原理講論を読む

日常生活の中で 考える糸口を求めて

主の路程を慕い求めて            真のお父様が幼少時代に学ばれた同蒙先習に学ぶ 

書堂において明心宝鑑以前に、学童が学ぶ箴言集のようなものに、「同蒙先習」がある。「ホジュンが学び、お父様も学んだ内容である。

李朝13代の国王である明宋(1534~67)の時代に、儒学者の朴世茂が纏めた。

書堂で1000の漢字が重複しないように作られた千字文という、王 羲之の書から抜き取った美しい文字を手本とするものがある。

これを学んだ後に進むのが「同蒙先習」だという。

その教えの要諦は、人間が禽獣(動物)と違うのは、人間が五倫を守るからだという。

五倫というのは、「父子有親」「君臣有義」「夫婦有別」「長幼有序」「朋友有親」の5つのことで、これらを詳細に説明しているのである。

これらは明心宝鑑と同様に漢文で書かれている。

子供が学ぶものであるから、内容は分かりやすく書かれてはいるが、その精神基準はけっして大人であっても侮ることができないばかりか、唸ってしまうほどである。

私が幼少時に既に、「かっての日本のような玲瓏な精神は失われてしまった」と、大人たちが言っていたことを思い出すが、おそらく明治まではあったということなのであろう。やはり四書五経をはじめとして聖賢・先哲の教えを学んだ時代であったし、それを信じた時代であった。

現代の人間が如何に物知りになったとしても、到底太刀打ちできない、凛とした立ち振る舞い、気骨と気迫があった。

韓国においても日本においても、そのような精神土壌から、禽獣にはない人間としての威厳を培ってきたのであろう。

残念ながら私は漢文に素養がないので読み下し文を提示できない。

従って格調の高さを味わうことは諦め、原文を取り上げず、朴世茂の著述した「同蒙先習」を李大淳・望月幹夫が訳した以下の書物によって、分かりやすく口語訳したものの一部をご紹介したい。

 

童蒙先習―啓蒙篇・童蒙須知

童蒙先習―啓蒙篇・童蒙須知

 

 

「君臣有義」(王と臣下の道理は信義にある)

 

 王と臣下;家来は天と地の関係にある。王は高く貴く、臣下は低く賤しい。だから、高く貴い王が低く賤しい臣下を従えることと、低く賤しい臣下が高く貴い王にお仕え申し上げることことは、天地自然の不変の法則であり、今も昔も共通の約束ごとである。そういう意味で、王は天のお導きに従って命令を下す者であり、臣下は王の大事業をたすけ、王に善を勧めて、邪心の心が芽ばえるのを防ぐ者である。王と臣下が出会ったら、それぞれひたすら進むべき道を究めるために協力しあい、理想の政治にたどり着くようにせねばならない。本当に王としての道理をつらぬくことができず、臣下としての職務をやり通せないなら、ともに天下国家を治めることはできない。「我われの王は仕事がよくできない」と言う者は盗賊である。かっての商の国の紂王は暴君で知られ、比干がこれを諫めて死んだが、これこそまさに忠臣の義務を果たした例といえよう。孔子は「臣下は心から仕えるべきだ」と言っている。

 

殷の紂王は横暴で、民からは高い税を徴収し贅沢な暮らしをした。妖女妲己(だっき)を溺愛して国政を疎かにし、民心は次第に去っていった。臣下の比干がこれを諫めて切実に訴えたが、かえって紂王は怒ったという。

「聞くところによると、聖人の心臓には7つの穴があるというではないか」

干比は殺され心臓はえぐられた。だが、孔子は彼の心を知っていた

「比干は忠臣のなすべき義務を最後まで果たした」と。

 

「夫婦有別」

 

 夫婦はふたつの姓の結合であるから、民を生む始めであり、あらゆる幸福の根源である。仲人を通じて結婚を話しあい、幣帛(へいはく 礼物、プレゼント)を贈り、親しく迎える。これらはすべて、その分別を徹底し、おたがいに距離をおくためのものである。したがって、妻を迎えるなら、同姓の者を迎えてはならない。家を建てるに当たっては、「内」である母屋と「外」である外棟 の区別をきちんとしなければならない。そして夫は「外」にあって「内」のことを語らず、妻は「内」にあって「外」のことを語ってはならない。まことに、夫は厳かな態度で妻の上に臨み、天が授ける健全な道理に従わなければならない。妻はすなおな態度で立ち振る舞いを正しくし、地の従順な倫理に従うべきである。こうしてこそ、家運は正しくなり、その家は発展するというものである。これに反して、夫が妻に対してリーダーシップを発揮できず、正しい筋道で引っ張っていくことができないなら、妻は夫の失敗をずるがしこく利用するだろう。そうして、夫を立てることをないがしろにし、「三従の道」を犯す、こうなると家の運命は歪んでくる。すべからく夫たる者、謙遜にして厳かな立ち振る舞いをすべきであり、妻を引っ張っていかなければならない。妻の方もやはり一つ一つの動作を慎み深くし、夫を敬わなければならない。内と外が平和で天の道理にすなおに従っていてこそ、一家の両親の心は穏やかで楽しくなるのである。

昔、郤 欠(郤 缺 げきけつ)が田に出て、草取りをするとき、彼の妻は心を込めて昼食の支度をした。この二人は互いに客同士のように対したが、夫婦の関係は当然かくあるべきである。子思は「君子の道理は夫婦より始まる」と言っている。

 

三従の道とは、三従之徳とも三従之礼など色々の言い方があるという。

女性が守るべきとされた3つが

幼時には父親の言葉に従い

嫁入りしては夫に従い

夫の死後は息子に従うことをいう

 

夫婦は客人をもてなすように敬い合うべきであるという。

 

ウィキペディアの郤 缺のところには以下の説明がある。

郤缺 - Wikipedia

父の郤芮は晋恵公に仕えて重きをなしたが、文公に叛いたために討たれ、郤缺も野に下り、農事に携わった。

ある時胥臣が文公の使いで冀の郊外に宿泊した時、男が草取りをし、妻が弁当を届けたが、互いに賓客をもてなすように敬い合っているのを見た。 胥臣が不思議に思って近寄ってみるとこれが郤缺であった。 胥臣は郤缺を連れて帰り、文公に推挙したが、文公は嫌な顔をした。 文公が「何によって彼が賢人だと分かるのか」と聞くと、胥臣は「私は彼が敬を忘れていない事を見ました。敬とは徳の慎み深さです。徳を慎んで事を行えば成らぬ事はありません」と答えた。 また文公は、「その者の父(郤芮)は私を殺そうとした罪がある。それでも用いよと申すか」と言った。すると胥臣は、「を殺しましたが、その子のを用いました。管敬仲桓公を殺そうとしましたが、桓公はこれを用いて覇業を成し遂げました」と言ったので、文公は遂に郤缺に会って下軍大夫とした。

文公が死に、襄公の代になると、郤缺はを討って功を立て、父の郤芮の封地であった冀を賜ったが、用心されたために兵は与えられなかった。

 

韓国の時代劇には、時折大変利発で凛々しい子供が現れる。

その堂々とした発言に驚かされる。

日本人も韓国人も祖先の貴重な嗣業をどこかに忘れてきてしまったのであろうか?

そのような財産を一世が探し求め掘り起こして

二世にしっかりと引き継ぎたいものである。

 

天地聖く和して静かなり

夫婦聖く和して潤い有り

親子聖く和して 神安らぐ

 

アージュ