この本の真偽については、王様に報告してある鉄杖祭参加300人勝利後まで、
疑問がある方は整理して温め討議されるなり批判集を出すなりされればいいのではないか?
300に対する意識を奪われないならいいだろうが・・・
大丈夫かい?
昨日ある二世が参加するとの吉報を得た。
大変うれしいことだ。
日本聖殿のみ言葉の番人は井田講師あたりだろうから、
発刊前にここはこう問題だと指摘するべきだったと思われる。
御言葉の番人としては機能しなかったようである。
常々私が主張してきたように御言葉は女性ではなく男性が責任を持つものだと思っている。
出版に「世界平和統一聖殿日本本部」も名を連ねてはいるので会長にも全く責任がないわけではないが、しかし、それでも御言葉については男性が責任を引き受けるべきだと思っている。
主体者であると自覚するなら・・・
本部と3つの会が併記されているのは不自然だが、中村さんだけではなく俺たちも貢献したのだと暗に言いたかった人がいたのかもしれないと邪推する。
見れば見るほどひどい進化論のような説だが、
引用されているお父様の御言葉だけでも読まれればとても勉強になるものがある。
そのような読み方も一つの読み方だと覚えてほしい。
イエス様においてもお父様においても御言葉はその内容を体恤して初めて語られてきた。
お父様は「御言葉の実体」ではなく「実体の御言葉」だった。
しかし、われわれ不完全な人間は体恤できてない御言葉をお父様の御言葉だと平気で語って来たのである。
偉大なモーセも神が与える前に「十戒」を自ら作ってイスラエルの民に与えてしまった。それもカナンに至る前にだ。それからでなければならなかったのに。
シナイ山から降りてきたモーセは背信の民を見て怒り狂い「十戒」の書いてある石版を民に投げつけた。
もし神から与えられたものであったとしたら、どうして投げ捨てたりするだろう?
そんなことはしないというのである。
あなたにそれができるか?
生命より大事な、
神から授かったものをどうして破壊できるというのだ!
われわれのような阿呆にもできないことをモーセはした。
本物だったら誰が投げつけて壊せるというのだ!
わたしは同時性が大嫌いだ。
導かれたころは大変関心があった。
しかし、見れば見るほどこれは神様の失敗の履歴書である。
痛ましい痛ましい神様のお姿がそこにはある。
だから見たくない。
しかも、神様ご自身はいつもすべてを投入して責任を果たされてきた。
常に失敗の原因は中心人物、人間であった。
二代王は今江利川会長の鉄杖祭300人勝利を受けてこれを信じ期待しておられる。
それも一助となり三度目の鉄杖祭が大勝利に導かれ三代王信俊様の祝福があれば、
なんという幸せ者たちだろう。
成約の同時性の真偽判定も重要だが、それからでもいいのではないか?
今、日本聖殿に300勝利を信じている者が何人いるだろうか?
大丈夫かい?
それに比べれば成約の摂理的同時性問題はとるに足らないことだと思う。
赤色の天聖経の翻訳に携わってきたことは大変な蕩減を負っている。
また、私の記憶が確かなら独生女が無原罪であるとしたらこうではないかというヒントを彼は家庭連合時代にもたらしたのではなかったか?
私の記憶違いであることを祈る。
サタンの讒訴が何であるか知り精算しないと、結局のところ天の願いを求めながらもサタンの都合のいい方向に知らず識らず誘導され利用されてしまう。
お父様ご自身ができることは「すべて成した」と言われた。
康お母様も立たれ三次の結婚式も無事に終えた。
カインアベルの勝利は亨進様と国進様が勝利された。
あとは三兄弟が残されている。
基元節には三兄弟がいなければならなかった。
三男派が言うとおりだ。
だが、顕進様が逸脱したからできなかったのだ。
信俊様が祝福を受けられればこれも終わる。
アダム家庭は8人だった。
これをノア家庭で蕩減復帰するはずだった。
ここから8数は再帰数の意味合いをもつことになった。
興進様が帰ってこられて教えてくださるまでわれわれはそれを知ることができなかった。
いよいよ三大王権が顕現する。
昨日は久しぶりに一郎さんとお話をした。
彼は聖霊体験をしているのでとても信頼している。
言葉は激しいが本質を見抜く天稟がある。
一郎さんとまた何かを始めれたらとお願いしたところだ。
教会や協会?組織づくり?
そんなことはしないよ。
そのことはまた後日お話しよう。
成約の同時性についての討論はいいが、
くれぐれも現在の摂理を見落とさないで
日本聖殿の皆さんは頑張ってください。
部外者で関係ない立場だが少し心配になってきた。