イギリスはごく最近ヨーロッパの一員になった ブレグジットは本来の誇り高いイギリス人に立ち返り国家主権を取り戻すことが主眼
最近のブレグジットの報道を短い動画で振り返ってみよう。
まずは安倍総理の訪英から。
メイ首相のために最大限協力したスピーチでしたね。
安倍総理流石です。
英国聖公会のイギリスとカトリックのアイルランドの人々が共に暮らしているのが問題の北アイルランドですね。イギリス領です。
EUの一員にそれぞれなったことを契機に、両国の紛争に終止符が打たれました。
賛成202,反対432。
一般には100票差以上の開きで厳しい局面になると予想されていましたが、
200以上の差があろうが、メイ首相は毅然とした態度を一貫してとってます。
見事です。
一度国民投票にかけて決まったことを再投票すれば、これが前例・慣例になり議会では決議ができなくなる恐れがあります。議会から国民投票に決議の手続きが移されることになると思います。
これは危険で、後に機能不全を起こすかもしれません。
見事なスピーチですね。
幸福実現党の及川幸久さんという方がわかりやすくブレグジットの解説をしているので参考にしてはいかがかと思う。
さて、ヨーロッパですが、カール大帝がヨーロッパの父と言われています。
カール大帝はローマ文明の遺産を継承しています。
ここから様々な編成をを織りなして今日のヨーロッパ世界を形成してきました。
イエス様が十字架で処刑されてしまい。地上天国を建設する道が塞がれてしまいました。本来であればイエス様を中心にして洗礼ヨハネが第一弟子となりイエス様の氏族から12弟子が選ばれる予定でした。
それらがイエス教団を形成しユダヤ教を統一しさらにイスラエル国家を統一し、精神文化の高い東洋にみ言が伝えられるはずでしたが、ユダヤ教の背信によってイスラエルに対する神の祝福は奪われてしまい、物質文明の代表たるローマに伝道がなされる蕩減の道へと変更になり、右回りになるべき摂理が左回りに展開しました。
そこで、ローマにおいてキリスト教が公認されるまでに大変な迫害と犠牲を余儀なくされました。
64年のネロ帝や303年ディオクレティアにス帝を経て、
313年にミラノの勅令が発布されようやくキリスト教が公認されます。
325年にニケーア公会議で神とイエス様が同質だとするアタナシウス派が正統とされイエス様を神に最も近い人間としたアリウス派は異端とされました。
392年にはキリスト教が国教化します。
431年のエフェソス公会議では、イエス様には人間的側面はなく神性だけがあるとするネストリウス派が異端とされました。
さてそうしたキリスト教の変遷の中で、ゲルマン民族の大移動を原因として後代な土地を統治することに限界がきました。
ゲルマン人の人口は先住民の3%程度でしたから、やがて帝国の中の国家のようにして組み込まれていきます。
395年にローマ帝国が東西に分裂します。
さてカール大帝ですが、
481年にクローヴィスがフランク王国のメロヴィング王朝を始めます。
ところが8世紀になると王権が弱まり、かわりに宮宰に権力の実験が移っていきます。
8世紀という時代は地中海ではイスラム教徒による大征服運動が展開され、イベリア半島にまで至ります。
711年には西ゴートが滅ぼされました。
732年に宮宰のカール・マルテルがツール・ポワチエの戦いでイスラム軍を撃破し、西欧キリスト教世界を救います。
751年にカールの子ピピンは、メロヴィング王朝を打倒するために、教皇の支持を取り付けられるよう教皇にラヴェンナ(教皇領)を捧げ、カロリング王朝を起こします。このピピンの子がカール大帝でした。
800年のクリスマスに、教皇レオ3世はローマの聖ペテロ聖堂において、カール大帝に西ローマ皇帝の帝冠を授けます。
このカール大帝が「ヨーロッパの父」と呼ばれています。
ここに三要素、ゲルマン・キリスト教・ローマが結びつきます。
われわれ日本人が西洋先進国といえば、先ず思い出す国は限られています。
フランス、イタリア、ドイツそしてイギリスでしょうか。
843年のヴェルダン条約と870年のメルセン条約でフランク王国は分割相続されてしまいます。
西フランク王国はフランスに繋がっていき、
ロタール王国はイタリアに繋がっていき、
東フランク王国は神聖ローマ帝国(ドイツ)に繋がっていきます。
つまり、西ヨーロッパの核はこの三国というわけです。
ライン東岸からガリア北部に至って西ヨーロッパを統一したのがフランク王国でしたが、アングロ・サクソン王国もユトランド半島にいたゲルマンがブリタニアに至り、
829年にエグバートが統一してイングランド王国を建国します。
その他にもゲルマン民族は、
西ゴート王国、東ゴート王国、ヴァンダル王国、ブルグンド王国、ランゴバルド王国をつくりました。
ゲルマンはアリウス派を信仰していましたが、フランクだけはアタナシウス派です。
教皇との親和性があります。教皇領を捧げて取り組んだつもりでしたが、教皇もしたたかで西ローマの皇帝に任命してしまいました。わたしが上だよと。
「こんなのとならローマに来なかった」と嘆いたとか。
イギリスはヨーロッパの一員というより、むしろ独立した存在だったようです。
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英仏海峡の向こう側がヨーロッパであり、イギリスは独自の文化を誇る国家という自負がイギリス人にはあるようです。
また、スカンジナビア半島の北欧も別の文化圏であったようです。
そう考えると、北欧は福祉国家群でまとまっていますから、面白いものです。
ロシアは自分たちはヨーロッパの一員だという意識があるようですが、ヨーロッパ側はそうは思われていないようです。
フランク王国が西ローマ帝国なら、東にはビザンツがありました。
西がカトリックなら、東はオーソドックス(正教)です。
ソ連時代の衛星国家と呼ばれていた東欧は、もとはギリシャ正教で、
ロシアのロシア正教の仲間です。
唯物共産主義でまとまっていた地盤が同じ信仰であったことは面白いことです。
宗教的観点からみると、西ヨーロッパ諸国からすれば、ビザンツの流れで仲間ではないということになるかと思います。
そこで、ブレグジットですが、日本でも報道で大騒ぎしていますが、
何の事はない。元の鞘に納まるということなのかもしれません。
イギリスはヨーロッパ大陸ではなく、海洋国家としてイギリス連邦王国をつくりました。その誇りがあると思います。
今回、窮地にあったメイ首相をいいタイミングで訪れて、ブレグジットを支持しました。
フランク族による統一も、
神聖ローマ、ハプスブルグ家による統一も、
ナポレオン、ヒトラーによる統一も、
一民族によるヨーロッパの統一はすべて失敗に終わりました。
EUもメルケルのドイツの一人勝ちでピークをうって崩壊に向かいました。
イギリスはEUから独立して血を流して獲得した主権を取り戻さなければなりません。
関税をかけることができる国家の主権を取り戻すことができます。
かって王権に対して、イギリス国民が血を流して獲得してきた自由の権利が、
いつのまにかEUに参加して失われてしまった。
今や王にではなく、EUにたいして血を流して主権復帰するときが来ている。
たとえ合意なき離脱になるとも、
メイ首相に神の加護と英国民に神の祝福があらんことを!
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