聖霊体験と重生について 4 生きるか死ぬかの境地、40日断食祈祷、血を吐く死の境地を求めて
ドノバンが歌っている、映画「ブラザー・サン シスター・ムーン」の主題歌です。
聖フランチェスコの物語です。
わたしたちはこのような美しい心情に憧れます。
なのにどうして、常に神の心でものみな見ることができず、
神の愛に満ち溢れることができないのでしょうか?
ブラザー・サン、 シスター・ムーン
その姿や声を なかなか受けとることができません
わがままで惨めな思いに支配されているからです
ブラザー・ウインド、 シスター・エア
心の目を開かせてください 見るものに清らかさと美しさを与えるような
そして神の栄光がわたしを包んでいることがわかりますように
わたしは神によって創られた 神のひとかけらです
あなたの愛が わたしの心を目覚めさせていくのを感じます
ブラザー・サン、 シスター・ムーン
今こそあなたの姿とその声に手が届きます
見わたせば あらゆるものが 神の愛に満ちていると
スティグマータが顕れたと言われる聖フランチェスコはどれほど身悶えるような心情で神やキリストを求めたことでしょうか?
わたしたちはこれでもかこれでもかというほど
わがままで惨めな思いに苛まされて来ました
もううんざりするほどでした。
罪の籬(まがき)に囚われている私たちが、キリストのような姿で生き、キリストのような声で語ることができるようになるためには、生半可な道のりではありません。
お父様、われわれの永遠の命はどうしたら我々のものとなることができるのでしょうか?
血統を転換するのはメシヤがするかもしれませんが、転換できるように行動するのは自分自身でなければなりません。このような基準が成されない限り、私たちは救いの道に至ることができません。それは決して容易に成されるものではなく、生きるか死ぬかの境地を通過しなければなりません。40日断食祈祷であるとか、血を吐く死の境地に行ってこそ、血統転換が可能です。(35-160,1970.10.13)
天聖経 祝福家庭 第1章 真の父母と祝福 2)真の父母と重生と血統転換 ➁重生摂理の核心
お父様は聖なる御言葉を与えてくださいました。
「生きるか死ぬかの境地を通過しなければなりません。」
「血を吐く死の境地」
生死を越えて行くというのはいったいどういうことでしょうか?
昔わたしは高校時代の親友にこう言われました。
「イエス様の心は40日断食しなければわからない」
19の時に「おまえは20までは生きられない」というインスピレーションが与えられ、わたしはそれを素直に信じました。
そこで、死ぬ前に親友が言っていたことを実行しようと思いました。
教会の信徒になる前に3日、そして7日の有水の断食をしました。
40日断食の準備でした。
勿論単なるハッタリでやろうとしていたのであって、これ見よがしで信仰とは全く関係のない世界でした。
20歳になる数カ月前に伝道され、40日断食の話をした時に、今では再臨主の勝利圏があり、7日まで短縮されてすむようになったと聞きます。
それで全くやる気が失せてしまいました。
また、ある姉妹からこうも言われました。
「あなたが20までに死ぬというインスピレーションを持ったことは、霊的に今までの自分が死んで新しい自分が生まれるということだったのです」
その時以来、自分は神によって本来死ぬはずであった命を拾われたのだという感覚が強く私の心に残りました。
後に入教生活、つまり学舎に住んで信仰生活をするようになり、いくつもの路程がありました。
どんなに神を愛し、お父様を愛しても、わたしの結果は常に上位ではありましたがトップにはなれませんでした。ベスト10には一度くらいは入ったこともあったかもしれません。
でも、トップとの差は大変なものでした。
わたしには単純な確信がありました。「主を最も愛するものが一番になるのだ」と。
思えば路程は、わたしは死ぬほど大嫌いでしたが、誰が主を一番愛するかという戦いでしたので避けることができませんでした。
自分が投入した心情よりはるかに素晴らしい心情を天に捧げた姉妹の心情が一体どのようなものか、測ろうとしても全くわかりませんでした。
一体このエバをどうしたら超えることができ、またその他の兄弟の心情を超えることができるのだろうか?
それだけが不可解であり切実な課題でした。
ある路程の出発式で井口先輩が目標を達成するために、達成しなければ腹を切るとの覚悟で歩んで勝利した兄弟の証をされました。
わたしにとっては一旦死んだ身であり、神に拾われた身でしたから
勝利できずに腹を切ることは、それほど難しいようには思われませんでした。
そこで、ではいったいどうすれば兄弟の貴重な証を応用できるのだろうと考えました。
それでは自分の命よりも大切なお父様の命をかけてやればいい。
もし勝利できなければお父様が絶対死ぬという条件で歩むことにしました。
おそらく三日目くらいから決意し天に誓いました。
その路程は企画が酷く、路程の武者たちが次々にリタイアしていきました。
みんなひどい実績でした。
その中である水準に達しなければ敗北としました。
勿論、アベルがそんな条件を認めるわけがありません。
神とサタンと自分の中で勝手に約束して歩みました。
そしてわたしは、はじめてトップになることができました。
朴先生がお父様のために戦われた裁判闘争の世界は、メシアが生きるか死ぬかという、実体的な本物の歩みでした。
それに比べれば、わたしの歩みは非公式非公認のハッタリの歩みでしかありません。
だが、神はこの小さき者にも偉大な恵みをもたらしてくださいました。
路程中毎日毎日、一日中泣き続けて歩みました。
「お父様が死んでしまう。お父様が死んでしまう。」と言って
一日中走り続けました。
どれだけ泣いたかしれません。それこそ狂ったように泣き続けました。
決意した途端、わたしの覚悟を試すかのようにサタンが試練してきました。
キャプテンをしていたわたしは、来る日も来る日も帯同することを願われました。
サタンの挑戦に対して、わたしはお父様の主の路程をもって応戦しました。
興南での獄中生活でお父様は囚人たちに貴重な食べ物を与えられました。
メシアとして如何なる劣悪な環境にあっても生きていかなければならない御身であられましたが、囚人たちの最も忌み嫌う過酷で健康を害する仕事を、率先されて引受けられ、神のため人類のため生き残っていかなければならない御身でありながら、わずかにしか与えられなかった食べ物を他の囚人に分け与え、愛することを糧として生き残られました。
その講義の記憶があっという間に脳裏に浮かんできて、即決しました。
お父様の御跡を慕って行くのだ。
同じ事情を通じずしては、心情は復帰できない。
朝から帯同して復帰したものはすべて兄弟に与えて、
午後1時から一人になった歩みで勝利しよう。
死なんとするものは生きるだ。
この兄弟たちは知らない。自分が何をかけて歩んでいるかを・・・。
わたしはお父様が生きるか死ぬかという中で、はじめて血を吐くような心情の世界を垣間見ることが許されました。
それでもなにひとつわたしが本質的に変わったことはありませんでした。
元の木阿弥にあっという間に引きずり込まれていったのでした。
悲しいかな、純度100%の堕落人間に戻ってしまうのです。
さて、昨年ある外国の姉妹からこんなことを言われました。
「10回も40日断食した人なのに、どうして悟れないのでしょうか?」
わたしは「本当ですね」とだけ答えました。
学生時代に井口先輩は私たちにこう言って、兄弟から共感を持たれました。
「何か末っ子の亨進様はヨセフの使命を持って生まれた方ではないか?何かみ旨が大変なことになったときには、最後の切り札になるような方ではないかと。皆さん、わかりましたか?」
誰がわかっていなかったかが今日明らかになりました。
言葉は虚しいものです。いや、神の言葉は預言者であれ霊能者であれ、その人によってもたらされるとしても、その受肉するものが預言者や霊能者や発言者であるとは限らず、むしろそれ以外の人に受肉され得ることがしばしば見受けられます。
人は言葉を言う者に関心を注ぎ、その言葉を受肉することには、それ以上の関心を注ごうとはしません。
では、40日断食とは何でしょうか?
人がもし40日断食を10回しようと、100日断食しようと神の心情を復帰しなければ何もなりません。百害あって一利なしです。
血統転換、心情転換こそ全てです。
「生きるか死ぬかの境地を通過しなければなりません。40日断食祈祷であるとか、血を吐く死の境地に行ってこそ、血統転換が可能です。」
わたしが40日断食をした時には、テレビで高野山のお坊さんが11日通しの昼夜断食読経
をされたことがニュースで紹介され、フラフラになって二人のお坊さんに支えられて、お堂から出て来たのを見ました。
わたしは彼を見てたいへん気の毒に思いました。
わたしは神の恵みに与ってほとんど苦しみから解き放たれていたからです。
断食は決断してすぐ教会長に報告し、30分後にはもう始めていたと思います。
20日間は全く断食の苦労はなく、ほぼ普通の状態でした。
3日断食や7日断食よりずっと楽で、1日断食、いや1食抜きより楽だったように思います。
条件でない一食抜きと、条件として立てた一食断食は体の調子が全然違いますが、その一食抜きのほうが辛かったほどでした。
「なんだこんなものか」
と思っていたら、
21日目からは一変しました。
天国から地獄でした。
40日断食では水さえも体には異物として認識され、胃液と共に吐き出してしまいます。
有水も無水も変わりないかもしれません。
胃液はうっすらと血が滲んでいます。
胃液で胃の壁がただれてきといるのでしょうか?
わたしの場合は激痛が走り続けました。
痛みにはわたしは大変強い方です。普通の人では耐えられないことも耐えられたりします。だが、この痛みは全く経験したことのない痛みでした。
痛みは通常傷んでいるところに感じるものです。
当たり前のことです。
だが、この痛みは胃が傷んでいるはずなのに、頭の中で強烈に痛みました。
ですが、頭痛とは全く違います。
何と言って表現したらいいのでしょうか?
胃の痛みが胃ではなく、頭のなかで神経が痛むように強烈に痛みました。
全身を力いっぱい力を込めても耐えられないような痛みでした。
そういうときには、拷問を受けた殉教者を思って彼らとともになって口に出して
こんなふうに何度も言ったりしました。
「わたしは神を信じる。わたしは神を愛する」
お父様は最悪の時に、常に神を慰められました。
40日が終わって、教会に挨拶に行くと、兄弟たちの私に対する態度は一変しました。
こんなことで兄弟は態度が変わるものなのかと残念に思いました。
彼らから何か恵みがありましたかと聞かれたりしました。
わたしは心の整理がついていませんでしたのでうまく話すことができませんでした。
断食を決めたので仕事を辞め、家族は路頭に迷っていました。
断食の最中には、とりあえず断食明けしたらすぐに土方の仕事をすることを決めて予約しました。
初日が断食明け7日後でした。そこで体力をつけるため断食明けの2食目からは通常の食事をバクバク食べるようにしました。
ミイラのように痩せた体ではそれ以外の選択肢はないように思われました。
一度だけ下痢をしてあとは何の支障もなく食べることができました。
家族に犠牲を強いたので、早く働かなければなりませんでした。
貧乏のどん底で何の不平も言わず、相対者は支えてくれました。
直前に頭を下げられて頼まれやって来た教会から、いきなり辞めさせられ、最後の月は給料がいただけませんでした。
子どもの学費が払えなくなるので3度頼みましたが教会長に拒まれました。
わたしは静かに引き下がりましたが、
カープで活動する息子に
「大学を辞める覚悟をしなさい」
と二度言いました。
子女様が兄弟たちによってさんざん迫害されてきたのだから、
自分たちも同じ道を行かなければならないと自分に言い聞かせました。
だが、神がカープを通して助けてくださりました。
40日すると、自分の体の一番悪いところに影響がでるようです。
たとえばわたしの場合は目に現れました。
立つことができません。
子供の頃した畳の上でスケートの選手がスピンしてくるくる回るようにして、目が回ってひっくり返って笑いこけたように、回りもしないのに見えるものが回って見えて立っていることができませんでした。
もしかしたら一生こうなるかもしれないと覚悟しました。
わたしはいったい何を知ることができたのでしょう?
若いころの望みは40日断食してイエス様の心情を知ることでした。
だが、実際にやり終えてわたしが知ったことは全く違っていたのです。
ちっとも、これっぽっちも神の心情を復帰することはできませんでした。
完全に打ちのめされ、わたしにははっきりわかったのです。
40日断食を10回しようが、100日断食をしようが、我々の断食はキリストや再臨主のそれとは比べることが全くできないのだと。
だから重生し、生まれ変わらなければならないのです。
「イエス様やお父様の40日断食とわたしのとでは天地の差がある。それどころか、イエス様やお父様がなさる1日断食、いや1食断食にさえ遥かに及ばない。これは喩えなんかじゃない。本当のことなんだ。天に捧げられた心情があまりにも違うのだ。神様、わたしは体験してそのことがはっきりわかりました。だが、神様。これだけはわかりました。確かに、確かにあなたが抱かれる心情世界があることを。その世界は我々を待ち続けていて、イエス様もお父様も我に続けと遥か彼方から、手招きされておられることを。我々が父と子であるからです。わたしは行きます。必ずあなた方のもとに。なぜなら、すべてを失っても、ただあなた方の苦労だけは実りなく消えさせないために。」
皆様に神の祝福と加護と導きがあり、
父の聖霊の役事によっ新しく永遠の命が与えられますことを!
深く深くお祈り申し上げます!
アージュ!
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