相対基準 と 「肉の子女の三倍以上霊の子女(伝道対象者)を愛せよ!」
最近のナイジェリアの情勢を報道で知る毎に、胸を叩いても胸を叩いても吐き出せない、悲痛な思いが止めどもなくこみ上げてくる。
数年前に人類の真のお父様であられる、文鮮明 恵父がまだ地上でご活躍の際に、ナイジェリアをご訪問されたが、凄まじいばかりの怒りを表された事態が起きた。その御心情が思われてならないからである。
真のお父様が数十年に渡って至誠の限りを尽くしても、刑務所に収監して迎えた国があったというのに、ナイジェリアは弟子の宣教師こそ遣わしてはいるものの、真の父自らが永きに渡って直接に愛と真を注いできたわけではない。
ところが、2006年4月28日から"神様の理想家庭と国家と平和王国"というテーマで、世界180都市を巡回されたお母様のナイジェリア大会の勝利のために、当時の知事だったジョナサン大統領は7万ドルを快く献金されたという。
真の御父母様の思想と運動を高く評価され、2011年7月14日には、国賓として真の父母様を迎えられ、国内情勢の厳しい中、大統領官邸にて40分の談話がなされたのである。
5月28日に大統領に就任したばかりで、組閣が行われ非常に多忙の中での出来事であったという。
17日にはアフリカ全土の代表者をはじめ、全世界からの参加者を含めた3000人ほどの大会が決行されたのである。
真の御父母様の講演は次の予定がアイスランドになっていた。
ところが、スケジュールの時間が過ぎても、いっこうに文鮮明 恵父は出発しようとはされない。少しでもそのようなこと恵父に告げると、幹部の者はぽかぽかと制裁を食らったのである。
幹部が促してはぽかぽか、世界会長の亨進様が言ってもぽかぽか、周囲が驚いたので「僕は武道をしているので大丈夫です」と亨進様が言えば、「嫁を連れてきなさい」と言ってまたぽかぽかであった。
このような周囲の誰もが唖然とするような行為を何故真の御父様はせざるを得なかったのであろうか?
歴史上初めて真の御父母様を大統領が中心として国賓として招待したナイジェリアの精誠に対して、この国が今置かれている過酷な現状と、今後歩んでいかなければならない多くの苦難の十字架の道を思えば、足が動くはずがない、神も真の御父母様もこの地の人々に心情が留まってしまって、身動きができないのである。
精誠を受けたら受けた精誠の十倍・百倍・千倍以上かえして差し上げたいというのが神の心情である。
どうして神の代身たる自分を愛してくれた、国民を置き去りにして見過ごすことができようか?見過ごさないことによって起きるであろうあらゆる問題の発生が問題ではない。
どう説明されどう促されようとも、この民の将来に対する責任心情は微動だにしないのである。
そこで忠誠を尽くす幹部を打ち、父母の宝であり自分よりも大切な息子を打ち、その嫁まで打って、ナイジェリアの国民をそれらの愛する者よりいっそう愛した心情を表して、初めてこの地を後にすることができたのである。
したがって、
「お父様がナイジェリアを愛する心情や、ナイジェリアに責任を持って祝福したい心情を蹂躙する、我々の罪をどうか徹底的に打ってください。そしてナイジェリアに福がもたらされ、我々にもお父様の抱かれる心情と一心になれる恵とならしめて下さい。」
と言って、次から次に、ほふり場に引かれていく子羊の如く、お父様の前に進み出てぽかぽかの荒らしを受けて、ただただナイジェリアに御国の来たらんことを祈る我らであれば、身は次のアイスランドに行くとも、心情は依然として、ナイジェリアに御父母様が残して出発することができるのである。
心情の境というのは、真の御父母様との絶対的な相対基準を結ぶということである。
本来は子女様を真の御父様に打たせてはならないのである。足らない我々が次々に受ける。
キリストが「打たれし傷により、我らは癒されたり」と言うが、われらが「打たれし傷により、我らは癒されたり」でもあるのである。
一心。これが大事である。
救いの道は二つある。
一つに他者に愛される道。
二つに他者を愛する道。
自分に主管できるのは後者。
御言葉に、伝道している人を実子を愛する愛情の3倍以上の精誠をもって愛さなければならないという。
権進様は真の御父様の一つの御言葉でさえ、一生かかってやっと体得することができる内容が秘められているとおっしゃられている。
わたしが若いときに777双のご婦人が、我々に対して「あなたがたは『心情の八段階』をどのように解決していくか、ちゃんと考えているの?」とにっこり笑いながら優しく投げかけてこられたことがあった。
さすがに777双だなとほくそ笑んでいたが、だれも考えたことがある者はいないようであった。
文鮮明 恵父は御言葉を単に先生の御言葉として学ぶのではなく、自分の御言葉として復帰してこなければならないと強調されたのである。
御言葉を復帰し、その背後にある心情を復帰せよとのことである。
そこで、「実子の三倍以上、伝道している人の永遠の命のため愛せよ」と言うときに、もし文鮮明 恵父に「お前は何時、何処で、どの様にして、誰を、肉の子女(実子)の三倍以上愛したか言ってみなさい。」と問われたときに、「はい。わたしは神様と真の御父母様から与えられた御言葉と導きによって、答えを求めこのようになりました」と説明をする用意ができていなければならない。
大切なことは、そのような体験があって初めて、真の御父母様が私を愛してくださった真の愛を感じることができるようになるということである。
勝利すれば、伝道対象者から「あなたのために私は死ぬことができる」という言葉が与えられるであろう。
三倍以上愛するということは命を捧げてきた道なので、同様に相手も自然にそのような気持ちに至るのである。
この道は実に険しい道である。
真の父母様の歩まれた道を慕い求め、心情を復帰したいと切なく願えば願うほど、尋常ならざる超絶した世界が前方に見えてくるからである。
ただただ御父母様の御姿に敬服し感謝するばかりの恩恵世界である。
さて、ナイジェリアでの出来事を亨進様が語られている動画がある。亨進様の人格には統一教会の希望の未来を感じてやまない。関心のある方は以下に動画がある。
共に恵を受けていただきたいと願う。
http://www.familyforum.jp/2013122526934