原理講論を読む

日常生活の中で 考える糸口を求めて

「ある方への手紙」を読んで

 

 

 ある手紙についての感想です。



私は1999年の神の日、南米のウルグアイでの式典の中にいました。そこで、歴史的なことがおこり、そのことが私の信仰生活の中で、一番の影響を持つ内容のものとなりました。

それはどういうことだったかというと、1999年の3億6千万双祝福を日本で行わなければならなかった神様の摂理を失敗したことです。日本の事情によって、真のお父様をお迎えですることができず、天宙的祝福式をエバ国でおこなう、それをお断りしたという事件です。それで真のお父様のお怒りは、極めて激しく、「日本の摂理は失敗した」と数時間にわたって叱責されたことがありました。
そのときの責任者であり、日本UCの会長がE会長でした。

私はUCの失敗の根源は、摂理を担当する人間がみことばを自分の考えで消化し、実践したがゆえに、本来のみ旨を達成することが、できなかったと捉えています。
1999年までの日本女性を中心とする神様の摂理の中心は何であったのかは「氏族的メシヤの摂理」でした。
その内容は以前、私が貴方様に贈呈した「氏族的メシヤの任務」のみことばを読んでいただければ理解を鮮明にすることができます。

 

以上が阿南教会長の現在の信仰観に一番影響した内容だそうです。

これを読むと誰もがそう感じるのではないかと思うのですが、

3億6千万双の祝福を日本で開催できなかった責任が当時の日本会長にあるというものです。

確かに中心者には最も大きな責任があるとは思いますが、お父様という方は基本的には目標に対する責任は数値であれば祝福家庭数の均等割ですし、中心者だけの責任ということはあり得ません。

したがって健全な信仰観を持っている信徒であれば、私自身の問題という捉え方をするものです。阿南教会長はご自分は責任を果たしたが、中心者は責任を果たさなかったという意見の持ち主のようにこの文章は伝わってしまうのではないでしょうか?

では、当時郭先生はどのように語っていたでしょうか?

 

考えてみれば、三億六千万双祝福行事は本来日本で行うべき摂理の要請があったのですが、韓国と日本、全世界が、そして摂理に責任を持っている私たち個々人が責任を果たせなかったことによって、日本において初めの計画どおりに行えなかったという歴史的な過ちを犯してしまいました。

 もしこのままで終結するならば、恐るべき摂理的問題が起こるのです。真の御父母様はこの地の責任を果たせなかった国と、摂理のみ旨を担っていた私たちを哀れんでくださり、必ずや神の摂理を成し遂げなければならないという切迫した心情を抱かれ、個人と機関と国と世界の過ちを代わりに総体的に担われ、真の御父母様だけの責任として背負われて、摂理の先頭に立って主導し次の摂理へと連結されるのです。

 すべてを担われた真の御父母様は、三億六千万双のその歴史的祝福の場を韓国に移され、内的にはあらゆる精誠の限りと犠牲の条件を立てられ、外的には冒険をされながら三億六千万双祝福の勝利を収められました。

宣布式の背景に関する郭錠煥会長の経過報告

(一九九九年六月十四日 蚕室体操競技場)

 

少なくとも、私には郭先生の見解のほうが健全な食口の信仰的捉え方だと思いますが、いかがでしょうか?

およそ20年経ってからどうのと言うのは、

後出しジャンケンのようなものだと思います。

阿南教会長は、どうしてその時言われない傾向があるのでしょうか?

不思議です。

 

また、阿南教会長の意見は、実に中央集権的見解です。

日本の会長のみに責任を追求することは、地方や個人の自由と責任を放棄し、分権的な責任を放棄するかのようにさえ感じられます。

このようなバランス感覚は正常とは思われません。

 

それで、1992年からの7年間はお父様は日本女性にそのことをつたえ、神の国を出発するための基盤を、神様王権即位のための基盤を日本において、つくることが必要でした。お父様は日本に70万の基盤をつくれば、日本をキリスト教化して、神の国が始まるとはっきりと語られています。

今までの日本のUCの中心責任者はその氏族的メシヤ摂理をはっきりと理解しておらず、表面的なみことばを自分で考え、それを全体化してきています。
なぜ、そういうのかというと、その摂理がいまだ、定着することができずにいるからです。

お父様から任命された責任者が、自分の判断で摂理を考え、間違ってきました。私はUCで地方の責任者を多く体験してきましたが、その姿を直接みてきました。古田さんをはじめとする直接お父様から愛されてきた人たちです。
その周りの人々はお父様から任命されている人だからといって、信じ、人間的に侍って、結局摂理とは逆の方向となって、お父様を裏切ることとなっているのは現実の結果の姿です。

私は地方の責任者を担当しているときに、いつも任命されている方を信じているのではなく、任命した方(神様、お父様)を信じることを中心として、歩んできました。任命された方を不信するわけではありません。任命された方の立場で、考え行動するという姿勢です。それが任命した神様を信じ、任命された方を守ることだと信じて実践してきたことです。

 

いつもながら、氏族メシア活動さえすれば摂理は進むというご意見ですが、お父様はどの部署に対してもその責任分担がもっとも重要だと語られてきています。全体的摂理を推進されていくために善の競争をさせました。

 

阿南教会長が言うように、氏族メシア活動さえすれば、あるいはそれを中心に傾斜投入すれば摂理が本当に進むのでしょうか?

もしそうであるならば、二代王の亨進様が膨大なみ言葉を語られているにも関わらず、氏族メシア活動に対するみ言が少ないのは何故なのでしょうか?

 

阿南さんの論法で行くと、ご指摘の

「氏族的メシヤ摂理をはっきりと理解しておらず、表面的なみことばを自分で考え、それを全体化してきています。」

「お父様から任命された責任者が、自分の判断で摂理を考え、間違ってきました。」

という内容に最も当てはまると思われるのは、二代王の亨進様になるかと思いますが、

いかがお考えでしょうか?

亨進様のほとんどのお話は、実際には氏族メシア活動中心の説教ではなく、ずれていることになると思いますが、忠臣として、軌道修正すべきではないかと提言されるお考えはあるのでしょうか?

それとも20年経ってお話されるのでしょうか?

それとも、自己の自由と責任を放棄して黙っておくというのでしょうか?

 

私はサンクチュアリはUCの失敗してきたことを蕩減することが必要だと考えています。お父様の日本に対する恨を解放することが残されていると思って、行動しようと考えて今まで来ました。それは何かというと「氏族的メシヤ摂理」です。
それで、お父様のみことばを著作権問題で訴えられることを覚悟して「家庭教会のみことば」や「氏族的メシヤの任務」を整理して発行してきました。

自分のことを誇りたいとか認められたいという思いはありません。
2017年2月に全国会議が群馬で開かれました。そのとき大分のサンクチュアリは90家庭となっていました。2016年の初めは20家庭でしたので、4倍を越えていました。
そのときに、サンクチュアリの方針が発表され、救国委員会、祝福委員会などがそのときから、出発しました。

 

 

阿南教会長は御言の編纂について、お忘れなのか、重要と思われる御言の編集と出版については初めは会長が企画して、信頼している阿南教会長に協力を願って始まった経緯をお書きになられていませんが、それはいかがなものでしょうか?

 

具体的には亨進様の御言集や、天一憲法の小冊子があったかと思います。

亨進様の御言は、4回ぐらい続きましたでしょうか。

大変好評だったと思います。

 

それ以降は、亨進様の重要な御言のシリーズは打ち切りになったのでしょうか?

過去のお父様の御言も重要ですが、現在の摂理情勢の中でお父様が亨進様に臨在されて語られている摂理も重要ではないでしょうか。

不思議に思ったのは、大分の証しはそのときは、行われませんでした。私は個人的に証しをしたいと思ったわけではありませんが、全国のサンクチュアリの責任者が集まり、一泊しての会議であるならば、当然今までの総括をおこない、証しなどを共有をするのが普通だからです。

Mさんをはじめ、現東京のスタッフは私のことを評価していない方が多いと思います。
それはE会長を否定していると思っているからです。たとえば私の「教会長は天使長」という発言です。それはE会長が天使長と言うことにつながり、会長を中心とする体制を認めないことにつながるという考えからきていると思います。

その点が、サンクチュアリの組織論の中で、中核の問題だと思います。
天一国主人家庭を中心とした思想を持って組織を考えるのか、それとも以前のUCの思想である、任命された方を中心とした体制とするのかということです。

家庭教会、氏族的メシヤの摂理を展開するにおいて、なぜ、UCは失敗してきたかと言うと、本部や教会の下にそれを入れてきたからです。
天一国は明らかに「政府は天使長」と言っておられるように、天一国国民が主人となる体制です。それを守るのが政府であり、役人でありますので、
その天一国をめざすサンクチュアリの体制もそうすべきですが、その体制を理解するためにはみことばが中核メンバーに不足しています。

私はE会長を否定しているわけでもなく、批判しているわけではありません。
日本の蕩減として残されているお父様の恨を解いて、二代王様をおささえする最も貴重な責任者だと思っています。
E会長の責任が何であるのかを、平面的捉えているのではなく、1999年の出来事の観点から考えているので、他の方には理解できないかもしれません。

これからのサンクチュアリがどうなるのかの分岐点でもあるかと思いますので、その点を伝えたくてメールさせていただきました。


2018/10/14 

 

阿南教会長の癖は、中央集権に過度の意識が行ってしまって、本来サンクチュアリに願われている「自由と責任」という意識に疎いところがしばしば見られることにあります。

せっかく大分にいい証があると感じ、

「当然今までの総括をおこない、証しなどを共有をするのが普通だからです。」

とお考えでいらしたのに、何故共有すべきと考える証を皆さんにさせてくださいと言わなかったのでしょうか?

阿南教会長がそう申し出ても、会長があなたはいいと言われていたとすれば、会長に何故かと理由を聞かなければならないところでしょうが、あなたは結局のところ、あなたの嫌いな中央集権の構築に言われもしないのに加担することになっています。

自由と責任があってこその地方教会ではなかったのですか?

 

つまり、自分から意見が言えない奴隷の身に自分自身で縛ってしまっているにもかかわらず、人が機会を与えてくれなかったと、その時でもないずっと後に皆んなが忘れてしまった時にぶり返して発言します。

本当は中央集権が好きなのではと勘ぐらずにはいられません。

 

阿南教会長は、

「教会長は天使長」であり、

「その点が、サンクチュアリの組織論の中で、中核の問題」

と述べています。

 

阿南教会長がよく持ち出す話に、エデンの園ではアダムとエバと天使長しかいなかったといいます。

それでは、その土俵で考えてみましょう。

阿南教会長は以前に「神様はなぜ江利川会長を選ばれたか」という題でブログ記事を書かれています。

そこにはお父様が語られた江利川会長の名前が入った御言が引用されていました。

 

二〇〇〇年までの七年間は、女性の全盛期です。ですから、日本の江利川さんを立てたのです。「女性として男性の前に立ちなさい」と言ったのです。先生は男性です。男性の前に男性がいれば反発するのです。日本はエバ国家なので、女性を中心として、男性はそのおしりにくっつくのです。プラスとマイナスの磁石を見てもそうでしょう? マイナスがあれば、そこにプラスがくっつくのです。プラスがあれば、マイナスがくっつくようになっているのです。ですから、男性である先生を中心として、エバ国家を前に立てて修練も行い、新しい体制組織を強化するのです。」
真の御父母様の生涯路程11 P118

 

「日本の男性は天使長です。ですから、江利川さんを前に立てて、男性はみな江利川さんを援助するようになっています。「江利川さん」ではなくて「江利川君」です。男性のようになりなさい。(笑い)名前は女性ですが、内容は男性になりなさいというのです。
江利川さん! この女性は、顔を見れば雌ライオンの顔をしています。(笑い)雌ライオンはハンティングをしなければなりません。雄はハンティングをしません。雌が捕まえてくれば、のそりのそりとやって来て、「良いものを捕まえた」と言っておいしく食べてあげるのが雄です。昼の間、高い所に座ってこのように見下ろしています。そのようにすることによって、動物世界は争わずに静かにしていることができるのです。」

真の御父母様の生涯路程11 P215

 

神様はアダムを主管し、アダムはエバを主管し、エバは天使長を主管して本然の秩序が保たれるはずでした。

ところが堕落によって、天使長がエバを主管し、エバがアダムを主管してしまいました。

天使長になった男性は、アダムの姿に元返っていかなければなりません。

 

日本の男性であり、日本の教会長である阿南さんは、お父様が掴んでいるエバに繋がらなければならないことになります。

霊的には夢で、またお父様が直接主管される亨進様がエバを掴みました。

ご自分が天使長であると認め、ご自分が引用した御言によれば、そのように理解することができるのではないでしょうか?

 

言い換えると、阿南教会長のエバ抜き理論では、お父様や亨進様が総会長や会長に選んだこと自体も間違えだという結論になるかと思います。

阿南教会長が引用した御言と、阿南教会長の昨今の意見は整合性が取れないのではないでしょうか?

 

引用の御言葉では、阿南教会長がいつも強調するように信徒に対して教会長は天使長だという側面がありますが、一方ではお父様によれば日本の男性や男性の教会長はエバである江利川さんに援助しなければならないと言うことになります。

阿南教会長はご自分が引用したお父様の御言に説明された、江利川会長に対する天使長として仕えるお気持ちがおありですか?

引用した御言からすれば、そうなるように思うのですが、

いかがでしょうか?

これはあなた自身が選んだ御言です。

 

 

「日本の男性は天使長です。ですから、江利川さんを前に立てて、男性はみな江利川さんを援助するようになっています。」

 

 

お父様は以下のように話されました。

 

「真理の全体を知らない限り、イエスの時の人々と同じように聖書の言葉の犠牲者となります。」

1973年10月28日 「御旨と世界」 P343

 

 

この言葉は摂理的事業についても言えることでしょう。

お父様はアカデミーに対しては、それが最も重要な摂理だといい、勝共にも、教会にも、新聞にも、女連にも、原研にも同様に語られてきました。

周知のことです。

これは異なる分野を担うものが善の競争をして一つのみ旨を完成させるというものでした。

氏族メシア活動もそうです。

 

また、サタンであるカトリックやその系列のキリシタンにはあまりとらわれないほうがいいと思います。

妖邪な霊界が多いからです。

 

まあ、わたしも大分の岐部(きべ)カスイ・ペドロは好きですよ。

没年:寛永16.6頃(1639)
生年:天正15(1587)
聖地エルサレムを訪れた最初の日本人,殉教者。ペドロは洗礼名。豊後(大分県)国東半島の豪族岐部氏の一族。慶長11(1606)年ごろ有馬のセミナリオ(神学校)を終え,イエズス会の同宿(伝道士)となる。カスイ(Cassui)はそのとき用いた号か。同19年10月国外追放の宣教師に同行してマカオに渡るが,勉学と司祭叙階の希望を絶たれ,インド,パレスチナを通りエルサレムに巡礼して,元和6(1620)年ごろローマ到着。同年10月ローマ教区の特別な計らいで司祭適性試験を受け同月21日(11.15)ラテラノ大聖堂で司祭に叙階,5日後にイエズス会の聖アンドレア修練院で入会を許された。そのときの身上書に「名はペドロ・カスイ,当年33歳,出身地は日本豊後国浦辺」とある。同8年4月ローマをたち,マドリード,リスボンを経て寛永1(1624)年4月ゴアに至り,翌年マカオに着く。日本渡航の手立てを求めて同4年シャム(タイ)に行き,マニラを経て同7年5月松田ミゲル神父と共にルバング島をたって薩摩(鹿児島県)の坊ノ津に上陸,長崎から東北に潜入して布教に従事。同15年末ないし翌年初めに仙台領で捕らわれ式見マルティノ神父らと江戸送りとなる。大目付井上筑後守政重の訊問を受け,穴吊しの拷問に耐えたのち,斬首された。彼の一代記「転ばず候」が平成4(1992)年10月大分県民オペラにより上演された。<参考文献>H.チースリク『キリシタン人物の研究』

(五野井隆史)

岐部カスイ・ペドロ(きべ・かすい・ぺどろ)とは - コトバンク

 

 

わたしは、救世救国活動について、どう思われますか?と阿南教会長にお聞きしましたが、阿南教会長の思想には政教分離が根底にあるとお見受けします。

ですが、救世救国は教会にとって重要です。

アメリカも教会が政治に意見できるようにならなければなりません。

良い機会ですので、お父様がどのように思われているかを引用して筆を置きたいと思います。

 教会活動と救世救国活動は一体でなければならないというのです。

 

「人間は体が心を動かすようになっていないのです。この原則から政教分離という言葉はあり得ません。・・・政教分離』という言葉は、ローマ法王庁を中心として起きたことなのです。キリスト教が責任を果たせずに腐敗していき、道を失ったことによっ生まれたのです。」

1987年5月3日

 

 ですから、国連も体の役割の政治的組織としてのカイン国連だけではなく、心を代表するアベル国連、すなわち宗教的指導者の組織が上位になければならず、それらが一体になって初めて本当の国連が誕生するのです。

 

 


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