原理講論を読む

日常生活の中で 考える糸口を求めて

浦川中心の自由独立系ネットワークは会長に敵愾心をもって多くの善良な信徒を騙し扇動した 一方ではみ旨に貢献し、他方では大きく損害を与えた

浦川は、メインストリームから外れた裏の流れを好んだ。

表より裏、表の会長より裏の会長、表の情報より裏の情報、表の人事より裏の人事、

宗教的アプローチより政治的アプローチ。

手練手管が好きな政治家だった。

日本にいながら日本教会より韓国教会を選んだ。

日本を捨てた人物が、何故戻ってき来たのだろう?

不思議な人だった。

  

しかも日本の責任者を「江利川会長は家庭連合に取り込まれ寝返った、」という疑惑を展開し、会長が退会後も、「疑惑」「疑惑」で悪いイメージを多くの信徒に刷り込んでいった。

摂理的中心人物を支えようとは考えず、かえって中心人物を無きものとしようとネガティブキャンペーンを展開した。

彼女が中心になることが嫌だったのだろう。

いくらかの人から、わたしの耳にもネガティブな噂は届いていた。

 

私が先に入会の手続きや聖酒について問い合わせたのは

日本サンクチュアリだった。原田さんに二度連絡した。

その後ひょんなことからサイバーのメンバーと親しくなり、

手続きの面倒から解放されるのでサイバーに入ることになった。

わたしは両団体に所属した経験がある。

誰が詐欺師か私なりの考えを持っている。

 

彼は王様が祝福してくださったサイバーを捨てた。

そして、またサイバーとして祝福を受けた。

江利川会長は夢と玉声で示された天運(祝福)を守っている。

会長にもたらされた祝福をわれわれは守らなければならない。

 

 

浦川はサイバーを去ろうとした堀氏を引き止め、自分に非があったと認めサイバーを去っていった。身から出た錆である。しかしそのことは償いをなしたということだろう。

だが、サイバーに下さった祝福をエサウのようにあまりに軽んじた。

今度の祝福は大切にするのだろうか?

 

アメリカの最高裁判事候補のガバノーの疑惑や、

我が国のモリカケ疑惑のように、

敵愾心から亨進様が任命した人物を葬り去るための工作を展開してきた。

また、彼のネットワークには家庭連合時代から江利川会長に批判的な者も集まっていた。

 

彼によれば、エルダー宣教本部長から江利川女史に替わる777以上の会長候補を

探してほしいと頼まれたと言う。

何故彼は自分の団体にいる777を会長にしないのだろうか?

 

 浦川は氏族活動を抑えられることを警戒する。

だが、家庭連合も三男派もサンクチュアリも誰も抑えたりはしない。

もしかしたらそういう者が三団体にはいるかもしれない。

しかし、多くのメンバーはそんな者が団体を代表しているとは考えないだろう。 

こういうフェイクニュースを発信する。

 

氏族活動は個体目的だが、全体目的はどう考えているのか?

ほっとけばよいのか? 

愛する日本がどうなってもよいのか?

そんなはずはないだろう。

我々は連体ではなかったのか?

 

江利川会長の退会届をもとに経緯を振り返ってみたい。

 

 

2012年9月3日 聖和

 

2015年1月15日  亨進様の説教「神よ王妃を救い給え」

 

2015年1月18日 「沈黙を破って」 

 

2015年2月19日 江利川女史 韓鶴子オモニに会う

久しぶりに真のお母様にお目通りを願い、「亨進様に反対をしないで下さい。お母様と後継者の亨進様がひとつになって下さい。」と、直訴させて頂きました。

 

2015年2月27日 江利川女史訪米

日本に帰国後、霊界の役事(栄進様)があり、「今年第3回に当たる基元節(陽暦3月3日)に亨進様が来て、お母様と共に全てを主管しなければならない。それを亨進に訴え、連れて来られるのは貴女以外に誰もいない。」との働きかけに熟慮の末、2月27日、アメリカに飛んで行き、亨進様、国進様に懸命に訴えました。

 

2015年3月1日 江利川女史がサンクチャリー教会の日本総会長兼協会長に就任

サンクチャリー教会の日本総会長兼協会長として亨進様から任命される青天の霹靂の結果となりました。

なぜその任命をお受けしたのか?第一に、真のお父様のみ言と伝統が崩されている中で、亨進様がそれを守り、真のお父様の栄光を高く掲げて行こうとされることに異論はありませんでした。第二に、亨進様が真のお父様を体現しつつあられるお姿を目の当たりにし、任命を受けることが真のお父様の願いであると思いました。

 

2015年3月4日

相当の覚悟をして日本、成田空港に降り立ちましたが、予知しない日本教会の決死の働きかけで、そのまま3月4日に渡韓、翌朝お母様にお目にかかり、今まで認めてきたような内容を報告致しました。すると「江利川の気持ちはわかった。私もお前を用いたいがー。」と。

私の心の中には、何とかして真のお父様を中心として、お母様と後継者の亨進様がひとつになっていただきたい。お父様もそれを願っていらっしゃるはずである。”虎穴に入らずんば虎児を得ず”ではありませんが、そんな役割を果たしたいと思って、お母様の任命をお受け致しました。

お母様から与えられた責任は、世界平和連合及び国際勝共連合の共同会長でした。救国救世運動は、私の生涯のライフワークでもあります。

お母様は、「真の子女のことは構うな。2020年までに国を復帰せよ。そうすれば子女達は放っておいても帰ってくる。」と。私は、あれこれ考えず、これを文字通り実践するべく、霊的アンテナを高くし、現実の国の課題や政治情勢を分析、検討する中で「共産主義は70年、7代を越えられない。」と言われた真のお父様のみ言が思い当たり、次々と知恵が与えられ、2020年までの5年間、特に今後の1年間の救国の闘いが重要であり、戦略戦術も祈りの中で教えられました。あとはいかに内外共に総力戦を打って出られるか、まず、我グループが牽引車となって、政府や現場を動かしていけるかの段階に入りました。この紙面では割愛しますが、宋龍天総会長や徳野会長には掻い摘んで報告させていただきました。

 

2015年4月10日 浦川 日本地下教会設立の打診

 

私自身の思いは、6月中旬までは、たとえ地獄に落ちたとしても、お母様から離れずお母様が御存命中にお父様の下に立ち帰っていただけるよう虎穴で頑張り抜くという意思が強く、両方に責任を持ちながらも外的活動に費やす時間が多くならざるを得ませんでした。

 サンクチャリー教会の方はどなたか代りに立っていただきたいと、人捜しをしておりました。仲々思うに任せず、段々と時間と共に責任を感じる中で、6月中旬頃からついに霊界が動き出しました。

 

浦川は意図的に上記の文章の内で、

「サンクチャリー教会の方はどなたか代りに立っていただきたいと、人捜しをしておりました。」という後半だけを引用して強調する。

これは誤解を生じかねない引用の仕方である。

そしてエルダー氏の方から替わりの人材を探すように要請があったとしている。

前半の経緯を説明することはない。

何故だろう?

 

前半の文章は、国進様がお母様の館を用意して待っておられたことに共感して、精誠を尽くしてこられたということを語っているものと思われる。

勿論亨進様も「神よ、王妃を救い給え!」とオモニを待っておられた。

オモニとの接点がなく、どのように救うことができるというのだろうか?

左翼マスコミのように、自分の主張が正しいと誘導するために、前半をカットして扇動しているのである。

アメリカにいるエルダー宣教本部長はどうやって誰からの情報をもとに江利川会長が家庭連合によって、とりこまれようとしていると考えたのだろうか?

 

 

オモニに久しぶりに会った際に江利川会長はこう言ったという。

「亨進様に反対をしないで下さい。お母様と後継者の亨進様がひとつになって下さい。」

はじめからこのことを志として胸にいだいていたからである。

それなのにまるで責任を放棄して去るかのごとき印象操作である。

自由がゼロで責任が100%だという人物が、

どうしても二方面作戦ではどちらも中途半端になると考えた。

 

会長としての仕事をするよりも、オモニを説得する道のほうが、

最直短であることは間違いない。

できるかどうかはわからない。

だが、その選択はそんなにも間違ったものだというのか?

当時はオモニがどれくらいアボジとズレているかがわからなかった。

「復讐心」まであるとは誰も考えてはいなかった。

 

では、江利川会長が寝返ったという確定的事実はあったのだろうか?

彼女は、「両方に責任を持ちながらも外的活動に費やす時間が多くならざるを得ませんでした。」と語った。

江利川会長は亨進様が任命された直後に始まった大陸会議に毎週参加されて今日に至っている。

何故、寝返ったとフェイクニュースで扇動し続けたのだろう?

自由独立系のサンクチュアリはその点において共同戦線を張っているかのようだった。

 

私自身は、江利川女史のことをほとんど知らなかった。名前くらいしか知らなかった。だが、韓国で神山会長のミスを知りながら守っている姿を見せていただいた。

この人はこういう女性かと思った。

一般社会でも善よりはむしろ悪の噂が広がることはよく知られている。

安倍総理も気の毒なことにそうである。

人間には堕落性が染み込んでいるので、善よりは悪に反応しやすいのである。

江利川女史の噂で私に入ってくるものもそちらのほうが多かった。

 

み旨において、その人が神の人であるか否かを判断する際には、

人の判断よりも、神とお父様の判断が重要である。

このブログでは、お父様や二代王の次に誰の人物判断が重要であるかを

サタンとサタンが中心人物として立てている人の人物判断が重要であると警鐘を鳴らしたい。

 

私がみ旨において人を見る際に最も重要だと考えることは、

第1に、神とお父様が誰を最重要人物と考え、

第2に、二代王亨進様が誰を最重要人物と考え、

第3に、サタンの中心人物の韓鶴子オモニが誰を最重要人物と考えているかである。

それが復帰原理の要諦だからである。

円四郎

 極論をすれば、その他の人の判断は枝葉の問題である。

 

では、江利川女史の場合はどうか?

驚くべきことに、3つも条件を満たしているというのだ。

 

1,夢や玉声によってお父様が江利川会長を最重要人物と見ているという事がわかる。

 

お父様が霊的に夢に現れ石を渡されたという。また玉声も聞いたという。

では、江利川女史はどういう動機で歩んでいたのか?

「亨進様に反対をしないで下さい。お母様と後継者の亨進様がひとつになって下さい。」

江利川女史の思いと霊的な役事の内容が一致して後押しとなった。

日本に帰国後、霊界の役事(栄進様)があり、「今年第3回に当たる基元節(陽暦3月3日)に亨進様が来て、お母様と共に全てを主管しなければならない。それを亨進に訴え、連れて来られるのは貴女以外に誰もいない。」との働きかけ

 

2,二代王亨進様が江利川女史を日本の総会長兼協会長とし、日本の最重要人物と判断

 

3,サタン側の中心人物である韓鶴子オモニが誰を最重要視したかも江利川女史である

お母様から与えられた責任は、世界平和連合及び国際勝共連合の共同会長でした。

 

かっては神とお父様に絶対信仰・絶対性愛・絶対服従で一体化された栄光の真の母であった韓鶴子オモニは、後にバビロンの大淫婦と呼ばれ、サタンの淫婦となりサタンが立てた反キリスト、中心人物となった。

では、そのオモニが最も重要視し、亨進様に掴ませたくなかったのが江利川女史であった。

2015年3月4日

相当の覚悟をして日本、成田空港に降り立ちましたが、予知しない日本教会の決死の働きかけで、そのまま3月4日に渡韓、翌朝お母様にお目にかかり、今まで認めてきたような内容を報告致しました。すると「江利川の気持ちはわかった。私もお前を用いたいがー。」と。

私の心の中には、何とかして真のお父様を中心として、お母様と後継者の亨進様がひとつになっていただきたい。お父様もそれを願っていらっしゃるはずである。”虎穴に入らずんば虎児を得ず”ではありませんが、そんな役割を果たしたいと思って、お母様の任命をお受け致しました。

 

浦川は江利川会長の心情がまったくわかっていない。

この退会届によってわかるように、食口の中で、お父様も亨進様も韓鶴子オモニさえも最重要視したのは、江利川会長と康賢実オモニの二人だけである。

そのことを日本のサンクチュアリのメンバーは知らなければならない。

 

 

 

 2015年7月28日 江利川安栄女史退会届

 

 

 

<参考>

何故、お父様にとって江利川会長でなければならなかったのか – サンクチュアリ NEWS

 

 お父様は何故江利川会長を選び立てたのか - 原理講論を読む

 

 

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ある王国のお話

 

むかしむかしある王国がありました。

王様は大変立派な方でいらっしゃいました。

ところが人を信じやすい王様の目を盗んで

大金を横領する家臣が増えていきました。

ついにはある日王様は、財産をすっかり盗まれて

荒野に放り出されてしまいました。

 

王様は人知れず王国の再建の道を求めて苦悩の日々を送られました。

やがて時が来て王様はかっての王国で何が起きていたのかを

世に明らかにされました。

すると四方八方から王様の行方を案じていた者たちが、

王様のいる荒野に集まってまいりました。

忠臣たちは王様が今はテント生活をされ

他人が着古した洋服をめされている姿を見て心を痛めました。

そこで集まった家臣たちが王様を中心として王国を再建するために

税を集めることにしました。

王様は家臣たちの好意を受け入れましたが、その税は一律収入の10%で良いとされました。

王様がお暮らしになる最低限の蓄えが得られました。

王宮の近くには王様にお使えしていた侍従長がいました。

あるとき伯爵夫人が王様に謁見された時、

密かに侍従長に財政状態を伺いました。

すると、王様を取り巻く人々の人件費があまりに大きいことを発見しました。

もうこれでは何も王様はできないではないか。

そこで伯爵夫人は、彼女の領土の民と共に40%の納税を王のために決意しました。

王様は国民に負担がないように10%で充分だとお考えであられました。

しかし、あまりにも伯爵夫人が懇願するので、許可を与えるかわりに、

伯爵夫人の領土の民の中で、もし異論がある民が出た際には、

別の貴族の管轄に移行する自由を民に与えるとおっしゃいました。

つまり誰もが幸せに暮らせる選択の自由と行動の責任を与えました。

王様のためにより多くの税を収めたい民はそこに留まればよく、

王様の決められたルールを尊重したい者はただ独立しさえすれば良いのでした。

王様はどちらの税率も承認されました。

 

あるとき伯爵夫人の領土の中で大きな土地を持っていた領主が

伯爵夫人のもとにやってきました。

領主は伯爵夫人に言いました。

「今までは頑張って、御心にそうよう努力してまいりましたが、わたしの領土にいる民は王様の言われた税率で支払うのが精一杯です。つきましては今後は王様の示された基準にしてはいただけないでしょうか?王様は王宮よりも民の暮らしを豊かにすることを望んでおられるからです。

ただ、差し支えなければこのまま伯爵の下で留まり、税率は下げて暮らしたいのですがどうでしょう。」

そこで伯爵夫人は言いました。

「ええ勿論結構です。あなたがいてくださいますと心強いです。今まで本当に良くしてくださいました。さあ、これからはあなたの領土の民を豊かにしてください。」

そこで二人は互いを祝福して別れました。

 

伯爵家の領土から離れたところには、男爵が住んでいました。

男爵は王様が伯爵の爵位を与えたことにたいそう不満を持っていました。

そこで、王様が決められた税率を守らないのはおかしいと会う人ごとに触れ回りました。

 

実際には王様は二つの税率を両方共認めてくださっていました。

そして自由と責任でどちらでも選ぶことができる。

別の道をただゆけばよいと言われていたのでした。

 

それをすりかえて、一種類の税率しか認められていないかのように、

偽りの情報で多くの人々を惑わしました。

その惑わしに乗って他の貴族たちやその民たちまで偽りのメッセージが

刷り込まれていきました。

やがては伯爵夫人の領土にもその偽りのメッセージがあちらこちらに伝わっていき、

民の中には、王様に伯爵夫人が反逆しているのではとまで思う者まで現れました。

 

その時、もう一度王様がなされた裁定は何だったのか確認いたしましょうという、

家臣たちが現れました。

 

もしそれを苦痛に思うのなら別の領土に行けば良いのです。そこがこれまでと異なるところです。40%を好まないなら10%捧げるところに行けばいいだけです。この自由が重要です。指導部の「抑制と均衡」だけではなくの選択の自由です。

だから王国で争ったり問題が起こったりしても基本的に介入はしません。「王宮はこういっている」といって権威を笠に着ることができません。自分たちの自由と責任で行動して下さいということです。もし民にたいする虐待が発生するときは、すぐに別の領土をすぐそばに作るだけです。民が選択できるようにするのです。

 

王様はせっかく民に選択の自由を与え、いっとき意見を違えて争うも、平和な王国内に棲み分ける道をお示しになられました。

何故このように、王が与えた選択の自由を放棄して、違和感のある領土に留まりつつも、伯爵夫人に讒訴する民がいるのかと首を傾げました。

何故、わが民は思考も行動も停止して、選択の自由を使うよりも、

自分を奴隷に低めて違和感のある場所に留まり文句を言い続けるのだろうか?

我民には常に自由な思考と自由な行動が保証されているのに。

 

王様は天を仰いで、深い溜め息を、いつまでもいつまでもつかれるのでした。

 

 

 


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