原理講論を読む

日常生活の中で 考える糸口を求めて

アベル・カインは子女レベルの話 王冠の摂理はずっと進んでいます

鉄の杖に皆意識がいっていますが、もう一つ王冠の摂理もセットで捉えたほうがいいと私は思ってきました。

 

神様は最高のものを与えたいとお考えです。

長子がどちらか、という話のレベルではありません。

現在の摂理はずっと進んでいます。

個人においてはメシアを迎えるのは祝福を受けるということでした。

われわれは祝福家庭です。未成年でも個人でもありません。

夫婦の基準➡父母の基準 と上がっていって最終的に神の位置に上がります。

王冠伝授でした。

亨進様から始まり祝福家庭にも・・・・

 

僕の僕➡僕➡養子(長子権)➡庶子➡実子(結婚権)➡妻➡夫(父母権)➡神(王権)

                        三年路程 家庭生活 王冠伝授

                                  鉄の杖

 

実子のところでは、婚約と結婚の権利が奪われました。

婚約では 兄と妹ですが、結婚では夫と妻でした。

まとめて結婚権としておきます。

 

親と子に何の隠し事があろうか?

親と子に何の隠し財産があろうか?

万王の王である無形の神様。その実体の神様である真の父母。

万王の王の真の父母から嗣業として与えられたのが王と王妃の位相。

その証拠が王冠伝授です。

 

メシアを迎えられなかったのではなく、

すでに迎えているのが我々の立場です。

迎えられないのは個人ではなく例えば国家でした。

祝福家庭のアベルは今も昔も子女様です。

 

サンクチュアリには過去思考の方が時折出てきます。

カトリックの腐敗堕落を経てプロテスタントが現れ、プロテスタントが再臨主を迎えるどころか迫害したので、統一教会ができました。

かってのユダヤ教の基盤を相続できなかったイエス教団のように。

ところが、新教どころか旧教が居心地がいいらしく、

大友宗麟に導かれてどうたらと・・・

 

主客が逆転しています。

二代王は基本的には新教との一体化を求めて活動されています。

勿論アベル的な旧教徒もいるでしょうが・・・

 

現在の摂理を置き去りにして、自己中心の摂理を進めるのはどうなのかと。

王とは何でしょうか?

8段階です。

驚くべき恩赦であり、恩恵です。

 

いわゆるアベルカインは未祝福者のはなしであり、

祝福家庭においては責任分担、すなわち仕事上の話です。 

とりあえず、徒然なるままに書きなぐりました。

 

 

 

 


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