原理講論を読む

日常生活の中で 考える糸口を求めて

聖和して約6年、6年でお父様が抹殺されたことに何も気づかない者は塩の柱である 韓鶴子オモニはメシア殺しの反逆者である

その世界は、何主義の世界でしょうか。神主義の世界であると同時に、アダム主義の世界です。その世界に理念があるとすれば、それはアダム主義の理念であり、そこに宇宙観があるとすれば、アダム主義の宇宙観であり、天宙観があるとすれば、アダム主義の天宙観であり、生活観があるとすれば、アダム主義の生活観です。

改訂版 天聖経 P2232

 

 

アダムの位置は、世界人類の過去と現在を代表した位置であり、頂上の位置です。数億万年の人類祖先の頂上です。最初は、この一つしかありませんでした。

改訂版 天聖経 P2239 

 

 

霊界は、真の父母主義とアダム主義が現れることを願い、イスラームの群れや孔子の群れや釈迦の群れも、すべて願っているというのです。

改訂版 天聖経 P2329

 

 

 

人間は6日目に創造され、7日目に神は休息された。

聖和6周年記念日が近づいてきている。

家庭連合の死人達が復活するのも、せいぜいこの期間までで

その後は、よっぽど功労があるか、よっぽど動機に神が認めるものがある者だけ

復帰されるのかもしれない。

 

背信したイスラエルが、イエス様の十字架と復活以降に戻ってきたという話はない。

大きくイスラエルの伝道と異邦人伝道に分かれたが、

結局発展したのは異邦人であった。

 

み言の大将の小山田が、お父様は罪人として生まれたと証言した。

独生女韓鶴子のみ言?は正しいとした。

 

【太陽と月の逆転】やっぱり夫をないがしろにする鶴子夫人(1) | ちゃぬの裏韓国日記 から引用

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■太陽と月の位置が逆転=夫と妻の位置が逆転

2006年1月1日


2015年3月3日


夫より上になりたい妻・・・。
対象ではなく主体になりたい女性。
あいかわらず、二本の柱(ヤキンとボアズ)は健在です。

ポスターの予告どおり、夫と妻の位置を逆転しましたね。

 

フリーメーソンのシンボルではこうなります。
「二本の柱と太陽と月」




「【太陽と月の逆転】やっぱり夫をないがしろにする鶴子夫人(2)」へ続く 

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背景の絵は実に見事な絵だね。

確か韓国では誰もが知る有名な絵だったかね。

さて、堕落した韓氏オモニをフリーメイソンと比較したいと考えるのはある程度理解できるが、この二つの柱の問題は、格位を表現して描かなかったことにある。

火の柱と雲の柱が真の父母の象徴だからだ。

朴雲女とは面白い名前だね。

二本の柱は、主客をはっきりさせる表現にすべきであった。

 

【太陽と月の攻防】夫に呪いをかけ続け、夫の代わりに王になった妻(鶴子夫人)(2) | ちゃぬの裏韓国日記 より引用

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<2006年1月3日 真の神の日慶祝公演>
(太陽(男)と月(女)の位置も正常。紋章も男女の紋章)



男女でセットになっています。

鶴子夫人はそれを自分(女王)の紋章のみを使用するようにしたのです。それも文教祖のまだ生きているときに。
それがこれ。王妃単独(=女王)紋章のついたては10年たった現在も使用。

<2006年6月13日 天正宮博物館開館式>



<2006年6月13日 天正宮博物館奉献式および天宙平和の王戴冠式> 


さて基礎知識はこれくらいにして、これ以降どんなところに使用されてきたか見てみましょう。

下記は「王妃単独紋章」にしたその年(2006年)11月の写真です。
一見、「王と王妃」のセットなので問題ないんじゃ?と思われるかも知れませんが、よーくみて見てください。
王と王妃の位置が逆になっています。

<2006年11月21日 第47回 真の子女の日記念式>



ここまでして夫より上になりたいですかね~。

そして翌年(2007年)1月1日の真の神の日も「王妃単独(=女王)紋章」のついたてを使用。鶴子夫人は神は「女性神」だと思っているんでしょうか?



しかし文教祖も負けていません。このままやられっぱなしになるわけにはいかないので、対抗策として通常ではやらなかった「王と王妃の紋章の旗」を壇上に設置するという作戦に出ます。
(多分、七男(亨進)に命じてやらせたのではないかと考えられます)


(写真は神の日から2日後の写真ですが、神の日も同様)

なんと文教祖の88歳(米寿)の祝賀式でも「王妃単独(=女王)紋章」のついたてが使用され、やはり壇上には文教祖が準備した「王と王妃の紋章の旗」が設置されています。
夫の生誕、それもメシアの生誕の祝いの席にふさわしくない「女メシア」を誇示する「ついたて」を置けるものですかねぇ。
これがただの夫婦喧嘩のレベルではなく、夫と妻に分かれて派閥・利権争いをしているのですから「真の父母」があきれます。
そんな夫婦に命がけで全財産を献金した信者があわれです。

<2007年2月23日(陰暦1月6日) 真の父母様生誕、真のお父様米寿記念式>


その後の「万物の日(6月13日)」も「七・一節(7月1日)」もついたて(女王)と旗(王と王妃)の対決が続きます。



それに腹を立てたのか、堪忍袋の緒が切れたのか、文教祖は清平の訓読会をする部屋に「王と王妃の紋章」を飾るようにします。
文教祖からすれば「いい加減にしろよ」という意味を込めて飾ったのだと思います。

<2007年10月2日 清平での訓読会>



しかし抵抗もむなしく、それもすぐに他の絵にかけかえられてしまいますが。

 

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人間が堕落することで無原理圏内に落ちました。どの程度落ちたのでしょうか。神様の僕である天使にも劣る世界に落ちました。主人となるべき、王子王女が僕にも劣る位置に落ちたのですから、再び上がらなければならないのです。それゆえ僕の僕の道理から始めて、僕の道理、養子、庶子、こうして直系子女まで、次に母を通じてアダム(父)の位置に戻らなければならないのです。復帰です。救いの摂理とは病気になる前の健康だった基準に再び戻すのと同じです。病んでいなかった位置に戻らなければならないのです。それゆえ救いの摂理は復帰摂理です。復帰摂理はむやみにするものではありません。とにかく「信じれば救われる」そのようにはなっていません。

天聖経 

第三章 復帰摂理歴史と神観の変化
一 旧約時代、神様は天使であった
一) 旧約時代は僕の時代であった

 

 塩の柱になった妻を懐かしみ、

み言葉の審判を受けた家庭連合を懐かしめば、

困難な道が前途に広がる。

お父様は塩の柱になった妻を振り返らなかった。

もし、お父様が振り返り懐かしみ未練を持ったら

我々の永遠の命もあっという間にサタンに爆破されていたことだろう。

 

大阪で共に歩んだ姉妹は語った。

「お父様でも祈ることができなかった事があったと言うが、

私にはわかります。

それは相対者を失った時です。

私も同じ事情を行きました。

だからはっきりわかるのです。」

 

誰かが代表して我々が真の母を守れなかった蕩減を復帰しなけtればならない。

お父様が新たに出発された道を同様に栄光に満ちて行かなければならない。

そのような夫婦と家庭に幸あれ!

 


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