原理講論を読む

日常生活の中で 考える糸口を求めて

お父様からみ言を通して教えていただいた原罪・遺伝罪・連帯罪・自犯罪と堕落性本性の理解 上

原理講論では、罪を4つに分類して説明しています。

また、その他に堕落性本性という言葉が出てきます。

キリスト教には登場しない概念です。

み言を思い起こせば、お父様が原罪について話されることは多かったのですが、

遺伝罪や連帯罪についてはあまり記憶がございません。

これらの関係性はどのようなものだったのでしょうか?

原理講論にも記述はありません。

4つの罪についてはともかく、これらの罪と堕落性本性はどのような関係になっているというのでしょうか?

 

原理講論には、これが書かれた当時の摂理的情況に必要不可欠であるとお父様が判断されたものがまとめられていると考えられます。

本来劉孝元先生が提出されたものは、現在の3倍ほどの量があったと言われています。

お父様は、「多すぎる、こんなに詳しく書いてもわからない」というようなことをおっしゃられたと学生時代に食口から聞きました。

吉史夫人がこの3倍の資料を公表していただけないのかとよく思ったものです。

み言理解の第一次資料になるからです。

 

 

<わたしたちのあるべき信仰姿勢>

罪の精算前には、罪の自覚と深い悔い改めが重要だが、

罪の精算以降は、罪に対する関心ではなく、神の創造本性に対する関心に、

フォーカスする。

 

真の父母という言葉は、堕落したあとに連結されたものではありません。神様の創造理想は、真の父母を中心として始まりました。ところが、堕落したので血統が変わりました。完全に反対になりました。国も、堕落していない本然の国とは違います。本来は、宗教がありません。宗教であれ国であれ、堕落したあとの堕落の血統を中心とする因縁的関係は、すべて先生と関係ありません。

そのような意味で、神様が、創造前に真の父母という概念を中心として考えたその考えだけが絶対的であり、その考えだけが神様の愛と生命と血統に連結されるようになっているのであって、堕落したあとの皆さんが考える概念や観念、因縁的関係は、堕落する前の真の父母の理想とは何の関係もありません。したがって、きれいに絶ち切ってしまわなければなりません。
第二篇 真の父母 第四章 真の父母と真の子女 第三節 真の父母の真の愛・真の生命・真の血統 1  2005.3.18

 

神が思い描かれた創造本然の世界には、悪も罪もその影さえも存在しない。

お父様はこれを正午定着と表現された。

非原理的な存在、すなわち堕落がなかったであろう世界に存在しないものに、

相対基準を結んではなりません。

関心は、善や悪に相対基準を結ぶステップに向かわしめます。

ですから、原理的なもの、創造本然のものにのみ、

われわれは関心を注ぐようフォーカスしなければなりません。

 

(五)罪
 罪とは、サタンと相対基準を造成して授受作用をなすことができる条件を成立させることによって、天法に違反するようになることをいう。その罪を分類してみれば、第一に原罪というものがあるが、これは人間始祖が犯した霊的堕落と肉的堕落による血統的な罪をいい、この原罪は、すべての罪の根となるのである。
 第二に、遺伝的罪がある。これは、父母の犯した罪が数代にまで及ぶという十戒のみ言のように、血統的な因縁をもって、その子孫が受け継いだ祖先の罪をいう。
 第三には、連帯罪というものがある。これは、自身が犯した罪でもなく、また遺伝的な罪でもないが、連帯的に責任を負わなければならない罪をいう。例えば、祭司長と律法学者がイエスを十字架につけた罪により、ユダヤ人全体がその責任を負って神の罰を受けなければならなかったし、全人類もまた、共同的な責任を負って、イエスが再臨なさるそのときまで、苦難の道を歩まねばならなかったが、それはこの罪のゆえである。
 第四に、自犯罪というものがあるが、これは、自身が直接犯した罪である。ここにおいて、我々が前に述べたところの原罪を、罪の根というならば、遺伝的罪は罪の幹、連帯罪は罪の枝、自犯罪は罪の葉に該当するのである。しかし、すべての罪は、その根に該当する原罪から生ずる。それゆえに、原罪を清算しない限りは、他の罪を根本的に清算することはできない。しかしながら、隠されているこの罪の根はいかなる人間も知ることができないもので、ただ人間の根として、また、真の父母として降臨されるイエスのみがこれを知り、清算することができるのである。

原理講論

 

<罪とその精算>

1,原罪 ⇒ 祝福 再臨主による祝福7年路程 + 結婚 3日行事

2,遺伝罪 ⇒ 210代先祖解怨 減償法で先祖のすべての罪の精算

3,連帯罪 ⇒ ? (ex.イエス様を十字架につけた罪 ユダヤ人と全人類の責任 )

4,自犯罪 ⇒ 象徴的贖罪 祝福前の告白文と悔い改めと贖罪に対する感謝

        実体的贖罪 同等の不信罪・淫乱罪・強盗罪・殺人罪の試練の克服 

 

象徴的贖罪や実体的贖罪はわたしが便宜上考えた言葉です。

 

1,原罪

韓氏オモニは原罪をもって生まれました。

ですが、ある条件のもと再臨主と一体化することによって信徒の重生ができました。

長成期の完成級を超えて、完成期を全うするのに7年かかりました。

同様にわれわれも7年路程がありました。

そして真の父母とは第一に再臨主を指す言葉であることはイエス様にしても同じであることを原理講論は語っています。

真の父母として降臨されるイエス

ただちに韓氏オモニが真の父母ではありません。

韓氏オモニがお父様を証し、お父様のみ言を語るときは真の父母です。

だが、彼女は堕落しました。

 

2,遺伝罪

遺伝罪ですが、血統的な因縁をもって、その子孫が受け継いだ祖先の罪ですから、

先祖の罪が精算されれば、子孫が精算されてもはやなくなった罪を受け継ぐこともなくなります。

したがって、先祖の罪が精算されれば受け継がないのですから、

それ以上先祖に代わって精算する必要もなくなります。

これが、210代の先祖解怨。祝福式です。

ですから、父母が210代の先祖解怨をしたら、一世の父母にも二世の子女にも遺伝罪はもはや存在しません。

 

もしかしたら210代以上あるのではないかと言う方もいるでしょう。

1/10 が全体を表すように、十分の一献金は全額を捧げたとみなされます。

別の言い方をすれば、減償法です。

全体を表す象徴的な条件である210代で先祖解怨が完了したとみなすのです。

たとえそれ以前の先祖がいても終わったとみなされると私は考えます。

少なくとも我々が代理蕩減すべき内容はなくなったということです。

ですから、遺伝罪にとらわれてはなりません。

もう終わったのです。お父様の勝利圏の恩恵にわれわれは先祖とともに移動しました。

神様と三代王権に栄光がありますように!

 

修練を終えた絶対善霊の働き

 百日の修練会を終えた霊人たちは、その後、挙行される祝福式に参加して聖酒式をすることによって、原罪が清算され、絶対的な善霊に変わります。先祖解怨式を経て、霊界の修練所で教育を受け、祝福を受けて絶対善霊になったということは、神様と真の父母様を中心とした善の血統に復帰されたことを意味します。

 このような絶対善霊は、ちりほどの罪もない状態です。それで、サタンと悪霊人たちが接近することができず、サタンが自分の主管圏内に、再び連れていくこともできません。

 そのような絶対善霊を見ると、本当に光っていて美しいのです。深い香りが漂い、愛くるしいのです。それで絶対善霊たちは、これから真の父母様が天国の門を開かれるときに、お供をしながら、ついて入っていくのです。

 絶対善霊は、地上で祝福を受けてから、さらに霊界の修練所で四十日の間、「真の家庭教育」を受けます。この時、祝福家庭に関する講義は、申鎬  講師がします。

 修練生は、真の父母様を通して祝福を受けた価値が、どれほど重要なものかを理解して、これから祝福家庭として、神様、真の父母様に侍り、どのように生活しなければならないかを学びます。

 また、自分たちの子孫が、地上でどのような生活をしていて、どのような問題点をもっていて、どのような苦痛の中にいるのかを、一つ一つ知らせます。

 霊界の修練所で、真の家庭教育を受けている間に、地上にいる子孫たちの状況と罪悪について、一つ一つ調べることのできる機会を与えます。子孫たちの体の中に入っている悪霊の性格がどのようであり、これを主管するためには、どのようにしなければならないかなどについて、具体的な内容を理解するようになるのです。

 子孫たちの状況を具体的に見れば見るほど、より深刻な気持ちになります。なぜならば、困難で大変な立場にいた自分たちを解怨して祝福してくれた子孫たちが、むしろ悪霊の主管を受けており、苦痛を受けている姿を見ながら、子孫がどうにかなるのではないかと心配するからです。

  二〇〇二年一月一日

  天宙清平修錬苑から、

  息子、興進がお捧げ申し上げました。

 

 お父様によって、三代王権によって210代の先祖解怨を受けた食口は、

遺伝罪が自分にあると思ってはなりません。

 

3,連帯罪

自身が犯した罪でもなく、また遺伝的な罪でもないが、連帯的に責任を負わなければならない罪

ここでは、例として挙げられているように、キリストの十字架に関係する事柄が連帯罪の本質であると思われます。

 

「祭司長と律法学者がイエスを十字架につけた罪により、ユダヤ人全体がその責任を負って神の罰を受けなければならなかったし、全人類もまた、共同的な責任を負って、イエスが再臨なさるそのときまで、苦難の道を歩まねばならなかった」

 

言い換えると基本的にはユダヤキリスト教的意味合いの連帯罪が代表的なものと思われます。

キリストを罪なき人と擁護した右の泥棒はパラダイスにイエス様と立った。

これが現在のキリスト教保守勢力です。

キリストを非難した左の泥棒の流れは、神の存在を否定する唯物共産主義国家の罪を

その国民が背負う連帯罪です。

キリストの代わりに生かされた殺人を犯した泥棒がバラバ。

その流れを汲むのがイスラムです。

そこでイスラムの国家の罪をその国の国民は連帯して負うことになると思います。

 

さて、我々にとっての連帯罪は?

それは過去に対する罪と言うものより、

現在や未来に対する連帯責任というものに重心が置かれることでしょう。

 

特に、われわれはエバ国家という摂理国家です。

したがって、摂理が進展するのか否かの

連帯責任があります。

 

すなわち過去の出来事の罪を負わせられているという受け身ではなく、

誰に言われるわけでもなく自発的に自ら進んでその責任を負うという主体的なものでしょう。

ここに自由と責任があります。

 

4,自犯罪

統一原理で言う自犯罪とは、誰かの悪口を言ったとか、人に悪いことをしてしまったとかいうようなことを、先ずもって指すのではありません。

アダム家庭で発生した根本的罪をいいます。

これには4つあります。

 

① 神に対する不信罪 ⇒ 神の日

② 淫乱罪 ⇒ 父母の日

③ 強盗罪 ⇒ 万物の日

④ 殺人罪 ⇒ 子女の日

 

ですから、祝福を受ける際の告白文には、

神様を不信して裏切ったことや、アダムエバ問題を起こしたことや、

公金問題や、殺人はないでしょうからこの人が地上にいなければ良いと思ったことがあれば、それも入るでしょう。

実際的には、②と③が中心になります。

アダムエバと公金の取り扱い方です。

 

サタンはわたしたちの4つの罪状を神の前に讒訴して、

この者は私の所有だと主管します。

 

ですが、思い出してください。

お父様は何度も聖酒をくださいました。

最後には、ありとあらゆることを許すとのことでした。

確か三日行事の失敗も含まれていました。

お父様の愛はなんと測り知れないのでしょう。

 

:1)ウヅの地にヨブという名の人があった。そのひととなりは全く、かつ正しく、神を恐れ、悪に遠ざかった。 
:2)彼に男の子七人と女の子三人があり、 
:3)その家畜は羊七千頭、らくだ三千頭、牛五百くびき、雌ろば五百頭で、しもべも非常に多く、この人は東の人々のうちで最も大いなる者であった。
:4)そのむすこたちは、めいめい自分の日に、自分の家でふるまいを設け、その三人の姉妹をも招いて一緒に食い飲みするのを常とした。
:5)そのふるまいの日がひとめぐり終るごとに、ヨブは彼らを呼び寄せて聖別し、朝早く起きて、彼らすべての数にしたがって燔祭をささげた。これはヨブが「わたしのむすこたちは、ことによったら罪を犯し、その心に神をのろったかもしれない」と思ったからである。ヨブはいつも、このように行った。

 ヨブ記 第1章

 

 

何のことを言いたいかといいますと、

われわれは既にお父様によってすべての罪を許され精算していただいているというのです。

どうしてそれを信ぜず、ああまだ遺伝罪がある。

ああまだ連帯罪がある。

そして自犯罪もある。

と嘆く必要があるのでしょうか?

 

父の愛は全き愛です。

中途半端な愛ではありません。

 

われわれ食口は本来御言を受ける価値の無いものでした。

その無価値、負の価値の者に、お父様は先にみ言を存分に与えてくださりました。

本来受けるべき子女様は蚊帳の外にいつもおられました。

 

お父様から預かってきたみ言を子女様に確かにお返ししなければならない時が来ています。劉大行先生はアメリカで子女様に侍ってこれを果たさなければなりません。

 

失われた銀貨が見出されれば、元の銀貨の価値を超える待遇を得るように、

放蕩息子が帰ってくれば、放蕩以前の普通の息子の価値よりも貴重に思う

天の御父の驚くべき愛があります。

 

あなたはお父様に中途半端に許され愛されたと思いますか?

あなたはお父様に完全に許され愛されたと信じますか?

それが問題だというのです。

 

もう少し堕落性本性がありますが、今日はこのくらいにいたしましょう。

 

父よ、御言葉の所有権の返還をなさせ給え!

三代王権に栄光あれ!

 

 


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