「China 2049」の著者マイケル・ピルズベリーの数年前のインタビュー記事
ちょっと長いけれど、大変貴重なインタビューです。
関心がある方は少しずつでも読んでみてください。
日経ビジネスありがとう。
より引用
2015年9月18日(金)
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「米国の対中戦略は根本的に間違っている」。なぜか。「中国は再び世界の覇権を握るべく、米国や一般に世界が考えているよりはるかに長期的な視点で、戦略的に考え、動いている。そのことにあまりに多くの人が気づかず今に至っているからだ」――。
こんなメッセージの本が米国で今年2月に出版され、米「ウォールストリート・ジャーナル」や米「ニューズウィーク」が取り上げるなど話題を集めている。英語の原題は、『The Hundred-Year Marathon:China’s Secret Strategy to Replace America as the Global Superpower』。中国が取り組んでいるのは、まさに「100年の歳月をかけて実現させようとしているマラソンのような長期的な戦略」なのだという。
『China 2049』
著者は、1969年以降、米ニクソン政権からカーター、レーガンと歴代の政権を通じて計約30年にわたり米国防総省や米国務省などで、中国の軍事力の分析に携わってきたマイケル・ピルズベリー氏だ。このほど日本語版『China 2049』が出版されたのに伴い、同氏が見る中国の考え方、そして、米国や日本がそうした中国にどう対応していけばいいのかを聞いた。
インタビューを4回に分けてお届けする。ピルズベリー氏は、本を書いた目的は決して中国への敵対心をあおるためではないと強調する。米国や日本はどうすべきなのか、同氏の提案する対応策を最終回で紹介するので最後までご覧いただきたい。
第1回は、米国と中国の国交正常化プロセスに至る驚くべき真実を含め、ピルズベリー氏がなぜ本を書くに至ったかを話してもらった。記事の末尾にピルズベリー氏へのインタビューを一部収録した動画を掲載した。
(聞き手 石黒 千賀子)
「米国の中国に対する認識の誤りは、米中の国交回復に遡る」と指摘されています。
ピルズベリー:米国ではこれまで、米中の国交を回復させたのは、リチャード・ニクソン大統領とヘンリー・キッシンジャー氏(ニクソン大統領の国家安全保障担当大統領補佐官)だったと誰もが信じてきました。実際、キッシンジャー氏は自らの回顧録の中で何度もそう書いてきた。「中国の扉をノックしたのは自分たちで、それによって我々が中国を世界の舞台へと導き出したのだ」と。米国には「Only Nixon could go to China」という諺まであるほどです。朝鮮戦争以降、あれだけ米国が敵対してきた中国への訪問を実現できたのは、米国内の反対派をも押さえ込めるほどの支持を誇っていたニクソン氏だからできた功績だという意味です。しかし、事実は違った。国交を回復すべく、米国に働きかけてきたのは中国でした。これが真実です。
「米中関係は知られていない事実があまりに多い」
事実、キッシンジャー氏も2011年に出版した彼にとって4作めとなる回顧録『On China(邦題:キッシンジャー回想録 中国)』では、国交回復への表現を微妙に変えています。中国側からも、米国側からも双方が「並行して」働きかけた結果、実現したものである、と。それまでの3つの回顧録には、このような「並行して」という表現は出てきません。
私が今回、本を書こうと思った理由は複数ありますが、大きな理由の一つがキッシンジャー氏のこの4作めの回顧録を読んだことでした。彼はこの回顧録を書くのに8年かかったと語っています。すべてではないものの、以前よりずっと多くのことを明かしているし、それまで彼が書いてきた本とも見方が全く異なります。「キッシンジャー氏も、中国への見方を変えつつある」と確信しました。私も、30年近く国防総省や国務省、米上院委員会、米中央情報局(CIA)など米連邦政府機関で中国の専門家として働いてきて、少し前までは「パンダハガー(親中派)」として知られてきた。しかし、近年、中国に対する認識を改めるに至りました。
米中関係については知られていない事実があまりに多い。自分自身の経験も踏まえつつ、そうした知られていない事実を明らかにすることで、中国や米中関係の全体像をしっかりと伝えることが今こそ重要だと感じ、本を書きました。
「中国は1969年以降、同じ戦略を実行し、成果を上げている」
米国も私たちも中国に対する理解、認識が全く間違っていると…。
ピルズベリー:中国については、多くの政治家がこれまでずっと「中国は貧しい、遅れた国だから支援してあげなければならない」と考えてきた。ニクソン大統領に至っては「我々は、怒りを抱えたまま殻に閉じこもっている中国を放っておくわけにはいかない。彼らによくしてやって、固く閉じた殻から出してやらなければならない」とまで言っていた。これが従来の見方でした、しかし、実際の中国の姿は全く異なります。
数年前まで先進国の多くの人は、「中国も西側諸国のように経済成長すれば、自ずと市場経済も発展し、民主的で平和な国になっていくはずだ」と信じていました。しかし、特に習近平政権になって以降、「中国が進もうとしている道は全く違う」との認識が広がっています。
ピルズベリー:確かにそうした見方は広がってきています。しかし、何が起きているかと言えば、中国は1969年以降、同じ戦略を今に至るまで一貫して実行しており、着実に成果を上げている、ということなのです。少なくとも私は、そう見ています。
米国は中国から受けた国交回復の誘いを5回断った
ただ、そうした中国の動きを理解するには、米中の国交正常化への動きがいかにして始まったのかから理解する必要があります。ですから、米中国交回復に話を戻しましょう。
まず米国は、米国と関係を築こうとする中国からの誘いを何回断ったと思いますか――。米国は、ニクソン大統領が1972年2月に訪中するまでに、中国からの誘いを実に5回断っています。
それほど、中国は必死だった?
ピルズベリー:はい。キッシンジャー氏が残した当時のメモなどの関連資料の「機密扱い」が解除されたのは、ほんの1年ほど前のことです。私は今回の本を書くにあたって、アメリカ国立公文書記録管理局やニクソン、カーター、レーガン大統領それぞれの図書館・博物館に足を運び、キッシンジャー氏に関連する資料を入手し、全部を時系列に並べて読み込みました。そこには、まだ知られていない情報が多くありました。
例えばレーガン大統領は、中国に関する機密事項の文書はコピーを常に15部しかとらせなかった。つまり、その内容は15人しか知らない、ということです。その前のカーター大統領の場合も、中国の機密事項については7人しか知らない。こうした重要な事実が10年、20年、30年と時が経つ中で埋もれていくと、米中関係の全体像を知ることは難しくなる。
キッシンジャー氏の残した文書の機密指定が解除になり、これらの資料を集めて、付き合わせた。その結果、米中国交回復への動きが実際にはどのようにして始まったのかを突き止めました。
まず、重要な真実として、中国から米国に1970年末か71年初めに届いて、今も米国の機密文書として保管されている手紙があります。英文タイプライターで打たれたもので、署名はない。パキスタンの駐米大使からホワイトハウスに届けられた手紙です。そこには「ニクソン大統領が訪中することを歓迎します。あるいは誰か代表を北京に派遣して下さっても結構です」と書かれている。これはニクソン大統領による訪中が、中国からの働きかけで始まったことを示す重要な証拠の一つです。
中国は、この手紙を送る前にも複数回、米国にアプローチしていました。ノルウェーの首都オスロにある米国大使館に中国大使館の人物が来て「あなた方と話がしたい」と語った事実もある。その後、アフガニスタンのカブールにある中国大使館の人たちが米国大使館を訪ねてきて、「あなた方に会いたい。本当だ」と働きかけた事実もある。
いずれのケースにおいても、非常に驚いた現地の米大使館がワシントンに「中国大使館の人たちと会っていいか」と指示を仰いでいますが、米政府の回答は「ノー」でした。私はニクソン大統領およびキッシンジャー氏による彼らへの返信も見つけました。そこには「会ってはならない」と記されている。
毛沢東はエドガー・スノー氏にまで声をかけていた
こうした米国の反応に怒り出した毛沢東は1970年10月、スイスに住んでいた米国人ジャーナリスト、エドガー・スノー氏(1972年2月にスイスにて死去)をわざわざパレードに招き、彼に直接「ニクソン大統領に訪中してほしい、と伝えてくれ」という旨のメッセージを託すことまでしました。しかし、これも成功しなかった。このメッセージがニクソン大統領のもとに届くことはなかった。スノー氏がニクソン大統領のことを非常に嫌っていたためです。詳しくは本を読んでほしい。
これらの事実についてもキッシンジャー氏が書いたメモを私はリチャード・ニクソン図書館・博物館などで見つけて読みました。
中国は、米国と何とか関係を構築しようと必死に何度も働きかけたけれども、米国は一貫して否定的なスタンスだったということですか…
ピルズベリー:そうです。ニクソン氏が強い反共産主義者だったことは有名です。大統領に就任した翌月の1969年2月には記者会見を開いて、「中国を念頭においたミサイル防衛システムを構築する」「なぜなら中国は信用できないからだ」とまで発言していたほどです。キッシンジャー氏も首席補佐官に就任した当初の2年間は、中国に近づくことには反対の立場でした。
一方の中国の方は、ヨシフ・スターリンが1953年に死去するとソ連との関係が悪化し、60年以降、中ソの緊張は高まりつつあった。64年と65年にはソ連が100万人規模の部隊を中国との国境に移すなど、中国はソ連から軍事的圧力を感じていた。「最大の友好国が自分たちを敵視し始めた」という状況を前に、中国は自らの戦略を見直すことを余儀なくされていたわけです。
ソ連とのデタントを重視した米国
中国が5回もアプローチしてくる中、当初は否定的だった米政権内で、中国との関係を築くことに関しては2つの見方が浮上します。一つは、中国と仲良くすれば、ソ連を怒らせることになるからまずい、という見方です。
ニクソン氏が大統領に就任した最初の年の1969年、ニクソン大統領とキッシンジャー氏は「ソ連とはデタント(緊張緩和)が必要だ」というメモを多く書いています。米政権が、核兵器を削減し、軍備増強を控えれば、ソ連は、米国がベトナムから撤退するにあたって、それなりの協力をソ連から得られるのではないか、との期待からだ。当時、ベトナム戦争で苦戦を強いられていた米国は、ベトナムからの撤退を望んでいました。そのため「中国と友好関係を築こうものならモスクワを怒らせることになる。そうなれば、ベトナムでソ連から支援を得るどころかデタントまでキャンセルとなり、最悪の展開になる」というわけです。「中国に近づけば必ずソ連の知るところとなるので、中国とは距離を置いた方がいい」と。だからオスロの誘いも、カブールでの誘いも断った。
もう一つの見方は、中国と多少仲良くしてもソ連は中国と米国が接近することを既に想定しているのでそれほど怒らないのではないか、というものです。
米中が接近した場合、ソ連がそれをどのように受け止めるかについて、ピルズベリーさんご自身もCIAやFBI(米連邦捜査局)に情報収集を依頼されたと本の中で明かしていますね。
ピルズベリー:はい、1969年当時、私は国連本部の35階で働いており、上司はロシア人で非常に高位の外交官でした。しかも周りの同僚もソ連の人たちばかりだった。CIAとFBIが、米中が接近した場合のソ連の反応や中ソ分裂の可能性を私に探るよう頼んできたのはそのためでした。何しろCIAやFBIは、国際組織である国連本部には足を踏み入れることすらできませんから。米政府としてはソ連側の反応を何としても知る必要があった。これが、CIAやFBIの協力者として私が働くようになったきっかけです。
ですから今回の本を出版するに当たっては、日本語版でも目次の前に「筆者注(Author’s note)」を入れてもらったように、CIA、FBI、国防長官府、そして、国防総省のある部署に内容を査読してもらっています。内容が非常にデリケートなためです。実際、この4つの米連邦政府機関による査読を受けた結果、残念ながらそれぞれの組織から削除を命じられた部分があります。また、私は本に書いた内容以上のことは話してはならないことにもなっています。
中ソ関係は悪化
まるで映画のような話ですね…
ピルズベリー:国連で共に働いていたソ連の上司や同僚からは、中ソ国境でソ連軍の中隊が待ち伏せをしていた中国軍に奇襲攻撃をかけられた話など、中ソ関係がかなり悪化している状況を聞き出すことができました。機密指定解除になった一連のキッシンジャー氏の資料の中に「ソ連は、米国と中国の関係がある程度近づくことを既に予想している」と書かれた国連本部発の情報があります。それには「最高機密」と書かれていました。FBIもCIAも、何人もの協力者を抱えています。そうした協力者が書いたレポートはすべてキッシンジャー補佐官の元に届けられ、彼はそれをメモにまとめていたということです。
こうした約2年の歳月を経て、中国に近づいてもソ連の怒りを買うことはないだろうとの結論に至った米国政府は、ついに中国からの招待を受け入れ、1971年7月と10月にキッシンジャー補佐官が訪中し、翌72年2月、ニクソン大統領による訪中が実現するわけです。
しかし、本にも書かかれていますが、当時の米国はソ連との関係に全神経を集中させていたことから、中国がいったいかなる意図で米国に接近してきたのかという点にはあまり注意を払っていなかった…
ピルズベリー:そうです。私はソ連から来ていた同僚や上司から複数回にわたり、「中国には気をつけた方がいい」というアドバイスを冗談を交えながら聞いていた。しかし、当時の私にはそれは、「ただの冗談」にしか聞こえていなかった。 本では「Only China Could Go to Nixon(アプローチしたのは中国)」と題した第2章で、かなりのページを割いて、米中の国交回復への動きがどのようにして始まったかを説明しているので、読んでほしいと思います。
私が何より強調したいのは、今、あなたが私に質問した「なぜ中国は米国に近づいてきたのか」の答えが、単にソ連との関係が悪化したため、などという単純な話ではなかったということです。
そこには、先ほどおっしゃった中国が1969年以降、追求してきたもっと深い戦略的な狙いがあった…
ピルズベリー:そうです。それを次にお話ししましょう。
第2回 中国は2049年の覇権国を目指す:日経ビジネスオンライン より引用
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鄧小平が、天安門事件で西側諸国による制裁を受けて出した外交方針「韜光養晦(とうこうようかい)」は、これまで「中国は、経済発展を最優先するので、海外との摩擦は最小限に抑え平和を求める」方針だと理解されてきた。
『China 2049』
しかし、マイケル・ピルズベリー氏は、「それは誤った解釈」で、「韜光養晦の本質は『野心を隠す』」で、これこそ中国の長期的な野望を象徴していると語る。中国共産党には、中華人民共和国を設立した時から「再び世界の覇権国としての地位を奪還する」という目標があり、その実現のために100年に及ぶ戦略を実行していると、近著『China 2049』で指摘した。
第1回でピルズベリー氏は、米中国交正常化への動きも、従来から信じられてきたようにニクソン大統領とキッシンジャー国家安全保障担当大統領補佐官(当時)が中国に働きかけて実現したのではなく、実は中国からの熱心な働きかけにより実現した事実を明らかにした。背景には、1969年以降の中国の深い戦略と意図があったという。
第2回は、その戦略と意図の具体的な中身を聞いた。
また、記事の末尾にピルズベリー氏へのインタビューを一部収録した動画を掲載した。併せてご覧ください。
(聞き手 石黒千賀子)
前回おっしゃった中国が1969年以降、一貫して追求している戦略とは、一体どういうものなのでしょうか。
ピルズベリー氏:一言で言うと、「中華人民共和国建国100周年に当たる2049年までに、再び世界の覇権国となるべく、自分たちの実力を常に実力より低く見せて注意深く動く」――ということです。これが中国の戦略では、常に大きな部分を占めています。
中国では1969年5月、4人のトップクラスの将官が集まり、夏にかけて20回以上会合を重ねました。彼らは、そこで中国が進むべき道について議論し、それを戦略としてまとめ、毛沢東にメモを提出しています。
米国は『戦う二虎(中ソ)を山頂から眺めている』と見た中国
この時、作成されたメモを中国は今でも機密扱いにしているので、その存在はほとんど知られていません。しかし、会合には4人の将官のほかに、当時、外務大臣を務めていた将官と書記係として熊向暉(ゆう・こうき Xiong Xianghui)という若い人物も参加していました。熊向暉は後に中国の有名なスパイとして知られた人物です。その彼が1999年に回顧録「我的情報与外交生涯」を発表しました。
熊向暉は2005年に死去しましたが、その回顧録の改訂版がその翌年に出ています。改訂版は、1969年に行われた4人の将官を中心とした多くの会合について触れているものの、その内容について少ししか明らかにしていません。しかし、それでも最終的に毛沢東に提出した報告書の中から最高機密に該当する、ある1ページの内容を明らかにしています。
それを読むと中国がどのように考えて、米国接近を図ることにしたのか、彼らの考え方がよく分かります。会合ではこんな会話が交わされたそうです。
まずある将官が、「今の時代(1969年当時のこと)は、2500年前の春秋戦国時代、あるいは200年頃の三国志の時代に似ている。私たちはこうした過去の時代から重要な教訓を引き出して、学ぶ必要がある。ソ連と中国に対する米国の今の戦略は、まさに『戦う二虎を山頂から眺める』である。この事態をよく考える必要がある」と。
当時、中国はソ連軍から脅威を受けていることに加えて、経済成長が1963~64年以降、停滞していました。この将官は、「米国は、共産主義の一国がもう一国をむさぼり食うのを待っている」と戦国時代から伝わることわざで表現したといいます。また、別の将官は有名な「赤壁の戦い」を引き合いに出して、「北の魏に対抗するために東の呉と組む」という諸葛亮の戦略に学ぶところがある、と主張し、ソ連からの攻撃に備えて、米国というカードを使うかどうかを議論した。その結果、米国をまず味方につけることを外交・軍事戦略の基本方針としたというのです。
「新興国は覇権国に潰される運命にある」
――戦国時代の教えに従って、米ソ対立を利用して、米国を中国の味方につけることが米中国交正常化の狙いだった…
ピルズベリー:そうです。ご存じのように春秋戦国時代とは、500年にわたって政治闘争が続き、中国が形成された重要な時代です。後半の250年(戦国時代)は、争っていた7つの国が、秦王朝の下に統一されて終わる。その間、各国あるいは諸侯の間では権力政治や陰謀、策略が渦巻き続けた過酷な時代です。
この時代から中国が引き出した主な教訓、戦略は九つありますが、一番重要なのが覇権を握っている国に対して「自分の野心を決して見せないこと」です。
どういう考え方か説明しましょう――。小さな国と既存の大きな覇権国があったとします。覇権国は当然、金も資金も技術も抱えている。春秋戦国時代にあったように、もし覇権国が、台頭し始めた新興国を見て「野心あり」と疑い始めたら、その新興国を必ず潰しにかかります。新興国というのは覇権国に潰される運命にある――。中国の将官たちはこう考えています。
私は、熊向暉の回顧録を読んだだけでなく、中国の将校によって書かれた戦略に関する本をこれまで何冊も翻訳してきたので、彼らが春秋戦国時代から多くを学んでいることを知っています。
彼らは、スペインやオランダ、フランス、イギリスといったかつて覇権を握っていた西欧諸国も研究し、その歴史からも学んでいます。「小さな国に過ぎなかったオランダがどうやって台頭し、あれだけの世界的な力を持ったのか」「スペインはそのオランダをどうやって負かしたのか」「そのスペインは英国にどうやって打ち負かされたのか」、そして「英国はいかにして米国に覇権の座を奪われたのか」――。こうした覇権国の変遷を徹底的に研究しています。
将官たちは、西欧諸国の興亡の歴史と春秋戦国時代や三国志の時代から導き出す教訓は同じだ、と言います。つまり、こういうことです。
まず、国力をつけるために資金と技術、科学、そして政治的な支援をその時代の覇権国(今の時代では米国)から取り付けることが重要だ。ただし、それを実行するには細心の注意深さが求められる。間違っても覇権国を敵に回してはいけない。敵に回せば、覇権国は台頭しようとする新興国を必ず抑えつけにくるに違いないからだ――と。
「韜光養晦」は中国の戦略を象徴する言葉
中国政府は、というか中国共産党はここまで研究した上で、米国に接近するという方向に舵を切ったということですね。
ピルズベリー:そうです。1969年の中国の将官たちによる会合に話を戻しましょう。熊向暉氏の回顧録は、当時、米国と中国の間でポーランドのワルシャワにて行われていた会談*1にも触れています。外相を務めていた将官がこう語ったと書かれています。「中国は55年から米国とワルシャワで会談を重ねているが、その交渉はどこにも着地しそうにない。格の低い大使2人がワルシャワで会って話をしていても、何の進展も望めない」と。
そしてこの外相兼将官も毛沢東へのメモを書いた。「米国から大臣級の人物を中国に来させればいい。そうすれば交渉の成果が期待できる」と。
だから第1回で指摘されたように、中国はオスロやカブールの大使館を通じて何とか米国と関係を築こうとした。そして、2年を経てその努力が実り、1970年7月と10月のキッシンジャー大統領補佐官の訪中へとつながっていった…
ピルズベリー:はい。しかし、先ほど話したように中国が米国に接近するに当たって最も重視したのが、「自分たちの野心は決して見せない」という過去からの教訓です。注意深く動かなければ、米国は自分たちの野望に気づき、中国を崩壊の道を進ませようとするに違いない、と見ていました。
鄧小平が中国の外交方針として口にした言葉「韜光養晦(とうようこうかい)=能力を隠して、力を蓄える」は、日本でもよく知られています。しかし、ピルズベリーさんの本を読み、その解釈を日本は間違えてきたのではないかと感じます。
日本では、韜光養晦は「中国は鄧小平の描く改革開放の発展戦略のことで精一杯なので、今はあえて“能力を隠して、力を蓄え”、他国との平和的な関係を維持し、外資の導入や輸出の拡大を目指す」、つまり、「他国との摩擦を避け、経済建設に専念する」という方針を表す言葉だと理解されてきました。
ピルズベリー:鄧のその言葉「tao guang yang hui」は有名です。まさに私が説明してきた中国の戦略を象徴する言葉と言えるでしょう。英語でもいろんな形で訳されています*2。
鄧は当時、中国がソ連の経済モデルをまねたのは誤りで、中国はその代償を払っていると見ていました。だから米国を相手に同じ失敗を繰り返すわけにはいかない、と考えていました。覇権国に追いつき、追い越すには、まず米国から知識とスキルを得るしかない。トップを満足げに走る米国からエネルギーをこっそり抜き取り、それによって遅れを取り戻して「マラソン」に勝とうと考えていたということです。
鄧小平は米国から支援を取り付けるのに最も成功した人物
鄧小平は、米国から強力な支援を取り付けることに最も成功した共産党指導者と言えます。後で詳しく説明しますが、1983年、当時の世界銀行トップから「どうすれば中国が経済的に米国に追いつけるか」を助言してもらう約束を取り付けたのも鄧でした。
ちなみに私は今、「マラソン」という言葉を使いました。私の本の英語タイトルも直訳すれば「100年マラソン」です。実は、1969年の将官による会合で出された基本戦略は、もっと前から存在していたことを私は後に知りました。中国の戦略は「いわば中国にとって100年マラソンなのだ」と表現した中国の軍人がいたのです。
毛沢東ではない?
ピルズベリー:毛沢東も「アメリカを超えたい」と発言していた事実はあります。彼が最初にそう言ったのは1955年に開かれたある極秘の会議において、とされています。その時に毛沢東は「実現するには75年くらいかかるだろう」と言ったそうです。単純計算すれば、2030年に中国は米国に追いつく、ということになります。しかし、中国で毛沢東のこの発言が公にされたことはないようです。
では、「100年マラソン」と呼んだ中国の軍人とは誰なのでしょうか。
ピルズベリー:2010年に中国で出版された『中国の夢』という本を書いた人民解放軍の大佐、劉明福(Liu Mingfu)という軍人です。人民解放軍国防大学の学者で、将官を育てる立場にある人です。私はこの本で初めて「100年マラソン」という記述を初めて目にしました。
劉は、「毛沢東が1955年に求めたことを実現するには、100年にわたってマラソンすることが必要だ」と記しています。そして、どうすれば中国は米国に追いつき、追い越し、世界の最強国になれるかを書いています。
毛沢東が死ぬまで繰り返し読んだ『資治通鑑』
しかし、1955年から100年というと2049年ではなく2055年となります…
ピルズベリー:2049年というのは中華人民共和国建国から100周年に当たる年です。毛沢東が米国を追い越したいと発言したのは1955年ですが、彼がそうした思いを持っていたのは建国前に遡ります。つまり、米国を抜き、再び世界の覇権国となることは毛沢東、中国共産党にとっては建国前からの悲願だったということです。
1930年代に国民党に敗れた紅軍(中国共産党)が行った有名な長征*3の間、毛沢東は本を1冊だけ携えていました。それは西洋に並ぶものはない、歴史を教訓とする国政の指南書『資治通鑑』(しじつがん)という本です。核となるのは戦国時代の兵法で、紀元前4000年にまで遡る逸話や格言が収められています。
私は、米国の中国専門家が犯した最大の間違いの一つは、この『資治通鑑』を軽んじたことだと考えています。92年になって初めて、私たちはこの本が毛沢東の愛読書だったことを知りました。米紙「ニューヨーク・タイムズ」の記者だったハリソン・ソールズベリー氏(93年5月死去)が、毛沢東は35年当時だけでなく、76年に亡くなるまで、この本を繰り返し読んでいたと著書で書いています*4。鄧小平もこの本を熟読していたというし、ほかの指導者も読んでいる。
『資治通鑑』は中国では戦略を扱った書物としては有名なんですね
ピルズベリー:中国の高校生は、この本から抜粋した文章を書き写して学ぶそうです。
今年6月下旬、私は中国に行ってかなりの数の将官に会いました。その中には何年も前からの知己もいます。私の今回の本を既に読んでいた中国の軍人たちは、「100年マラソンはあと34年残っている。しかし、2049年に行うパレードについてもう考えているんだ」という。多分、冗談でしょうが、続けて「(パレードは)2049年10月1日だ。おまえも来たいか」と聞いてくる。私は「もちろん是非行きたいが、生きていたとしても私は104歳だ」と答えました。すると彼らは「心配ない。中国には100歳以上の人は沢山いるから大丈夫だ」と言う。彼らは版権も取らないで、ちゃっかり私の本を既に中国語に翻訳して読んでいました…(笑)。
習政権誕生後、国家の推薦図書となった『中国の夢』
しかし、中国は鄧小平の時代とは異なり、最近は「自分たちを実力以下に見せる」とか「台頭の意図を隠す」ことをしなくなっているように感じます。特に2013年、習近平政権が誕生してからは、その姿勢が顕著に思えます。トップの座が見えてきたから、もはや隠す必要がなくなったということでしょうか。
ピルズベリー:習近平氏は2012年11月に中国共産党総書記に就任してすぐ、それまで中国が隠してきた野望を認めました。最初のスピーチで、かつて中国の指導者が公式の演説で述べたことのない「強中国夢(qiang zhongguo meng)」という言葉を口にしたのです。
これは驚くべき発言でした。中国の指導者は、西側の政治家とは異なり、公式の場での発言に細心の注意を払います。特に「夢」「希望」といった言葉は避けます。しかし、習氏は以来、スピーチで何度となく「強中国夢」という言葉を使っています。米「ウォールストリート・ジャーナル」の記事によると、習氏は2049年をその夢が実現する年としています。
そして、この「ウォールストリート・ジャーナル」の記事によれば、2013年には先に述べた『中国の夢』という本が、中国政府の統制下にあるすべての書店で「推薦図書」の棚に飾られたそうです。
昨春、英「フィナンシャル・タイムズ」が報道していましたが、国際通貨基金(IMF)によれば、購買力平価で中国のGDP(国内総生産)を試算すると、2014末には米国のそれを上回ることになるとのことでした。つまり、経済面では既に中国は米国を抜きつつあるとも言えます。
ピルズベリー:米国はこのマラソン競走で中国に抜かれつつあるのかもしれません。まさにこの100年マラソンの戦略が最も力を発揮したのが、経済分野です。経済分野における中国の戦略について次に話しましょう。
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第3回 中国の国家資本主義の考案者は世界銀行 :日経ビジネスオンライン より引用
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毛沢東の時代から「米国を超えたい。再び世界の覇権国としての地位を奪還する」との野望を抱く中国――。しかし、野心があることを疑われれば必ず覇権国に潰されると、春秋戦国時代からの教訓に学んだという中国は、『自分たちを常に実力より低く見せて注意深く動く』という方針を貫きつつ、「米国に追いつけ、追い越せ」の100年マラソン戦略を続けてきた――。マイケル・ピルズベリー氏は、近著『China 2049』でこう指摘した。
China 2049
そして、この方針を生かして、最も大きな成果を上げたのが経済分野だったと言う。30年近く中国の米連邦政府のスタッフとして中国の軍事力分析など最前線で中国を担当してきたピルズベリー氏に、第3回は、中国がいかにして経済大国世界第2位に成長し、米国に肉薄するまでに至ったのか、そして経済力とともに軍事力の強化も図ってきたのか、その経済、軍事戦略について聞いた。
今回も記事の末尾にピルズベリー氏へのインタビューを一部収録した動画を掲載しているので、併せてご覧下さい。
中国が『自分たちを常に実力より低く見せて、注意深く動く』ことで、「米国に追いつけ、追い越せ」の戦略が最も成功したのが経済分野だと本で指摘されました。中国の経済戦略についてあらためてお聞かせください。
ピルズベリー:中国が米国に接近し始めた1969年時点で、中国の経済規模は米国の10分の1に過ぎませんでした。その中国が、今や経済規模では米国とほぼ肩を並べるまでに成長したというのは、ある意味奇跡とも言えるでしょう。
では、中国はどうやって、ここまで成長できる経済システムを生み出したのでしょうか――。この点については、実は世界銀行が大いなる力を発揮しました。私は多くの世銀の極秘資料を持っており、中国がいかに世銀をうまく活用したかが、その資料を読むとよく分かります。
世銀が指南役となった?
ピルズベリー:そうです。1972年2月のリチャード・ニクソン大統領による訪中後、75年のジェラルド・フォード大統領の訪中、77年のジミー・カーター大統領の訪中などを経て、78年12月、中国はついに米国との国交正常化にこぎ着けます。そして、この国交正常化とほぼ同時期に最高指導者*1に上り詰めた鄧小平は、82年、83年と様々な改革に着手したものの、改革のスピードが十分でないことに危機感を強めていたようです。そこで彼が目をつけたのが世銀でした。
*1 1976年9月毛沢東死去
1983年、当時、世銀の総裁だった米国人のA・W・クラウセンは中国を訪れ、鄧小平に会いました。先ほどの世銀の資料に書いてありますが、この時、鄧小平は「私たちは米国を超えたい。どうしたら実現できるか教えてほしい」「私たちを助けていただけますか」と発言しています。これに対し、クラウセンは「世銀のエコノミストチームが、20年先を見据えて中国の経済について研究し、どうすれば中国が米国に追いつけるか助言しましょう」と密かに約束しました。
その時、世銀のスタッフは、「低い経済水準から先進国に追いつき、追い越した国が過去に一カ国だけある。その国は、国民一人当たりの所得が毎年5.5%成長した。だから中国も毎年5.5%成長する必要がある。でなければ、1000年経っても先進国に追いつくことはできない」と指摘しました。
中国側は「その国はどこですか」と聞いた。どこの国か分かりますよね…。
日本…
ピルズベリー:米国でもドイツでもなく、日本です。以来、中国は日本がどう経済成長を達成していったのかについても大いに研究しました。一方、世銀は中国に対して、複数のレポートでこんなことを指摘しています。
「世銀は、基本的に自由市場経済重視の原則で動いている。しかし、中国の経済を民間企業や市場に任せていたのでは、最高のスピードで経済成長を達成することはできない。中国が先進国に追いつくには、5.5%よりももっと高い伸び率で毎年、経済成長することが必要だ。実は、それだけ早く成長する方法があるかもしれない」
1990年には世銀の北京事務所は世界最大規模に
どういう意味でしょうか。
ピルズベリー:世銀は、中国の各産業分野においてトップクラスの企業を国有のまま育成すればいいと助言しました。それらの企業に対して優先的に補助金を与え、低利で融資を行い、海外から投資させればいい、と。
また、1985年から20年の間に輸出の構成を変え、特にハイテク製品分野の育成に力を入れること、外国から過剰な借金をしないこと、外国による直接投資は先進技術と経営近代化の手法だけに限ること、貿易会社の関与を段階的に減らして、国有企業が独自に外国と貿易するようにすること、といった提言も出しました。
つまり、民間に任せていたら、産業の育成に時間がかかりすぎるので、国有企業を育成して政府が直接、資金を提供すればいい、と…
ピルズベリー:そうです。1990年には北京にある世銀のオフィスは世界最大規模となっていました。それほど大人数のスタッフを世銀は北京に送り込んだということです。つまり、世銀が中国のために、全く新しい経済モデルを考え出したのです。
これは後で知ったことですが、ソ連崩壊後の数年間、実は中国のエコノミストたちの間では経済成長戦略を巡って、世銀の進める戦略で行くのか、市場経済に向けて動き出したロシアや東欧の例に倣うのかを巡って、かなり議論をしたと聞きます。ロシアや東欧では国有企業がすぐ民営化され、価格の自由化も図られました。当時、中国の改革志向派の政治家の中には、ロシアや東欧の民営化・市場化の動きに倣おうとする人々もいたのです。つまり、自由市場と私有財産を認める方向に向かって進むべきか、あるいは政府がコントロールできる国有企業を沢山作って、米国などの先進国から技術支援を受け、もらえないものは盗み取ってでも習得し、とにかく米国に追いつくべきではないかという重要な議論でした。
結局、周小川氏などの強硬派が勝利を収め、中国のマラソン戦略を支援する世銀と組む方針を維持することになった。周小川はご存じの通り、2003年以降、現在も中国人民銀行(中央銀行)総裁を務めている人物です。
周氏は、民営化や政治改革を拒み、代わりに協力的な世銀のエコノミストらと共に、中国共産党による支配のもと、国有企業の収益性を向上させる戦略を推進しました。周氏と世銀中国支部長だったピーター・ハロルド氏は、非効率で、組織構造も経営状態もお粗末だった中国の国有企業を変えるべく独自の戦略を描きました。当時、国有企業はどこも赤字で、国営銀行からの借入金で赤字を埋めていました。こうした時代遅れの国有企業を世界に誇れるチャンピオン企業に変えるという大胆な挑戦でした。その支援には、ゴールドマン・サックスといった米国の大手投資銀行なども大いに手を貸したようです。
今や米フォーチュンの世界上位500社の95社が中国企業
1990年代初め、欧米人が知っている中国企業と言えば「青島ビール」くらいでした。米誌「フォーチュン」は毎年、時価総額で世界上位500社を紹介しています。当然、中国企業は当時、1社も入っていませんでした。「世界上位500社に入る企業を育成したければ、世銀の助言に従えばいい」と聞いた中国は、世銀の助言をすべて実践しました。その結果、ゼロからスタートして、20社、30社と増えていき、今や世界最大の石油化学会社である中国石油化工集団(シノペック、2014年は3位)を筆頭に、中国石油天然気(同4位)、国家電網(同7位)、中国工商銀行(同25位)など2014年には中国企業が実に95社もランクインしています。
国(共産党)が戦略的国有企業と位置づければ、集中的にその企業に資金を投入でき、効率よく成長させられる…
ピルズベリー:資金だけではありません。上位100社の国有企業の経営者は共産党の中央委員会が決めます。多くは国の諜報機関か軍の出身者で、そのつながりは経営者に就任した以降も生きるわけです。だから一部のCEO(経営最高責任者)を務める者たちは、いろいろな意味で閣僚よりも重要な存在です。
まさに中国が国家資本主義と言われるゆえんですね
ピルズベリー:そうです。中国は半分だけが市場経済です。規模の小さな企業については、ある意味、市場原理で動いているが、規模の大きい国有企業は政府の方針が優先されるということです。
ここまで経済分野の説明をしましたが、私がより深刻な問題だと捉えているのは軍事面における中国の動きです。
「米国の弱点を突く」形で軍事力も増強
年々、軍事力を増強しており、脅威に感じているのは日米だけではありません。
ピルズベリー:中国は「どうしたら米国を怒らせないで、中国を守る軍事力をつけられるか」について様々な検討を重ねてきました。その中で彼らがかねて考えてきたのは「米国の弱点をまず探し出すべきだ。そしてその弱点を突く形で軍事力を増強すればいい」と。その中国が米国の弱点を理解するに至ったのは、1990年代になってからでした。なぜか。それは、米国が自ら大きな過ちを犯し始めたのです。
どういうことでしょうか。
ピルズベリー:米軍が自分たちのことについて論文を書くようになったのです。まず1991年のイラク戦争後のことです。こんな論文が出てしまった。「米軍がなぜイラクであのような攻撃をできたかというと、米軍は、ターゲットを定めて攻撃するタイプの武器も、通信手段、機密情報のやりとりなども含め、攻撃の90%をわずか数個の衛星を経由して行っている」と。
中国側はこれらの論文を読んで、「空母を11隻も抱え、何千発ものミサイルを抱えている大国である米国の実力は、数個の衛星にすべてかかっている」という事実を把握してしまいました。以来、米国の軍事力の研究を深めた中国側がある日、私にこう聞いてきました。
「米ソはどうして互いに相手の衛星を撃ち落とそうとしなかったのか」と。
米ソ間では、相手の衛星を撃ち落とさないという約束をしていたからだと答えました。そんなことをすれば二国とも大混乱に陥り、自爆行為に等しいと理解していたからです。だから衛星だけは守る必要があるということで合意していたのです。
ところが2007年1月、米紙「ニューヨーク・タイムズ」は中国が秘密裏に自分たちの気象衛星を撃ち落として、通信を遮断する実験を行ったと報じました(Flexing Muscle, China Destroys Satellite in Test)。多くの米国の軍事関係者はその10年前には、軍事雑誌などに「中国に衛星を撃ち落とすことなどできない」と書いてあなどっていた。しかし、撃ち落とした実績があるということは、米国の衛星も撃ち落とそうと思えばできるということです。
米軍は自国の空母の弱点を中国に明かしていた
中国が「秘密裏に行った」というのがなおさら気になります。
ピルズベリー:秘密裏に、というのは各国に事前通告もしなければ、撃ち落とした意図についても一切説明をしていない、ということです。この気象衛星を撃ち落としたことについては話したいことがありますが、その前に米軍の由々しき事態をもう一つお話しましょう。
中国軍の人たちが、米海軍との交流の一環で米空母を訪問した時のことです。その時、米軍側は「米国の空母はどれも4つの原子炉で動いていて、時速30ノッチと非常に速いスピードで進む。100機の飛行機を搭載できるので、どこへでも行けて、爆撃しようと思えばいかなる国、場所に対しても攻撃することができる」と説明しました。
すると、空母内を案内されていた中国軍の将校が「素晴らしいですね。私たち中国軍には決してこんなものを造ることはできないでしょう」と言ったうえで、「ただ、もしこの空母にあえて弱点があるとすれば、何でしょうか」と聞いてきた。
これに対し、米軍将校は「問題はあります。空母の側面は非常に厚みがあるので、いかなる攻撃にも耐えられるが、底が薄い。私たちの空母は、爆弾をすべて底に保管しています。空母には5000人近くの乗員がいるため、そのスタッフから少しでも距離を置くためです」と回答したというのです。
その後、中国はロシアが「船跡追尾魚雷」という特殊な魚雷を造っていること突き止めたといいます。これは発射されると、空母が通った跡の波である船跡を感知して、その空母の下に入ってから上に向きを変え、攻撃するという魚雷です。
今の話が何年前のことだったのか分かりませんが、中国は旧ソ連製の空母を購入し、これを改修して2012年に「遼寧」と名付けて配備しただけでなく、同年、上海の造船所で国産空母の建造にも着手し、2020年までに就役させる計画といいます。軍事的脅威は高まるばかりです。
ピルズベリー:確かに米国でも中国軍に対する認識は変わりつつあります。特に今年、中国からの数度にわたる大規模なサイバー攻撃により一般米国民の間でも、警戒感が出てきています。
ハリウッド映画にまで影響を与え始めた中国
6月と7月の米人事管理局(OPM)へのサイバー攻撃では、計2500万人の連邦政府職員(退職した職員も含む)の社会保障番号などの個人情報が盗まれたと報道されました。
ピルズベリー:私の情報も流出したということです。さて、先ほど中国が気象衛星を撃ち落とした件について話しておきたいことがあります。
あの実験により、3000片を超える破片が発生し、それが今後何十年も低い軌道上を周回する、と言われています。2013年に公開された映画『ゼロ・グラビティ』をご覧になりましたか。あの映画では、ロシアが用済みになった衛星をミサイルで爆破し、そのために生じた大量の破片がジョージ・クルーニーらが演じる宇宙飛行士の乗ったスペースシャトルにぶつかったという設定になっています。おまけに、最後、サンドラ・ブロックが演じる女性宇宙飛行士は中国の無人宇宙ステーションに保管されていた補助燃料タンクを借りてなんとか地球に帰還するというストーリーになっていて、ロシアが「悪者」、中国が「英雄扱い」されています。
しかし、ロシアが自国の衛星にミサイルを撃ち込んだことは過去、一度もありません。あの映画の脚本家たちは、宇宙で起きたことと起こり得ることをあえて歪めた、ということです。なぜか。世界一の人口を有する中国では、莫大な数の人が映画を観て、それがハリウッドの映画会社に巨利をもたらす。ビジネスならば当然なのかもしれませんが、こういうケースが蓄積していくことに懸念を覚えます。
米国のビジネス界では中国の市場の大きさゆえに、中国にマイナスになることを控える自主規制が働いているということでしょうか。しかし、こういう話が増える、あるいは今回のピルズベリーさんの本を多くの人が読めば、たとえそれがピルズベリーさんの意図ではないにせよ、反中の思いを深める人や反中国に転じる人はますます増えることになります。それは決して何かの解決に結びつくとは思えません。どうすればいいのでしょうか。
ピルズベリー:本に米国が取るべき12の方針を書きました。その多くは日本にも参考になります。それについては次回、お話しましょう。
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第4回 習近平vsオバマ会談は中国の圧勝だった:日経ビジネスオンライン より引用
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経済面でも、軍事面でも着実に力をつけ新たな大国として浮上する中国――。世界中の国々と企業は巨大市場を有する中国との関係強化に腐心しているが、その一方で、南沙諸島で大規模な埋め立て工事を続け、軍事施設まで建設する中国の姿勢に脅威と警戒感を感じずにはいられずにいる――。
『China 2049』
米政府の対中政策に長年かかわってきたマイケル・ピルズベリー氏は、近著『China 2049』の中で、中国には「100年マラソン」と呼ばれる世界の覇権を再び握るための野望があり、硬軟交えた一連の行動もその長期戦略の一環と説明した。しかし、同時に「中国を過大評価してはいけない」とも指摘する。
最終回となる今回は、このほど米国を初めて公式訪問した習近平国家主席とオバマ大統領との首脳会談をどう見るか、そしてその中国とどう向き合っていけばいいのかを聞いた。
なお、今回も記事の末尾にピルズベリー氏へのインタビューを一部収録した動画を掲載しているので、併せてご覧下さい。
先週の金曜日、9月25日にワシントンで習近平国家主席とオバマ大統領の首脳会談が行われました。どうご覧になりましたか。
ピルズベリー:中国にとっては成功、米国が得たものはゼロだった。中国は首脳会談前から指摘されていた南シナ海や東シナ海の問題、あるいはサイバー攻撃問題などについて、何かを確約するということをうまく逃れた。
ビジネス面を見ても、米中2国間投資協定の締結には至らなかった。首脳会談で最終合意できるようこの数カ月、両国間で相当な努力がなされていた。だが、この投資協定は中国政府が中国国有企業を優遇することを禁じている。首脳会談でどんな話があったのかは明かされないので理由は分からないが、中国は投資協定においても譲歩しなかったということだ。
合意文書が一つもないという首脳会談
しかし、サイバー攻撃の問題については、今後、閣僚級の協議を新たに設置することで合意したと報道されています。
ピルズベリー:いつかね。
いや、年内にも初会合が開かれる、という報道を目にしました。
ピルズベリー:いつ開始するかといった具体的な時期は決まっていない。今回の首脳会談の特徴は、文書での合意は何もないということだ。首脳会談後、ワシントンで随分沢山の記者と話したが、メディアも今週になって、その事実に気づき始めた。
通常、2つの大国の首脳が会談すれば、複数の事項について何らかの最終合意にこぎ着け、両者が合意文書に署名し、それが会談後に発表されるものだ。だから記者たちは週が明けた今週の月曜日、ホワイトハウスに連絡して、サイバー攻撃の問題を扱う閣僚級協議新設など一連の合意事項に関する合意文書のコピーを欲しいと要請したが、ホワイトハウスは「渡せるような文書になったものは何もない」と回答している。それは、ホワイトハウスのウェブサイトを見てみれば明白だ。そこにはオバマ大統領と習近平国家主席の共同記者会見での発言しか上がっていない。
合意文書が全くない?
ピルズベリー:そう、全くない。習近平氏はオバマ大統領と並んで共同記者会見を開くことさえ嫌がっていたと聞いている。だが、共同会見は中国側が譲歩して実現した。
確かに、共同会見で彼らは「米中はサイバーセキュリティーについては協力していく」と語り、メディアの報道ではpromise(約束)とかpledge(誓約)という言葉が使われた。だが、それは飛躍というものだ。合意して署名に至った文書は一枚たりとも存在していない。
安全保障に関わるテーマはすべてはねつけた
今回の首脳会談で何より顕著だったのは、中国側が次の5つの点について、徹底して自らの主張と立場を押し通した点だ。第1は、「両国はサイバー犯罪がこれ以上起きないように協力して戦うという重要な合意に達した」と習近平氏は会見でこそ述べたが、米国が昨年、米企業へのサイバー攻撃に関与したとして起訴した中国人民解放軍(PLA)の当局者5人の米国への引き渡しを拒否した。
第2は、中国は過去に自国の人工衛星を撃ち落とすことに成功し、他国には脅威になっているが、宇宙における中国の衛星攻撃を禁じる話や中国が宇宙スペースで進めている軍事増強に関する議論について議論することも拒否した。
第3に、米国が求めた軍事交流の拡大も、限られたものしか受け入れないとの姿勢を貫いた。
第4に、台湾向けミサイル配備に関する議論も拒否した。中国は過去10年間で、台湾向けに1000発以上のミサイルを配備してきたが、直近でも毎年200発以上増強している。この話題についても議論を拒否した。
第5に、冒頭でも話したが、南シナ海における埋め立て工事については、他国から一切の制約、制限は受けないと主張した。共同会見でも習主席は「南シナ海における島々は古来、中国の領土だった」と発言。これに対してオバマ大統領は、何のコメントも反応もしなかった。
実は、首脳会談前に私は、かねてつきあいのある中国の軍部の将校から、中国がこうした反応をするであろうということを聞いていた。情報源は国防大学などで教えている将校クラスの学者たちだ。人民解放軍には、あまり知られていないがGeneral Political Department(総政治部)と呼ばれるチームがある。タカ派の彼らは通常、どちらかというハト派の外交部の方針と衝突するものの、政策決定に強い影響力があり、今回の習近平氏の訪米を巡る中国側の方針を決める上でも重要な役割を果たしたと考えられる。
彼らが出した方針とは、安全保障に関わるテーマは徹底してはねつける、というものだったという。
「新興国は時の覇権国を刺激してはいけない」という方針を今回も徹底
外交面においても人民解放軍のGeneral Political Departmentが力を持っているということですか。
ピルズベリー:今回、習近平氏や中国代表団とオバマ大統領が一緒に撮影した記念写真には、将校は一人も写っていない。しかし、彼らこそが今回の訪米における外交方針を決めるのに重要な役割を果たしている。
軍部は習近平氏に、私が著書『China 2049』でも書いた「100年マラソン戦略」に基づいた助言をし、習近平氏はその通り行動した。この連載の第2回でも触れたが、100年マラソンで最も重要なのは、「新興国は時の覇権国を刺激してはいけない」ということだ。だから中国は、衝突することが確実な安全保障に関する問題の議論はことごとく避け、とにかく「危険な国の指導者だ」との印象を与えないよう腐心したわけだ。
習近平氏は最初に訪問したシアトルでのスピーチで、米国式の心温まる言葉を並べ、「私は、若かった頃には、アレキサンダー・ハミルトン*1の『ザ・フェデラリスト』*2やトーマス・ペインの『コモン・センス』を読みました」などと語った。こんな話を聞けば米国人は、少なからず習近平氏に好感を抱くだろう。
*1 政治家であり、憲法思想家であり、アメリカ合衆国の建国の父の1人とされる。
*2 アメリカ合衆国憲法の批准を推進するために書かれた85編からなる論文で、「比類のなき憲法の解説で、米国人によって書かれた政治学の古典」とされ、ハミルトンはこの論文の3分の2を書いたとされる
中国や習近平氏にとって今回の訪米は、大成功だった…
ピルズベリー:中国では大成功と受け止められているようだ。北京に送られた今回の習近平氏訪米に関する報道をいくつか見たが、どれも彼を強い指導者であると書いていた。中国では今回の訪米で、米国から大きな圧力をかけられ、様々な譲歩を迫られるのではないかとの懸念もあったようだ。それだけに、習近平氏が一歩も譲歩しなかったことが高く評価されている。ホワイトハウスで米国の指導者と一歩も引かず対等にわたりあった強い指導者である、と。
すると、習近平氏は反腐敗運動を追求しすぎて政敵が増え、権力基盤が盤石ではないのではないかといった見方が一部で浮上していますが、そんなことはない?
ピルズベリー:中国における彼の人気は高い。今回の訪米成功で、その人気と、指導者としての評価はさらに高まっているように思う。私は彼の権力基盤は盤石だと見ている。
中国の成長率を見るときは西側諸国とまず比較すべき
しかし、中国は6月以降、株の暴落に見舞われています。8月の元の切り下げ以降はさらなる株価暴落に直面し、政府による必死のてこ入れ策も効果が出ない。経済の減速も深刻です。一部に、この経済のつまずきで、中国は弱体化が進むのではないかとの見方も浮上しています。
ピルズベリー:経済成長率が7%に鈍化した、あるいは7%の達成も危ういといって多くの人が騒ぐが、昨年の米国のGDP(国内総生産)は2.4%、日本に至っては1%にも満たない。世界第2位の経済大国である中国の成長率が仮に6%にとどまっても日本の6倍のスピードで成長している。
中国自身も、かつての2ケタ成長から、1ケタの持続的な成長を目指す「新常態(ニューノーマル)」の時代を迎えたと言っている。彼らは間違いから学習することを知っており、政策運営でも着実に力をつけてきている。先進国は何かというと中国の問題を深刻に捉えようとしたがるが、まず自分たちの国の成長率と比べてどうなのか、という点にもっと目を向けるべきだ。
私は、西側諸国の関心が中国経済ばかりに集中し、中国が軍事支出を拡大し続けていることへの注意がそれで削がれてしまうことの方が問題だと思う。
中国を過大評価することが最も危険
今回の習近平の訪米でも、米国企業はIT(情報技術)系を中心に、中国に熱い秋波を送っていました。経済的な存在感のみならず、軍事的にも脅威を増す中国と、日本はどのように向き合っていけばいいのでしょうか。
ピルズベリー:詳しくは本を読んでほしいが、日本を含め私たちがなすべきことをここでは3つ紹介したい。
まず最もやってはいけないのは、中国を「過大評価する」こと。米国防次官補で、国際政治学者として知られるハーバード大学のジョセフ・ナイ氏も「我々の最大の危険は、中国を過大評価し、中国に自ら過大評価させ、うぬぼれさせることだ」と指摘している。
私はさらにナポレオン・ボナパルトの有名な言葉を忘れてはいけないと考えている。「敵が間違いを犯している時は、邪魔するな」だ。長い目で見れば、中国が傲慢で攻撃的な態度で近隣諸国を挑発し、同様のスタンスの国々と連携していることは国際社会に多くの敵をつくることになり、私から言わせれば、結果的に米国を手助けしていることになる。尖閣諸島の領海侵犯を何度も犯せば、それだけ日本を怒らせることになる。それは決して中国のためにはならないからだ。
安倍政権はもっと中国語で生の情報を読み込むべきだ
第2は、日本も私のように「中国語の生の資料を読んでいる」という人材を早急にもっと増やすべきだ。特に安倍晋三首相の補佐官たちに強調したいのは、中国で書かれた中国語の生の資料をもっと入手し、それらを読み込むべきだ、ということ。生の資料とは、本連載の第2回で触れた中国でベストセラーになった『中国の夢』や『戦略学(2013年版)』や『Study of US Strategies』といった中国政府の内部資料のことだ。
『中国の夢』は英訳されているが、全体の一部にすぎず、原書を中国語で読まないと真意はつかめない。『Study of US Strategies』はそのタイトルが示す通り、内容は中国による米国の軍事戦略の分析で、幸いなことに英語で書かれている。中国は同様に日本の軍事戦略も研究し、日本版もつくっているので、日本政府は読むべきだろう。
まず彼らの考えていることを知ることが大事だということですね。
ピルズベリー:その通りだ。
第3のポイントは、中国国内の改革派を支援していくことだ。ただし、タカ派かハト派を見分けることは極めて難しいことを覚悟しなければならない。
天安門事件後、中国共産党の改革派の指導者だった趙紫陽が終生の自宅軟禁に置かれた。その20年後、コロンビア大学の政治学者アンドリュー・ネイサン氏が、秘密裏に趙氏の回想録を入手し、出版した。その回想録には、当時私たちが知らなかった圧倒的な不利な状況の中で、彼がいかに強硬派に立ち向かい、真の改革を実現しようと苦闘したかが書かれている。
当時、私を含め当時の政権の多くの中国関係者は、趙紫陽の軟禁は改革の一時的な後退にすぎないと楽観的に見過ぎていた。今も強く悔やまれる出来事だ。同じ過ちを繰り返してはならない。
最後に中国共産党による一党独裁は今後も続くとみていらっしゃるか、その点をお聞かせください。
ピルズベリー:よく聞かれる質問だ。私は以前も話したが、中国共産党には間違いを犯したら「学ぶ」力がある。だから私は、中国共産党には持続性があると思うし、今後も一党独裁が続くとみている。
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