4月12日 なぜペンテコステはおこらないのか?
と題されてなされた説教の要約文の紹介が以下にある。
文亨進ファンクラブ: 4月12日 文亨進 なぜペンテコステがおこらないのか
そこから一部を引用させて頂く
3年前のお母様との会話:
お母様:私は何者だと思いますか?
亨進様:あなたはキリストの花嫁。勝利した真の母です。この地球上で最も価値あるお方。勝利された真の母です。
お母様:違います。わたしはハナニム(神様)です。
亨進様:(唖然として)あなたは神様ではありません。自分を高めるものはいつか低くされます。罰を受けます。お母様、あなたの破滅を手助けすることなどできません。愛するゆえに、お母様を止めて見せます。しかし神様はしばらく私に沈黙を守るよう言われました。事態の深刻さを把握できる者は誰もいなかったからです。それに当時は証拠もありません。今それが公になっても人は私のことをペンシルベニアのクレイジーな坊主といっています。
この主張には違和感がある信徒は多いのではないかと思われる。
実は、時折亨進様の語られる表現の微妙なところに引っかかりを覚えることがあった。
直接主管圏に立つには、「私はハナニムです」という意識が不可欠である。
意識だけではなく勝利した実績も伴なっていなければならない。
私が神だという場合、問題になるのは堕落人間が堕落性を持って宣言する時である。
私的傲慢から「私は神です」という場合があり、
公的本性から「私は神です」という場合がある。
そこで、この状況の説明だけでは判断がつかない。
お母様の意図を確認できないからである。
何か二者間に理解の問題が生じた際は一方の主張だけでは不十分であるどころか有害であることも多い。必ず当事者の双方からできれば、判断する第三者が当事者二人が揃った場所で、それぞれの立場で見えたことの説明をさせることは重要である。
この場合もお母様の御意見を聞く必要があるだろう。
祝福以前と以後においては、創造本然の世界や創造本然の人間として考えたり感じたりする、心情が随分違ってくるように思う。
恵沢からずっと容易になっていくようである。
亨進様は誰もが認めることであろうが、大変謙虚な性格の方である。
その謙虚さが自身だけではなく、御自身の兄弟やお母様に対しても、信徒の前に公然と表出される時があるようである。
大変恐縮であるが、今回のお言葉はこれだけでは主張するには不十分であり、独生女と結びつけてお考えになることも不可能であろう。
「自分を高める」必要はないのである。無心であり、無私であり、神様の臨在と共に歩むのであるから、一心である。
お父様はそのようなお方であったことを思い出せば、この言葉だけではお母様の意図や動機を窺い知ることはできないだろう。
この御言葉で最近ずっと感じてきたことが思い起こされてきた。
それは、我が国の4人の特別巡回師クラスの方が、早急に亨進様の元に行かれて侍ることである。劉教会長がお父様と激論したように、神と御旨のために意見を交換できる存在が必要である。
子女様やお母様をさておいて多くの教育をお父様から無償で頂いてきてしまった切なさがある。どうかどなたか神の御心をもって立ち上がって頂きたい。
実は、亨進様が頭を丸坊主にされて信徒から不思議がられ、場合によっては疎まれていた時期に、私は「亨進様が御旨のために一大決心をされた」と神様によって悟らされた。
やっと韓国で数十メートル先の亨進様を認める機会を持ち、近づいて三拝敬礼を御前でしようと思った。
ところが隣には顕進様がおられた。
勿論、顕進様にもいつでもそのようにする心情が私にはある。
しかし、二人にではなく、亨進様お一人にしたかったのである。
それは以下のことを伝えたかったからである。
拙い英語の単語を思い浮かべながら出てきたのが
「God bless you! Lord,please be strong and be brave!」
隣のお兄様を気にして言い出さなかったのであるが
その後亨進様が証で大変苦しまれてきたことを知ってしまったと思った。
失敗多き人生である。
敬愛してやまない亨進様を十分にお支えできる日本人信徒が御側には必要であると切実に考えるのは私だけではないことだろう。