原理講論を読む

日常生活の中で 考える糸口を求めて

天宙に一人の独存女 真の母の絶対価値と   呉澤龍の謀略 独生女神学による天一国の破壊!

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文亨進様の心情がお母様に届きますように!

大丈夫!

お母様は

不気味な蔦のように絡みつき生き血を吸う、妖邪な者たちが住む迷宮の森を抜け出て、勝利の母として我々の前に現れる!

 

以下に語る内容は公式見解でも、何らかの資料によるものでもない。

ここに書く文章の責任はただ私一人にある。

私の言葉に依ってではなく、神の御心に従ってお読み下さることを・・・

 

エバは無原罪で誕生し、戒めを破って堕落した。

それゆえ真の母としての使命を果たせなかった。

原罪がないことにはこしたことがないが、

原罪がないだけでは、真の母はの絶対的価値は

表すことができない

 

呉澤龍の独生女神学によれば、真のお母様は無原罪でお生まれになったとしている。

あまりにも荒唐無稽な神学なのでこのブログでも、「取るに足らない」としてあえて論評さえしなかったが、私が考えていた事態より遥かに質の悪いもので、多大な悪影響を与えているようである。

ここ数日、どこのサイトで見たのか、検索してきたがやっとそれらしい紹介と批判サイトを見つけることができた。

呉澤龍教授の空想や捏造は一人の楽しみとして封印してほしいものである。

そうであれば勝手にどうぞだ。

 

原罪のないお父様が、原罪を持って生まれたお母様を復帰されたことは公然の事実である。

何を持って兄弟を貶めようとするのか?

甚だ不愉快である。

 

真のお母様が、そのご誕生以前にも以後にも、決して余人を持ってしては代え難い、絶対価値を顕現されたことは、独生女という原罪なくして誕生された事によるものではない。お母様は独生女ではないが、強いて言うなら独存女である

唯一絶対価値の女性であられる。

真のお父様がお母様を復帰された以上、

真の母であることの絶対価値の核心は、

「生まれながらに原罪の有りや無しやにある」のではなく、

人類始祖エバが果たすべきであった使命を完遂したことにある。

ところがエバは神様がわざわざ賜った御言葉である戒めを軽んじて、

命などいらない、死んだって守らないといって堕落したのである。

 

そこで、このようなエバの蕩減復帰を余儀なくされたお方が

天宙にひとり、人類史上にひとり

お母様の以前にお母様はなく、

お母様の以後にお母様はない

空前絶後の至宝のお方なのである。

 

その拷問のような険しい道

神に「愛され」、神に「御言葉」を与えられながらも、エバが堕落したことにより

蕩減復帰の原理原則によって

あたかも完全に神から「見捨てられ愛されない」という情況で、しかも神の「御言葉」を与えられずにエバとが失敗した使命を果たさねばならなかったのである。

女性としての辱めと苦痛の限りを、人類が蘇生復活するために甘受され

人類史上の全ての女性の失敗を蕩減復帰された勝利者である。

 

3月29日 「真理の御霊」と題されて亨進様は語られた。

(亨進様のファンサイトより)

 

私が気がついたことが1つあります。お母様は私に直接、「私は生涯一度も原理を勉強したことがない」と言われました。お母様は「しかし、勉強はしていないけど、全てのみ言葉は知っている」と言われました。

 

エバが失敗して果たせなかった一切を取り戻すべく、

果たすべき道を行かなければならなかったのである。

ある信徒は顕進様の奥様の郭全淑様がお母様の使命を継承すべきだという。

「やれるものならやってみなさい。」とお父様が言うだろう。

天地の差がある。

誰もお母様の道を真似てゆくことなどできるものか!

そんなこともわからないで、お母様がどうのこうとご託を並べて

最も困難な現在のお母様を置き去りにして、自分はとっとと消え失せて、

私は関係ありませんと、12弟子と同じ道を行くのか!

孝進様を見捨てたように、自分だけが幸せになるために

お母様を捨て去っていくのか!

その心の中に天国はあるのか?

 

堕落人間の家臣でさえ、信長に忠言するため諫死して忠義をはたすのである。

逃げも隠れもしない。

自分の安全を担保して、非難する道に忠孝があるはずもない。

信仰もまた同様である。

まして我が国はエバ国家である。

 

父母の写真に立つ位置の左右を変える奸臣を追い出せ!

お母様だけの写真を公館に掲げる妖邪な側近を追い出せ!

お母様の価値を崩壊させる謀略の神学者を追い出せ!

お父様とお母様を引き裂かんとする意図を叩け!

 

 

7 偽善者たち。イザヤはあなたがたについて預言しているが、まさにそのとおりです。

8 『この民は、口先ではわたしを敬うが、

  その心は、わたしから遠く離れている

9 彼らが、わたしを拝んでも、むだなことである。

  人間の教えを、教えとして教えるだけだから。』

10 イエスは群衆を呼び寄せて言われた。

  「聞いて悟りなさい

マタイ15章7~10節

 

御言葉を得ていたエバですら、神の御心に従うことは非常に困難であり、

我々のようにたっぷりと御言葉をお父様から頂いても

ダッチロールのような信仰であるのに

お母様はお父様に絶対信仰・絶対愛・絶対従順を貫かれた

 

御言葉無く従順の道を行くのは、聖進様のお母様の時もそうである。

米を買ってくると言って出ていって、神の啓示を受けて婦人に説明もせず北韓に行く。それでも立派にお子様を育てられて、どうやらお父様らしき人が釜山で伝道しているらしいと、聖進様を連れて行ったのに、何の説明もない。聖進様は冷たく厳しくあっちへ行けとあしらわれる始末である。

「こんな人たちと一緒にいたらあなたは駄目になってしまう。」

本当にその通りだが、そうしなければならない天の事情があることを伝えることがお父様にはできない。

 

エバの堕落を蕩減復帰するには

我々のように、いちいち説明を受けて超えていくのではなく

何の説明もないなかで、生き地獄の中を超えて行かねばならない。

「願わくはこの杯を・・・」と言うことはできない。

刃物をあてがわれても鳴き声すら出さない羊のように、

生涯を祭物として、人類蘇生復活のために行かれる。

 

それが真の母として行く道だからである。

 

アブラハムが引き起こした根本問題によって

お父様は身を引き裂かれるような耐え難い蕩減の道を行かざるを得ず、

お母様も同様に行かねばならなかったのである。

行けと言わざるを得ない神の事情と心情を真っ先にお父様は考えられた。

それはお父様にとっても屈辱以外の何ものでもなかったのである。

お父様にとって愛の拷問の道であり

お母様にとっても愛の拷問の道であり

それを見守る御子女様にとっても身を引き裂かれる、

生きた心地のしない現実であった。

 

神様が何故パウロにサラとハガルを語らしめたのか

そこに人類を救済する復帰摂理の秘儀が隠されているからである。

 

<アブラハムの根本問題と6人の女性たち>

    (▽は男性 ▲は女性) 

 

              ▽

              テラ

              |

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   |    |          |          |

   ▽    ▽     ▲    ▽          ▲

   ハラン  ナホル   ハガル  アブラム→アブラハム サライ→サラ

   |      |  |     ||         |

 ーーーーーーー  |  ーーーーーー  ーーーーーーーーー

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▲   ▽   ▽ |    |       ▽

ミルカ イスカ ロト|   イシュマエル  イサク

|         |              |

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     |                   |

     |ーーーーーーーーーーーーー      |

     |             |     |

     ▽             ▲          |     

     ラバン           リベカ ーー

     |                 |

     |                 |

     |                 |

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    |    |          |    |

    ▲    ▲          ▽    ▽

ジルバ レア   ラケル ビルハ    エサウ  ヤコブ

 

 

神の祝福された血統の死守と神の心情の相続

 

1,神は神の愛する血統のみの繁殖を願われる。

EX. ①ハガルから生まれた子は神の嗣業の相続人にはしない。

   ②ラケルの女奴隷ビルハ(妾)やレアの女奴隷ジルバの子を望まれない。

2,神は神の血統の死守のために、神の愛する氏族の近親婚を求める。

EX.アブラハムとサラは、異母兄妹

 ナホルとミルカは叔父と姪の結婚

 イサクとリベカは従兄妹(いとこ)

 ヤコブとラケルも従兄妹(いとこ)

 アブラハムはイサクの嫁は親族から選びたいと考えた。

3,神の手にある聖婚と、サタンの手にある混淫

  堕落した血統を聖別し純化するためには、

  神の祝福しない血統との婚姻はしない。

  神の祝福しない血統、すなわちサタンの血統との結婚は、サタンの血統が混入す     

  る混淫であり淫乱である。

  反対に、神の祝福する家族や氏族の成員による結婚は、神の血統を純化するので 

   聖婚であり善なる性愛である。

  よって生まれてくる子も、

 「これはわたしの愛する子、わたしの心にかなう者である」

  マタイによる福音書3章17節

EX. ①神の祝福する血統のアブラハムとそうではないサタンの祝福する血統のハガル                 

   による性的関係は神の血統にサタンの血統が混入する混淫

   ②ヤコブとビルハやヤコブとジルバが性愛によって結ばれる事も同様

4,神は神の祝福する血統を重んじる女性、自分の体面も生命も何もかもを失っても

  神の祝福する血統を残そうとする女性を捜し続けておられる。

EX. タマルによって初めて神はそのような女性を見出す。

5,神が祝福した血統の子女を授けることのできる血統を愛する心情が確立するまで

  神は御心に適った女性の胎を閉ざされる。

EX.サラ・ラケル・タマル

 

 

堕落はエバによって引き起こされた。

エバがアダムを誘惑しアダムを堕落させた

この時アダムがエバを突き放して、自分だけ完成したなら

エバの復帰は容易であった。

 

サラはアブラハムを誘惑(誘導)し、ハガルとの間に子を持つよう姦淫を薦めた

神の願わざる結婚を誘導した。

アブラハムはこれを突き放さなければならなかった。

ところがこれを受け入れたために、神が祝福した血統が汚染され蹂躙されてしまった。

神の血統にサタンの血統を混淫した。

これがアブラハムの根本問題である

 

この事実は判例のようになって、後孫の判断をおかしくした。

イサクは実体献祭の道を行き、サタンの死亡の血を流した。

彼はリベカ以外の女性を知らなかった。

リベカとは誰であったか。

 

 

その子ヤコブはラケルをこよなく愛した。

ヤコブが愛した女性はたった一人ラケルであった。

7年路程はなんでもなかった。

愛するラケルと結ばれるならどんな苦労も受けて立った。

ところが叔父のラバンはヤコブをだまして姉のレアと結ばれるように策略した。

ヤコブはこの罠にはまり、ラバンに抗議したが後の祭りであった。

狡猾なラバンはもう7年仕えればラケルも嫁がせると約束した。

ヤコブが騙されたことによってエバだけであった女性問題を姉妹型のアベル・カインを生み出してしまった。

さらにこの姉妹はそれぞれ妾をヤコブに与えて、アブラハムの時と同じ間違いを犯してしまった。

イエス様の時はこれを蕩減復帰するために、マリアとエリサベツが登場することになった。堕落後のアダム家庭のように単純にはいかなくなってしまった。

姉妹のアベル・カインとそれぞれの子である、イエス様と洗礼ヨハネという、ザカリアを中心とした腹違いの子供によるアベル・カインが登場してきた。

 

さて、詳細は省いて要点を言うと、

ヤコブの時もアブラハムの時のような、神の祝福した血統にサタンの血統が入り交じる、混淫が行われた

そばめ=妾のことである。

ラケルがあてがったビルハと

レアがあてがったジルバによって

ヤコブの子供が生まれてきた。

神の血統にサタンの血統が混入する混淫があった

 

ラケルはエバのように、ヤコブを誘惑(誘導)して、ビルハをあてがい姦淫を薦め子を宿らせたた。それは神が予定したヤコブの子ではなかった

妾の子、姦淫の子、混淫の子であった

神が祝福することができない、嗣業を相続させることもできない者たちであった。

 

レアもエバのように、ヤコブを誘惑(誘導)して、ジルバをあてがい姦淫を薦め子を宿らせた。それは神が予定したヤコブの子ではなかった

 

姦淫とは原理的に定められた相対関係ではないということと、その動機が神の血統の繁殖でないことである。

ヤコブは時ならぬ時に、神の祝福とは関係のない者と、時のことをしてしまったのである。

 

ザカリヤの家庭において、

かってヤコブの時はサタンが妾を用いて姦淫をヤコブにさせ、神の血統の混淫を招き混乱を生じさせたので

今度は「堕落の時とは逆の経路」の原理原則から、妾を用いて神の血統を現す

神は妾(マリア)を用いて、形の上では見かけ上姦淫に見せかけ、実際には死んでも姦淫をしない男女が神の御心故に、死線を超えて、サタンの死亡の血を流し抜き去って、そこに原罪の精算された神の血統を誕生せしめた。

イエス・キリストの誕生のことである

 

このことは再臨の時にもしも予定されていた天の女性が失敗した際には、

婚姻関係が続く夫婦のときに、妾の立場のような女を復帰して結ばれなければならないことを暗示している。

 

アブラハムの家庭的摂理の進展がままならなかったため

三代に渡って延長することになった。

そこで、

アブラハム・イサク・ヤコブの神と言うように、

三代で一代、三家庭が一家庭とみなされる。

 

アブラハムの家庭のサラとハガルの問題と

イサクを経てヤコブの家庭のラケルとはした女ビルハ

またレアとはした女ジルバ

合計6人の女性問題を

誰かが一家庭一代によって蕩減復帰して、解消しなければならなくなったのである

 

その道は

男性にとって愛の拷問の道である。

女性にとって愛の拷問の道である。

それを目の当たりにする子女にとって

愛の拷問の道である。

よって何人も御子女様を非難してはならない。

 

堕落がなければ全て必要がなかったことである。

ヤコブが14年も苦労してでも愛し合い共に幸せを分かち合いたいと思ったかけがえのない女性がラケルであったように、

お父様の胸の中には永遠絶対に愛されるお母様がただ一人おられるのである

どのような屈辱的で奴隷のような引き裂かれるような道を行こうとも

真のお父様の清らかな愛は、ただただお母様のためだけにあり、捧げられた真の愛なのである

 

ヤコブの混乱から生まれてきた12人の男子の収拾のために、お母様が天から要請されたのは、可能な限りに12人の男子の誕生であった。

ヤコブの子供たちの混乱の歴史的終了を賭けて、今御子女様たちが統一の道を闘ってくださっているのである。

 

最後に、

お母様は独生女としてはお生まれにならなかった、

しかし、祖母と母が主の花嫁としての信仰貞操を貫き、これを引き継いでお母様は神の独り子としての絶対意識と心情を持ち続けられた。

エバが堕落し歴史上の女性たちが失敗した全てを、お一人で一代で精算するために

御言葉を与えられぬ中で超えていくためには、この「私は神の独り娘である」という絶対心情があったからこそ、誰にもでき得ぬ勝利を勝ち取られたのである

簡単に「独生女意識」を否定できる類のものではないことは明らかである。

それ無しにどうやって超えていけるというのか?

教えてほしいものだ。

したがって、

お母様は決して「独生女」ではないが、

それを遥かに凌駕して有り余る「独生女意識」の天宙全史にただ独りの「独存女」なのである。

呉澤龍は「独生女神学」ではなく、

「絶対独生女意識神学」を書くべきであった。

われわれはお母様が、お父様と共に愛の十字架の道を行き、心情の境を超えてくださった全ての恩恵を無償で頂いた生き証人として、未来永劫に渡ってお証しする者である。

 

天地人真の父母様、未来永劫 億万歳!

 

天一国の門(祝福二世の学習支援)

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