に、正しいか正しくないかという判断基準がありうる。
・ 「正戦」(justum bellum, just war)は西洋精神史の中で培われてきた神学的・法学的概念である。これに対して、「正しい戦争」(justifiable warとかrighteous warとかgood war)はより一般的に、思想として戦争の是非を論じたり、他文明圏を含めて議論する場合の表現である。
・ 西洋は
古代ギリシア・ローマ時代から正戦論を発達させてきたので、現代においても欧米的発想では正しい戦争と正戦が一体的に論じられることが多いが、これらは区別すべきである。正しい戦争がありうるとしても、それは西洋的正戦と同一のものとは限らない。
■ 序論 聖戦・正戦・合法戦争――「正しい戦争」とは何か
正しい戦争は、①神との関係で正当化される聖戦、②ヨーロッパ的観念である正戦、③国際法的な意味で合法とされる戦争に分けられる。
1.正しい戦争
・ 戦争に対する態度は、大きく①肯定派、②否定派、③条件派に分けられる。
・ 肯定派は戦争を賛美する立場、否定派はいかなる戦いも認めない立場である。「正しい戦争」論は、戦争は本来行うべきでないし、避けなければならないが、決して戦わないという選択は非現実的であるとして、条件付きで戦争を認める立場に含められる。
・ 「正しい戦争」の論点は、戦争を行うか行わないかではなく、それが正しい
武力行使か否かである。そこでは、事情によっては許される戦争があるというという考えを前提としている。
・ 「正しい戦争」論は、
自衛戦争すら認めないというわけではないが、すべての戦争を認めるのでもない。
武力行使の必要な事態があることを認め、しかし、その原因と方法に「正しさ」という条件を付すものである。この点で、「正しい戦争」論は、時として「緩やかな平和主義」と重なり合う。
2.聖戦
・ James T. Johnson (1997) による分類:
①神の命令のもとに戦われる戦争――
古代イスラエルや
イスラームのジハード。これはまず武器への特殊な呼び掛けではなく、信仰への熱意に対する命令である。
②正しく権威づけられた神の
代理人により、神のために戦われる戦争――十字軍、
スンニ派の指導者の呼びかけによるものなど。
③神自身によって戦われる戦争――
旧約聖書。
④内外の敵から宗教を守るための戦争――古代
ユダヤ、ジハード。
⑤正しい宗教を宣伝するか神の権威と一致する社会秩序を打ち立てるために行われる戦争。
⑥宗教的一体性を強調し、かつ(あるいは)逸脱者を処罰するために行われる戦争――異端に対する戦い。ドナティウス派に対して、アルビ派・
カタリ派への十字軍など。
⑦参加者自身が儀式的にかつ(あるいは)道徳的に「聖」的になる戦争。
・ 十字軍は正当な神の使い、
代理人によって訴えられて遂行された聖戦(praelia sancta)である。宗教性を絶対的要因とする聖戦は、正戦そのものではない。
・ 20世紀後半から21世紀にかけて、再び十字軍的とも思える正戦論や聖戦的ジハードが語られることが多くなり始めたが、まず聖戦と正戦を論理的に区別しなければならない。
3.正戦――古代・中世
・ 正戦はあくまでヨーロッパ的な概念であり、聖戦が宗教的であることを決定的要素とするのに対し、正戦は、祖国の防衛など正当な理由を根拠とする戦争である。(ただし、正戦が根拠とする理由は多岐にわたり、そのなかに宗教的理由を含む場合もある。この場合は、聖戦は正戦の一部と言うことになる。)
・ ヨーロッパ中世においては、宗教的社会であるゆえに正戦と聖戦はしばしば重なり合っていた。しかし、近世初頭のヨーロッパの
国際法学者たちによって、聖戦と正戦は切り分けられた。
・
アウグスティヌスは、「神の意思」「神の命令」を重視し、その意味で聖戦論を語ったが、言葉は正戦を用いた。ここから、ヨーロッパ
キリスト教世界に正戦という言葉が流布し、
キリスト教といえども場合によっては武器をもって戦うことが許されるという思想が根付いた。
・
トマス・アクィナスの正戦論は、『
神学大全』2.2.40「戦争について」に示されている。正戦であるには、①正当な権威、②正当な原因、③正当な意図の三つがすべて必要である。このいずれも、神の意思と関係づけられるわけではない。この点で、アクィナスの正当
戦争論は後世に多大な影響を与えた。
※p.19「
キケローの正戦論は世俗的なもので、
キリスト教の教義とは何の関係もなかった」って、あったりまえじゃん。
キケロは紀元前の人間だよ。
4.正戦――近世・近代
・
トマス・アクィナスは聖戦的要素を正戦論の基本的要素から排除し、異教徒との共存の可能性を認めていた。これは中世から近世に到る一つの重要な思想的系譜である。
・ グロティウス(「
国際法の父」と呼ばれる)は、スペインの近世スコラ学者たちと同様に、宗教の違いを理由とした攻撃を認めず、
自然法を論拠として、徹底して世俗的な正戦論を展開した。
・ ヨーロッパの拡大と理性的普遍主義の中で、人肉嗜食などの人道に反する行為に対して戦争を行使することは合法とされるという主張が出て来た。これは、
自然法に基づく普遍的規範を根拠にした刑罰戦争であり、普遍的正義・権利のための正戦であった。
・ ヨーロッパが洗練された文明的存在として意識されるようになると、ヨーロッパは一個の共同体であって、諸国家はその一員と考えられるようになった。その中での
主権国家間の争いは、
バランス・オブ・パワーの回復の争いに過ぎず、相手もまた
主権国家であると尊重されるとされた。
・ エメリッヒ・ヴァッテル(1714-67)は、
主権国家は平等であるゆえ、一方が正しく他方が不正であると決めることはできないとした。したがってもはや正戦論ではない。すべての戦争は、
主権国家がその最高の意思に基づいて推進するものであるから、
主権国家が戦争をすると決断すれば、それを止めるものは何もない。しかし、ヨーロッパは諸国家間の諸関係と種々の利益とによって連結されている集団を形成しているので、
主権国家は、相手の殲滅や吸収、奴隷化、植民地化を目指してはならないという一定のルールのもとに戦わなければならない。
・ 戦争は、単に紛争に決着を付ける最終手段に過ぎないものとなった。殲滅と支配ではなく、賠償と条約によって戦争は
終結する。戦争の正しさとは、フェアプレーを行うこととなった。そのルールを定める規則が
戦時国際法である。
5.合法戦争
・ 二つのハーグ平和会議(1899、1907)で、戦時の
国際法が成文化された。それは、文明国間の条約で定められたものだった。また、それは戦争の防止を図るものでも、戦争の正・不正を図るものでもなく、交戦方法や手段の規制、中立制度の確定を目指すものだった。
・ ヴォ
レンホーヴェンは、ヴァッテル以後の、
主権国家による独断的な戦争の自由を批判して、そのような侵略行為は諸国家の連合軍で撃破すべきだとし、国際的な協力のもとで平和を構築することを主張した。これによって、「違法な戦争」という概念が
国際法思想の中に取り入れられた。こうして、グロティウスの刑罰
戦争論が再び浮上し、正戦論が復活した。
・ 現代における「正しい戦争」とは、個々の国家や集団が自らの判断で正当性を主張する聖戦や正戦ではなく、
国際法に照らして正しいとされる戦争のことであり、国際社会が実定
国際法または国際機関または国際世論によって合法とみなす戦争のことである。
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