原理講論を読む

日常生活の中で 考える糸口を求めて

王冠と鉄の杖は第四次アダム権すなわち皇族権の象徴 天使長には相対と所有権がなく奪ったが、これを取り戻す

だから、みなさんは王権即位式をしたときに、銃器所有をして写真を撮ったでしょう?江利川会長と。そのような怖い写真をとったでしょう?なぜですか?皆さんは奴隷じゃないから。
ずっと奴隷の精神ばかりあって、お父様の後継者の前で血を流し、王冠をかぶらないで。罪人たち。

  

奴隷の反対は主人だと思っていました。

聖書ではそうなることでしょう。

しかし、終わりの日には主人では終わりませんでした。

人々は解放され、王や王妃になる日を迎えました。

人類始祖のアダムとエバが堕落しなければ、アダムとエバは人類の真の父母になり、さらには神の国の王と王妃になったことでしょう。

その子どもたちの中から、アダムの後継者が選ばれます。王の直系が始まります。

 

堕落世界では王家と国民は血筋が違っているのですが、

本然の堕落と関係のない世界では、王家の人々と国民は実体の神様であるアダムの血筋を引いた子孫なのです。

ですから、すべての国民は王家の親戚になります。

堕落世界には王の中の王が不在でした。

そこで世界は各国に分裂し、その国ごとに王が立ちました。

現在では政治形態が変わり名称が変わってはいますが。

 

再臨主文鮮明真の父が降臨されて、最終的子羊の婚宴を遂げられ、王の王の責任と使命を果たされました。天宙の王の中の王の婚宴でした。

真の父母の後継者である亨進様が第二代王となり、信俊様が代三代王となり、三代王権が完成します。ここに中心王家が始まります。

堕落と関係がない第四次アダム圏の始まりです。

その恩賜にあずかってわれわれ祝福の中心家庭も代四次アダムになります。

 

「真の父母は第4次アダム圏時代をつくられましたから、祝福家庭としてこの時代に生きる人は皆、第4アダムになります。 (97.9.11 第4次アダム圏時代宣布」)

 

第四次アダム権が授与される日が、天基9年1月13日、陽暦2月28日であるはずです。

第四次アダム圏に入る権利です。

こういう言葉、第四次アダム権は公式にはありません。

お父様がわれわれに与えてくださる祝福の内容を表現してみました。

外的に王冠を被るのではなく、内的にも王と王妃になる日です。実質的な王と王妃になる日が来ました。だから天一国に入籍して旅立つことができます。

はたしてわれわれは王や王妃として心情転換されているのでしょうか?

いないのでしょうか?

それが問題だというのです。

 

王家の子女様のご家庭が王族となられます。

そこで祝福の中心家庭、すなわちアベルの子女家庭と心情一体化するカインの子女家庭は、アベルの子女家庭の王族圏に続くカインの子女家庭も皇族圏にステップアップしていくというのです。

そこで王冠と鉄の杖の摂理が訪れたのです。

終わりの時なので黙示録3章11節にはこうあります。

 

わたしは、すぐに来る。あなたの栄冠をだれにも奪われないように、持っているものを固く守りなさい。

 

 

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http://trueparents.jp/?page_id=61 より引用

 

 

50億人類は長子権、直系王権を受け継いだ王家の親族たちです。その皇族圏の心情を体恤した人たちが天国に入るようになっているのです。それゆえに、全世界的に平面化された王族圏を中心として、それを実体化させた世界の統一心情圏を体恤する生活をしなければならないというのです。そこから真の父母も、長子の上の真の父母です。真の父母の王権なのです。このような王権を中心として、周辺の王族を率いていかなければなりません。
 天国は、このような家庭の兄弟はもちろん、父母を中心として、王権を中心として、王族を率い、王権に仕えて入っていく所です。そのような心情を体恤して入る所が天国です。天国というものは何ですか。アダムとエバが双子として生まれ、暮らして成長し、結婚して二人が父母になったのと同じように、その心情圏を体恤し、王権をなして、その権限をもって王族を率いる人々が入る所です。そのように王が入ったのちに、王族を連れて入るようになっています。そのようにして平 面的に四大王権になるのです。(272-65,1993.5.9)

 横書き天聖経 P823~824

 

 さらに第四次アダム圏のみ言葉を振り返ってみましょう。

 

第四次アダム圏時代宣布

1997.9.11

 

 今日は何日ですか? 九月十一日です。今日から「第四次アダム圏時代」が出発します。第一次アダム、第二次アダム、第三次アダムには蕩減が必要でした。しかし、第四次アダム圏時代には蕩減が必要ではありません。そのため、第四次アダム圏時代に入っていくには、安息圏と解放圏が必要です。迫害のない時代に入っていきます。悲しみのない時代に入っていくのです。

 第一次アダム、第二次アダム、第三次アダムは、神様の恨を抱いてこの地に来ました。そのような恨を第四次アダムにまで抱かせてはなりません。第四次アダム圏時代には、定着時代に入らなければなりません。第四次アダムを中心とした本然的家庭から、天国が始まるのです。「第四次アダム圏時代」とは、アダムとエバが堕落しないで完成し、理想家庭を築いたという、そのような時代圏を言います。ここには堕落や蕩減や復帰といった概念は存在しません。神様の理想が実現する本然の時代を意味するのです。

 第四次アダムは、第一次アダム、第二次アダム、第三次アダムを代表したアダムです。第一次アダム、第二次アダム、第三次アダムには迫害がありましたが、第四次アダム圏時代からは、迫害ではなく栄光が、悲しみではなく喜びが、蕩減ではなく理想と歓喜があるのです。この第四次アダム圏時代において、国を探し、世界を探し、天宙を探し、天宙の中に解放圏と安息圏を備えて、神様をお迎えしなければならないのです。第四次アダムから、はじめて安着が始まります。ですから、この家庭から栄光のうちに祝福が天宙まで連結するのです。その時から、はじめて地上天国が出発するようになるのです。

 そのような意味において、今回(九月六日)、栄進君と亨進君の二家庭の祝福が、重要な意味をもつのです。真の父母の家庭の中で、一番最後に生まれた二人の息子が祝福を受けるとき、絶対的に真の父母と一つになったのです。自分という概念がありませんでした。すべてを真の父母に委ねたのです。解放された第四次アダム圏時代の理想家庭が出発してこそ、地上天国が始まるのです。そのためには、すべての祝福家庭が、神様の理想と栄光を顕現する、本然的な家庭の出発をしなければなりません。

 

(栄進様がご家庭を持たずに聖和されたので、国進様が引き継がれ亨進様とともに「絶対的に真の父母と一つになったのです。」三人の子女様は心情的に真の父母と一体です。

 地上では祝福を受けた家庭が、真の父母と縦的な関係における第四次アダムの資格をもちます。真の父母を中心とした第四次アダム圏時代は今日から始まるのです。どのようにしてこれを氏族、民族・国家を超えて、世界と天宙にまで連結させるのかということが私たちの課題です。第四次アダム圏時代にふさわしい家庭を築くようになれば、それ以上先生は必要ありません。第四次アダム圏時代に入るとき、はじめて神様と真の父母の安息圏が訪れ、安着できるのです。

 第四次アダム圏時代には何よりも血筋が重要です。いかに純潔な血筋を守って保護するかということが最も重要なのです。安着する家庭とは何でしょうか? 嘆きの峠を越えて第四次アダム圏時代に入っていくことを意味します。それゆえ、自分の家庭から世界の天国家庭を奉献するということが、第四次アダムの使命であるということを知らなければなりません。ですから、真の父母は安息圏が必要なのです。第四次アダムが、勝利した第一次アダム、勝利した第二次アダム、勝利した第三次アダムとなれば、霊界から神様がこの地上に臨在せずにはいられなくなるのです。そのような家庭をつくるために、「家庭盟誓」を暗唱し、成約時代の核心となる「三つのみ言」を読み、「み旨の道」を読み、「祝福と理想家庭」を読みながら、自分と自分の家庭の生活を点検しながら生きなければなりません

 

(現在ではその後語られたみ言葉を含めた八大教材になりました)

 第三次アダムとして来られて第四次アダム圏時代を開いた先生が、お母様一人を探すためにどれほど苦労してきたかを知らなければなりません。お母様を探そうとして家庭がびっくり返り、想像もできないほどの迫害を受けました。息子を奪っていった泥棒、夫人を奪っていった泥棒、夫を奪っていった泥棒、家庭を奪っていった泥棒、国を奪っていった泥棒、世界を奪っていった泥棒と言われ、多くの迫害を受けてきたのです。ありとあらゆる噂を立てられたのです。先生は公義を中心とした迫害世界の大王でした。家庭という家庭が文総裁を消し去ろうとする、恐怖と迫害の歴史があったのです。

 先生は誰なのかというと、迫害時代の王です。理想家庭を中心とした地上天国を築かなければならなかったので、善を中心としてそのような迫害に耐えなければならなかったのです。そうして、先生はついに地上天国と天上天国をつくれる段階にまで至ったのです。サタン世界を超える地獄の王であり、天国の王となったのです。そうなればすべては終わるのです。

 それで、今朝、「第四次アダム圏時代」の出発を発表するのです。皆さんが第四次アダムとして真の父母のように、イエス様のように、天を愛し家庭を愛さなければならないのです。そのような思想が、皆さんの頭に事実としてぎっしりと詰め込まれなければならないのです。今日、第四次アダム圏時代を発表するまで、先生がどれほど苦労したかを皆さんは知らなければなりません。先生に対する迫害の歴史が四十年間続いたという事実を知らなければなりません。その中で勝利し安息圏を発表したということは、驚くべきことなのです。縦的な八段階と横的な八段階の六十四段階を完全に越え、天地父母天宙安息圏を宣布したということは途方もない事件なのです。

 復帰の公式がそうではないですか? まずは環境を創造しなければなりません。環境には必ず主体と対象があります。その主体と対象は、投入して忘れてしまうことを反復することによって、対応的な相対関係を結んで発展していくのです。復帰するためには、世界からカイン圏がなくならなければならず、全人類が祝福を受けなければなりません。そうして、世界中に祝福を受けない家庭がないようにしなければなりません。皆さんは行く先々で祝福してあげなければなりません。その祝福がどれほど素晴らしく、どれほど尊いものであるかを知らなければなりません。祝福を受けずしては、新しい世界に入っていくことはできません。そこで功績を立てる家庭は、メシヤになることができます。個人的メシヤ、家庭的メシヤ、氏族的メシヤ、それから国家的メシヤになれるのです。勝利的な第一次アダム、第二次アダム、第三次アダムの基盤の上に、勝利的な第四次アダムが安着するようになっています。それで、第四次アダム家庭が定着するようになるのです。

 皆さんは祝福を受けるとき、サタンやサタン世界から迫害を受けてきたことと思います。復帰の過程にあるのですから、避けるのではなく、前に乗り越えていかなければならないのです。迫害を飛び越えていかなければならないのです。何としてでも越えていかなければならないのです。そのようにして、第四次アダム家庭が出てくるようになるのです。私たちが行く道は、第四次アダム家庭の完成です。私たち祝福家庭の出発点と行く道は、あまりにもはっきりとしています。第四次アダム家庭の完成なのです。「第三次アダムならば第三次アダムでいいのに、また第四次アダム家庭とは一体何なのか?」と思うかも知れません。しかし、第四次アダム家庭から解放が始まるのです。迫害がないのです。

 ここイーストガーデンでも、粛清ではなく、すべてを皆追い出すのです。真実に家庭的に奉仕できるイーストガーデンとして出発しなければなりません。家庭時代に入っていくのです。息子や娘も、自分の家庭で育てなければなりません。そうでなければ、自分の赤ん坊をおばあさんとか、おじさんとか、一人暮らしの人のところに連れていって、食べさせてもらい、面倒をみてもらうようにするのです。

 赤ん坊の面倒も、自分の母親だとか、親戚とか、一人暮らしのおばさんに頼みなさい。今後は、子供の面倒を見させるのに、若者や若夫婦を使ってはなりません。若い人たちは国に奉仕しなければなりません。自分の家庭に奉仕してはならないのです。ですから、家庭から脱落した人、家庭において孤独な人、親戚の中で独身生活をしているおばさんや、おばあさんのような人たちを、自分の家庭のために使わなければならないのです。

 それゆえ、そのような人たちを連れて生活しながら、皆親戚のように生活しなければなりません。「召使い」という概念はありません。「お手伝いさん」という概念はないのです。家族の一員として、一緒に生活しなければなりません。息子や娘、孫たちもそうです。自分のおばあさんだとか、おばさんだとか、一人暮らしの人のところに連れていって面倒をみてもらうようにするのです。原則がそのようになっているのです。家庭的に一つになっていかなければなりません。そのような意味から、祝福を受けたばかりの若者を使ってはならないのです。彼らは国と世界のために働かなければなりません。

 アメリカにはこのような制度がないので、おじいさんやおばあさんが皆デパートに行って働いています。彼らはどれほど自分の家族と一緒に暮らしたがっているでしょうか? おじいさんとおばあさんがいれば、赤ちゃんの面倒を見てくれ、孫を育て、庭の手人れをし、すべてを手伝ってくれるのです。そうあるべきではないでしょうか?

 祖父と父と息子の三人が一つになれば、三段階が定着します。息子の時代に定着するので、ヤコブの時代にイスラエルを中心として、十二支派が横的に発展していったのです。先生を中心として国が一つになれば、このような家庭的困難はありませんでした。本来は先生が家庭をつくったならば、国の忠臣たちが皆保護しなければならないのです。そうなれば、子女たちが勝手にこの世を出歩くでしょうか? 柵の中で、功臣たちに守られて暮らしていれば、何も問題は起きないのです。

 

(したがって今後は亨進様の5人の子女様と国進様の7人の子女様で12支派が編成されるでしょう。そこで旧3万双が重要な使命を持ってきます。その子女がお孫様と同世代だからです。かれらを皆で支えなければなりません。深刻な問題です。)

 これからは家庭第一主義が来るのです。愛の発展というものは家庭から始まりますね? 氏族もそこから枝が伸びていくようなものです。大きな木となり、さらにまた大きくなって、世界となっていくのです。すべてのモデルが家庭なのです。

 愛の表現として、帰ったら妻にキスをしてあげ、胸を触ってあげ、至聖所を触ってあげなければならないのです。蘇生・長成・完成です。夫にはキスをして胸を触るようなことは必要ありません。お尻を触ってあげなさい。お尻を触ってあげると刺激を受けるのです。男性たちも女性のお尻を触りますね? そこにしがみついて生きなければならないのです。しっかりと枝のように接ぎ木しなければならないのです。女性は刺激を受ける部位が多いだけに、たくさん愛してあげなければなりません。愛すれば愛するほど貴く感じなさい。

 このような伝統が立ってこそ、浮気はできないのです。一日も欠かさず、初めて会った時から一生の間………。それは伝統です。それが誇りです。そのようにしてこそ、あの世に行ってもパスするのです。ピアノの弦もピーンとしており、パイプオルガンの弦もピーンとしているでしょう? 世の中の音はみな同じなのです。そのように生きなければなりません。

 毎日のようにそのように生きてきた人間が離婚することができますか? 結婚して恋しがるものは何ですか? それは一緒に暮らすことですか? 希望に溢れて灯ったろうそくの火に、つぼみのように、電気が入ったように輝くものは何ですか? 結婚して一番最初に何を求めていきますか? 初夜の晩に祝宴でもしますか? 栗を食べるのですか? 布団の中に入って、何を求めていくのですか?

 ですから、み旨で海外に行く時には、お互いにしっかりとつかんで祈祷してから行かなければなりません。愛の終着点がそこから始まるのです。理想的な本郷の地に飛んでいくために、夫婦の愛よりももっと大きな愛と世界を探しに行くのです。不幸な女性としてではなく、不幸な夫としてではなく、幸福な夫として送ってあげるのです。至聖所を中心として出会ったので、それをしっかりとつかんで送ってあげなければならないのです。至聖所を中心として愛が交差したので、それをしっかりとつかんで愛し合い、終始変わることがなければ真になるのです。

 嫁に行く女性はほかのことをしに行くのではありません。男性をしっかりとつかむために行くのであり、男性は女性をしっかりとつかむために行くのです。出発ですから、一生の間しっかりとつかんで、仲たがいすることがないように、喜びとして生きたその時間と、その時間に表出化した生活態度、私の一生がそのような環境で生き、そのような始めと終わり、出発と終着点で、天国に移行していかなければならないのです。ですから、その女性が天国に行くときには、霊界に行くときには、その胸中で夫に侍りながら行くのです。霊界に行って、妻を愛し夫を愛した人を見ると、その下に小さく、写真のように男性が入っているのです。それは誰でしょうか? 自分の夫なのです。それゆえに誰もが化身体なのです。男性の中に女性の性稟が入っており、女性の中に男性の性稟が入っているのです。それは原理そのものです。そのようにこれから生活しなければなりません。これが第四次アダム家庭に先生が与える最高のプレゼントです。

 また、三代が同じ場で愛し合わなければなりません。おじいさん、息子、孫、これが神様の一つの体です、三代。三代を経て、今はアダム三代を経ますね? ですから、おじいさん、お父さん、自分の三代が愛し合わなければなりません。おじいさんが教えてあげ、父が教えてあげ、夫が教えてあげなければなりません。そして、嫁に来る女性には母親が教えてあげなければなりません。三代の母親が教えてあげ、理想的な家庭としてつくりあげていくのです。それが創造理想です。ですから、祖父や祖母よりも、父や母よりも、私たちはもっと幸せに生きていこうというのです。

 絶対純潔です。フリーセックスではありません。絶対貞操です……。それが原則です。三代が共に愛し合うのです。神様はアダムの体を使おうとされ、イエス様の体を使おうとされ、再臨主の体を使われるのではないですか? それが三代です。

 これで、第四次アダムの定着する世界が地上天国であるという話が、耳にしっかりと入りましたか? 世界で一番の家庭になろうという欲望を、皆もっています。主人は自分が育てた木になる栗の実よりも、ほかの木になる栗の実の方が実っていれば、その実を種子とするのです。先生に直接侍っている栗の木の実がみなしっかりと実っていない反面、み言をもって遠くで暮らしている人たちの実がよく実っていれば、その実を種子とするのです。先生の近くで侍っているからといって、その責任を果しているとは言えません。先生の近くで侍っているからといって、決して良いことではありません。真実に侍るならば、今後先生の子孫と皆さんの子孫が結婚するのです。

 動物と違って人間が尊いのは、伝統に従うからです。先祖に仕える法を知っているのです。現実よりも未来を重視するのです。したがって、自分がいくら立派であっても、自分の息子や娘がより立派になることを願うのであって、出来が悪くなることを願う人はいないのです。そうでしょう? 未来を考えるのです。立派な先祖に仕え、その立派な先祖よりも、さらに立派になろうとするのです。先祖が願っていた未来世界を代表する指導者の立場に立って、先祖の恨を解いてあげるのです。連帯関係でつながっているのです。

 真の父母の思想を中心として、千年も万年も行くようになれば……、他の思想ではなく真の父母思想を中心として代表家庭となるならば、歴史的なすべての先祖が、その代表家庭の座を起点として、善なる子孫を保護し、善なる子孫を導くことができるのです。

 共同責任が連結しているということを、皆さんは今まで考えたことがないでしょう? 次の未来に対しては、皆さんの家庭が恵みを残してあげることができるのです。その家門全体が国の中心となって、何か残ることをするのです。そのようになった人は、天国に行ってもその主流国家基準に立っているのです。

 今日から「第四次アダム圏時代」が出発します。言い換えるならば、第四次アダム圏時代は真の父母がつくり、その宣布の日が正に今日であるということです。三百六十万双の予備祝福の勝利的基盤の上に、「天地父母天宙安息圏」を宣布しました。この安息圏宣布が非常に重要なのです。この宣布によって、アダム家庭圏の世界復帰が可能になったのです。神様が解放され、真の父母の解放が可能になったのです。これからは、強腰で突き進んでいかなければなりません。私たちが行うことに対して何か言うようであれば、これからは受けて立たなければなりません。

 この宣布が可能となったのは、三双から出発した祝福が十二番目の峠を越える、予備祝福の基盤が形成されたからです。三百六十万双の祝福が分水嶺でした。三百六十万双の祝福は、蕩減復帰時代における完成祝福として理解することもできます。これからは下り坂です。三千六百万双の祝福に続いて、三億六千万双の祝福が行われたのちには、人類の平準化時代が訪れるのです。その時代には、直系の父母が直系の子女を祝福できるようになります。アダムとエバが堕落しなければ、神様が彼らを祝福し、彼らの子女はアダムとエバが直接祝福するはずでした。

 三億六千万双の祝福が終われば、地上と対応的関係にある霊界が地上に降りてきて、協助する時代に入ります。真の父母は第四次アダム圏時代をつくられましたから、祝福家庭としでこの時代に生きる人は皆、第四アダムになります。この時代に生きる祝福家庭は孝子・忠臣・聖人・聖子の道を行かなければなりません。そのためには絶対信仰・絶対愛・絶対服従の生活をしなければならず、神様の属性に似た絶対・唯一・不変・永遠なる個人・夫婦・家庭をつくらなければなりません。この時代の祝福家庭において何よりも重要なことは、第一に血筋を守って保存することです。第二は、この血筋を守るために絶対性(abusolute sex)を守ることです。

 祝福家庭は皆、世界の完成のために生きなければなりません。そのためには、個人完成から夫婦完成、子女完成、兄弟完成の過程を経て、究極的には家庭完成の道を行かなければなりません。そのようにしてこそ、第四次アダム圏の家庭が定着し、地上天国と天上天国が築かれるのです。先生はもう祝福してあげることが嫌になりました。これはもう先生が祝福をしなくてもよいということではないでしょうか? 今行っている予備祝福は、今後、親が自分の直系の息子や娘を祝福してあげる練習です。

 これからは、統一思想に出てくる教育論の中で、心情教育が七〇パーセント以上を占めなければなりません。霊界では心情の基準に従って位置が決定します。本来、信仰の道は仕方なく行くのではなく、喜んで行かなければならないのです。

https://ameblo.jp/unrestorable/entry-11500944633.html より引用

 

誰も侍義がわかりませんでした。

サンクチュアリはそうであってはならないというのです。

お父様がわれわれに何かをくださる時、はたして子女様はどうなのかと先ず持って考えてやまないという心情が問われているのです。

原理がそうなっているからです。授受作用がそうなっているからです。

それが過去の組織ではできなかったというのです。

わたしは若い頃に夢の中で、お父様の膝の上に座り実子のように愛されました。その後で隣りに座ったわたしに、お父様はわたしだけに聞こえるように、力が抜けたようにそっとおっしゃいました。

「先生は聖進くんのことが心配なんだね。」

その言葉を忘れることができません。

 

 この世的に見た場合、私は夫という立場であるにもかかわらず、子供が7歳になって初めて会ったのです。その時には、食口達と一緒に過ごしていた時でした。お婆さんたちを引き連れていた時でした。ところが、『私の息子が来た』と言って、私が喜んで迎えると引っ掛かってしまいます。

 アベルは誰を通じてですか? カインを通じて紹介を受けて、愛さなければなりません。カインが、『あなたが聖進様ですか。先生、聖進様が帰って来ました。』と言って抱いて、愛の表示として一つになって迎えなければなりません。これが原理の法度です。(祝福72号 P109~112 我が家庭の行く道 前編 1971年8月28日 清平修練所)

 

「聖進と聖進のお母さんが私のところに来た時、先生が『この子が聖進か?』と言ってしまいました。それが、聖進のお母さんには一生の間、恨めしいと思っていることなのです。世の中に、熊や虎も自分の子供を保護するのに、この人は一体何者かというのです。死地においてあらゆる苦労をして、初めて父子が出会うのに、『お前が聖進か』と、手も一度も握らないで、ぼんやりと門前で立っていても、『入って来い』という話もしなかったのです。そういう話は食口がしなければならないのです。私は原理的に生きようと、今までも、ありとあらゆる悲惨な境地を経たのです。

 いったん神の前に預ければ、神はすべて責任を持ってくださいます。み旨からみれば、父母が神の前に孝の道理を果たせば、その子供は父母の前に孝の道理を果たさなければならないというのです。そのようにして出会った息子が、お父さんに何の情が行くでしょうか。それにもかかわらず、聖進は、自分のお母さんが反対する中で、7歳の時に母親を置いて、お父さんを訪ねてきました。お母さんが金だ玉だと言って愛しながら、7歳になるまでおんぶして育てたのに、そのようにお母さんを捨てて、自分のために何もしてくれなかったお父さんを捜して来たのです。誰かが誘って来たのではありません。自分の足で歩いて来たのです。そして、お母さんが迫害しようとすれば、事前に来て、すべてを教えてくれるのです。これは本当に、不思議なことでしょう。そういう子に、一度も教育をしたことがないことを申し訳なく思います。原理がこのようになっているという教育を、一度もしてあげられませんでした。父親としての責任を果たせなかったのです。この世的に見た場合、父親としては0点だったというのです。

 60年代になるまでは、私は聖進を他人の家で生活させました。何故でしょうか。復帰原則を歩んで行かなければならないからです。カインがアベルと一つにならなければならないからです。それで疎か(おろそか)にされながら学んだ人になりました。迫害を受けてはいけない環境にいなければならないにもかかわらず、このようなことがあるために、他人の家で生活させたのです。聖進が小学校に行っている時にも、私は鉛筆一本も買ってあげませんでした。60年代に聖婚式をして初めて顔を……。」 (祝福72号 P112 我が家庭の行く道 前編 1971年8月28日 清平修練所)

 

2月28日、祝福を受けられた栄進様や喜進様とご一緒に歴史的な儀式を迎えることができたら、わたしたちはどんなにか幸せ者でしょうか?

他に何を望むというのでしょうか?

有り難い有り難いお父様の御恩にどのように報いる道があるというのでしょうか?

お父様と亨進様と国進様の恨を解く道が、他にどこにあるというのでしょうか?

お父様、お許し下さい。

役立たずの我々を。

 

「真実に侍るならば、今後先生の子孫と皆さんの子孫が結婚するのです。」

 

亨進様の語る王冠と鉄の杖のお話です。

 

これはサタンの文化ですか?神様の文化ですか?(神様の文化です。)
サタンの文化は、「こいつは私よりも高い王冠を被っている。あ~そうすると私の価値が落ちてしまったな」・・・この馬鹿な下衆達!宝石と純金を王が作るのではなく、王権が純金と宝石を作ります。(アジュ)
皆さんは、純金と純宝石の高い王冠があっても、私がトイレットペーパーで王冠を作っても、お父様の後継者、相続者、二代王の王冠の方がもっと高いのです。私のが何かの紙だ、皆さんの純王冠と純宝石の王冠を見て嫉妬すると思うのか?私が誰なのか私は知っている?(yes) 私の父が誰なのか知っているのか?(yes)

 

「この馬鹿な下衆達!宝石と純金を(が?)王が(を)作るのではなく、王権が純金と宝石を作ります。」
 
日本語的には助詞が反対に見えます。
このままでは、同じことを前後の文で繰り返していることになります。
続く文を見るかぎりは、それと同じ内容にするには助詞が逆のような気がします。
本文はわかりませんが日本語的にはおかしな文ですね。
 
王の象徴が問題ではなく、私たちの中身が問題です。
王意識の生活とは一体どのような心情でしょうか?
亨進様のみ言葉をさらに振り返ってみましょう。
 

天一国の文化は異質なサタン主義が恐ろしく震える文化ですか?違いますか?王家の精神と王家の思考方式と、奴隷の精神と奴隷の思考方式は全く違うでしょう?え。?ずっと奴隷のように愚かな詐欺野郎の行動をするのか?或いは、王家、お父様が祝福された王と王妃になるのか?

 

皆さんは今、日本と韓国で奴隷生活をしているが、ある日、天一国が全世界を覆うとき、皆さんの日本と韓国を無くしてしまい、三大王権と平和軍警察と鉄の棒を持って万国を主管する責任があるというのです。え。?

天一憲法を全世界を覆うようにして、天一国を守って、天一国と市民と可哀想な民達、奴隷の生き方を抜け出し、天一国に入宮しながら、神様の王家に入ることが出来る、そのような恐ろしい人にならなければなりません。ん?

 

日本の国、韓国の国は全て無くしてしまい、全ての国々は全てなくなり、天一憲法が覆って、全世界、国連詐欺サタン銀行を無くしてしまい、全世界天一憲法!(となる。)
全世界の万民を守る平和軍警察と氏族の王と王妃がサタン天使長を追い出して、捕食動物やサイコの野郎、中央組織サタン主義の奴らを全てなくします。
神様の息子娘が平和と自由と平和と統一と幸福な世界、天のお父様と神様キリストと、神様のキリストの王権と一緒に生きることが出来る美しい宗族の王と王妃が集まって全ての民が王冠を被って美しいドレスとスカートとタキシードを着て、鉄の棒と銃器所有を持って、神様に億万歳を叫んで、サタンのやつらを追いだして、街ごとにダンスを踊ることができる美しい善良な人々が成功できる天一国の国、天に行われたように地でも成しとげよう。アジュ アジュ アジュ(拍手)
 
キリスト教徒達はこの驚くべき世界が見えません。 全世界のキリスト、再臨のキリストを知っている皆さんだけがこの世界を見られるのであって、家庭詐欺連合やつらはサタンの王国だけが見えます。何だって? 最高議員会だと?あ!!詐欺野郎。共産主義の中の共産主義、寡頭政治、詐欺野郎、サタン主義と同じ中央組織のサタン野郎、市民たちを奴隷としてしまって。

 

皆さんはそのような偽りの独生女のサタン教に入らないで、お父様を捕まえて神様の王国の驚くべき幻想を見ることができる者となりました。自由と責任と、市民を保護できる平和軍警察たちと、市民が、三大王権と一つになって、宗族の王と王妃たちと、所有権と、鉄の棒の銃所有と、子々孫々に渡り天一国王国を発展させて、成功勝利できる家庭がたくさんできるようにならなければなりません。

その多くの富と勝利として、邪悪な左派共産主義の愚か者とならず、神様に栄光をお捧げして、若者に平和軍警察をさせながら、若者に難しい内容をさせて、技術もたくさん教えてあげて、次の世代が天一憲法と、次の世代の神様の王権の王と共に天一憲法を保護して、
天一国王国と神様の国を保護する驚くべき未来を見ることができる、
資格のない皆さんなってしまったではないですか!

 

来年の2月28日までに、奴隷意識から王と王女の意識に変換しなければなりません。そうでなければ、天一国に入国できません。天一国には奴隷がいないからです。
 
問題は意識転換や心情転換ができたかどうかです。血統転換は心情転換でした。イエス様は弟子たちと友や同志のような関係を結びました。そして彼らの心を天の父の養子圏へと向かわせようと思いました。しかし、実子圏には導けず、子羊の婚宴を迎える事ができませんでした。
 
お父様は康真のお母様とともに完全な勝利をなされました。これは単に実子圏に至らせることができる真の父母ではありません。実子であり、かつ王の王である真の父母様に似た王や王妃圏に至らせることができる勝利でした。
 
その勝利権の相続をする儀式が2月28日です。ですから、冠を奪われないようにしろというのです。王と王妃としての権利です。ところが、お父様はそのように準備しておられるのですが、われわれがよくわかっていません。他人事、父母事のように考えています。
 
我々の問題だというのです。われわれがその日その時心情転換しているか否かで、相続されるか否かが決まるのです。自由と責任にかかっています。
 
 
私たちの生活によって真のご父母様の御名が世界に高められますことを!
 
 
 

 

 


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