原理講論を読む

日常生活の中で 考える糸口を求めて

統一原理から見た 西田幾多郎と鈴木大拙 1        竹村牧男著 <宗教>の核心 西田幾多郎と鈴木大拙に学ぶ を参考にして

 

 NHKの番組で西田幾多郎が紹介されていた。

 

昔からの哲学は、

未だ最も深い最も広い

立場に立っていない

それを掴みたい

そういう立場から

物を見 物を考えたい

それが私の目的なのです。

 

西田幾多郎

 

青山学院大学で生物学が専門の福島伸一教授によれば

西田が目指したものは、それまでの主観と客観の対立から出発する西洋哲学を乗り越えることだったという。

 

例えば私がリンゴを見る場合、伝統的な西洋哲学では、私がこの世界の外からリンゴを客観的に観察しているように考える。

私つまり主観と、リンゴつまり客観を分けて考える。主客二元論である。

二元論は対象と主体を分けて考えるため、どうしても人間中心になり、全てが人間のためにあるというドグマに陥りやすい。

こうした認識で物事を捉えるのでは不十分だと西田は考えた。

そして、主観と客観が分かれる一歩手前から出発したという。

 

それが純粋経験だという。

 

純粋経験と聞くと、理入と行入を思い浮かべた。

理入というのは知識を求めたり頭で理解すると言った方法で修行することである。一方、行入は理屈は後回しにして体で覚える。実際行動や実際の体験を重んじる方法である。

 

説明を読む前に、純粋経験というのは禅のことかなと当たりを付けてみる。純粋経験というのは詰まるところ心を静めて思考を停止したときに対象を認識するということであろうと予想する。

 

しかし何故思索する哲学なのだ。

理解不能だ。

禅というのは

座禅を組んでただ座る。

何も考えずただ座る。

無に帰するということである。

 

すると番組で福岡先生が明治38(1905年)の西田の日記を代読する。

 

禅は音楽なり

禅は美術なり

禅は運動なり

 

之の外

心の慰藉(いしゃ)を求むべきなし

 慰藉とはなぐさめやいたわることである。

西田は20代前半から10年あまり、禅の師匠について禅を徹底的に学んだとのことである。

 

例えば明治34年(1901年)の日記には

 

午前 座禅

午後 座禅

夜 座禅 12時半頃まで

とある。

 

西田は好んで円を描いたという。筆で描かれた円は禅では円相図と呼ばれている。

 

福岡先生は実際に円相図を筆で書いてみて之を眺める中でこう思ったという。

 

「円からわたしはひとつのことに気づかされた。円というのは中に空、無を持っているわけです。中心点を持つ思想とは違って、真ん中を空虚にする。そういうものとして自分の思想を出発しよう。それが西田の考え方だったんじゃないかなと思うんですね。」

 

なかなか含蓄のある見解である。

中心点と空か。

 

わたしは円相図についてはその意味を知らないが、文鮮明 恵師の統一原理を学んできた立場から以下ように感じた。

 

円の中は空っぽである。空っぽの中には全てがある。空っぽの中には無限がある。

 

つまりこうである。

何故瞑想をするのか。

何故、只管打坐(しかんたざ)。ただひたすら座禅をするのか?

それは自己を否定する。

さらに自己が住む有形実体世界(物質現象世界)を否定する。

すると自己は絶対対象に立つ。

では何に対する絶対対象として立つのか?

勿論、無形実体世界(霊的本質世界)を主体としての絶対対象となる。

すると物質現象ばかり意識していた時、自己の内には空っぽであった霊的本質が、無形実体世界  から、一挙に堰を切ったように無限になだれ込んでくる。これが円相図の真意であろう。

 

 では、話を戻して、主客分離対立する認識などの西洋哲学から主客円融統一する認識などの新しい哲学樹立を目指したということであったのだろう。

 

そこで疑問であるが、

西田が鈴木大拙のように禅を紹介し、そこに導くという立場であればいいが、思索し哲学するという比較分析智の世界でどのように円相図の世界を手に入れようというのであろうか?

それは悟りであるのか?

それとも迷いであるのか?

何故か何度もなかなか読み進めることができないでいる時に

幼子のようにして全ての既成概念も抜き去ってこの書を眺めるに、

苦しい、苦しいと呻き、のたうち回っている西田のイメージがふと浮かんできた。

この書は何かを認識して悟ったという哲学書ではなく、むしろ、分からない分からない苦しい苦しいと呻き叫ぶ「迷いの告白」なのかも知れない。

そう当初思ったのである。

 

竹村牧男の「<宗教>の核心 西田幾多郎鈴木大拙に学ぶ」という本にその後導かれて出会った。

 

そこには寸心(西田)と大拙が無二の親友であり、お互い良き影響や刺激を受けていたことが書かれている。

私が注目したのは二人の見性についての記述である。

二人とも徹底して座禅に打ち込んだのではあるが、大拙はアメリカに渡る直前に、もう時間がない、後がないと懸命に座ったようである。

明治29年、臘八摂心(ろうはつせっしん)の時に見性を得たとのことである。臘八摂心というのは臘月つまり12月の8日を祈念して行われる摂心、修行のことだそうである。12月8日は仏陀が悟りを開いた日なので、この期間の修行にはいっそうの熱が入っているということであろう。

竹村牧男先生はこの間の事情を秋月龍珉著作集6「人類の教師・鈴木大拙三一書房、1978年、132~33頁の文章にて大拙の回想を紹介している。

 

ここで何年来の胸のつかえがおりた、という感もなかったというわけではないが、一方またこれでまったくいいということでもなかった。この時はまあ無我夢中のようなものだ。西田も書いていたな。<無字を許される、されども余甚だ悦ばず>というのだったかな。その人の性格にもよるが、わしもこのとき喜ぶということも特別なかったようだ。

 

 さらに悟後徹底して修行した大拙がアメリカでそれを深めることになる。それが同著の140頁にあるという。

 

アメリカへ行ってラサールで何かを考えていた時に、<ひじ、外に曲がらず>という一句を見て、ふと何か分かったような気がした。うん。これで分かるわい。なるほど、至極あたりまえのことなんだな。なんの造作もないことなんだ、そうだ、肘は曲がらんでもよいわけだ、不自由<必然>が自由なんだと悟った。

 これを竹村先生はこう解説している。

もっともこういうものを読んでも凡人にはなかなか分かりませんが、不自由がそのまま自由だ、因果の繋縛(けばく)がそのまま解脱だ、生死の苦しみがそのまま涅槃だという、そのような「ひじ、外に曲がらず」、そこに救いがある。そういうことで、大拙はさらに自分の悟りが徹底した、ということを自ら語っているのです。

この解説ではまだまだわかりにくいものがある。

 

「不自由がそのまま自由だ」というのは秩序と自由のことを指していることが、統一原理を知る我々にはすぐ了解できる。

如何に統一原理を解き明かしてくださった真の父母

文鮮明 恵師が偉大であるかが知れるところである。

 

秩序は自由であり、自由は秩序である。秩序の中に自由があり、自由の中に秩序がある。神の世界や仏の世界から見るとそれは一つであって、二つの相容れない別々のものではない。そこで迷ってはいけない。そう大拙は言っているのである。

 

自由と秩序に境界はない。無境界であると。

 

ここでは、大拙が言っているこの言葉が重要である。

「なるほど、至極あたりまえのことなんだな。なんの造作もないことなんだ、そうだ、肘は曲がらんでもよいわけだ、」

 

至極あたりまえのこと、なんの造作もないこと、というこの感覚のことである。これを実感できるか否かである。

仏教は地上から天に向かって上昇思考するイメージだが、統一原理は、天から、神から下降思考する感じである。

これを統一思想では「神の原相から物事を考えよ」と説いているわけである。また原理講論では「神の立場で考えよ」と教示しているのである。

その際のキーワードが仏教では無境界統一原理では統一である。

 

先賢先哲と言われる人々が血のにじむ努力の果てに掴むことができた世界をわれわれは、真の父母様の勝利圏によって、とるに足らない小さな条件で相続することができる恩恵に浴しているのである。

 

いっぽう寸心(西田)の方も相当な参禅をこなして、同様の手応えを掴みたいと考えていたようである。

ところが、その努力にも拘わらず、一向にはかどらなかったようである。「善の研究」の出版が明治44年(1911年)であり、それ以前の明治36年(1903年)8月3日の日記に有名な文章があるという。

午後7時、講座をきく。晩に独参、無字を許される。されども余甚だ喜ばず。

 

そのあたりのことを次ように竹村先生は書いている。

寸心は自覚的には自分では満足していない。しかし、後に下村寅太郎が、寸心のあの件はどういうことなのでしょうか、と大拙に質問したときに、大拙は寸心だって何らかの所得がなかったはずはない、得たものはあったはずだ、と答えています。ただ、記録に現れているかぎりでは、寸心では自ら納得しないままに無字を許されたということです。

わたしが素朴に感じた迷いの書という感覚はこれに由来しているのかも知れない。

無字から隻手音声(せきしゅおんじょう)に公案が変わったというが、これらの公案は一番初心者に与えられるものだそうである。

だが、わたしはこのことが災いではなく、かえって大拙とは違った西田の個性が開かれる道を生んだのではないかと思うのである。

それは「善の研究」を見れば、その構成は四編からなり

最後の第四編は

第一章 宗教的要求

第二章 宗教的本質

第三章 神

第四章 神と世界

第五章 知と愛

 となっている。

もし、西田が大拙のように確かな手応えがあったとしたら、

この「善の研究」はもっと違った形になっていたに違いない。

論理的整合性を考えると、無になることを目指すわけであるので、禅の世界に入るための入り口としての哲学であるとか、道元正法眼蔵の現成公案のような立ち位置であるか、ないしは分別知である西洋哲学が東洋の無分別智を学ぶための水先案内人としての西洋哲学的表現の書といったところであろうか。

西田の仕事に最も個性が表れるところがこの辺りではないかと思うのである。

そこで次には彼の神観などを巡って語ることにしたい。

おそらく彼は西洋哲学を回遊するなかで、その哲学が成立するための抜き差しならぬものの存在に気づいたことであろう。

勿論、キリスト教である。

つまり目に見える現象としての西洋哲学ではなく、その背後に横たわる目に見えない本質であるキリストの精神である。

そこで本ブログでも「見えるものから見えないものへ」という視点の移動の重要性を、創造原理に立脚して訴えてきたのである。

 

念のために申しつけ加えるならば、西田の孫弟子に当たる上田閑照氏によるとその哲学的変遷は「体験」→「自覚」→「場所」という重要概念で発展しているそうである。

「西田の哲学は「純粋経験の立場」から出発して、それが「自覚の立場」へ、さらに「場所の立場」へと回転してゆくわけです

 

したがって勿論、「善の研究」で西田の全てが分かることはないであろう。

しかし、私の関心は統一原理の理解のきっかけや糸口を知りたいというところにある。そこで網羅的に研究することは学者に任せて、その苦労の成果から必要なところを申し訳ないがつまみ食いしたり、お裾分けに与りたいと思うのである。

 

さて、次回は気にかかることがあり、「時代的恵沢と祝福」についてお話ししたいと考えている。

その後で若干この話の先に進みたい。

 

〈宗教〉の核心: 西田幾多郎と鈴木大拙に学ぶ