四位基台の崩壊から信仰的アノミーを狙うサタン 6マリアを心情で超えよ!
ブリタニカ国際大事典によれば、アノミーとはもとはギリシャ語に由来する「神法の無視」「無規則性」を意味するanomiaをフランス人社会学者ヂュルケムが学術用語として用いたものであり、近代に移行する過程で、それまで人間の行為を規制していた伝統の価値や、社会的基準の喪失に従って社会の秩序が崩壊したことを論じるのに使った復活した言葉である。たとえば「自殺論」などに適用された。
仁進様が神山氏に訴えかけた、永遠絶対の「四位基台」であり、天宙の目に見えない内的規範と目に見える外的秩序の根本である「真の家庭」を崩壊させてはならないという切実な懇願は、これが真の御家庭はおろか、それによって立つ天宙の法と秩序の崩壊をもたらすものであるからなのである。
この四位基台とは真の御家庭の四位基台という前に
神が臨在され、そこに住まわれ、運行されるとめに依って立つ基台であり、聖存圏なのである。生殺与奪の権を持つ身の神が、反対に他者からこの権利を行使されるような、追放放浪の憂き目に遭うということを意味するのである。
創造主の座を追われ、無能者失敗者として生きて行かなければならなくなるのである。
如何にダンバリーで功を立てた人物でも、この四位基台を爆破してしまえば、神と人類の永劫の恩讐となり、サタンの頭となってしまうのである。
そこで晩節を汚すなかれと仁進様がご忠告して下さったのである。
サタンの支配下に陥った人間を、同期であるとか、尊敬する先生であるとか人情的に見れば、サタンによって簡単に巻き付かれ締め上げられて一巻の終わりとなる。
信仰生活の中で、空想の産物ではなく、生きて強烈に働きかけるサタンの実在をはっきり了解しないと、あっと言う間にやられてしまうのである。
堕落したエバを人情的に同情して突き放すことができなかったアダムが、同様に奈落に墜ちていってしまったように、サタンが入ったことを知って、「サタンよ、退け!」と言ってやることが本人にとっても多くの人にとっても愛なのである。
これを見過ごして行けば考えられないほどの犠牲者を生み出すことになるのである。
「人の背後にサタン有り」である。
真のお父様が聖和されてからは
仏陀が遺言として「自灯明法灯明」の言葉を弟子たちに残したように、我々もそのような道を行かなければならないことになった。
お父様はかってこのようにおっしゃられた
「自分を信じる人間となれ、特に信仰生活において、蕩減路程において、いつも問題になるのは、自分が自分を信ずることができない。だから自分が自分を信じられない者は、神自身を信じることができない。」
さらに諭すように説明して下さった。
「自分が自分を信ずる、そういう立場に立てない者は、神に頼ることができない。神自体も、信じて何事もまかせることができない。自分はどうでもいいんだけれども、神だけ認めればいい。そうはいきません。自分が自分を信ずるような立場に立てない者は、神もいりませんよ。神がいかに信じられるか。自分が自分を信じられない立場に立ったら、基台がないことになる。基台がないことになるんだから基台がない者を、神様は、絶対なる主体の神様は、そういう者を相手にすることはできません。だから、自分がこういう者であるというならば、それは、絶対自分の信ずるような基台に立ったという確信をもってやっていく所に、神はいつでもそこに援助してくれるということを覚えて貰いたい。」
自分が信ずることのできる家庭的四位基台!
法灯明としては八大聖典等を与えて下さった。
お父様の代わりに判断の寄る辺にすべき絶対基準をお教え下さった。
だがそこに天聖教削減問題あるいは改竄問題が天使長によって進められてしまった。
中心にサタンが侵入してきた。
お父様ばかりかお母様の心情も蹂躙する失態であった。
かろうじて天聖教は新旧両立して残すことで凌いだ。
多くの信徒は御言葉選集までは学びきれないので凝縮された御言葉集によって、多くの信徒が恵を得た。
御言葉どころか、サタンの手先となって「お父様が失敗した」とする偽の言葉を語り、「お母様が堕落した」と煽動し、四位基台の中心破壊工作がなされてきた。
父と母と御言葉の剥奪である。
我々が韓流などのドラマを見て、
善王や善王妃が家臣を信じるあまり、忠臣とばかり思って実際には奸臣であるものに操られ王の基盤をどんどん失って行く様が描かれたりすることがある。
それを見て我々は「王が堕落した」とか「王女が堕落した」というように感じたり、表現することはない。むしろ王や女王が信頼していることを利用して、自分の利益と自分の基盤の拡大のため、政治活動をする者たちを非難することが常であろう。
これをもって王や王女が堕落したとは考えないし、言わないものである。
この四位基台の中心にサタンは何を据えようと謀略を巡らして来たのか?
雄牛が不在の時に再臨時代の象徴である雄牛の相対である雌牛を引きずり降ろして、金の仔牛に変えさせる手立てを尽くしているのである。
信仰を失い堕落した民が、金の仔牛を担ぎ出そうとして推薦したように、今日も真の父母様の絶対価値と絶対勝利を疑い、親牛を引きずり降ろそうと画策しているのである。誰が? 子女様を支える信徒にサタンが働いて、堕落した信徒が金の仔牛として担ぎ出そうとしているのである。
韓流の時代劇に随所で見られるように、私心でもって、自分の氏族の繁栄のために王や王妃に仕え、表面的にはまことしやかな忠誠の進言を繰り返す奸臣のように、王の心からではなく、自分たちの都合によって国政に関わる様子とそっくりだと信徒の誰もが思う。このようにサタンは試練を与え、それぞれの御子女様の氏族や周辺から、反旗を翻すよう煽動工作するであろう。
私がサタンであれば、例えば孝進様の氏族に働いて、長子の孝進様こそが相続の権利があり、そのお子様が後継者になるべきであるとそそのかすだろう。
そのように子女様を利用し恩恵を被ることを企んで、韓流の無残な姿を現すことはできない。
賢明なお母様はご自分がお父様の後継者であるとは考えておられない。言われたこともない。
真の父母の後継者が立たれる日まで御旨を牽引する使命を果たされようとしている。
亨進様は、不忠の者たちがお母様を後継者として、さらにはお父様をも凌ぐ各位に立たせようとしていることに警鐘を鳴らし、そのような背信の徒のグループを文氏でなく韓氏を主体格に逆転させる主管性転倒の罪をなす者たちという意味でで「韓グループ」と表現された。
究極の境においては、如何なる女性も直接には御言葉と神の心情を理解することができない。ただ主体者を通して知ることができるのである。
主体者が責任を果たせなければそれも適わぬことになろう。
神は女性をそのように造られたのである。
6,000双の祝福会場においてお父様は我々に語りかけられた。
「女は何的や?」
するといっせいに女性たちは叫んだ。
「心情的です」
場内は笑い声に満ちた。
お父様も呼応して微笑まれたが、
「心情的ではない。それは原理的ではないというんだね。女は形状的である。」
つまり女性は形状的に造られたがゆえに、直接的には御言葉の核心である心情を知ることができないのである。だが、主体者を通してこれを間接的に知ることができるのである。
これは究極的な心情の世界のことを言っているのである。
亨進様は神と聖和されたお父様の絶対対象の位相に至った。
そこで後継者として名乗りを上げられているのである。
超越的なお姿がお父様そっくりである。
ここにお父様が任命された権能と、亨進様御自身による人類初の勝利。
究極の奥義である6マリアの試練を通して、絶対信仰・絶対愛・絶対服従を勝利することが完全なエデン復帰の基準なのである。
その中で「子の自叙伝には私の生涯の80%しか描かれていません」とおっしゃったのです。
そして4大聖人の妻(相対者)たちを呼んで前に来させました。イエス夫人、ブッダ夫人、ムハンマド夫人、孔子夫人全てです。お父様は自叙伝はご自分の生涯路程の80%しか描いていないとおっしゃり、4大聖人の妻を前に出されました。
皆さんは御存じないでしょうが、それらの婦人は六マリアだった方たちです。誰も悟りませんでした。
そして教会指導者はこれを恥だと思って話そうとしなかったのです。
お父様は「今日、神様を解放しなければならない」とおっしゃって、彼女たちをステージに呼んだのです。
亨進様は「この苦杯を過ぎ去らせ給え。」
とは決して言われなかった。
イエス様が超えられなかった一心問題を超克されたのである。
ここにお父様による後継者使命による相続の手続きが、これを受けた御自身が自ら切り開かれた信仰の勝利によって相続完結したのである。
亨進様は天の事情と心情を最優先することに徹するところがお父様そっくりになられ、この世の事情には全く相対されなくなられているのである。
「エデンの園で失った絶対信仰、絶対愛、絶対服従を取り戻すために、サタン世界を完全に否定してきたのが、神様の復帰の使命であることを知らなければなりません。旧約は割礼を通して、新約はもちろん洗礼をしてあげることによって、不信によって汚されたすべてのものを洗い流すのです。成約は何でしょうか。愛です。犠牲になることによって、自分を投入して忘れるのです。神様と共に投入して、堕落した世界を再創造しなければならないのです。神様の息子、娘になろうとするならば、この世に自分を投入して早く復活しなければなりません。ですから血統転換の祝福を受けなければならないのです。また祝福を受けたら、その一族を犠牲にしても早く国を収拾しなければなりません。絶対的な信仰、絶対的な心情、絶対的な服従ですので、それは絶対的な行動です。」(ジャルジン7大宣言と新エデン創建 より)
割礼はエデンの外的聖別、洗礼はエデンの霊的聖別、絶対「性」はエデンの心情的聖別である。絶対愛と絶対「性」は同意語である。本然の世界ではアガペーとエロースは一体一如である。
亨進様の勝利によって初めて天国がスタートしたのである。
お父様の心情が初めて相続された家庭が現れたからである。
こう言うと亨進様が一番だと短絡的に考える信徒が出てくるかも知れない。
そんなことはどうでも良いことである。
「絶対服従とは、常に自分の観念がない立場です。存在しているという観念もありません。」
(後天時代の生活信仰)
さて真の父母様がこよなく期待された御孫様が信俊様であった。
私の希望でどうなるものでもないが
もうわれわれの下品な血統と一族で真の家庭を汚染してほしくないものである。
神が近親結婚にこだわることが本当によくわかる今日である。
陽暦で同年誕生以降の女性の御孫様を並べてみる。
亨進様家庭
三男 信俊様 2004年5月10日生まれ
孝進様家庭
次女 信順様 2004年11月24日生まれ
顕進様家庭
四女 信香様 2004年10月26日生まれ
五女 信恩様 2008年4月30日生まれ
國信様家庭
次女 信来様 2005年5月7日生まれ
三女 信受様 2006年5月10日生まれ
亨進様の語る御言葉の中には訳者の問題もあるかも知れないが、統一原理の理解に戸惑いを感じることが時々ある。
また主張の理由や論拠に当たる部分がやや説明不足のように感じられることもある。
どなたかが指摘されている「キリスト」の使い方もしっくり来ないものであった。
それにもかかわらず、言わんとするところはわかり伝わってくるものがある。
せめて1800双のなかで・・・
井口康雄先輩は30年以上前に
例えば亨進様の誕生を記事にした雑誌ニューズウィークの記事を説明して「この日は何か統一教会の信徒にとっても格別の日ではないか・・・」と紹介していた。
そして2点を言われた。
一つは記事になった子女様は初めて。
もう一つは何かヨセフのような使命を持った方ではないか。
数十年前からそのようにして亨進様を見ていた信徒は一握りしかいないかも知れない。彼はそのひとりなのである。
家族を一つに纏める鍵になったのがヨセフである。
このようなことを神に与えられた者には、少なくとも何も感じない者よりは支える責任があることだろう。
私はそう思う。
できることなら亨進様のもとで活躍してほしいものである。
6マリアは亨進様が解明される日を待つことが望まれるが
下品な反対派の堕落した情操での解説に心が揺らぐようであれば
何らかの復帰摂理の避けられぬ蕩減復帰問題があったことを
一時しのぎではあるが以下のサイトを一つの参考に。
天宙に一人の独存女 真の母の絶対価値と 呉澤龍の謀略 独生女神学による天一国の破壊! - 原理講論を読む