聖霊のお話の前に一言。
「夜の神様と昼の神様」は、相対的な観点から二つの意味で語られてきているようです。
一つは、天と地という関係性を創造主の神と真の父母で表した「夜の神様と昼の神様」
ということです。
見えない神様と見える神様としての真の父母です。
ところが、「夜の神様と昼の神様」が「夜と昼の神様」として統一されるはずでしたが、それができませんでした。
成長期間で問題が生じたのです。
神様の創造の目的は、神様ご自身の結婚でした。
この結婚は、体を持っていない神様には、そのままではすることができませんでした。
そこで、体を持った神が必要になります。
実体の神様のことです。
夜の神様に属し、夜の神様の管理を受ける、失敗のない実体の神様。
それが真のアダムであり、真のお父様でした。
そういう意味においては、地上にお父さまはいるのですが、
真のお父様は「夜の神様」であり、
真のお母様は「昼の神様」を代表しています。
このように、二種類の相対関係によって、二つの意味が生じる
と理解するとわかりやすくなるのだと思います。
<夜の神様> <昼の神様>
1,天の無形の神様 地の有形の神様である真の父母
2,夜の神様に属し管理を受け失敗しない真の父 真の父に属し管理を受ける真の母
ところが、2の意味である夜の神と昼の神が戦った、真の父と真の母が戦った
さて、聖霊ですが、
心という言葉には、心の本体と心の作用があるように、
聖霊も、聖霊の本体と聖霊の役事という作用があると考えるとわかりやすいでしょう。
聖霊の本体に当たるのが何かといいますと、神様の女性性相ではないでしょうか?
神の女性性相の役事とは、慰労や感動をもたらしたり、それによって本然の世界では新生をもたらし、堕落世界には重生を堕落人間にもたらしました。
ところで、昔から聖霊とは、勝利された女性のことだとされてきました。
復帰摂理上で、血統転換に重要な使命を果たされてきた女性たちのことでした。
タマルもそうでした。
サラもリベカもラケルもそうでした。
そしてマリアが現れました。
おそらくマリアの胎が汚されたため、
その代わりに立てられたと思われるのが、マグダラのマリアでしょうか?
ただ、イエス様がお父様の血統転換の理解の、どの程度まで解き明かされていたかは知られていません。
さて、ではこのような女性たちが聖霊の正体なのでしょうか?
止むを得ず、その使命の代わりを務めるようになった存在でした。
本来の一人の完成された女性ではなかったので、
そういう意味では実体はないものの
イエス様とともに役事がなされるようになったものだと思います。
すなわち、神様の女性性相の役事が、復帰摂理の女性の勝利圏という条件を用いて、
もたらされる役事が聖霊の役事でしょう。
そこで、復帰摂理上の女性の勝利者が活躍もするのでしょう。
しかし、その聖霊のポジションは空いていたのではないでしょうか?
ところで、父は一人でどうして子女を生むことができるだろうか。堕落した子女を、善の子女として、新たに生み直してくださるためには、真の父と共に、真の母がいなければならない。罪悪の子女たちを新たに生んでくださるために、真の母として来られた方が、まさしく聖霊である。ゆえに、イエスはニコデモに、聖霊によって新たに生まれなければ、神の国に入ることができない(ヨハネ三・5)と言われたのである。
このように、聖霊は真の母として、また後のエバとして来られた方であるので、聖霊を女性神であると啓示を受ける人が多い。すなわち聖霊は女性神であられるので、聖霊を受けなくては、イエスの前に新婦として立つことができない。また、聖霊は慰労と感動の働きをなさるのであり(コリントI一二・3)、エバが犯した罪を蕩減復帰されるので、罪の悔い改めの業をしなければならないのである。さらに、イエスは男性であられるので、天(陽)において、また、聖霊は女性であられるので、地(陰)において、業(役事)をなさるのである。
父母の愛がなくては、新たな命が生まれることはできない。それゆえ、我々がコリントI一二章3節に記録されているみ言のように、聖霊の感動によって、イエスを救い主として信じるようになれば、霊的な真の父であるイエスと、霊的な真の母である聖霊との授受作用によって生ずる霊的な真の父母の愛を受けるようになる。そうすればここで、彼を信じる信徒たちは、その愛によって新たな命が注入され、新しい霊的自我に重生されるのである。これを霊的重生という。ところが、人間は霊肉共に堕落したので、なお、肉的重生を受けることによって、原罪を清算しなければならないのである。イエスは、人間の肉的重生による肉的救いのため、必然的に、再臨されるようになるのである。
ところが、お母様が原理原本に書かれている使命を果たすことに失敗しました。
②対象的位置にある妻は
主体的な夫と一つになって
夫を完成させる
23歳先行しているお父様は、既に個性完成においてご自分の責任分担を全うされ勝利されています。
だが、お父様の責任分担以外に、お父様の完成を左右するものがありました。
それは、上述のごとく、
お母様がお父様の前に、絶対対象格位になり、絶対主体であるお父様と一体化して
お父様を完成させるというものでした。
だが、これに失敗しました。
アダムが失敗した時のことは、原理原本には以下のように説明されています。
アダムとエバが罪を犯したので、本来、アダムとエバに注入してあげた神の根本それ自体であるところ、すなわち『生心』を中心として成長して
神が臨在できるところ、すなわち、『アダムの霊人体』は
悪を犯したその体にいることができないので、神が取り上げられた。原理原本
『アダムの霊人体』は、夜の神様が臨在できるところ、すなわち夜の神様の実体なので、悪を犯したその体に入ることができないので、神が取り上げました。
エバと違って、真の母としての勝利基準を持っていたお母様は、タマルやサラやリベカやラケルのような勝利圏を持っていました。
おそらくこの連綿として受け継がれてきた、聖霊あるいは『真の母の勝利圏』は、夜の神様が真の父を通して、悪を犯したお母様に入ることができないので、神が取り上げました。
取り上げて、どうしたのでしょうか?
ヨナ様に引き継がれました。
どうして引き継ぐことができたのでしょうか?
ヨナ様はお母様が勝利できなかった内容を早くも勝利されたからでした。
<お母様の失敗>
1,お母様はお父様に絶対信仰・絶対愛・絶対服従ができなかった。
2,お母様は王妃から王后に退いて亨進様を王として祝福できなかった。
3,お母様は兄弟たちをまとめて、亨進様を中心に一つにできなかった。
<ヨナ様の勝利>
1,夫に対する絶対信仰・絶対愛・絶対服従ができた。
2,信俊様に対する絶対信仰を宣誓し、敬礼を捧げ、できない時は石打ちの刑を約束。
3,お母様ができなかった亨進様を中心に全ての兄弟を結束させ、敬礼を捧げさせた。
それゆえに、悪を犯す前に、霊人体自体が神の右側におられたが
第二アダム格として送られたその方が、すなわち、独生子イエスであった。
独生子という名詞もここに明らかにされるものである。
罪を犯す前のアダムの霊がイエスの霊に注入されて来られることが根本目的であった。原理原本