原理講論を読む

日常生活の中で 考える糸口を求めて

優しい心の青年

最近よくある青年に声をかけられる。

 

以前同年代の方と彼と三人で話していた時に、

「若い人どうしで話していたほうが楽しいでしょう?」

と笑いながら何気なく話してみました。

すると意外にも私達のように干からびてきた爺さんと話すほうが好きなようだ。

何故だろう。

 

二三日前に、さあそろそろ仕事上がりだ忘れ物はないかと見回しているところにその青年が来た。

「玉木さん、今度の何曜日は玉木さんとわたしは同じところで仕事です。何でも言いつけてください。」

その青年はわたしよりも断然この仕事の経験が豊富でポジションも上位の方である。

現在わたしがしている仕事に関わるスキルでは、ダントツの実力を持っているようにわたしには見えます。

とても頼もしい方なのではやく今以上の役につかれて活躍してほしいものだと

同年代の同僚とよく話します。

私から見ると神業のようなスキルです。

とても真似ができません。

本当にごく自然にこなしています。

 

神はひとりひとりに貴重な個性を与えられました。

それをわれわれはどう現すことができるでしょうか?

心のままに・・・

 

わたしはその優しい心の青年に向かって、

「こうこうこれだけしていただければそれで充分助かりますから、よろしくおねがいします。」

と少し驚いて言いました。

すると彼は優しい笑顔をして言いました。

「誰々さんの時にはこんな風に協力したので遠慮なさらないでください。」

 

それはわけがあってちょっと面倒な仕事でした。

 

世の中には人を利用して喜ぶ人がいます。

また、自ら人に利用されて喜ぶ人もいます。

 

原罪が精算されているか否かは本人ではなく親の実績です。

たとえ原罪があっても人間には責任分担があります。

もし、原罪がある者が原罪のない者より努力したら

どちらが神に近づけるのだろう?

 

若い人にあらためて教えられて何か小さなことではあるかもしれないが、

爽やかな頬を撫でる風のような感覚を覚えて家に持ち帰っていた。

 

ありがとう。 心優しい青年。

 

 

 


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