原理講論を読む

日常生活の中で 考える糸口を求めて

お父様から石を頂いて始まった江利川聖殿は韓鶴子と同じエバ文化を創って失敗した

江利川会長はかってお父様の夢を見た。
夢の中で石を与えられた。
キリストの意志を遂げてほしいと。

だが、彼女は勘違いをした。
教会長は何故男性ばかりがなってきたのか考えもしなかった。
御自分が日本教会の会長経験者だからなのか?

初めて霊の親に伝道されて連れてこられた教会で
献身していた女性と聖書やイエス様の話をした。
かなり突っ込んだ話をすると、彼女は言った。
「女性には御言葉の本質的なところになると、実はわからないのです。」
わけのわからない者に本心を吐露された彼女は素晴らしい信徒だった。
この女性は違うと驚きに満ちて感じた。

6000双の会場でお父様はエバたちと楽しげに会話のやり取りをしていた。
笑いが絶えなかった。
その話の中でお父様は女性たちに聞いた。
「女は何的や?」
女性たちは声を揃えて言った。
「心情的です!」
わたしは目を閉じて思った。馬鹿な。
お父様は言った。
「それは違うと言うんだね。心情的ではありません。女は形状的だと言うんだね。」
やっぱりそうか。

訪韓女性修練会でも散々お父様は語った。
例えば「女は空っぽだ」と。
けれど女性たちは笑って聞いてはいたけけれど、
誰がその言葉を理解しただろうか?

お父様のアダム文化 ⇔ 韓鶴子エバ文化 側近は善進(エバ) 
            エバ中心組織 ⇔ 権進(アダム)の追放

お父様のアダム文化 ⇔ 江利川会長エバ文化 側近は宮澤(エバ)コロナで倒れたら
            会長がコロナで倒れたら宮澤を立てる
            エバ中心組織 ⇔ アダムの追放(天使長が多い問題あり)

☆ 江利川会長の本来の使命はトップではなく、トップを生み育てること
  天の願いは一体化した夫婦の夫を教会もトップにすることだった。
  一時的には自身が会長をするとしても、永くすることは恥ずべきことだった。

会長も委員も皆考えるだろう。わたしがいなければどうなるかと。
本当に神もそう思われているだろうか?

☆ 江利川さんは、大陸会長(天使長)に専念し、
  教会組織は二世夫婦の主体者を会長にすべきであった。
  江利川会長は5年間立てることができずに失敗した。
  多くの二世の原理教育と祝福には成果があったというが・・・。

☆ 永い者が短い者を立てることができない伝統ができた
  したがって聖殿の役員にも委員にも二世はいない。
  失敗したはずの一世が二世を追い出してのさばってしまった。
  本来の御心は二世が新しい文化を作るはずだったのに。

韓鶴子エバ文化 一世中心の組織文化
江利川エバ文化 一世中心の組織文化

☆ 二世は在家信仰になり去勢されてしまった
  モルモンには3年の献身制度がある。
  なんらかの献身制度がなければマイホーム信仰の祝福家庭ばかりに。

神山さんは中卒で献身し教会長を経験し日本の会長になった。
神様や御旨に責任を持たない二世教育ではだめだ。
責任を持たせない一世の教育もだめだ。
これからは彼らの時代だ 老害が地に満ちている。
母の教育のあとは父に繋げなければ子供はだめになる。
父の教育は厳愛。
それを通過せずにはエバのようなアダムばかりになる。
日本聖殿は過保護ママの教育に満足してきた。

5年経って気がついたら
韓鶴子のようなエバ文化を聖殿は創って盤石なものとしていた。
一体失敗した家庭連合とどこが違うというのだ。

では、どうすべきなのか?
すべての責任者を二世にすべきだ。
位置が二世の責任感を成長させるだろう。
今までの一世の責任者は補佐に回ればいい。
何故そういう声がひとつもでなかったのだろうか?

御言葉を復帰したお父様ではなく、
御言葉を紹介した会長が偶像崇拝されている。
その御言葉が与えられて今日何を復帰できたのか、
それを互いに恩恵交換するのではなく、
きれいな花の写真の交換と共感が恩恵交換だという。
韓鶴子天一国の歌にも似て苦々しいことよ。
それはわれわれの伝統とは全く違う。

2代王は語った。
「あなた達は心情世界を考えるとき、女性の立場で考えるだろ。違う!
心情世界は宇宙を中心とした父子の関係だ。父子。父と息子。

この意味は何だ?アルファの父親とアルファの息子の文化。
アルファの父親がアルファの息子に引き継ぐ文化。その文化にだけ、
その心情世界にだけ、女性と子供達を保護する文明圏が現れる。
女性から起こることはない。女性は感情世界が好きだから。感情世界、、、」


女性がわかるのは感情。心情ではないのだ。
だから多くの涙を流す感情文化はできるだろう。
だが、果たして心情文化は如何に。

2代王は語った。
「なぜ文化文明圏は心情世界は女性から出てくることがないのか?」

責任のない自由はないとは誰もが知る言葉だ。

2代王は語った。
「韓国、日本の若い子達はそのくらい馬鹿になってしまったのだ。
おまえ達はfree range鶏(放し飼い養鶏所の鶏)のモデルとして
政府がおまえ達を運営していることも知らない。これは問題だ。
このようなモデルで市民は自分が閉じ込められていることもよくわからない。
ある程度自由があるから、鶏のように。鶏のようにあちこち歩き回ることが出来、
鶏のように自分がそっちに行って水を飲み、あっちに行って飼料を食べ、
ある程度自由があると自由の幻想。これは実際的な自由ではない。」

主人意識はどこに行ったのか?
新約聖書が社会思想に一番影響したことは、
パウロが語った自由人と奴隷だ。択の「自由」と結果の「平等」。
奴隷は自分を頼らず、人頼りの平等を求める。


2代王は語った。
「韓国と日本のシステムは自由システムではない、
だから鉄のつえ王国の市民は鶏システムではない、
市民は主人システム、市民は鉄の杖、恐ろしい武器がある。
そして訓練を受けなければならない。
What do you say income tax?(所得税
所得税とこのような税金は不法。
何故?
その内容が政府がする所得税やこれらは強制泥棒的だ。」
 
社会主義共産主義は天使長とエバが創った思想だ。

「だから、父を中心としたカインとアベルが、ゼカリア書4章に出てくるのだね。
父を中心としたカインとアベル 。それを通して心情世界が出てくる。
心情世界とは何か?愛国心、人間を保護する愛、父の愛。」

女性が主体で居続けることは恥ずかしいことだ。
女性は主体に立たず対象だから、多くの立場を受け入れることができる。
だが、善悪を分別する事ができない。
鳩を裂かない文化を創る。

「だから男は男は王と祭司長の立場をよくしなければならない。
王の立場は組織管理と家庭の管理。子供たちをどうやって訓練させて、
子供たちをどうやってエンパワーメント、、、力を添えてあげて、
子供たちの後生遺伝子を神さまを中心に開ける道を開いてあげ、
計画を立てながら子供たちと1対1訓練の日もして、、、。
それらはアッパ(父)が管理しなければならない。

女性たちは、それをよく分からない。
女性は対象の立場だから、女性は導きを受けなければならない。
現代世界では男性が完全に女性化してしまって、
それで結婚してから女性を導くことが出来ない。
だから妻が怒り出すようになる。妻がイライラする。
妻にデレクション(方向性)を与えられないので、
妻は混乱しまくってしまったとき、どのように行くべきなのか?
見えなくなったときにそれをそれを突破して抜け出すことの出来る期待できる男がいないので、、、
男がベーター男子になって赤ん坊になってしまった。赤ん坊。
だから、女性はそういう夫に頼ることが出来ないだう。何の話か分かった?(笑)」
 
女性化した聖殿男性は相対者が家庭連合にいても聖別できない。
いくら恩赦の聖酒を飲んでも、夫婦生活を続ければ再堕落だとは思わない。
結局御旨をしていてもサタンの主管下に留まりサタンの餌食になるのだ。
わたしたちは鳩を裂かなかったことを教訓に生きていくはずではなかったのか?
アブラハムが原理を知っていたら鳩を裂かないことがあろうか?
原理はわれわれの生活とはおよそ関係がないものなのか?
 
お父様は言うだろう。
「これがお前たちの有様だ!」