原理講論を読む

日常生活の中で 考える糸口を求めて

何故 韓鶴子オモニは「私は神です」と言ってはならず、何故 亨進様は「王」と呼ばれるべきか

お父様はご自分を指して「私は神です」とは言いませんでした。

そのかわり、神様とは区別して、「実体の神様」だと言いました。

はじめのアダムも、二番目のアダムであるイエスも、三番目のアダムもである再臨主も

神様そのものではありませんでした。

お父様は、「私は神です」と言うことや、「キリストは神です」ということを

どのように考えておられたのでしょうか?

 

 エス様が結婚をしていれば、イエス様の息子と娘は、神様の孫と孫娘なるのです。神様の尊属(血族)になるのです。ある人は、エス様を神聖なる神様だと言いますが、それこそ精神障害者です。邪教の中の邪教です。エス様が私たちのような世の人として来られて結婚するというのに、何だというのでしょうか。それに対して、「おお、我々の神聖なる神様が結婚するとは」と言って失望するというのです。なぜ結婚すると神聖ではないのでしょうか。男性も女性も、最も神聖なことは結婚することです。

「イエス様の生涯と愛」P111

 

「お母様は神様です」と言っている徳野会長正気でしょうか?

お母様を神として拝する家庭連合は、正教でしょうか?邪教でしょうか?

お父様の言葉によれば、邪教の中の邪教です。

 

天聖経に触れるばかりか、多くを削除改竄すれば、真の母といえども真の母の位相からはずされてしまうのです。

 

:26)サムエルはサウルに言った、「あなたと一緒に帰りません。あなたが主の言葉を捨てたので、主もあなたを捨てて、イスラエルの王位から退けられたからです」。

サムエル記 上 15章26節

 

真のアダムは、神様そのものではないが、無形の神様に対して、実体の神様です。

真のエバは、神様でも実体の神様でもないが、実体の神様の妻です。

お父様はそのように教えてこられました。

日本家庭連合の会長には、その違いがわからないというのです。

まったく話にならないお方です。

 

三男派の兄弟の中には、亨進様が「王」と呼ばれることに対して違和感を持ったり、憤慨する人がいます。

メシアという言葉には「油を注がれしもの」という意味があることは、食口なら誰でも知っていますが、これは王を表す言葉でもありました。

ユダヤでは王や祭司や預言者などが、油を注がれる儀式をもって、神の主管を受けることになります。

したがって、キリスト教を背景にした西洋の歴史では、法王ばかりか国王も戴冠式には油を注ぐ儀式が行われることもありました。

王の中の王であるキリストの息子は、当然のことながら王子です。

王子とは次期王のことです。

当たり前のことを言わざるをえないもどかしさ。

 

では、お父様はキリストが結婚していて子息がいたとしたらどのようになると言われていたでしょうか?

真のアダムの息子です。

上記の文章の続きを見てみましょう。

 

 もしイエス様が結婚して、息子、娘を生んでいたら法王には誰がなるのでしょうかペテロのような人がならなければならないでしょうか。エス様の直系の息子、娘が、ローマ法王にならなければならないのです。そうなっていれば、自然と世界の王になっていたはずです。

「イエス様の生涯と愛」P111

 

人類始祖アダムとエバの堕落によって、霊肉が分離してしまいました。

また、イエス様が結婚できないままに殺され、地上天国の建設を諦めざるを得なくなり、聖霊とともに霊的王国を築くことになりました。

お父様は、「乞食の群れのような人々を集めたのが十二弟子です。」(P112)と言われました。

本来霊的神の王国の王である法王は、イエス様の息子がなるべきでした。

そして霊的な神の王国だけではなく、地上に神の王国を築き、その息子は世界の王になるべきだというのです。

ですから、亨進様は「王」と呼ばれるべきであり、また、われわれはごく自然にそのようにお呼びしたいと思って当然のことなのです。

 

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われわれは王が旅立たれた後に、王子につながらなければなりません。

お父様は、その王子を亨進様だというのです。

王子は第二代王となられました。

お父様が公認する亨進様をとるか、韓鶴子オモニをとるか、顕進様をとるか。

運命の分かれ道です。

 

 お父様は後継者という言葉を嫌いました。

後継者というのは、たとえば王なら、「先王はこうであったが現王のわたしとしてはこうするのだ」というように先王のやり方とは違った道を行く裁量があるというのが普通です。

代身者・相続者は違います。

お父様の直接主管で生きる者が天一国の王です。

 

:12)そこで人をやって彼をつれてきた。彼は血色のよい、目のきれいな、姿の美しい人であった。主は言われた、「立ってこれに油をそそげ。これがその人である」。

:13)サムエルは油の角をとって、その兄弟たちの中で、彼に油をそそいだ。この日からのち、主の霊は、はげしくダビデの上に臨んだ

サムエル記 上 16章13節

 

 自分というものがあってはないません。

主の霊により、

お父様の直接主管によって行動しなければなりません。

 

「サムエル記」の続きを徳野会長や韓鶴子オモニはどう読むでしょうか?

家臣たちは韓鶴子オモニにどのように助言するべきでしょうか?

 

:14)さて主の霊はサウルを離れ、主から来る悪霊が彼を悩ました。

:15)サウルの家来たちは彼に言った、「ごらんなさい。神から来る悪霊があなたを悩ましているのです。

:16)どうぞ、われわれの主君が、あなたの前に仕えている家来たちに命じて、じょうずに琴をひく者ひとりを捜させてください。神から来る悪霊があなたに臨む時、彼が手で琴をひくならば、あなたは良くなられるでしょう」。

:17)そこでサウルは家来たちに言った、「じょうずに琴をひく者を捜して、わたしのもとに連れてきなさい」。

:18)その時、ひとりの若者がこたえた、「わたしはベツレヘムびとエッサイの子を見ましたが、琴がじょうずで、勇気もあり、いくさびとで、弁舌にひいで、姿の美しい人です。また主が彼と共におられます」。

:19)そこでサウルはエッサイのもとに使者をつかわして言った、「羊を飼っているあなたの子ダビデをわたしのもとによこしなさい」。

:20)エッサイは、ろばにパンを負わせ、皮袋にいれたぶどう酒一袋と、やぎの子とを取って、その子ダビデの手によってサウルに送った。

:21)ダビデはサウルのもとにきて、彼に仕えた。サウルはひじょうにこれを愛して、その武器を執る者とした

:22)またサウルは人をつかわしてエッサイに言った、「ダビデをわたしに仕えさせてください。彼はわたしの心にかないました」。

:23)神から出る悪霊がサウルに臨む時、ダビデは琴をとり、手でそれをひくと、サウルは気が静まり、良くなって、悪霊は彼を離れた

サムエル記 上」16章14節〜24節

 

サウルからダビデに王権が移行するように

オモニがアボジから奪った王権を亨進様にお返しください。

 

 

さて、王ばかりか、王女もそうです。

ヨナ様はこのように祈られました。

 

讃美礼拝『聖霊きたれり』12月7日韓国語礼拝より - シャボン玉のブログ より

聖霊で今日臨んでくだり、アボジ
私たちと共にいてください。アボジ
私たちの事情が、あなたの栄光とあなたの力より
先立つことがないようにしてください。アボジ
そうして、聖霊で生きていく者とならしめてください。アボジ
私たちを生まれ変われるようにならしめてください。アボジ

 

アボジ。私たちは聖霊の実として生まれ変わることを切に望み願います。
あなたの実は、愛に満ち溢れ、真実に満ち溢れ、
アボジ。温柔に満ち溢れています。アボジ
あなたの聖霊の実として結ばれた私たちは、
長く耐え、私たちは愛で、主の愛で、主の恩恵で生まれ変わった者でございます。
アボジ聖霊の実を、私たちの人生に満ち溢れるようにしてください。アボジ

 

聖霊で来られることを私たちの生活の中で感じとれる者とならしめてください。
アボジ。そして、あなたの王宮で、あなたの王宮の担い手となれるよう、
そのような者とならしめてください。アボジ
あなたを讃美します。アボジ
聖霊で来られたことを讃美します。
あなたが私たちを主管してくださり、私たちをあなたが完全に主張してください。
アボジ聖霊きたれり。アボジ

 

エス様は故郷のナザレに帰られ、安息日には聖書を朗読されたが、そのときイザヤの書から選ばれたのがこれでした。

 

:16)それからお育ちになったナザレに行き、安息日にいつものように会堂にはいり、聖書を朗読しようとして立たれた。

:17)すると預言者イザヤの書が手渡されたので、その書を開いて、こう書いてある所を出された、

:18)「主の御霊がわたしに宿っている

貧しい人々に福音を宣べ伝えさせるために、

わたしを聖別してくださったからである

主はわたしをつかわして、

囚人が解放され、

盲人の目が開かれることを告げ知らせ、

打ちひしがれている者に自由を得させ、

:19)主のめぐみの年を告げ知らせるのである」。

 ルカによる福音書 4章

 

すべての食口は、お父様が直接主管するサンクチュアリの亨進様の下に結集しなければなりません。

アージュ

 

 


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