「億世の主人がまだいない。夜の神様と昼の神様が戦っている!そのことを私しか知らない。」
:6)わたしはまた、大群衆の声、多くの水の音、また激しい雷鳴のようなものを聞いた。それはこう言った、「ハレルヤ、全能者にして主なるわれらの神は、王なる支配者であられる。
:7)わたしたちは喜び楽しみ、神をあがめまつろう。小羊の婚姻の時がきて、花嫁はその用意をしたからである。
:8)彼女は、光り輝く、汚れのない麻布の衣を着ることを許された。この麻布の衣は、聖徒たちの正しい行いである」。
:9)それから、御使はわたしに言った、「書きしるせ。小羊の婚宴に招かれた者は、さいわいである」。またわたしに言った、「これらは、神の真実の言葉である」。
黙示録19章
子羊の婚姻という概念がここで出てきます。
これは、ヨハネだけではなくイエス様も同様な概念をお持ちだったのでしょう。
「夫人よ、私の時はまだ来ていません」
この婚姻は、神の子女である創造本然のアダムとエバの結婚であり、神の息子と娘の結婚だというのが、イエス様やヨハネや我々の理解であるようです。
その婚姻は、アダムとエバが堕落することによってやり残した結婚でしたが、
堕落人間、特に女性信徒が復帰すべき内容がありました。
長成期の完成級を越えて行くにあたり、主の花嫁としての許嫁の貞操と妻の志操という心情圏を復帰しなければなりませんでした。
「書きしるせ。小羊の婚宴に招かれた者は、さいわいである」
とは、あの思慮深い花嫁たちのことでした。
:1)そこで天国は、十人のおとめがそれぞれあかりを手にして、花婿を迎えに出て行くのに似ている。
:2)その中の五人は思慮が浅く、五人は思慮深い者であった。
:3)思慮の浅い者たちは、あかりは持っていたが、油を用意していなかった。
:4)しかし、思慮深い者たちは、自分たちのあかりと一緒に、入れものの中に油を用意していた。
:5)花婿の来るのがおくれたので、彼らはみな居眠りをして、寝てしまった。
:6)夜中に、『さあ、花婿だ、迎えに出なさい』と叫ぶ声がした。
:7)そのとき、おとめたちはみな起きて、それぞれあかりを整えた。
:8)ところが、思慮の浅い女たちが、思慮深い女たちに言った、『あなたがたの油をわたしたちにわけてください。わたしたちのあかりが消えかかっていますから』。
:9)すると、思慮深い女たちは答えて言った、『わたしたちとあなたがたとに足りるだけは、多分ないでしょう。店に行って、あなたがたの分をお買いになる方がよいでしょう』。
:10)彼らが買いに出ているうちに、花婿が着いた。そこで、用意のできていた女たちは、花婿と一緒に婚宴のへやにはいり、そして戸がしめられた。
:11)そのあとで、ほかのおとめたちもきて、『ご主人様、ご主人様、どうぞ、あけてください』と言った。
:12)しかし彼は答えて、『はっきり言うが、わたしはあなたがたを知らない』と言った。
:13)だから、目をさましていなさい。その日その時が、あなたがたにはわからないからである。
イエス様と母マリアとイエス様の相対、それに特に女性信徒の三人の女性が
婚姻をすることになります。
エバが堕落によって失った、主の花嫁としての許嫁の貞操と妻の志操とを取り戻すためでした。
だが、それが果たせませんでした。
タマルのように、絶対信仰で神の血統を残さんという絶対「性」の証しを
一時ではなく、油を注がれし者のために永遠に誓い献身する、
貞操と志操の絶対服従ができませんでした。
イエス様の相対者は流れ去ってしまいました。
イエス様は「子羊の結婚」、すなわち神の息子と娘の結婚と捉えておられたのではないでしょうか?
お父様は違いました。
皆さんは、祝福を受ける資格がありません。しかし、カインの立場で、アダム、ノア、アブラハム以上の心情基準の上に立てば、サタンの説訴に打ち勝つことができます。
外的には神様が憎まざるを得ない立場にいますが、そこでも、神様の愛を受けることができなければなりません。先生は、アダムとエバの基準を蕩減復帰することができました。妻は、神様の夫人、夫の妻、夫の子女の立場で夫に仕えなければなりません。そのようにすれば、その妻は、夫の母のような立場に立つようになります。そのようにしようとすれば、二重蕩減が必要です。
家庭的基台を立てながら個人完成をしていってこそ、その家庭が囲いとなり、個人完成の強固な基準を立てることができます。このように、家庭も氏族を囲いとして立てながら家庭完成に向かっていけば、強固な家庭完成の基準を立てることができ、氏族、民族、 国家、世界もこれと同じです。祝福行事の時に、蘇生、長成、完成を意味する21人、すなわち12人の介添人を立てます。これは、3数を代表するものであり、また、イエス様の12弟子を意味するのです。
蘇生を越える条件として、7歩進んで3度敬拝しなければなりません。この路程は、アダムから今までの歴史路程を現すのです。本来は、聖進を先に結婚させたのちに、孝元をはじめとする祝福家庭が結婚しなければならないのです。
12支派、24長老の霊的基準を立てるために介添人を立てるのです。敬拝をすることによって、蕩減条件が立てられるのです。真の父母が聖水をまくのは、皆さんが蕩減復帰したという条件を立てるためです。また、霊界の先祖たちが築いておいた基台を越える条件を立てようというのです。聖酒式は、3人の母から生まれたという条件を立てる式です。聖酒には、蕩減の血が入っています。聖酒を飲むことによって内的に聖別させ、聖巾で体をふくことによって外的に聖別させようというのです。祝福家庭 第3章 祝福家庭の摂理的意義 13)既成家庭の祝福の意義
イエス様は母マリアに対してご自身の結婚を三度願いました。
堕落は16歳で行われたので、イエス様は新しい年を迎えて、17歳で結婚についてマリヤに話したのです。 17歳の時に結婚で行くべき道を説明し、10年後の27歳で説明したのです。また、3年後に(30歳でも)3回説明してだめなので、涙を浮かべてイエス様は出家をしたのです。
ファミリー1997年3月号「第14回愛勝日の御言」1997年1月2日サンパウロ
お父様もイエス様と同じ年頃のころ 、結婚の話がそのイエス様からありました。
だが、その光栄な申し出を何故拒否し、お父様はイエス様を罵倒せずに入られなかったのでしょうか?
私が17歳の時、イエス様が私に「文龍明さん、一緒に祝福を受けに行こう」と呼びかけてきた。私は言った。(声を張り上げられる)「お前は誰だ、阿呆め! お前は何も知らずに祝福のことを言っているではないか。お前は夜の神様と昼の神様を知っているのか、阿呆めが。」
私は最近、夜の神と昼の神について話している。また私は、神には弟があり、したがってアダムにも弟がいて、これがルーシェルだとも言った。これを教えたのは最近のことだ。
(声を張り上げて)なぜこれまで、このことを私は教えなかったのか?(そうしたら)私は路上で殺されていたからだ。
(略)
夜の神と昼の神とがある。そして夜の神は間違いを犯さなかった。身体の神としての昼の神が堕落した。夜の神が男性であるとしたら、昼の神は女性だ。そして彼女が堕落した。
エヴァは神の弟にまたがった。そしてアダムの年下のいとこが事態を逆さまにしてしまった。そのような原理はないし、創造のプログラムの中にそれは見当たらない。天暦11月10日(2011年12月4日)天正宮
「お前は誰だ、阿呆め! お前は何も知らずに祝福のことを言っているではないか。」
お父様は、イエス様の祝福すなわち結婚の理解とお父様の理解が違うと言っておられます。イエス様は何にもわかっちゃいないと。そしてさらに続けられて、
「お前は夜の神様と昼の神様を知っているのか、阿呆めが。」
天下のイエス・キリストに向って阿呆呼ばわりとは一体どういうことなのでしょうか?
お父様は、堕落しなかったアダムとエバの結婚は、
子羊の結婚ではなく、神様の結婚だと仰りたいのでしょう。
だから、夜の神様と昼の神様が出てくるのです。
夜の神様と昼の神様の結婚式でした。
われわれは神様の天地創造の動機が喜びの創造であると統一思想で習ってきました。
だが、それはとてもt抽象的なものでした。
ここにきて、お父様のみ言葉から、神の創造の目的が
ご自身の結婚であることが分かるようになりました。
神の結婚が創造の動機だったのです。
では、神の結婚は如何にしてなされるというのでしょうか?
実体をもった、神様の体として造ったアダムが、人間の先祖になるのです。言い換えれば、アダムは実体の神様です。無形の神様が実体の世界を主管するためには、実体の体がなければなりません。それがあってこそ見たり聞いたりできるので、神様が実体の体として造られたのがアダムだというのです。それでは、エバとは誰ですか。エバはアダムの妻です。実体の妻です。
それゆえ、アダムが実体をもった神様ならば、エバは実体をもった神様の妻です。神聖な神様が妻を得るというので驚くかもしれませんが、アダムは実体をもった神様の体です。エバは実体をもった神様の妻として創造されたのです。天聖経
その結婚は、神様とエバが直接することはできません。
体を持っている神様が必要でした。
実体の神様がアダムでした。
実体の神様の妻がエバでした。
この創造理想をエバのごとく破壊されたのが韓鶴子オモニだったのです。
わたしが17歳の時イエスが私の所に来て言った「文龍明さん、私と一緒に祝福に参りましょう」(声を大きくして)私は言った「あんたは誰なんだ?結婚の日取りも媒酌人も決まっていないのにどこへ行くのだ?この馬鹿者め。あなたは夜の神様と昼の神様が別れてしまっている事を知っているのか?」と。私は今日あなた方にすべてを教えているのだ。
天歴12月11日 天正宮 安侍日の訓読会(2012年1月4日)
「 あんたは誰なんだ?結婚の日取りも媒酌人も決まっていないのにどこへ行くのだ?」
創造原理を知らずにどうして子羊の結婚を挙行するのだというのです。
「この馬鹿者め。あなたは夜の神様と昼の神様が別れてしまっている事を知っているのか?」
自分の結婚どころの話ではないと、偉大なイエス様に喝破されたのです。
その秘儀を
「私は今日あなた方にすべてを教えているのだ。」
天と地があるように
夜の神様と昼の神様の結婚は
天の神様と地の神様たる真の父母の結婚でした。
「夜の神様とは、創造以前の無形の神様であり、昼の神様とは創造以後、特に真の父母として完成した有形の神様である」
実際上は、
「私とあなたたちの違いが何か?私は夜の神様から、あなたたちは昼の神様から来たのだ」
「私は夜の神様の管理を受けて、あなたたちは昼の神様の管理を受けるのだ」
四位基台の中心は神でした、その夜の神は実際上は主体の中に存在すると、統一思想では説明されてきました。それが上記の二つのみ言葉の意味するところです。
ところが永遠の家庭的四位基台の主体対象関係をお母様が破壊されてしまいました。
エバが実体の神という話はありません。
エバは、
「主体的な夫と(絶対対象として)一つになって
夫を完成させる」
と原理原本にはあります。
何故でしょうか?
エバが主管性転倒することによって、アダムを堕落させたので
蕩減復帰は、絶対従順(絶対服従)でいかなければなりません。
1,不信 ⇒ 信仰
2,淫乱愛 ⇒ 絶対愛(絶対「性」)
3,絶対服従
この3つを守って、アダムの主管性を復帰させなければなりませんでした。
このことはエバが実行しなければならない責任分担です。
「主体的な夫と一つになって
夫を完成させる」
お母様にはこれができませんでした。
できないばかりはひっくり返されてしまいました。
①主体の位置の夫は主体である神と一つになって
その次に妻を完成させる
②対象的位置にある妻は
主体的な夫と一つになって
夫を完成させる
③夫と妻は息子と娘として生まれました。
各自父母に仕えることで成長して完成される。
④従って、夫は自分の母親に侍り、妻に仕え、
妻は自分の父親に侍り、夫に仕える。
(本体論講義での原理原本引用箇所)
お母様は対象の位置を離れました。
金孝南堕落訓母の誘惑の乗って、先ずお父様と同格になろうとされました。
お父様に男性の王冠をかぶらせませんでした。
韓鶴子オモニと同じ女性の冠をかぶらせました。
金孝南とお母様は詐欺師でした。
栄光の賜物の音楽の背景のお二人が被っている冠は女性用の冠です。
お母様はお父様と対等であることを意思表示されました。
聖和の時には、お父様にかぶらせなかった男性の王冠を
お母様はひとりかぶり、お父様のものはガウンだけ用意され、王冠は用意されませんでした。
王は蹴落とされ、女王が誕生しました。
天倫の主体と対象は崩壊し、再び堕落したエバによって主管性転倒の世界が始まりました。
夜の神様と昼の神様が戦っているというのは、
天の神様と地の真の父母が、戦っているのではなく
夜の神様から来て、夜の神様の管理を受けているお父様と、
お父様の主体格位の権威と権能と権力を奪おうとするお母様との戦いでした。
神の創造目的の四位基台の破壊でした。
これを、宋総会長と徳野日本家庭連合会長が擁護し、お父様を辱め続けているのです。
妖邪な奴ら!
お母様によって奪われた、主体である真の父の権威が失われ、お父様が祝福家庭を主管することができなくなりました。
そこで、亨進様の執り行う聖酒式は
「お父様の権威に戻るための」聖酒式という意義と価値が明らかにされたのでした。
王冠を御覧ください。
お母様は実質上お父様と離婚されたのです。
以下の様な報告があるといいます。
ある責任者がお父様に直接こう聞いたそうです。
『お父様は、夜の神様と昼の神様と語られます。
そうなると神様はお二人いらっしゃるということになりませんか』
この時、お父様は烈火の如く叱られました。
『このみ言葉を読んだことがないのか!』
そう語られながら手にとられたのが、
天地人真の父母定着実体み言宣布天宙大会のみ言葉でした。
『ここに全部書いてある』
しかし、どの責任者もよくわかりませんでした。
実際、訓読しても詳しく解説など書いてありません。
上記の原理原本の内容を勝利したという宣言が
天地人真の父母定着実体み言宣布天宙大会のみ言葉でした。
表裏の関係です。
だから、お父様は
『ここに全部書いてある』
と言われたのでした。
「人間祖上(先祖)の堕落によって惹き起こされた夜の神様、昼の神様、万王の王そして真の父母、このように四大代表王達の歴史的な葛藤と闘争も、ついに天地人真の父母様によって完全に解決されました。」
さて、シャボン玉さんの研究による「夜の神様と昼の神様」の御言葉を
時系列に並び替えて引用します。
本当に貴重な情報を共有させていただき感謝です。
先ほどは亨進様のみ言葉でしたが、
下記は『夜の神様、昼の神様』についての断片的な文章になります。
・・・・・・・・・
http://blog.naver.com/34922885/90106070671(韓国語)
VI-4. 昼の神様は本体のみ言葉の実体だ。
文鮮明先生は夜の神様の愛の実体対象となる生涯路程を歩いて来られた。
「神様が望めば私はする。」という一念で一生を生きて来られた。
神様の命令にどのような質問もせず、すぐに実践で応答する生涯を生きてこられた。
神様のみ旨であれば、世の中の道徳や倫理的物差し(基準)を贅沢と思いながら、
蕩減復帰の道を一人開拓て来られた。
誰も行ったことのない蕩減復帰の道を一人で開拓して
人類に原理の道を相続してくださった。
(1986.2.22)
アダムとエバが本体のみ言葉を実践すれば、本体のみ言葉の実体となる。
本体のみ言葉の実体が本体的実体である。
本体的実体が昼の神様である。昼の神様は夜の神様の実体である。
昼の神様は、見えない夜の神様を見える神様となるようにする。
夜の神様は、昼の神様を通して実体があらわれる。
昼の神様と夜の神様が一体をなせば、本体的存在として天地人真の父母になる。
アダムとエバが完成し昼の神様になれば、神様の直接主管圏時代が開かれる。
夜の神様は、体がなくて一人で被造世界を直接主管することができない。
夜の神様が被造世界を直接主管するためには、アダムとエバが完成し、
昼の神様にならなければならない。
アダムとエバが完成すれば、夜の神様はアダムとエバを直接主管される。
また、夜の神様はアダムとエバの体を使って被造世界も直接主管される。
昼の神様があらわれる時、夜の神様の創造目的が完成される。
昼の神様が神様の創造理想として願われた真の父母だ。
真の父母の思想は創造以前から存在していた夜の神様の核心思想である。
真の父母という言葉は、創世以前からあった。
真の父母は夜の神様の創造構想の中で存在していた。
夜の神様の創造の中心は真の父母の完成である。
夜の神様は真の父母の実体圏のために万物を創造した。
(1997.8.9)
夜の神様は第1創造主であり、昼の神様は第2創造主だ。
(1998.8.21。)
夜の神様は目に見えない創造主であり、昼の神様は目に見える創造主である。
夜の神様は内的な創造主であり、昼の神様は外的な創造主だ。
アダムとエバが完成すれば見える昼の神様となる。
アダムとエバが完成すれば見える創造主となり、外的な創造主となる。
見える創造主と外的な創造主が昼の神様である。
(297:226、1998.11.20。)
イエス様が真の父母になったならば、
本体のみ言葉の実体になり、本体的な実体になられる。
イエス様は昼の神様になって夜の神様と一体となり、天地人真の父母になられる。
神様の直接主管圏時代が始まる。
しかし、イエス様は十字架の道を行かれることで昼の神様になれなかった。
第3次アダムとして送られた文鮮明先生は「してはいけない」という戒めを守り
「しなさい」という三大祝福の責任も果たされた。
真の父母様の摂理観的責任も果たした。
(1999.12.26.)
アダムとエバは、自然に昼の神様になるのではない。
アダムとエバが昼の神様になるためには、夜の神様のみ言葉を実践して、
本体のみ言葉の実体にならなければならない。
アダムとエバは、神様から与えられた「しなさい」という責任と
「してはいけない」という戒めを守らなければならない。
「しなさい」という責任は三大祝福を完成しなさいという責任を果たすことである。
「してはいけない」は神の許しがあるまで
取って食べてはならないという戒めを守ることである。
第1次アダムは神様から与えられた「しなさい」という責任を完成できなかった。
「してはいけない」という戒めも守れなかった。
第1次アダムは「してはいけない」という戒めを守れずに堕落して
「しなさい」という三大祝福も完成することができなかった。
第1次アダムは堕落によって昼の神様になれなかった。
第1次アダムは堕落によって真の父母にもなれなかった。
第1次アダムが昼の神様になれなかったことが、神様の恨(ハン)である。
第1次アダムが昼の神様になれなくて、心と体の闘争が始まった。
第2次アダムとして送られたイエス様は「してはいけない」という戒めは守っても
「しなさい」という三大祝福の責任は果たせなかった。
イエス様は洗礼ヨハネの妹と結婚して真の父母になって
昼の神様にならなければならなかった。
イエス様が結婚したならば、十字架で亡くなることはない。
(2001.1.13)
その結果、神様から人類の真の父母として※印を受けた。
本体のみ言葉の実体になられ昼の神様となられた。
夜の神様と一体となり、天地人真の父母となられた。
天地人真の父母が、今日私たちと同時代圏に生きながら
私たちと同じ空気を呼吸しておられる。
この奇跡中の奇跡を事実として受け入れるなら、
私たちは寝ても覚めても感激の中で感謝を捧げなければならないだろう。
(2005.9.12.)
<参照>
※ 印を受けた: 인침을 받은 자 [who were sealed]
教会用語辞典
'인침을 받은 자'(계7:4-5,8)는 하나님의 소유가 된 자를 가리키며, 여기서 '인'이란 '하나님의 인정'(요6:27; 롬4:11). '소유권'(딤후2:19; 계9:4) 등을 나타낸다.
「印を受けた者」(啓7:4-5,8)は、「神の所有とされた者」を指し、
ここで「印」とは「神の認定」(ヨハネ6:27;ローマ4:11)。
「所有権」(テモテ2:19;啓9:4)などを示す
真の父母様御夫妻が、最終一体をなされ昼の神様となられた。
(天基元年天暦5月8日 西暦2010年6月19日)
真の父母様御夫妻が夜の神様のみ言葉である本体のみ言葉の実体になられた。
ついに夜の神様と昼の神様が真の父母様の実体の中で一体を成して
天地人真の父母として顕現されるようになった。
夜の神様が創造以前から首を長くして待ちわびた昼の神様が顕現されたものである。
夜の神様と昼の神様が一体を成して天地人真の父母として顕現されることにより、摂理は急進展するようになる。
「これにて、天宙のすべての境界線が撤廃される。したがって自主的神様を中心として、天地が昼夜を問わず、神様の統治下に天地人真の父母の助けを借りて、永遠に存続することになる。私たちは、神様の直接主管圏時代に進入している。」
(2010.7.8。)
「これからは真の父母様を中心として、世界が回っている。
人間祖上(先祖)の堕落によって惹き起こされた
夜の神様、昼の神様、万王の王、そして真の父母、
このように四大代表王たちの歴史的な葛藤と闘争も、
ついに天地人真の父母様によって完全に解決された。」
(2010.11.22 。)
真の父母思想の根は、創造以前の夜の神様である。
夜の神様の創造目的はご自身が直接愛を授け受けることができる
愛の実体対象があらわれることだ。
夜の神様の実体愛の対象が完成したアダムとエバだ。
夜の神様の実体愛の対象が真の父母だ。
夜の神様の愛の実体対象が昼の神様である。
昼の神様があらわれてこそ、夜の神様は実体的な愛を通して
直接喜びを感じることができる。
夜の神様は、創造以前から今まで昼の神様が現れるのを
首を長くして待ちわびて来られた。
四六時中、昼の神様が現れるのを待ち焦がれて来られた。
もしアダムとエバが完成して昼の神様になって
「一国に現れて真の父母の位置にだけ立つことができたなら、
神様は夢にでも現れてヘリコプターで太陽を運んで、月を移してでも
空中で喜びの稲妻を作って歓喜の雷を鳴らしたかったことだろう。」
(平和神経、21)
夜の神様は超越的な神様として全ての万物と時空間が創造される前の無の状態、夜の暗い状態での見えない神様であり、有の状態、時空間の創造後歴史が始まった後の動きの神様、摂理の神様といえる存在が 即ち昼の神様です。
1月に行われた天地人真の御父母様支持大会の最後の日に、お父様(文先生)はご自身と私達の違いに対して問い かけながら「私は夜の神様の管理を受け、お前達は昼の神様の管理を受けるのだ」と説明されました。 お父様は存在論的に私達とキリストの違いを非常に明快に決定して発表されるフィナーレをしてくださったのです。(文亨進)
真の御父母様は人類の堕落の歴史を通じて現れた昼の神様から来られたのではなく、夜の神様、罪のない神様、堕落の痕跡のない夜の神様から来られたので、真の血統を全人類に恵む驚くべき祝福を下さることができるのです。そしてこれが真の御父母様の本当の価値であり、真の御父母様から来た統一家の価値を決定する重要な内容であるのです。(文亨進)
<原理原本 原文>
神の根本それ自体であるところ、すなわち『生心』を中心として成長して
神が臨在できるところ、すなわち、『アダムの霊人体』は
悪を犯したその体にいることができないので、神が取り上げられた。
第二アダム格として送られたその方が、すなわち、独生子イエスであった。
独生子という名詞もここに明らかにされるものである。
罪を犯す前のアダムの霊がイエスの霊に注入されて来られることが根本目的であった。
福音を伝え始められたのは何が目的かというと
失われた子女たちを探し、移しておこうとすることが根本目的である。
その良心の苦痛とは、この事実を知らしめるための間接的な刺激なのである。
神を根本の父として直系血統の関係を結ばなければならない重大責任が残っている。
再臨の要求がされるようになった。
http://h2fanclub.blogspot.jp/2016/08/16714.html より引用
上記の原理原本の内容と以下のイエス様だという霊による自動書記の内容が
対応していると思われたので、併記することにしました。
霊時な現象は、原理講論や原理原本の記述と対応するかどうかを確認することが、
ある程度の信憑性の目安になると思われます。
主管されることなく、一つの参考として見ることが大切です。
ここでの、イエス様の発言で面白いと思われることは、原罪よりも堕落性との関係や
堕落性がないことと個性完成との違いに視点があることです。
堕落と関係のない状態と、神様の直接主管圏または個性完成の状態とは意味が違います。生まれた時の赤ちゃんの状態は、神様の直接主管圏ではありません。また、それは個性完成した状態でもありません。
では、私はどのようにして、堕落と関係のない状態で生まれたのでしょうか。私は「無原罪」という言葉を使うことを好みません。なぜなら、それは理解するのがより難しいからです。
私は、生まれた時、堕落と関係のない状態になるために、罪や罪的なもの、あるいは罪を犯す事にさらされたことはありませんでした。堕落と関係のない状態、では堕落に関する知識は全くありません。
私の母は、私の誕生を、原罪のある状態から分立するために、何かをしました。彼女は罪と反対のことをしました。それによって、私は堕落と関係のない状態で生まれました。私は堕落していないアダムの立場で生まれました。
これは、私の母が立てた条件の手順によってなされました。私が何かをしたからではありません。私の母は、私が特別な立場で生まれるために、サタンを分立しました。彼は、私、ナザレのイエスからその性格を相続しました。これはとても衝撃的なことですね。私は彼の親ではありません。それでは、そのことがどのようにして起こったのでしょうか。
神学者は「命の吹き込み」について話しますが、私は難しい用語はすきではありません。ここでは考えの移転、または心情と感情と愛の移転について話しましょう。
文鮮明師が生まれた時、私はそこにいました。私は、その赤ちゃんの助産師でした。私は彼の母ではありませんでしが、私は彼をこの世界に迎え入れた助産師でした。
このことはとても奇妙なことのように思えるでしょう。しかし、私たちが生きている今の状況の中では、このことを説明する時が来たと私は思います。
私は、彼が子宮の中にいた時から、彼を導こうとしていました。そして、私はそれに成功しました。それゆえに、彼は堕落と関係ない状態で生まれました。私は、イスラエル国家の蕩減基台を通して作られた基台をその申請時に相続させました。私はタマルの勝利とマリアの勝利をその赤ん坊に相続させました。これらの勝利はとても偉大なことでした。彼女らは両方とも死に直面していました。彼女らは両方とも、信じられないような勝利を成し、堕落行為を取り消しました。全ての人に喜びを与える喜びと希望に満ちた考えとは、私は、私の堕落と関係のない血統を文鮮明師に相続させたということです。私の血統は続いています。神様の血統は続いています。
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