理屈の行き着くところがどうであれ 真の父母を愛する兄弟の心情は伝わってくる 例えばサンクチュアリの目指すものとは何か?
サンクチュアリに対する公式見解が出たようである。
私は20分ほどの動画だけ見たが、太田氏が元気がなかった。
かっての分派に対する批判の動画とは違っていた。
正統か異端かの論争はどの宗教でも排他的な性質である。
何々道の家元なんかもそうである。
多くの方は、どちらが正しく、どちらが間違っているかに心が惹かれたことだろう。
だが この動画を見ていて私の心に湧き上がってきたものは違っていた。
お互いの主張が正反対ではあっても、その人が父母を愛する心情によって語っているならば、伝わってくるものがある。
太田氏や彼を支えるスタッフのように父母様を愛し、多くの御言葉に接し、天の伝統を守ろうと精誠を尽くされてきた人たちこそ、本来はアメリカにおられる亨進様の御側でお仕えすべき方たちだろう。
主が最も苦労されている時に召命されるべき方たちである。
理屈の行き着くところがどうであれ、私たちは真の父母様を愛する兄弟姉妹であることを太田氏の動画は感じさせてくれる。
兄弟とは実にいいものである。
真のお父様に出会わなかったら、父母に孝行をする多くの美しい兄弟達に出会うことはなかったことであろう。
本当にお父様に感謝したい。
私たちは理屈の世界を超えた、真の父母様を愛する世界に共に生きている。
かって神を否定する共産主義者と理論闘争した時とは論争の性格が違っている。
ひとつの家庭の中で起こった一時的な兄弟げんかのようなものである。
この一時が過ぎ去れば、さらに強く結ばれる時が来ることだろう。
なにしろ我々の永遠の父と母は変わることがないのであるから・・・
さて、亨進様はひとつの価値観を提示された。
今のところ判っているのは、自由社会という自由と責任と実績を調和させた社会を、天一国主人として、祝福の中心家庭として築いていくということである。
家庭連合:歪んだアベルカイン観で堕落する指導者組織を造り、罪が蔓延していくことを放置し、その結果神に奉仕する信徒を奴隷化する奴隷制度を完成させてしまった。これを改革しようとしても「反韓」「反アベル」として認定され、自浄作用が働かない組織ができあがってしまった。御法度問題なので触れてはいけないのである。
どんな組織にも問題は起こってくるものである。
問題以上に問題なのは、これを見て見ぬふりをし、くさいものに蓋を閉めるような組織文化である。こうなったら息が詰まってしまう。
お父様によって、天一国主人としての信徒、祝福の中心家庭としての家庭教会が
現在ほど願われている時はないことであろう。
<信徒の特徴>
I 家庭連合 I サンクチュアリ教会
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挌位 I 対象性 I 主体性
責任 I カイン重視 I アベル重視
自由 I アベル主管内 I 自分が主人として中心として
実績 I アベルの指示による I 自らの指示による
信仰 I 依存的(他律的) I 自発的 (自立的)
< 組織の特徴 >
I 家庭連合 I サンクチュアリ教会
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権力 I 中央集権 I 地方分権
組織形態 I ピラミッド I ネットワーク
外的なアベルカイン観が数十年間続いてきた。
内的には誰もがアベルであるというアベル意識、主人意識が育たなくなってしまった。
原研(CARP)の学舎ではアベルカインの人間関係の他に、兄弟姉妹の人間関係があり、信仰について語り合ったり、アドバイスし合ったりできた。
献身して一般教会に所属し 、後輩の勤労青年に信仰について話していたら、後で支部長に何で主管するのかと注意され驚いた。横の繋がりがない軍隊のような組織に思えた。
今日でも、例えばAサンという婦人がアベルでBサンという婦人がカインであったとする。Bさんの事情を知っているCさんが色々聞いてあげて励ましていたとする。
普通の社会では感謝されるところだが、やはり何で私の主管している人を勝手に主管するのですかとなる。
そういう中央集権ピラミッド構造の融通が利かない組織になってしまっている。
勿論、個人の永遠の命に関わることであれば、Bさんとの話をAさんに報告し引き継ぐことは大切であろう。
しかし、何でもかんでもできないようでは困る。
上の図に整理したようなことは、絵に描いた餅である。
これを実際行動におとし込めなければ機能しない。
機能させる為の「キーワード」のひとつは
「縦的関係から横的関係に」である。
アベルカインの関係から、目的中心の信徒間の交流重視である。
亨進様は特定の教会に所属していることに価値を置いていない。
信徒は好きな教会に所属することも、移動することもできる。
日本的な入会退会手続きもいらない。
もう一つの「キーワード」は
「目的中心の小グループ活動」である。
小グループ活動を「教育」に限定して説明すると、
具体的には、祝福家庭といったって、それぞれ成長過程が違う。
つまり子供の年齢が違う。
親は子供と友に成長する。
すると、小グループとしては
幼児を持つ家庭。
小学生を持つ家庭。
中学生・高校生を持つ家庭
祝福候補年齢の大学生を持つ家庭
勤労青年の子女を持つ家庭
というように様々であり、それぞれ課題や悩み目標などを異にしている。
従来型では教会のピラミッド内で教育部長を立てて教育したりするので、特徴の異なるグループにきめ細かな配慮をすることが難しい。
世の中でも幼時を育てるお母さんたちのグループ活動がある。
信仰を中心にしたそのようなことである。
また、東京なら東京が主催する修練会に出す。千葉の修練所でもよい。
或いは「全国学生何とか修練会」「トップガン」として行われ参加するという形態になる。受け身である。
これに対して、同じくらいの年齢層の子供たちを持つ家庭が、所属教会を超えて横断的に話しあい励まし合い解決し合い証しし合う場をサイバー上につくって交流するのである。
そこで蓄積されたノウハウは世の中の人に対しても有効なことがあるだろう。
彼らに与えることができるものを育てようではないか。
携帯電話料金は固定化され安くなった。またインターネットの技術の発展と、その恩恵を受けた環境に我々はあり、実現可能になっている。
時は今である。
組織図は逆さまにして
「逆さまのピラミッド」を見ながら
一番下に来た教会長はそれぞれの兄弟が目的を果たせるように支援することが、仕事の比重に占める割合として増えるであろう。
彼らの自発的な活動に示唆を与えたり、どうしたら機能することができるか協助することができるであろう。
教会信徒の目的に奉仕する教会である。
教会信徒一人一人が「私を中心に三大祝福を実現する」歩みをすることに、奉仕し仕え支援を惜しまない教会の姿である。
サンクチュアリ教会はまだまだ人数が少ないが、次第に増えてきている。
小グループ活動をどのように展開するか、今から準備しなければならないだろう。