原理講論を読む

日常生活の中で 考える糸口を求めて

宗教改革期のカトリックはプロテスタントの運動に打撃を受けるも世界宣教が拡大したが家庭連合もその点似ている

スアレスの両権論というのがあると言う。

なるほど世界宣教の背後にはこのように考察されてきた思想があったのかと驚いた。

家庭連合では毎回世界宣教の報告がされていると言う。

大体アフリカ中心で、アジアなどが多いとか。

キリストの愛の思想である、上に立つ者は下にある者に使えよというイエス様の御言葉を実践するどころか、形骸化はさらに変質し人間の権力支配へと変質してしまった。

同様に、家庭連合でも、夜の神様である天の父なる神ではなく、昼の神様である地の母なる神を重んじ、主管性転倒したヒエラルキーを、独生子ではなく独生女中心に御言葉を改竄して信徒を奈落の底に突き落としてしまった。

キリストではなくマリアを拝むように、家庭連合では父を追い出して母を立てることが忠誠であり信仰だと倒錯してしまった。

その結果、韓半島は赤化統一の直前まで来ている。

ほぼ真っ赤である。

ピースロードとは呆れて物が言えない。

 

1580 年代のローマ学院におけるスアレス講義ノートをもとに、インディアス問題に関するスアレスの理論をみていく。その前に、スアレスの両権論を理解するために必要な限りで、中世における両権論の流れを示す。中世の教皇主義理論において、教皇と異教君主の関係について二つの立場が存在する。一つは、教皇が俗権としての俗権を持つという直接的権力論(potestas directa)であり、教皇が全世界で世俗的最高権を持つと
いう立場である。もう一つは教皇が霊的目的などのために世俗的事柄において何らかの裁治権という統治権を持つという間接的権力論(potestas indirecta)であり、異教君主は俗権を正当に持つけれども教皇が異教君主に対してその裁治権を持つという立場である。新世界の発見に際して、教皇アレクサンデル 6 世の贈与大教書により、新世界におけるスペインの支配権は教皇権によって正当化される。しかし、1530 年代に入り、ビトリアは異教君主に対する教皇の直接的権力のみならず間接的権力を否定し、キリスト教君主のみに対する間接的権力を認めるという新しい間接的権力論を提示する。だが、ビトリア理論はこの新しい立場を一貫して支持していたとは必ずしも言い難いような曖昧なものに最終的に留まっている。16 世紀半、王権派のセプルベダと有名なラスカサスが論争し、布教方法などの様々な点で対立する。それでも、異教君主に対する教皇の間接的権力を認める点で一致している。その後の論者でも、同様の理論がみられる。1580 年代、スアレスイエズス会ローマ学院における講義で両権論を扱う。この時期において、スアレスのトマス主義的な両権論の基本的大枠の素描が見出せる。布教論に関して、スアレスサラマンカ学派の一人としてインディアス問題に関心を抱き、その理論を批判的に引き継ぎ、ビトリアがいわば未完のまま残した新しい立場を発展させていく。特に、キリスト教君主に対して教皇キリスト教共同体の頭として対内的に持つ霊的裁治権としての間接的権力と、異教君主に対して教皇キリスト教共同体の頭として対外的に持つ自然的な自己防衛権としての間接的な権力」という区別が根本的に重要である。この区別は 1580 年代に示され、徐々に洗練されていく。この区別により、教皇キリスト教共同体を防衛するためにキリスト教君主の重大な罪を裁くべく様々な刑罰を下せるが、異教君主に対しては偶像崇拝のような自然法に反する罪などを罰することができず、よってキリスト教共同体を拡大させる際の武力行使の機会や方法が大幅に制約される。その他に、スアレスは異教君主にキリスト教君主と対等な戦争の権利を認めることで、両君主の対等性を認め、そのようにして征服を抑制しようともする。以上のように、スアレスはインディアス問題におけるラディカルな教皇主義者との論争にいて、主に教皇権を中世の教皇主義理論よりも抑制することによって、キリスト教共同体の拡大を有益かつ正しい方法でさらに推し進めるべきと論じる。

 

博士論文「フランシスコ・スアレスの両権論: 宗教改革・インディアス問題・東アジア布教に即して」の概要 小田英

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宗教改革と大航海時代におけるキリスト教共同体―フランシスコ・スアレスの政治思想

宗教改革と大航海時代におけるキリスト教共同体―フランシスコ・スアレスの政治思想

 

 

 近世という時代は普遍教会すなわちキリスト教共同体の
  防衛と再建 および 拡大 の時代である。(本書より)

  大航海時代と、宗教改革が引き起こした熾烈な論争。カトリックの論客フランシコ・スアレスの思想を軸に、当時の言説からヨーロッパ近世「キリスト教共同体の 防衛と再建および拡大の時代」を解き明かす。「第一部:大航海時代におけるキリスト教共同体の拡大」でインディアス問題と日本を含む東アジア布教をめぐる言説を考察し、「第二部:宗教改革におけるキリスト教共同体の防衛と再建」で、ヴェネチアに下された聖務停止令、イングランドの忠誠宣誓が引き起こした論争を分析し、近世を形成する思想的礎を明かにする。

 

川出良枝東京大学大学院法学政治学研究科教授)推薦文

宗教改革と世界大の海洋進出によってヨーロッパが大きく変容をとげる中、カトリック教会はいたずらに過去の栄光を追い求めていたわけではない。むしろ、新たな時代にふさわしい社会秩序を構築するために獅子奮迅ともいえる努力を払っていた。その中心で燦然と輝いていたのがスペイン生まれのイエズス会フランシスコ・スアレスであった。スアレスおよび教皇主義者たちの政治思想を包括的に分析する本書は、近世西洋政治思想史に関心のある読者にとって必読の一書である。
 スアレスの政治思想はおのずから二正面作戦の形をとった。一方では、欧州内でプロテスタント教会や独立性を高める国家と対抗するための精緻な理論が求められ、他方では、アメリカ大陸のみならず、日本を含む東アジアにまで広がった異教徒への布教活動への指針が求められた。著者は、この壮大な二正面作戦の全容をスアレスの手稿史料を含む厖大な文献を読み解くことでつぶさに描き出す。本書の出現によって、宗教改革以降ローマ・カトリック陣営は歴史の後景に退いたとみるような安易な近世理解には、根本的な見直しが迫られるであろう。

宗教改革と大航海時代におけるキリスト教共同体 –

 

御言葉がわからず、摂理がわからず、南北統一もわからない。

それでも2年後には偉大なビジョンが実現するのだという。

鳩山や文在寅同様まったく不可解である。

 

以下に記事を書きました。

日本国民と韓国国民の敵である独裁者文在寅主体思想政権による従北南北統一後、共産主義の防波堤は対馬だがその対馬が危ない - 国益

 

 


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