増井
「先週、トルコのエルドアン大統領がギリシャを訪れました。
エーゲ海を挟んで向かい合う両国ですが、かつてはオスマン帝国という1つの国でした。」
花澤
「今のギリシャとトルコになったのはおよそ100年前で、以来、両国は対立し、トルコの大統領が訪問するのは、実に65年ぶりのことです。
“雪解け”を期待する声もありましたが、ギリシャのメディアは『歴史的な失敗』と伝えています。」
以下にオスマントルコ帝国の特徴がまとめられているので引用したい。
このサイトには歴史的経緯なども紹介されているが、ここでは特徴を押さえておきたい。
オスマン帝国 より引用
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ヨーロッパの近代国家とは異なった国家形態をもっていた。
イスラーム教国であること
:政治権力者であるオスマン家のスルタンは同時にイスラーム教世界の統治者であり、特に1517年にマムルーク朝を倒して聖地メッカとメディナの保護権を得てからは、スルタンはスンナ派の宗教的指導者としてカリフを称し、単に帝国の権力者にとどまらずイスラーム世界の中心にあると意識された。特にオスマン帝国の衰退期にはスルタンはカリフの継承者であるというスルタン=カリフ制が強調された。また帝国の統治下ではイスラーム法(シャリーア)が施行された。しかし、従来のイスラーム国家と同じく、他の宗教に対しては租税を納めるかぎりにおいてその信仰を認めるという寛容策がとられた。特にメフメト2世以降は、ギリシア正教・アルメニア教会・ユダヤ教の産教団には自治が認められたという(ミッレト制)。19世紀以降の末期となると、オスマン帝国をイスラーム信仰を核とした宗教国家として存続させるというパンイスラーム主義と、トルコ民族を中心とした世俗的な多民族国家として再生を図るというパンオスマン主義とが国家路線をめぐって対立することとなる。激しい征服活動
:イェニチェリ軍団を中核とした強力な軍事力のもと積極的な征服活動を展開してバルカン半島を支配し、さらにビザンツ帝国を滅ぼして、その後も数度にわたってウィーンを包囲するなど、隣接するキリスト教カトリック世界に対して大きな脅威を与えた。一方、東側で隣接するシーア派イスラーム教のサファヴィー朝イランとも激しく抗争した。オスマン帝国の征服活動を支えた軍事力は、初期においてはティマールという知行地を与えられたトルコ人の騎士であるシパーヒーであったが、次第に独自の常備軍制度であるイェニチェリといわれる軍団が中心となっていく。多民族国家と「柔らかい専制」
:オスマン帝国はトルコ系民族による征服王朝であり、支配層はトルコ人であったが、その領内にはアラブ人、エジプト人、ギリシア人、スラヴ人、ユダヤ人などなど、多数の民族から形成される複合的な多民族国家であった。その広大な領土と多くの民族を統治するため、中央集権的な統治制度を作り上げたが、その支配下の民族に対しては、それぞれの宗教の信仰を認め、イスラーム教以外の宗教であるキリスト教ギリシア正教やユダヤ教、アルメニア教会派など非ムスリムにたいして改宗を強制せず、宗教的集団を基本的な統治の単位としていた(これをミッレトという)。このような、中央集権的な専制国家でありながら、支配下の民族に対して宗教的にも政治的にも一定の自治を認めていたオスマン帝国の特徴は「柔らかい専制」と言われてる。<鈴木董『オスマン帝国 -イスラム世界の柔らかい専制-』1992 講談社現代新書>中央集権体制
オスマン帝国はスルタンといえどもイスラーム法の規制を受ける宗教国家であり、また「柔らかい専制」と言われる他宗派、他民族への寛容な性格を持っていたが、同時に専制国家としての中央集権体制の維持、強化に努めた。スルタンの直轄地は州・県・郡に分け、州には総督、県には知事、郡にはイスラーム法官を中央から派遣した。直轄地以外にはエジプトやチュニスのように現地有力者を太守(パシャ)に任命して統治させた。また黒海北岸のクリム=ハン国などのように属国として支配した地域もある。因縁の隣国・トルコとギリシャ“歴史的訪問”の背景 | 国際報道2017 [特集] | NHK BS1
より引用
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先週、ギリシャを訪問したエルドアン大統領。
ギリシャのパブロプロス大統領、チプラス首相と相次いで会談しました。
両政府は、鉄道やフェリーなど2国間の交通網の整備や、観光の促進、それに、難民問題での協力を進めていくことなどで一致しました。
しかし、100年近く前の条約で確定した国境線について、ギリシャ側が「見直すことは許されない」と主張したのに対し、エルドアン大統領が「再検討すべきだ」と反論。
翌日のギリシャの新聞は、エルドアン大統領を「征服者のような態度」と批判。
歴史的な訪問ではなく、「歴史的な失敗」と結論づけました。
松岡
「そのギリシャとトルコ、両国の間には、数多くの課題があります。
その1つが、シリア難民の受け入れ問題です。
イスラム世界のトルコと、EU=ヨーロッパ連合加盟国のギリシャ。
多くのシリア難民は、トルコから船でエーゲ海を渡り、ギリシャへ。
そこから経済状況のいいドイツやフランス、ベルギーなどを目指しました。
しかし、EUに難民が殺到して大きな問題に。
EUはトルコに、難民対策のための支援金を渡す代わりに、難民をトルコ領内にとどめるよう求めました。
しかしトルコは、負担が大きいと、難色を示しました。
EUとトルコは加盟国交渉を続けてきましたが、なかなかな進まず、関係が悪化しています。
一方、ギリシャは経済の低迷が続いています。
今回の訪問をきっかけに関係を改善できれば、経済の底上げや難民問題の解決につながるという期待も出ていました。
しかし会談では、領土問題で意見が対立。
関係改善の難しさが浮き彫りになりました。
どうしてギリシャとトルコは折り合えないのか。
そこには根深い因縁の歴史があります。」
ギリシャ第2の都市、テッサロニキです。
町には、多くのトルコ人観光客が押し寄せます。
彼らのお目当ては…。
森健一記者(カイロ支局)
「こちらには、トルコの初代大統領の土産物がたくさん並んでいます。
と言いますのも、あちらの建物、彼が生まれ育った場所なんです。」
トルコの初代大統領、ケマル・アタチュルクは、当時、オスマン帝国だったこの街で生まれました。
トルコ建国の父・アタチュルクが、今やギリシャにとっての観光資源となっているのです。
去年(2016年)博物館を訪れた観光客は、10万人以上。
そのほとんどがトルコ人で、ギリシャを訪れるトルコ人の数は年々増加しています。
トルコ人観光客
「来てよかった。」
トルコ人観光客
「私も感動しました。」
トルコ総領事館 オルハン・オカン総領事
「博物館を訪れる観光客がテッサロニキの経済に貢献しています。
トルコとギリシャの文化的、経済的な結びつきを強めているのです。」
経済交流が進む一方で、ギリシャの住民の中には、トルコに対して複雑な感情を抱く人たちもいます。
テッサロニキから車で1時間ほどの村、人口500人あまりのモノブリシです。
住民の大半は、およそ100年前にトルコから移り住んだ人たちの子孫です。
住民は、祖父母の時代の記憶をとどめようと、当時の写真や道具などを大切に保存しています。
住民
「(聖母マリアの肖像は)トルコから持って来たものと思われます。」
村で生まれ育った、ディミトリス・キオツキスさんです。
幼いころから、祖父母が戦火を逃れてきた時の話を聞いて育ちました。
ディミトリス・キオツキスさん
「財産を持ち出そうとした人は、トルコの軍に殺されるような状況だったそうです。
祖母は、いつも泣きながら話していました。」
祖父母たちがトルコを追われたのには、ギリシャとトルコの争いの歴史が関係しています。
1832年、ギリシャがオスマン帝国から独立した後も、両者は領土をめぐって激しい戦闘を繰り返します。
戦闘は拡大し、一般市民の虐殺までも行われるようになり、身の危険を感じたキリスト教徒のキオツキスさんの祖父母は1922年、着の身着のままでギリシャ側に渡ったのです。
その翌年結ばれたローザンヌ条約によって、今のギリシャとトルコの領土が確定しましたが、戦いの傷跡は、今も人々の心の中に深く残っています。
祖父母はトルコを恨んでいましたが、キオツキスさんは、今のギリシャの危機的な経済を考えると、トルコとの関係の改善が必要だと考えています。
エルドアン大統領がアテネを訪れた日。
その「歴史的」訪問を、キオツキスさん夫妻も固唾を飲んで見守っていました。
しかし。
ギリシャ チプラス首相
「領土問題に関して国境に問題はない。」
トルコ エルドアン大統領
「ローザンヌ条約の新しい解釈が必要だ。
われわれは、長期的で実行可能な解決策が欲しいと言っているだけだ。」
「歴史的」訪問で噴出したのは、互いの不信感でした。
ディミトリス・キオツキスさん
「エルドアン大統領は、無理な要求を突きつけていました。
それでも話し合いは必要で、(大統領の)訪問は価値があるのです。
憎しみを語るべきではありません。」
大きな期待の中行われた、65年ぶりのトルコ大統領の訪問。
しかし、両国の埋まらない溝を再確認する結果に、失望も広がっています。
花澤
「トルコのイスタンブールには、取材にあたっているカイロ支局の森記者がいます。
長い争いの歴史を抱えた両国ですが、なぜ、このタイミングで首脳会談が実現したのでしょうか?」
森健一記者(カイロ支局)
「互いの利害が一致したからです。
トルコは、EUへの加盟に向けて交渉を続けてきましたが、もはや現実味は完全に失われています。
それどころか、シリア内戦を通じてロシアへの接近を強め、EUやアメリカとの関係は著しく悪化しています。
ギリシャは、孤立するトルコに対し、EUとの橋渡し役として手を差し伸べて恩を売りたい。
さらには、財政の再建に向けて、金融支援を受けるEUに対しても存在感を見せつける絶好の機会と見たのではないかと思います。
トルコも、EUとの関係を立て直していくために、ギリシャにくさびを打ち込むことはメリットがあるととらえたのだと思います。」
増井
「ですけれども、せっかくの歴史的な訪問の時に、100年近くも前の条約に焦点があたって、火に油を注ぐような結果になってしまったのは、一体どうしてなのでしょうか?」
森記者
「トルコ側からしてみれば、不意打ちを食らった形です。
『この条約を見直すべき』というのは、以前から一貫して主張していることです。
エルドアン大統領が訪問前にギリシャのメディアのインタビューに対して言及したことが大々的に報道されました。
パブロプロス大統領がそれを意識してか、エルドアン大統領との会談の冒頭で、ギリシャの立場を伝えたという経緯なんです。
トルコのメディアは、ギリシャ側のぶしつけな態度にエルドアン大統領はよくこらえたという反応でした。
結果的には、ぎくしゃくした印象が強くなったんですが、今後の2国間関係への影響は限定的だと思います。
トルコ側は、首脳同士の対話が、まずは始まったことそのものを歓迎しています。
両者は、オスマン帝国の支配階層だったトルコ系と、少数民族だったギリシャ系という関係でして、トルコ側の方が今の段階では、どっしりと構えているという印象を受けます。
両国にとって共通の課題である経済の活性化、これは領土問題を置いておいても進めることはできます。
鉄道やフェリーなど、2国間の交通網の整備について、来年(2018年)2月には実務レベルでの協議が行われる予定です。
まずは、経済を糸口に少しずつ関係の改善を図ることになると思います。
ギリシャとトルコは、ヨーロッパと中東が接する最前線です。
難民問題をはじめ、この2つの地域が抱える問題に大きな影響を与えるだけに、今後も注目していく必要があると思います。
以上、イスタンブールからお伝えしました。」
増井
「首脳同士の対話が、まずは始まったところですが、トルコとギリシャの溝は、やはり深かったということなのでしょうか?」
花澤
「300万人ものシリア難民を抱えているトルコというのは、ヨーロッパの生命線を握っている存在です。
そして、シリアやイラクでのIS対策などでも存在感を高めて、非常に重要性が増している国ですよね。
NATO加盟国であり、EU加盟を希望していながら、最近は、欧米との関係が悪化して、逆にロシアと関係を強化している。
存在感を増すトルコをEUがつなぎ止めるのか。
ギリシャとの関係改善も1つの鍵となりそうです。」
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さてトルコがイラクで取れた石油をヨーロッパに送る中継として重要であるが、
さらにパイプラインが増えるかもしれないという。
イラクの原油パイプラインネットワーク、トルコを含む近隣諸国への原油輸送で重要な役割 | TRT 日本語 より引用
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ジャバル・ルアイビ石油大臣は、新たな原油パイプラインネットワークがイラクを縦断し、高価で危険なタンカーによる輸送を停止すると述べた。
パイプラインは、トルコを含むイラクの近隣諸国に輸送する原油輸送で重要な役割を果たすことになる。
現在は、イラク北部からトルコに延びるパイプラインが1本ある。
(2017年12月16日)
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